第26話 献身

 場所は打って変わってロンドンの公園。地に足つけたこの場所でも、戦闘はどんどん激化していっていた。 

 辺り一帯には耳をつんざく乾いた火薬の炸裂音が何重にも同時に響き、鋭く尖った銃弾があるじ様目掛けて飛んでいく。


「ああもう!手加減ってものを知らないんだから!」


 彼女は服のポケットに手を突っ込むと、もう何度目か分からないほど手慣れた手つきで、機械仕掛けの角砂糖を宙に放った。

 カチカチと小さい箱から歯車が噛み合う音がすると、途端に小箱の体積が爆発的に増加する。


 途端に胴体だけのトルソー、否、命のない機械人形の体が折り重なった。そのまま積み上がると、人間の壁となって弾丸の射線を通さない即席の壁となる。

 そんな様子を確認する間もなく、あるじ様は一も二もなく駆け出していた。少しでも遠くへ、少しでも長く生き延びようとその場から逃げている。


「ここまで貴女が攻勢に打って出ないのならば、砲撃の絡繰も予想がつきますね…おおかた、彼女の意識と砲撃はリンクしているのでしょう?」


「ええその通りよ!そもそも私は片肺無いし、汗で胸の下は蒸れるし千切れそうだし、運動なんて大嫌いなのよ!相当のことなければ走ったりなんてするもんですか!」


 フィッツが顎に手を当て考えるそぶりを見せる中、彼女は息も絶え絶え体から絞り出すように叫んだ。

 逃げ込んだ先が林だったせいか、足場が悪く体力を使い果たしたあるじ様。

 酷い疲労と息苦しさに喘ぎながら、どうにか木に背中を預ける。


「追いかけっこは終わりですか?まだそれほど時間は経ってませんが」


「あなた達軍人と私を一緒にしないで!体の鈍り方が違うのよ!余裕綽綽に歩きで追いかけてくれちゃって!」


「正直僕たちもビックリしてますよ。貴女一人でもこれほど攻めあぐねるとは」


 彼がかける言葉を背に、あるじ様はなおも林の奥へ体を進ませる。

 その背を追いかけるようにザッ、ザッ、と軍靴を揃えてフィッツ達が林へ足を進ませる。そのまま彼らが林の中ほどまで足を踏み入れた瞬間、あるじ様の口角が吊り上がった。

 パチンと指を鳴らした瞬間、木々の上から子供の腕がヒルのように大量に降り注いだ。ある者は足に、ある者は首に腕が絡みつき、ヒトのものとは思えぬ万力の力で締め上げた。

 屈強な彼らの力を以ってもしがみついて離れず、四肢や胴に絡んだものも身体をつたって次々首へ殺到する。


「ヒトの筋肉って普段はリミッターがかかってるって言うじゃない?それさえ外せば普段の2倍くらいの力が出るのよ。それが人形となれば子供のものでも尚更よ」


 あるじ様は得意げになりながら、隠していた体を木の幹から顔を出した。そして直後、表情が苦虫を噛みつぶしたような表情に変わる。

 そこには、襲い掛かる人形の腕を拳銃で一つ一つ撃ち落とし、歩みの速度を落とさないフィッツの姿。

 周囲で彼の同胞が倒れようとも意に介さず、淡々と一直線にあるじ様へ向かっていく。


「嘘でしょ!?ヒトの心とか無いわけ!?」


「生憎、僕は忠誠心以外を置いてきました。皆それを織り込み済みで僕を指揮官として動いています」


「うっわ執着心すごいわね。貴方ガールフレンドの一人もいたことないでしょう?」


「いいえ?居ましたが「仕事と私どちらが大事なの」と問われたため仕事と返してから、以来連絡がとれません」


「そうね貴方顔だけはイイ優男だものね!」


 息がある程度整ってきたあるじ様は再び木々の隙間をジグザグに走って逃げ出す。

 しかし、体力が回復しきらない彼女とフィッツの歩みの速度の差は歴然。息をつく間にみるみるその距離が縮まっていく。

 どんどん追いかける背中が大きくなっていき、ついにフィッツの拳銃の射程にあるじ様は捕らえられた。パン、パン、と一定のリズムで拳銃の弾が吐き出され、あるじ様の体を掠める。

 身体に酸素が行き渡らず足元が覚束なくなり、体が揺れながらも彼女はその歩みを止めない。

 あと1分、あと1秒でも時間を稼いでエヌのために。もはやそれだけが彼女の足を動かす理由だった。


 そんな一瞬、ズルリ、とあるじ様は足を滑らせる。

 もはや脚に力が入らず、身体中が悲鳴を上げていた彼女はついに限界を迎えたのだ。

 そんな彼女目掛けて、フィッツの銃口は無情にも向けられていた。

 無情にもパァン、と森に音が響き、火薬の閃光とともに弾丸が直進する。あるじ様は目を見開いたまま、ただその光景を眺める事しか出来なかった。

 弾丸とあるじ様の距離はもはや残り10mも無く、あわやあるじ様を食い破らんとしたその瞬間。

 上空から降ってきた「何か」があるじ様を庇った。


 ただの偶然だっただろう。天文学的確立だっただろう。千切られたエヌの腕が放物線を描き、偶然、本当に偶然に、少女の大好きなあるじ様を守っただけのこと。

 それでも、この場にいた二人は、運命の悪戯を感じずにはいられなかった。


「これはエヌのっ!」


 あるじ様は銃弾に弾かれ吹き飛んだ腕をキャッチする。

 腕の断面は刃物で切られており、服は血に染まって煤けている。それだけで少女が身を置いている戦場がいかに激しいものかを表していた。


「…そんな、エヌの意識信号が途絶してるわ。まずいわね…」


「どうやら、上での戦闘も趨勢が決まったのではありませんか?貴方が頑張る理由ももう無くなったのではないですか?」


 フィッツのその言葉を聞いた途端、あるじ様はハッと目を見開いた。

 ―そうよ、私がエヌのことを助けてあげなきゃダメじゃない。意識の再起動ならここからでもできるわ。

 あるじ様は弱った心を叱咤すると、必死に頭を回転させる。この後の自分の命と、後何を使えばエヌを助けられるのか。

 必要な者はプログラムを書くことができる機械と無線。後者はスマートフォンがあれど、パソコンはもう自身の身を守るために壊してしまった。

 考えろ、考えろ、彼女は自身の心に問いかける。命を捨ててでも、エヌに繋ぐにはどうすれば良いのかを。


「…ねえ、貴方はなんでグレーに忠誠を誓うの?ああ、別に馴れ初めからは必要ないわ。とっても長そうだもの」


「主人がグレー様であるからと言うのが理由ですが…そうですね、ありきたりな言葉を使えば、あの方は全くもって権力を傘に着ないところでしょうか」


 彼女は対話を持ちかけながら、自然な動作になるよう気をつけ地面に手をつける。怪しまれないようスマートフォンをしまったポケットに近づけるように。


「へぇ、私とエヌがあったときにはとてもそんな風には見えなかったわ。あの子に聞いた話じゃ捕まってたときでもそんなだったらしいじゃない」


「それはあなた達が敵だったためです。それにエヌちゃんに主人と同じ食事を提供していたのも、あの方の取り計らいでしたよ」


 じり、と体を傾けてポケットを体の影にしてフィッツから見えないようにする。


「それにあの方は人種や経歴とは別に、その人の能力をしっかり見極めてくれます。それが鼻つまみもの厄介者、用済み元スパイの僕らの心にどれほど染み渡ったか」


「…そう、立派な人なのね」

 その瞬間、あるじ様はポケットに手を入れスマートフォンを握りしめた。


「ッ!そうだろうとは思ってましたよ!エヌちゃんと連絡でも取るつもりだとね!」


 あるじ様がそのアクションを行った瞬間、フィッツは油断なく握っていた拳銃を彼女に向ける。


 瞬間、彼は迷わず引き金を引いた。


 極至近まで近づいていた二人の距離で弾を外すことなく、弾丸はあるじ様の体、スマートフォンを掴んだ腕に吸い込まれていく。


 関節を丸々と弾丸が抉り、肘から先が千切れて後方へと吹き飛んでいってしまった。


「貴女、それは…」


「なに、私の体が腎臓と肺程度しかエヌのために使ってないとでも?私が手掛けるのは超一流、何事もやるなら全力がモットーよ。文字通り身を削ってでもね」


 そう言うあるじ様の腕の断面は人間の物とは大きく異なっていた。

 人造の筋肉と関節でできたそれは、エヌと同じ人形のもの。滴るオイルはエヌの物と違い機械臭いが、それ以外は人間と判別つかないほど精巧な物だった。

 元の人間の部分はなにに使われたのかは深く考えずとも想像はつく。エヌの重要器官を構成しているのであろうと。


「ああ、追いかけっこは貴女の勝ちだわ。私はもう逃げる気力が残らないだろうもの。だけどね」


 あるじ様は腕の断面にエヌの腕の断面を無理やり押し付ける。その途端、彼女の脳まで貫くような雷が走ったかのような錯覚。

 彼女が作ったものだからか。無理やり疑似神経を物理的に接続し、エヌの体の破片から少女の本体とリンクを始める。


「この戦いは私たちの勝ちで終わらせるわ!後のことをエヌに任せるのは心苦しいけどね!」


 そして繋がった瞬間、今までエヌが体験してきた光景が走馬灯のようにあるじ様の頭の中を駆け巡った。普段の日常も、グレー一派に捕まっていたときのことも、空中戦艦でどのような事があったかも。


「ッグウ…直接脳をパソコン代わりにするのは中々堪えるわね…っ!」


 あるじ様は鼻と目から血を流しながらも、情報の本流に押し流されないよう必死に意識を保つ。

 スマートフォンの電波からエヌの腕を介して本体へアクセス。

 その中からエヌの魔導炉心へつながる細い糸を手繰り、そしてついにエヌの生存に関わる情報集合体、言うなればエヌの魂とも言うべき場所へ辿り着いた。

 力を使い切ったあるじ様に残された、たったひとつのちっぽけな魔術―意識にプログラムを書き込む魔術を発動する。


「エヌッ、貴女は…貴女はまだは眠っちゃダメよ!」


 現実とプログラムの境界が曖昧になり、彼女の視界が真っ赤に染まる。それでも、あるじ様はエヌの腕を手放さない。

 エヌの魂に触れ、優しく撫でるように彼女の体に働きかける。

 もうすでにあるじ様の意識は白んでおり、いつ倒れ込んでもおかしくない状態。それでも彼女は意識がプツリと途切れる瞬間、確かに感じ取った。

 暖かい心臓の脈動が、トクンとまた脈打ち始めたのを。




「似たもの同士とはよく言ったものですね」


 フィッツは突然目から血を流し倒れ込んだあるじ様を見て、思わずそう独りごちた。

 彼はあるじ様の頭に照準を合わせ、撃鉄を起こした状態で銃口を額に押し付けていた。が、やがて拳銃を懐にしまう。


「共感でも同情でもありません。主人が生きての捕縛を命じていますからね」


 その言葉とともに、フィッツは腕一本分だけ軽くなったあるじ様を持ち上げた。

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