第27話 白鳥の帰還
『エヌ、がんばって』
少女は暗い微睡の中、そんな声を聞いた気がした。
直後、自分の体が無理やり跳ねさせられる感覚とともに視界がクリアになる。
開けた少女の目に映るのは、今まさに自身に向かって飛んでくる、艦橋という名の巨大質量の弾丸。
グレーが片手のレイピアを指揮棒のように振るうと、より加速してエヌの居た場所を粉砕した。
そして、爆砕。
あたりに粉塵と瓦礫を撒き散らかすが、しかし声が聞こえてくる。
「まだまだぁっ!」
「ほう、直前でどうにか目を覚ましたか。だが悪運が強いことは良いことだぞ。最後は結局運がモノを言うからな」
エヌは片足で冷気を噴射すると器用に地面を滑走し、甲板の縁まで移動する。
スケートリンクのように自身の移動先へ氷の道を作り、その上を高速で移動したのだ。折れた脚で飛べずとも、まだ彼女の瞳に諦めの色はない。
器用に自身のおれた脚大剣を口に咥える姿は、人というよりもはや獣のごとき様相。
体にて傷を負いながらなおエヌの視線は鋭く洗練されており、グレーの一挙手一投足を見逃すまいと集中は最高潮に達していた。
「ここにきて士気を上げるか!末恐ろしい闘争の才能だな!」
「っぺ!エヌはそんなの欲しくないんですけどね!」
エヌは咥えていた脚を離すと、残った片足でグレーに向かって器用に蹴り出す。
打ち出された脚大剣は迷わず一直線にグレーへと飛んでいく。が、その程度ではグレーの予想の範疇を超えず、片手の細剣で軽くあしらわれる。
しかし彼女の手には細く細く伸びた糸―折れた脚から引っ張り出した人造神経が握られており、勿論それが続く先は脚大剣。
「まだまだぁ!」
少女が叫ぶと、折れた脚からも冷気の噴出口が展開。たった一本で回転しながらグレーを襲う。
それと同時に手足の断面から冷気噴出口を生やしたエヌが飛びかかり、強引に2対1を作り出した。
両攻撃とも必殺の一撃。されど、グレーの顔の不適な笑みは崩れない。
突進は地面に落ちていたレイピアを炎で跳ね上げ、少女の体勢を崩して進路を変更。
同時に空いた片手で折れた脚大剣に繋がれた
身体をよろけさせ、手も足も使えないエヌは神経糸を伝ってどうにか回転を弱めるよう冷気逆噴射の命令を送ると大きく口を開ける。
そのまま出来るだけ足の付け根、刃物が存在しない部位に狙いをつけると噛み付いた。
口でキャッチするというには些か大きなドッ、という衝撃音とともにエヌが後ろへ吹き飛んだ。
そのまま艦橋だったものが積み重なる瓦礫の中に一直線に突っ込み、大きな音を立てて崩れていく。
「もはや人というより獣だな、その動きは」
「エヌだって好き好んでこんな事したくありませんよ!こんな夜更の時間、あるじ様のお布団に潜り込んでヌクヌクしたいに決まってます!」
瓦礫の下から大きな氷樹が生えると、エヌに積み重なった瓦礫を吹き飛ばした。勿論左手には脚大剣。
おまけとばかりに出来るだけ多くの瓦礫を散弾のようにグレーに向けたが、それらは赤く熱せられたレイピアによって真っ二つに寸断される。
「そこまで吠えるのは良いが…頼みの砲撃は止んだようではないか。うむ、やはり夜明けは静かな方がいい」
「そういうグレーこそレイピア折れまくりですよ。もう残ってるのも数本しかないんじゃないですか?」
「上の奴らが私を恐れてな、平時では船に詰め込める本数を制限してきたのだ。まあ言い訳にもならんがな」
言葉の通り、彼女のレイピアはその殆どが砲撃によってひしゃげており使い物にならなくなっていた。
それに対し眼下の町には炎の一つも見受けられない。そこから導き出される答えはひとつ。自ずと彼女が全ての砲撃を防いだとわかるだろう。
「卑怯なんて百も承知です。それでも!貴女を倒して自由を勝ち取る!」
そう言って、エヌは大剣を口元へ。
「勝ち残る以外に道はなしか!別に構わぬ。町ひとつ、命千万のハンデくらいくれてやる!」
二人とも最後の啖呵を切ると、お互い真正面からぶつかっていく。
もはや小細工など不要。炎と冷気、相反する二つがともに二人の背中を押して、互いにブレーキなしで衝突する。
直後、莫大な衝撃波。二人の衝突点から瓦礫が吹き飛び、爆風が吹き荒れる。
エヌの脚大剣とグレーのレイピアがぶつかり合い、押すに押されぬせめぎ合い。
エヌは脚、グレーは手と互いに武器を扱うための四肢がひとつ欠けている状態で拮抗状態が作り出されたかに見えた。
しかし、エヌにはまだ武器が残っている。大きく首を振ると、つられて咥えられた脚大剣が横に薙がれグレーの首を狙う。
それにいち早く気づいた彼女はとっさに首を後ろへ逸らすと、そのままの勢いを利用して宙返りからのサマーソルトキック。
エヌは強かに顎を打ちつけられ一瞬意識が白む。が、すぐさま唇をギュッと噛むと痛みで意識を手繰り寄せた。
一瞬怯めど、それでもエヌは前進を止めず、一歩前へ、一歩前へと進み続ける。グレーを打ち倒さんと身体を突き動かす。
いつもなら一瞬の怯みにつながる痛み、しかし今の少女には痛手よりも、目前に現れたグレーの隙の方が大事だった。
僅かに見せたグレーの背中、その一瞬のうちに距離を詰めると軍服の裾を握りしめる。
そのまま彼女の体をエヌの方に引っ張ると同時に、迷わず脚を畳んで膝蹴りを放つ。
グレーもそれをタダで受けるほど甘くはなく、鋭い剣戟がエヌに食ってかかるが、もはやその程度織り込み済み。
咥えた大剣を変形させ冷気を放つと、身体をくるりと回旋させて剣に触れるは髪の毛の先端だけ。
そのままの勢いを利用してより加速した膝蹴りをグレーの顔面に叩き込んだ。
それでもグレーはニヤリと笑顔を浮かべると、レイピアを空中に放りエヌの襟をガシリと掴む。
そのまま彼女は不適に笑みを浮かべると、背後になけなしのレイピアを浮かべた。エヌはハッと目を見開き、どうにかグレーの手を振りほどこうとする。
しかし小柄なエヌの体格で、出せる力はグレーに到底かなわない。
そして満を辞してのレイピア掃射。エヌはつながった脚を変形して体を畳み、首を横に振る事で出来る限りの防御を図る。
どうにか致命傷は避けたものの、脚や腹部が斬られた。少女の顔を狙った刃物は射線を逸らしたものの、額がぱっくりと大きな裂傷。
「っー!痛いです!痛いですけどっ!」
エヌは絹を割くような悲鳴を上げる。それに一瞬怯んだのか、グレーの拘束が緩んだ瞬間、体の天地をひっくり返すように体を回転させた。
おまけとばかりに自身から滴る血を相手の目を狙って振り掛けるのも忘れない。咄嗟の事で反応しきれなかったグレーはそれをもろに受けてしまう。
「小癪な!目潰しとは本格的に獣だな!」
「使える手は何でも使う、それが戦いの礼儀ですよ!」
「ハハハ、言うようになったではないか小娘のくせに!だがまだ詰めが甘い!」
彼女は見えぬ視界であろうと、とっさに声がした方向へ炎を纏わせた回し蹴り。ドッと肉の柔らかさが接触面から伝わるが、確かに腕で防がれた感覚。
「それじゃあ、エヌが普通に喋れてるのはどう思います?」
「まさかっ!」
グレーが何度も瞼を瞬かせ瞳から血を流すと、彼女は咄嗟に真上を見上げた。そこには放り投げられ放物線を描いてきたであろう脚大剣が脳天目掛けて落下してきている。
それを見た瞬間、グレーは軍服を翻して後方へと距離を取った。互いに機動力が高い二人では明確な隙。
それを見過ごすエヌではなく、落ちてきた大剣をすれ違い様手でキャッチし、冷気で加速しながらグレーに肉薄。
「足元不注意だぞ?見える隙に気を取られるな」
今まさにグレーに斬りかかろうとしたその瞬間、彼女の言葉に従いエヌは思わず下を見る。視線の先には、割れた甲板の隙間にきらりと光る鋭い細剣。
炎の明かりを灯したそれは、重力に逆らい真上へ今飛び出した。
真っ直ぐ進む少女には回避不能の一撃。飛び出した剣先に喉笛を貫かれる自身の姿をエヌは思わず幻視してしまう。
ここまでなのか。間近に迫った濃密な死の気配にエヌの顔から血の気が引いた。
「片足がもげた程度で空へ飛べぬのか?諦めるでない、たとえ片翼がもがれようと貴様は飛べるはずだ。否!飛ばなければならない!帰るのだろう!?貴様の生の証明はここで終わる程度のものなのか!」
諦めに飲まれそうな少女の意識の雲に、グレーが放った一言が一筋、光を射す。
刹那、エヌの脳裏によぎるはあるじ様の困ったような、優しい笑顔。
―もう一度会いたい、もう一度甘えたい、もう一度ギュッとしてほしい。
戦うにはあまりにちっぽけな、それでも、立ち上がるには十分な理由。それが彼女の心臓に火を灯す。
「…ありがとうございます。そして!恨み言は無しですよ!」
そう言ってエヌは再び脚大剣を口に咥えると、手足の排気口を展開。例え1秒後大地に落ちるとも、迷わずエヌは空へ飛ぶ。
「…土壇場でやってのけるか、貴様は」
空へ大きく羽ばたき、後方へループを決めたエヌの胸元すれすれをレイピアが掠めていく。
今まさしく、エヌは空へ飛んだ。本当の意味で飛んだのだ。
その光景を眩しそうに見上げたグレーは、一拍空いてレイピアを一つ、手元に呼び戻す。
夜明けまであと少し。オレンジ色に染まったロンドンの空にエヌの影が踊る。
「さあ、エヌ。決着をつけようか」
―ええ、決着をつけましょう。
もはや二人の間に言葉は不要。視線が交わるだけで二人の心が重なり合った。
グレーが脚をドン、と強く踏み込む。その衝撃で浮かび上がった瓦礫たちそれぞれに炎を纏わせると、少女へ向かって石の礫が殺到した。
エヌは飛行のバランスを保つための腕をわざと人間の状態に戻すと、意図的に錐揉み回転を起こし不規則な軌道を描く。
莫大な慣性の中、エヌは卓越した動体視力で石礫が通り過ぎていくのを確認し、その瞬間、大きく開いた掌。
冷気を放ち局所的な台風を起こし、エヌは空中で体をピタリと止めると、脚の出力を最大にして直角的ターン。真っ直ぐグレーを見据えて進軍した。
刹那、一瞬の交錯。
エヌの脚大剣とグレーのレイピアが切り結ぶ。が、互いの体浅層に薄い切り傷を付けるだけで決定打には至らない。
―ただ一度、ただ一度に勝負を掛けるしかありません。
表面上二人の戦いは拮抗しているが、その実情はまったく否。
エヌは氷を体内から放出するゆえ体温は奪われていき、今となっては体は芯までジワジワと氷が這い寄っているのが実情だった。
それに対しグレーはあくまで武器に炎を灯すため体に何の害もない。ここに来て、埋められない熟練度の壁。
現状打開のために思考を巡らせるエヌが、空中を旋回しグレーへ向かおうとしたまさにその時。
エヌの頬すれすれを、半ばから先が折れたレイピアが通り過ぎる。
たったコンマ秒にも満たない間の出来事、しかしエヌの動体視力は確かに捉えていた。
細剣の柄に括られていた白い手袋。その意味をわからないほどエヌは子供でもない。
「…フッ」
挑発的な笑みを見たエヌはすぐさま飛行コースを変更。空を蹴るように脚を動かすと、高く高く、空へと向かって舵を切る。
その姿を見上げたグレーはカチン、とレイピアを厳かに納刀。
「【炎熱機巧】」
彼女は静かに言葉を紡いだ。敬虔な祈りを捧げるように。
「【氷雪機巧】」
少女は天高くで呟いた。自身のいく先を定めるために。
甲板の上、軍服を纏ったグレーは姿勢を深く深く落とし、目を瞑る。剣の柄に手をかけたまま石像のように動かずに。
遥か宇宙の下、白い少女は空を大地に蹴り出した。あたかも自身を一条の白い光にするように。
嵐の前の静けさ、ザリザリと異物の混じった艦のエンジン音だけがその場に木霊する。
そして、遠方より音がした。ゴォ、と風を巻き、風を裂く少女の音が。
ひと息つく間に大きくなる音に比例して、辺りの緊張の糸が引き絞られていく。
二人の距離はあと1000m、5oom、まだ遠い。
100m、50m、まだだ。まだ早い。
5m、1m、そして―
「【回路輪転:
今、両者が激突した。
グレーの鞘から炎が溢れ、圧倒する。赤熱された超高温の刃が鞘を滑り、空気の爆発的膨張を伴って射出される、グレーの最速最強の居合はさながら怒れる火の山か。
対してエヌは単純明快。音に迫り、自身の体を、羽をむしりながらも放つ最高速度の一撃。冷却が足りず体が摩擦熱で焦げようと構わない、捨身の三日月蹴り。
二つがぶつかり合った瞬間、空気がの加熱と冷却が繰り返し、局所的な水蒸気爆発。
そんなもの、今の二人は介さない。ここに至ればもはや技と技、意地と意地とのぶつかり合い。
純粋な力同士の鍔迫り合いは五分と五分かに見えた。
「まぁだまだぁ!舐め腐るなよ一桁風情のひよっこがぁ!」
しかし、グレーは奥歯を噛み砕かん勢いで食いしばると、レイピアから炎を噴射。ここにきてグググ、と僅かながらエヌの身体を持ち上げる。
「まだっ、まだまだまだぁ!」
それに対抗するように、エヌも背中を突き破り何本もの冷気噴出口を展開。負けじとこちらも出力をあげる。
それでも、炎を細く収斂し、方向を一つに絞ったグレーの勢いを止められない。
「だが、だがあと一手、あと一手だけ私には届かんぞ!このまま押切らせてもらおうか!エヌゥゥゥ!」
そう叫んだグレーが見たエヌの表情は諦観でも、悔恨でも、痛哭でもなかった。
ただ、真っ直ぐグレーを見つめていた。
「あと、一手ぇぇぇぇええええ!!!」
叫び、エヌは掴んだ。空から降ってくる自身の脚。足りぬ少女のもう一押し。
「【
そして、グレーのレイピアに叩きつけた。
「―
一拍。
どこかで、金属の砕ける音がした。
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