第24話 物憂げな陸の底で

「ナイスアシストじゃない?私」


 遠くに光る空を見上げながら、あるじ様と呼ばれる女性はそう呟いた。

 戦艦から遥か眼下の公園から、エヌが戦っているであろう見つめている。

 彼女の背後には砲身から煙を吐き出す巨大な砲台が地面から迫り出しており、そこからあるじ様の持つノートパソコンへ多数の配線が伸びていた。


「有線ならハッキング成功っと。地下に極秘に敷設された砲台のハッキング、2回目じゃ対策されて難しくなったとはいえ私の敵じゃないわ」


 そしてあるじ様は幾つものソフトを立ち上げると、画面にロンドンの地図が浮かび上がる。


「ウイルスを秘匿通信回線に送り込んでっと…これで制御権を奪うまでは待機かしら」


 彼女はそう言って備え付けのベンチに座り込むと、鞄の中から魔法瓶を取り出して、カップに暖かい紅茶を注いだ。

 ホカホカと湯気を立てるそれをひと息に飲み込もうとして、「あちっ」とすぐに舌先を外気に晒す。

 学んだあるじ様はちびちびと時間をかけながらおっかなびっくり口をつけ、冷めた頃には一気に残りを飲み干した。


「さてさて、そろそろ終わってくれたかしらっと…うん、バッチリ!さすが私ね」


 彼女は画面を見てウンウンと頷くと、気軽な様子でノートパソコンのエンターキーを叩く。

 まさにその時だった。ロンドンの大地が地響きを上げ、震え始めた。

 各地でズズズ、とロンドン各所の公園、道路、その他の地面に文字通り亀裂が入り、断崖とかした地面から一門、また一門と迫り出して来る。

 大砲の砲身は皆一様に空中に佇む戦艦へと向けられており、たった数瞬の間にグレーの包囲網が完成した。


「それじゃあ一気にいきますかっと…角度を調整して、これで一斉射!」


 そうしてあるじ様は複雑怪奇なプログラムコードを砲台の制御システムに書き加え、確定のエンターキーを押す。

 電子の情報が無線の網の目を巡り、たった一つの指令を伝達した。「グレーの船を撃墜しろ」と。

 ゴウン、ゴウンと低い音を響かせながら砲門が鎌首をもたげ、空高くへ鉄鋼の弾を吐き出した。

 一拍遅れて重い轟音と衝撃波。周囲に爆発の衝撃波が襲い、驚いた鳥たちはけたたましく一斉に飛び出していく。


「どんどん税金の弾吐き出してもらうわよ。少しでもエヌを助けてあげなきゃだもの」


 そう言ってパソコンの画面を覗き込むと、砲台の角度を微調整し、より確実に空中戦艦へ火力の支援が届くように計算を続けた。

 そんな折、不意にパチパチパチ、と拍手の音がその場に響く。

 あるじ様がはっと顔をあげれば、そこにはクリーム色の髪の優しげな風貌の男。柔らかいボブヘアーの人物は、エヌならばよく知っている人だった。


「主人が言っていた通りちょっかいを出してきましたね。しかしここまで都市の機密システムを掌握して来るとは」


「あー、貴方の話は聞いているわ。確かフィッツとかいう人だったかしら?どうやら随分エヌが”お世話”になったみたいね」


「ええ、主人が油断していたとはいえ、お宅のエヌちゃんが我が艦から逃げ出したのは事実。その大きな要因として、保護者である貴女が大きな存在であったのは事実です」


「あらまあ、随分私のことを買ってくれてるのね」


「ええ、エヌちゃん確保の任において、最も大きな妨害要因になるというのが最終的に導き出された結論ですよ」


 二人は表面上は穏やかに、されど言葉の奥に隠しきれないトゲを忍ばせながら瞳を交わらせる。

 僅かに背の高いあるじ様がフィッツを見下ろす形になりながら、二人とも一定の距離から近づこうとしない。


「それにしてもよくこんな短時間で私を見つけられたわね」


「貴女が出張ることは織り込み済みですから。エヌちゃんの居場所が特定された瞬間から艦長以外の船員全員がロンドン各地に散開しています」


「じゃあ私は運がないわね。よりによってエヌに聞いていた貴方と会うなんて」


「ええ、どうやら僕も貴女も似たような人間らしいですし。腹の中に黒いものを飼っている狐同士仲良くしますか?」


「お断りよ。それに私は貴方ほど自分を隠している訳じゃないわ」


 二人は言葉を交わすたびにどんどん空気が険悪になっていくが、それを止める人物はここには居らず。

 二人きりの公園で二人が押し黙ると、あちらこちらから響く砲声のみがけたたましく響いた。

 そんな轟音の中、服の衣ずれの音などはもちろん聞こえるはずもなく。

 フィッツは素早く軍服の内ポケットから拳銃を取り出すと、カケラの躊躇いも見せずに発砲する。


「っと危ないじゃないの!ちょっとは人を撃つ罪悪感とかないわけ?それも無抵抗の人間にさ」


「その割には顔に汗一つかいてないようですけど」


「当然よ。私だったら警戒されるより前に砲手を殺すわ。ま、それも失敗みたいだけどね」


 あるじ様は穴が穿たれた分厚いノートパソコンをトントンと叩きながら、したり顔で言葉を返す。

 先ほどまでとは打って変わってただの鉄屑とかしたそれを地面に放り投げると、音を立てて時たま電気を放つだけの物となった。


「あーあ、ひどいことするじゃない。次はマッキントッシュのものでも買おうかしら。壊れたらプログラムもすぐ停止する、薄くてポンコツじゃないやつ」


「…あなたも大概性格が悪いですね。僕自ら、砲撃を止める方法を失わせますか」


「私だって大分賭けたのよ?あなたの細腕で扱える銃の弾を、わざわざ買った分厚いパソコンで防ぎ切れるかどうか不安だったし」


 パソコンがついに何の音も立てなくなっても、それでも砲撃の音は止まらない。


「さて、それじゃあ私に用も無くなっただろうし帰ったら如何?お宅の大将に「失敗しました」って報告するなら早い方が良いと思うわ」


「いいえ、まだ帰れませんよ。僕が請け負った任務は「ゾイ・メイドゥンヘッドによる妨害の阻止」、つまりは砲撃を止めるまで僕は止まる事はできません」


「へえ、随分仕事熱心じゃない。てっきり何事も飄々と身をかわしているタイプだと思っていたわ」


 その言葉を聞いたフィッツは眉をぴくりと動かすと、ぬらりとあるじ様へ深く目を合わせる。

 その姿があまりにも先ほどまでの笑顔を浮かべていた彼とはかけ離れていたため、あるじ様は思わず訝しんだ。


「そんなわけありませんよ、あるわけないじゃないですか」

 フィッツは顔を傾け声を震わせると、表情が抜け落ちた顔になっていた。


「そもそも貴女、なぜそこまでエヌちゃんに固執するのですか。人形一つ、貴女の技術力ならば新たに作ることも簡単でしょう?」


 その言葉にあるじ様はカチンと来たのか、目がつり上がり口調も厳しいものになる。


「ふざけないで、エヌはエヌしかいないわ」


「それは貴女の妹さんの体を使っているからでしょう?家族ならば特別な情を抱くこともあるでしょう?」


「それはあくまで切っ掛けよ。どんな姿になろうとエヌはこの世にたった一人、人形一つなんかじゃない、私の大切な存在よ。人形なんかじゃないわ。それを―」


「それと同じですよ」


 フィッツはあるじ様の言葉を遮って、言葉を重ねる。その表情にはグラグラと煮え滾った思い感情が渦巻いていた。


「ええ、貴女にエヌちゃんしか居ないように、僕には主人―いや、グレー様しか居ませんよ。貴女知っていますか?グレー様の軍での立ち位置を」


「知らないけどおおよそ想像はつくわ。恐れられているのでしょう?」


「ええ、それを知ったグレー様は何と行ったと思いますか?「私もそろそろ船になるべきか」ですよ。軍部ではグレー様をいつ物言わぬ機械にできるか虎視淡々と機会を伺っていますし」


 その言葉に納得したあるじ様は、緊張した面持ちでフィッツに言葉を返す。


「その絶好の機会が今だと言いたいの?」


「Eliza・Qが真っ当に育っていくならば、グレー様が消耗するのは必至。その隙に付け入れられれば我が主人とてどうなるか分かりません」


「それは可能性の話でしょう?」


「それでも!グレー様に危害が及ぶのなら、未然に防ぐのが我らの務め」


「陶酔ね。何がそこまで貴女を駆り立てるの?」


「陶酔ではありません。僕たちは皆、グレー様が大きなものを抱えながら、現実と板挟みになり生きている彼女をただ尊い生き方だと思い、惹かれただけのこと」


 二人がそう話していると周囲からザッ、と多くの足音が響く。あるじ様が見渡せばそこかしこに軍服を着た兵士の姿が見えた。

 皆が皆目立つ武器こそ持っていないが、服の中に拳銃を隠しているであろう事は容易に想像できる。


「へぇ、私との会話は時間稼ぎってわけね。一人のレディに寄って集ってひどいと思わないの?」


「悪いとは思ってますよ。ですが僕たちに対等に接し、任務を終えるたびに私財を投げ打って皆に酒を振舞ってくれる上官の期待をどうして裏切れるでしょうか?」


「あー、もしかして逃してはくれない感じかしら?」


 あるじ様は頬をポリポリとかくと、額に冷や汗を滲ませながら周囲の人間に問いかける。

 周囲の沈黙こそが何よりの肯定であった。


「なに、命までは奪いませんよ。僕らだってそこまで人道に悖る行為をする訳じゃありません。ただボロボロの貴女を見たら、エヌちゃんと戦わずとも主人の言うことを聞いてくれると思うでしょう?」


「人質作戦って訳ね。なかなか汚い真似してくれるじゃない」


 あるじ様はポケットから角砂糖のような、小さな金細工のなされた金属の立方体を幾つも取り出す。

 その動きを見たフィッツは焦るわけでもなく、ただ淡々と号令を下した。


「―撃て。徹底的に、圧倒的に、絶対的に、懲罰的に。殺さぬように殺しましょう」


 その一言で、全ての銃口が一斉に火を吹いた。

 辺りに騒々しい炸裂音を響かせて、辺り一体へ鼻につく硝煙臭が立ち込める。


「でも、少し私を舐めすぎなんじゃないかしら?」


「…エヌちゃんよりは容易とは言え、一筋縄ではいきませんね」


 そうため息をつくフィッツの視線の先には、幾つもの人形の手が絡み合いあるじ様を覆う人間の大樹。

 蠢く人間のオブジェが解け花開くと、物憂げな表情のあるじ様がそこに佇んでいた。


「本当はエヌの教育に悪いから、私の魔術は見せたくないのよ。でも、貴方たちなら別に構わないわ」

 幾つものマネキンのような手が地面に散らばり、カタカタと地面をのたうちまわる。その姿にフィッツは汗を一筋たらしながらも、冷静に見つめていた。


「エヌとの約束よ、あの子が生きてる限り私は優しいから、死なないように死なせてあげるわ」


 彼女の決意をのせた砲声が、直上の空に鳴り響いた。

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