第22話 暁の決戦②

 時刻を少し巻き戻した昨日深夜、ロンドン市内のとある喫茶店。

 どことなく緊張した面持ちの2人は、忙しなく借りた部屋を立ち上がったり座ったり、落ち着きなく歩き回っていた。


「本当にグレーに勝てるのですか?あるじ様に武装を改装してもらったはいいですけど、エヌの全力でも届くかどうかっていうのは、前に言った筈です」


「勝てるかどうかじゃないわ、勝つのよ。それしか私たちが納得して生き残る道はないわ。それにね、私たちにだってまだ完全に勝機が潰えた訳じゃないのよ」


 あるじ様は壁に何枚もの資料や町の地図、古ぼけた写真まで様々な物を貼り付けると、エヌのほうを振り返る。


「いい、グレーは確かに強大な存在よ。資料を辿ればグレーらしき存在の記述は19世紀半ばの第二次アヘン戦争までに遡るわ。戦争で中国の庭園を焼き払ったのが初陣みたいね」


「もしかしてグレー、とっても年上だったりです?」


「ですですだわ。ぶっちゃけ180年くらい前線に出て生きてるってだけで実力は折り紙付きね。二回の世界大戦を経て他国にも要警戒対象として名前が出るくらいには暴れ回ってるかしら」


 その言葉を聞いた途端、エヌはヘニャッと体を溶かすとソファの上に横たわる。

 少女のその様子を見たあるじ様は思わず苦笑いを浮かべると、そんな様子のエヌの頭をそっと撫でた。


「まったく、エヌのこんな姿見たらみんなビックリするでしょうね。いつもはしっかり者の真面目ちゃんなんだから」


「あるじ様の前だから良いです…それより、勝てそうな要素が聞かされませんがなんですか、エヌをいじめて楽しんでるのですか」


「まずは彼我の戦力差の確認よ」


「ちなみに率直な感想は?」


「実力も経験もあっちが上、私だったら尻尾を巻いて今頃南米に亡命決め込んでビーフ祭りに参加かしら」


「諦めてるじゃないですかぁ!」


 少女は体を起こしてぴえっと叫ぶが、あるじ様はエヌのほっぺを両手で掴むと、いつになく含んだ笑みを浮かべる。


「気高くて実力のある騎士様みたいな人、だからこそ付け入る隙もあるのよ。でもそれは私の仕事だわ。だから私は私の、エヌはエヌの出来ることを、ね」


「なんか悪い顔してますよあるじ様」


「悪いこととイケナイことは大人の特権よ?それにアナタは嘘をつけばすぐ顔に出ちゃうもの、何も知らない方が強みになるわ」


「でも…」


 それでも言葉を続けようとするエヌの唇に指を当て、努めて茶目っけたっぷりにウィンクしてみせた。


「大丈夫よ。エヌが信じたあるじ様を信じなさい。それとも私ってもしかして悪い魔女や魔法使いに思われてる?それだったら少し結構かなり凹んじゃうけど…」


「そんなことありません!あるじ様はエヌのことを一番に考えてくれる、不器用で隠し事たくさんで、それでもとっても優しい人です!」


 少女が間髪入れずにそう言い切ると、あるじ様は目を丸めたあとに、すぐさま頬を緩めた。


「それはエヌが私を優しくしてくれるのよ。ありがとうね」


「うぅ…そう素直に言われると少しこそばゆいですね…もちろん悪い気はしませんけど」


 エヌが口をマゴマゴさせながら、顔を赤らめ頬をポリポリと掻く。


 そんな少女の頭をふわふわ撫で付けた彼女の主人は、打って変わって冗談抜きの真剣な表情に変わった。


「だからね、私が優しい人でいられるように必ず帰ってきなさいよ、エヌ。そうじゃなきゃ私は優しくない人になっちゃうんだからね」


 その言葉に少女は深く息を吸い、決意の一言。


「勿論です」


 それに続けてエヌは思い出したようにあるじ様の手を引っ張ると、心配するようにあるじ様の瞳を見上げた。


「あるじ様こそ、エヌが見てないからって無理しちゃダメですよ」


「…まあ、善処するわ」



◆◇◆◇◆◇◆



 宙に浮かぶ船の甲板の上、二つの影が何度もぶつかりあっては離れ合う。

 縦横無尽に飛び回る白い影は、さながら鳥の如く軽やかに舞い踊っていた。


「小さい体躯を補うために脚に大剣を接続し、失った機動力をジェット噴射で補うと」


「減らず口をまだ叩きますか!」


 エヌは空中で体を駒のように回転させると、遠心力が乗った大剣を叩きつける。

 大剣に巻きついた排気口が白い煙の軌跡を残し、土埃と冷気を巻き上げ爆発した。外部から観測不能となったその場所の霧が徐々にクリアになっていく。


「さすがにこれで倒れてくれるとは思ってませんでしたけど、こうも易々と防がれると辛いものがあるのですよ」


「これでも年の功というやつさ。場数が違う」


 エヌの放った大剣蹴りはグレーに当たる寸前で止まり、それ以上動かない。

 それは盾だ。

 そこには幾本もの黒いレイピアが折重なり、空中で車輪の形をとって盾となっていた。

 ギリギリと金属同士がぶつかり合い火花を散らす中、2人の視線も同じように熱を持って絡み合う。

 ―グレーの強みは手数の多さよ、なんてあるじ様が教えてくれた情報が脳裏をよぎった。

 その言葉を裏打ちするように、船の艦橋から炎の尾を引いたレイピアが次々飛来しては、雨のように甲板へと刺さる。

 直後、グレーが機嫌よさげに指を鳴らした。


「ッ!【氷雪機巧・霜の氷柱月】!」


 背筋に走った寒気からか、本能に従いそう叫ぶと両大剣の排気口が増設展開される。

 瞬間、莫大な推力。それはさながら三日月の如し。

 少女を襲う黒い刺突を、裂空の居合蹴りで丸ごと全て弾き飛ばす。後に残るのは吐き出された白い冷気。

 何本ものレイピアを力任せに後ろへ弾き飛ばしたエヌは、地面へ軽やかに着地をしてグレーに一礼。


「なんだ、存外前より実力を上げて来たな…いや、本来のスペックまで戻ろうとしているのか」


「頭に体も追いついてきましたしね」


「尚更それは危険な反乱分子に成長したな。今ならまだ苦しまずに介錯もできるぞ」


「時間の無駄、ですっ」


 エヌは探り探り、グレーは愉快げに、2人が言葉を交わす間にも武力の応酬は止まらない。

 一言喋る間に剣が降り注いでは氷の薔薇が弾き、白い大剣が切りかかれば炎と剣の壁が出迎える。

 実力は互いに伯仲、片方が攻めれば片方が守り、役割が何度も入れ替わる。それはさながらダンスのようで、観客がいればそれはさぞ幻想的な風景だった。


 しかし、何度も打ち合いが続くたびにエヌの額には汗が滲む。

 ―これはエスコート、です。


 少女は何度も液化させた空気を揮発・噴射させて縦横無尽に空を飛び、四方八方から切りかかっている。しかし、グレーは先ほどから一歩も動いていない。

 背後の死角から斬りかかろうと背中に目があるかのように炎が巻いてエヌを近づけさせないのだ。

 その姿はまさしく、我儘娘をあやすかのよう。

 あるじ様は茶化していたが、エヌと彼女の間には埋めがたい「人生経験」という戦闘力の壁が立ちはだかっていた。

 そんな少女の心に開いた一瞬の隙を感じ取ったのか、グレーは適当に一本レイピアを手元に呼び寄せる。

 直後、裂帛の踏み込みと共に将校がエヌへ肉薄。咄嗟にはねあげられた少女の脚がレイピアを弾いた。が、図体が大きいエヌの大剣と軽く小さい細剣、極至近距離での戦闘では後者が有利。

 数度打ち合うたびにエヌの体に薄い紅線が走り、赤い雪となって積もっていく。

 このままでは一方的に嬲られると理解したエヌは、素早く足で強く地面を叩く。

 甲板の破片が周囲一帯にぶちまけられ、散弾のように瓦礫が舞った。

 2人はそれが当たる寸前、互いに後ろへ飛び退る。互いに武器を収めると、ほんの束の間の休息と、それに再び隙の探りあい。


「そこそこ剣術に自信があったが、これでも仕留めきれぬか」


「ッハァ、ふぅ…これで”そこそこ”ですか」


 エヌは汗と血に滲んだ顔を乱暴に拭うと、グレーを強く睨みつけた。が、当の本人は涼しい顔で、汗一つ見せない姿はいっそ華麗である。


「ああ、だがその程度では貴様を仕留めるには足りぬらしい」


 そう言って、グレーは手を大きく頭上に掲げた。

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