第18話 小さいおててと、大きな手
ほかほかバスローブ姿のあるじ様が、湯気を伴ってバスルームから出てくる。
あられもないあるじ様の姿を隠すようにエヌはせっせと窓のブラインダーを下ろす姿は甲斐甲斐しい。
けれども2人の間にはえも言われぬ空気が漂っており、互いに言葉の一つも掛けはしない。
「いやー悪いねあるじさんや。イロイロとでっかいからサイズの合う服がそれしか無くてさ。服は乾燥機にかけたし終わるまではゆっくりしていってよ」
「こっちこそ御免なさいね、エヌから何までお世話になちゃって。誘拐されると思って生きた心地がしなかったわ」
どこからどう見ても疲れ切った表情のあるじ様は気怠げにそう呟いた。
そんな彼女の様子を心配そうにチラチラと見ているエヌは、それでもある一定の距離から全く近づこうとしない。
「まあ、ちんまい子があんな雨に打たれてるのを放っておけないよ。それが見知ったちびっ子だったらなおさらって感じ」
「このお店によく来ておいてよかったわ。そうでなきゃこんな親切な店長さんに会えなかったものね」
「そんなに褒めても何も出ないわよ、お礼はまた何回もお店に来てくれればそれでいいからさ。いやーそれにしても2人とも焦ったときの姿がそっくりだね。こりゃもう2人仲良くおてて繋いで帰るしかないと思わない?」
店長さんは意味ありげな視線をエヌに向けるが、居心地の悪そうなエヌは素早くすり足で店の奥へと隠れていった。
その光景を見た店長さんは思わず額に手を当てると、重く深いため息をつく。
「あーこりゃ重症だわまったく。何やったらこんなに拗れるんだか」
「うー、それはその、言いにくい家族のあれこれというか、何とも言葉に表しにくいあれそれよ」
「ったくそれじゃあ思春期になったら大変だよ?とは言えつっけんどんなエヌ子の姿なんて想像もつかないけど」
その言葉とともに立ち上がった店長さんは厨房へ潜り込んだ。
ひょこひょこと彼女の頭が見えたり消えたりするが、しばらくすると「んえっ!?」という甲高い声が店に響く。
次の瞬間には店長さんが親猫スタイルでエヌの襟首を掴んで戻ってきた。
「……いくらなんでもこの運び方はあんまりだと思いませんか?」
「普通に捕まえたんじゃバタバタ暴れて逃げ出そうとする子にはこれが一番。恨むんだったら素直に捕まらなかった自分を恨むんだね」
あるじ様の腰かける机までやって来た店長さんは、エヌをぺいっと彼女の真正面に投げ捨てた。
店長さんはこぢんまりと椅子に座ったエヌが逃げないのを確認すると満足げに頷く。
「じゃ、あとはおアツい2人で仲良くやってちょうだいな。喧嘩中の間に入ってとばっちり貰うなんてゴメンだからね」
「えっ待ってくださいエヌをこのままにして!?」
「世の中きびしいんだなこれが。ま、お姉さんは裏で洗い物でもしてるから、本当にどうしようもなくなったら呼ぶんだよ」
エヌの助けを求める声は一刀の元に切り伏せられ、無情にも店長さんの姿は小さくなって行く。
ヒラヒラと後ろに手を振る姿を恨めしげに見つめるエヌだったが、真っ正面の重苦しい雰囲気から逃れられる訳もなく。
気まずそうなエヌと苦虫を噛みつぶした表情のあるじ様は、また2人っきりでの逢瀬となった。
しかし互いに話を切り出せず、チビチビと飲み物に口をつけるだけ。2人とも相手の様子を伺うようにチラチラと視線をぶつけるのみだ。
そんな沈黙に耐えかねたのか、エヌは露骨に明るい声であるじ様に話しかける。
「…あるじ様はどうしてあんなにずぶ濡れだったんですか。傘が壊れてたりとか?」
「電話エヌがずぶ濡れだからどうしたんだって連絡が来てね。そしたら居てもたっても居られなくなっちゃって、思わずホテルを飛び出しちゃった」
えへへ、と弱々しく笑うあるじ様になんとも言えず「へ」の字に口を曲げるエヌ。
「あるじ様はもっと自分を大切にしてください。ただでさえ子供1人分臓器がなくて、体が弱いんですから」
「それは…その通りだよね、ごめんねエヌ。ずーっと迷惑かけっぱなしだわ、私」
「迷惑なんかじゃっ…!その、ただ心配なだけで、あるじ様が謝る事じゃないんです」
そしてまた俯き、2人とも口をつぐんで押し黙った。
――違うんです、本当はそんなことが言いたいわけじゃないんです。
心の中で思い浮かべるのは容易いことだが、いかんせん喉元から言葉がせり出てこないのならば意味がない。
何度も言葉を口に出そうとしては、もごもごと形にならない単語として掻き消えた。
そんなエヌの様子を知ってか知らずか、覚悟を決めた表情のあるじ様は顔をゆっくりと上げ、エヌの頬へ愛しむように手を添える。
「…やっぱり私、妹が事故に遭った時に戻れるなら、きっとエヌと会うために何度でも、何度でもよ?身を削り弱って倒れて伏すと分かっていようが関係ない、貴女を作り上げて見せるわ」
「………それが、どうだって言うんです」
「エヌ、貴女は私が望んで作り上げたのよ。かけ替えのない私の半身、誰にも奪わせない大切な宝物。たとえ妹が事故に遭わなくとも、貴女を知ってる私なら作ると断言するわ」
エヌを真っ直ぐ見据えたあるじ様は、臆することなくきっぱりと言い切って見せる。
「たしかに貴女を作ろうと思ったキッカケこそ胸の隙間を埋めるためよ。それは誤魔化しようのない本当のことだわ」
少し不安そうにあるじ様を見上げる少女の髪をふわりと撫でる。
「でもね、一緒にいて笑ってくれて、本当は懐っこいのに大人ぶって丁寧な言葉なんか使っちゃって、それなのに撫でるとフニャって笑っちゃうエヌの『人となり』に私は救われたのよ」
エヌの目元をくすぐるように拭うと、少女はこそばゆそうに眉間のシワを綻ばせた。
「もちろん貴女に妹を重ねたことがないとは言わないわ。一緒に暮らし始めてすぐの頃は妹を作ろうとして失敗したから嫌にだってなってたし」
「………それじゃあ、やっぱり」
「でもね、毎日一緒に過ごしてたらさ、否応なく姿は同じでも別人だって理屈抜きに納得させられたのよね。だからこそ、妹のことはもう踏ん切りがついたわ。妹は妹、エヌはエヌよ」
そう言い切ると、身を乗り出して少女の吹けば折れてしまいそうな体躯を強く抱きしめる。
何度もその存在を確かめるようにエヌの髪を好き、すんすんと顔をうなじ埋めては匂いを嗅ぎ、瞳に涙を溜めながらも表情でエヌを離さない。
ふかふかで柔らかな胸元への抱擁にエヌはなすがままだが、その些細な違和感に気付いた少女の表情は物憂げなまま晴れる様子はない。
そのことに気づき少しずつうろたえ始めたあるじ様に応えるように、エヌはあるじ様の手を振り払う。
そのままゆっくり席を立つと、普段通りの慣れた様子であるじ様の膝の上で向かい合うようにちょこんと座った。
「ちゃんとエヌはエヌだったんですね…よかったです」
エヌはそういうものの、その表情にいつもの笑顔が戻ってくる気配はない。
「良かったなら、どうしてまたお日様みたいな顔に戻ってくれないの?」
「あるじ様、エヌの甘えったれ根性を舐めないでくださいよ。ずーっとギュッとするハグなんて今まで一度もした事無いじゃないですか」
「それは…」
「あんなに抱きしめなくてもエヌは居なくならないのに、何をそんなに思い詰めているんですか」
エヌは不安そうにあるじ様を見上げる。目が合うその前にふいっ、とあるじ様があるじ様が顔を逸らす。
あるじ様をずっと見つめていたエヌがその動作を見逃すはずもない。
しかし漠然とした不安感を抱くエヌは、弁明を求めるには弱々しくあるじ様のバスローブの端を掴むだけだ。
しかし彼女は笑みを張りつけると、再びギュッと抱きしめる。
「ちょっとグレーから逃げ切れるか不安になっただけよ。大丈夫、必ずどうにかしてみせるわ」
「…本当に、それだけですか?」
そのまま2人でしばらく見つめ合っていたが、腕を解くと観念した様子であるじ様はエヌの細腕を撫でた。
触れるたび服越しにカチャリとくぐもった金属音を鳴らす代わりの肉体は、元を辿ればグレーに負けた際に欠けたが故のもの。
「エヌ、正直に聞くわ。グレーと逃げながら戦って、どうにか出来ると思う?もちろん、森の時より湿気てないとして」
「それでも、厳しいと思います。炎の熟達度も戦闘の勘所も、エヌとは比べ物になりません。今まで自分の性能だよりのエヌなんかよりずっと強いです…悔しいですけど」
「同感。エヌでも難しそうだし、私なんか赤子の腕どころか小指のようなものよ。それにエヌ、今は氷雪機巧も満足に使えないのでしょう?」
「今のエヌじゃ雪の一粒も出せないんです…昔から調子に波はありましたけど、こんなに酷いのは初めてです。体は元のまま身軽ですけど、それだけの子供の体に過ぎません。グレーの船から逃げられただけでもかなりの幸運でした」
エヌは思い出してはブルリと体を震わせる。それに一度逃げおおせてしまったからこそ、次は彼らも油断無しに全力で捕らえに来るのは明らかだ。
「でも、殺そうと思えば森でエヌを殺すことができたのにそうしなかった…って事は、十中八九エヌの魔導炉心狙いよね」
「船でも同じことをグレーに言われましたね、なんでも空中戦艦の動力源にするとかなんとか。エヌが誰かの遺体から作られてるのを知ったのもその時ですし。誰かさんが教えてくれなかった事をね」
エヌは服をつかんでいない方の手でペシペシとお腹を叩きながら、半開きの瞳であるじ様をじっとりと睨みつける。
謝られたとはいえそれはそれ、少女は知らされてなかった事を案外根に持っているのだ。
「だったらまだ手の打ちようはあるわ。要は炉心がもう一個あれば良いのでしょう?」
「あったところで、グレーは嬉々として2つ分取りにくると思いますよ?『思わぬ収穫であったがまあ良いだろう。備はいくらあっても足りぬからな』とか言ってる光景が目に浮かびます」
「エヌ、聞いてないの?エヌがエヌである為の核…いっちゃえば魂みたいな部分は魔導炉心なのよ」
エヌの少し肋が浮く薄い体に手を添えて、胸元の骨のあたりを丁寧にさすった。等間隔でとくんとくんと胎動するそれに、否が応でも2人の意識が向けられる。
「ヒトの意識は大脳に宿るものではないのですか?」
「エヌはどれだけヒトに近くとも機械人形なのよね、そこら辺は。脳は【機巧】の演算する為の装置に置き換えちゃってるし…って今はそれは良いのよ」
「大概あるじ様も技術者気質ですよね、説明しちゃうあたり」
「まあ分かりやすく言えば、エヌの魔導炉心を別の体に移しても意識はなくならないと言う事よ。氷雪機巧自体は使えなくなるけれど死ぬよりは何倍もマシね」
「要はエヌの魔導炉心を回収して、代わりに別の起動していない炉心をエヌの体に入れてグレーに差し出せば良いのよ。下手に起動しなければ拒否反応も起こらないわ」
しかし、エヌは未だ懐疑的な視線をあるじ様に向けている。そんな簡単にいく話ならば、果たしてあるじ様はあんな思い詰めた表情などするだろうかと。
それ以前に、その作画可能だとしても、もっと根本的な問題だってあるのだ。
「代わりの魔導炉心なんて一体どうやって調達するんですか?確かに助かりたいですけど、代わりに誰かを殺めてこいなんてエヌはまっぴらゴメンですよ?」
「ああ、それなら大丈夫よ。私の心臓使うから」
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