第17話 お風呂とココア
「思ったより良いお湯でしたね…バラにミルクのお風呂なんてテレビの向こう側だけの話だと思ってました」
バスタブから出たエヌはホカホカと湯気を纏った自身の体を拭き、髪を乾かす。
「あっそうだ、エヌ子の服ビチョ濡れだったから勝手に乾燥機にかけちゃったよ!代わりと言ってはなんだけど、ここのSサイズの制服置いといたからそれ使ってね」
辺りを軽く見回せば、これまた大きな洗面台に喫茶店の制服が置かれていた。それをおもむろに取るとスンスンと匂いを嗅ぐ。
「柔軟剤のいい匂いしかしないですね…悔しいけどエヌやあるじ様の洗濯より丁寧です…」
そう言いながら服に袖を通して行くが、ひとまず一通り着飾ったところで店長さんが顔を出す。
「っぷ…ふふっ、あはははは!裾ずっるずるの服ぶっかぶか!相変わらずのミニマムボディだねぇエヌ子ぉ?」
そこにはブカブカで手さえ出てこない袖丈の服で、ズリ落ちそうなスカートをどうにか抑えている悲しきエヌの姿。
「…好きでチンマリした体に生まれたわけじゃないですよ。っていつまでお腹抱えて転げ回ってるんですか!」
「ひーっ、不格好でおっかしい。それにそんな頬っぺた膨らませても可愛いだけだよ」
店長さんはリスのようなエヌの頬っぺたをツンツン突いて遊んでいたが、暫くすると少女で遊ぶことに飽きたのか手を離す。
店長は身を屈めるとエヌのスカートを掴み、そのまま目にも留まらぬ手際で剥ぎ取った。
「なっななな何をしやがるんです店長さん!?」
「まーまー落ち着きなさって、丈を合わせるだけだからさ」
そのまま制服のポケットから一通りの刺繍セットを覗かせると、スカートをハサミで切っては素早く縫い付けてを何度も繰り返して行く。そして気づいた頃には元々小さいスカートが更に一回りミニサイズになっていた。
「はいエヌ子、これでいい感じになったと思うけどどう?」
丈を直されたスカートに再び足を通して着込むエヌ。
少女はスカートの端をちょいちょいと引っ張ると、コクリと軽くうなずいた。
「ここのお店の制服はデザインから制作までオール店長なのだよ!つまりは丈合わせなんてチョチョイのチョイなのさ」
「…チクチク感の欠片もないですね」
「せやろせやろ?そんじゃエヌ子の上もサイズを合わせちゃうから脱いじゃってな」
その言葉を聞いた途端、エヌはギュッと自身を両手で強く抱え込む。
「袖はブカブカのままで良いですよ。むしろそのままの方が良いです!ブカブカ・イズ・グレイトフルです!」
「そ、そう…そこまで気に入ってるなら構わないけど。裾踏んづけて転んだりみたいな危険はないだろうし」
途端にエヌはホッと息を吐き、肩から力を抜いた。自身が機械であることの証である金属腕を見せてはいけないあるじ様との約束はきっちりと守るのである。
「そんじゃお姫さんや、ココアを用意しますので先に待っててくださいますか?」
「…いただきます」
少女はココアという言葉にぴくりと反応すると、カフェの厨房へと向かっていった店長さんの後ろをパタパタとついて行く。
「そんじゃエヌ子は先にお店の方で待ってて。席は選び放題だから好きなところ座ってていいよぉ」
「ありがとう、ございます」
そのままエヌは勢いを落とさずに軽く駆けていくと、窓際の大きなソファに思いっきり飛び込み夢の独り占めを敢行する。
しかしそのままちんまり座ると、すぐに閑散とした店内は静けさを取り戻した。シトシトと降る雨の響きと、店長さんが奥で何かを準備する物音だけが店内を支配し、少女はそわそわと辺りを落ち着きなく見回してしまう。
自分の腕からカチカチと聞こえる機械の音を聞くたび、エヌの心の奥に沈んだ気持ちが大きくなった。
そしてエヌの表情が曇ろうかというタイミングで厨房からの足音が聞こえ、お盆に2人分の飲み物を乗せた店長さんが姿を現す。
「お待たせエヌ子。こっちがエヌ用のココアよ」
「この苦酸っぱい匂いは…?」
「あぁ、これは私のコーヒーよ。あんな濡れ鼠で1人歩いてたエヌからゆっくりしっぽり話を聞かなきゃいけなさそうだからね」
店長はエヌの斜め前に腰を下ろすと、ゆったり温和さ3割増しで笑いかける。
「でも、エヌになんの義理もないのに付き合わせてしまうのは…」
「いーのいーの。案外他人の方が話しやすいこともあるしさ。ほら、お姉さんの大きな胸にドンと飛び込んでみてさ」
「…そうですね。はぁ、あるじ様…」
「はい、くよくよ禁止!ため息と一緒に幸せも逃げちゃうよ。ま、本当に言いたくないならそれで構わないのよ?ココアは飲んでいってもらうけど」
店長さんは語気をぷりぷり荒立たせながらも、エヌの頭を乱暴に撫でくりまわしたらすぐに元の柔らかい表情に戻る。
そのまま2人の間で何か言葉が紡がれることもなく、時たまカップに口をつける小さな音だけが交わされた。
ソファに膝を丸めて座り込み、チマチマとココアを啜るだけのエヌだったが、やがてぽそりとなんとは何に喋りだす。
「あるじ様と、喧嘩をしたんです。いや、喧嘩と言うにはエヌが一方的に喚いただけかもなんですけど。でも思わずついカッとなっちゃって、どうしようも無くて」
そのまま尻切れとんぼに黙りこくるエヌ。
店長さんはその言葉を聞き遂げた後、一気にコーヒーをぐいっと深く一口であおった。
そして深く深く肺腑の奥から息を絞り出すと、たった一言。
「……いや、あなた達仲良すぎでしょ。エヌ子は見た目10歳チョイ前だけど、そこまで喧嘩一つなく円満に過ごしてる方が不気味だって話よ。むしろようやく喧嘩をしてくれたわね」
「何なんですか、人が真剣に悩んでるっていうのに」
エヌが抱えた膝の隙間からブスッとした目線を向けると、打って変わって店長さんは真面目な表情に切り替わる。
「さっきは思わず茶化しちゃったけど、紛れもなく本心よ。エヌとあるじ様にどんな関係があるかも分からないし、そこまで首を突っ込む気もさらさら無いわ」
だけどね、と座る位置をエヌの隣に変えながら言葉を続けた。
「街中で見る家族なんか日頃小さなことで喧嘩してばっかりでしょう?いっつも仲良しーっていう方が案外2人とも心を許してなかったりするものなのよ。どう、心当たりの一つでもあるんじゃない?」
彼女の言葉に思わず顔を上げてしまったエヌは、窓に映った街を眺める店長の笑顔に迎え入れられる。
「ビンゴ、ってところかしら?喫茶店仕込みの観察眼もなかなか良いところいってるっしょ?」
「案外、店長さんは頼りになるんですね」
「案外は余計よ、案外は」
パチンとエヌに決め顔ウインクをした店長さんだったが、続くエヌの一言に思わず首をつんのめらせた。
そんなコミカルな動きにクスリと笑ったエヌは、さっきまで店長さんが眺めていた景色に視線を向ける。
そのままココアをくぴくぴと飲み干すと、一心地着いたように「ほぅ」と可愛らしいため息をつく。
しかしそれも暫しの間で、すぐにやるせ無く背中をクッションに投げ出した。
「……それじゃあ人生経験豊富な店長さんにもう一つ質問ですけど、エヌはどうしたらいいと思いますか?」
「それはエヌ子が考える事だと思うな、個人の感想だけどね。もちろん話は聞くし考えるお手伝いはするよ!美味しいココアからホットケーキまでお任せあれだからね」
「…イジワル」
「イジワル結構。これはエヌ子の問題だもの」
脚を崩してソファに仰向けで寝そべると、ゔーゔーくぐもった呻き声を上げるエヌ。
そんな少女の様子を見ても店長さんはどこ吹く風。エヌの髪の毛をふわふわと弄っては色んな髪型に変えて遊ぶだけだ。
「それにしてもエヌ子は髪すっごく長いから弄りがいあってお姉さん楽しい。でもお手入れ大変じゃないの?左目なんて隠れちゃってるじゃない」
「何が楽しいのか、こまめに手入れをしてくる人がいるんですよ。まず自分の癖っ毛と向き合ったらいいのに」
「ま、私はそのおかげで今ルンルン気分なわけだから感謝するわ。お団子にまとめたらどれだけ大きくなるんだろう?」
なすがままにされるエヌは体から力を抜いてふにゃりとなるが、口の筋肉も締まりが無くなったのかブツブツと独り言が漏れ出はじめる。
「むぁー…あるじ様とようやく会えたのにあんな態度取っちゃうし、でもあるじ様だってずーっとエヌに秘密を黙ってるのだって酷いですし」
「おうおう吐いたれ吐いたれ。ずーっと2人一緒にいて不満の一つでも零さんとある日取り返しがつかなくなっちゃうぞ」
店長さんはそんなエヌの様子にニンマリと暖かい笑顔を浮かべるものの嫌な顔一つ見せない。エヌの背中を優しくさすったり、髪の毛を二つ結びにしてみたりするだけだ。
なんどもエヌの髪型を変えてはパシャリと写真を撮る音が店内に響くが、気力を振り絞った後のエヌにはもはや何か文句をつける気力がない。
「自分で考えるなんて難しいですよ。どうしたらいいのかわかんない事だらけで目が回っちゃいそうです」
「だったらお姉さんから一つ智恵を授けてしんぜよう…なんて大それたものでもないから肩肘張らないでよ?とにかく今のエヌ子は何をすればいいんだーって頭の中でグルグル回って、雁字搦めで動けなくなってると思うんだ」
「…むぅ、ぐうの音が出ないほどその通りです」
「だけどそもそもエヌ子は『結局最後にどうしたいか・どうなりたいか』がおざなりじゃん?ゴールのないマラソンを走るのなんて誰もできやしないのよ」
「どうしたいか、ですか……むぅ…」
「まあしばらくは親元…かどうかは分からないけど、あるじ様元を離れて考えてみなよ。時間は結構あるんだしさ」
あと2日で自身が解体されて戦艦の動力にされます、なんて言い出せるはずのないエヌは黙りこくる。
それをどう解釈したかは店長さんのみぞ知るが、うむうむと満足そうに頷いていた。
「店長さん、やっぱりエヌ、あるじ様のこと嫌いになんかなれません。今みたいにギクシャクしてるのはヤです」
「オーケーオーケー、なんとなくそんな気はしてたけどね」
むくりとソファから身を起こしたエヌは、先ほどより幾分かキリリとした表情で店長さんにそう告げた。
エヌのその言葉を聞き遂げた店長さんは少女の頭を軽く撫でると席を立つ。
「飲み物なくなっちゃったしまた持ってくるわ。エヌ子はまたココアで大丈夫かな」
「いや、蜂蜜ましましミルクティーでお願いします。エヌの大好きなあれですよ?」
その言葉を聞いた瞬間、店長さんは胸焼けしたような表情でエヌを見た。頭のてっぺんから爪先までじっくりエヌを見ると、怪訝そうに首をひねる。
「おーぅ、カロリーの限界に挑戦する悪魔ドリンクね了解。というかよくあんなの飲んでこんなミニマムでふにふになのにスレンダーで居られるのよ」
「うーん、体質でしょうか?」
「宣戦布告なのかな?一日中甘いもの漬けにして太ることの恐怖を教えてあげようか?」
太るどころか、これから成長することも無いから体質と言っても嘘ではない。だがなぜ太らないだけでそこまで目の敵にされるのか、それが分からないエヌは只々目を白黒させる。
「って、まだまだ育ち盛りの子供にはわかんないか。キミのあるじ様…もお腹が少しポヨついてるだけで上背と胸にだいぶ吸われてるしこ奴等め…!」
「でも、店長さんはあるじ様みたいにちょっとズボラな感じでは無いですよね」
「せやろせやろ?いやーさっすがエヌ子は分かってるねぇヨシヨシ」
コロリと素早く掌を返した彼女の姿に、これは思わずエヌも呆れ顔になる。しかしそれを気にすることなくエヌの喉元を一通り撫でたっくたあと、嵐のように厨房へと去っていった。
カチャカチャと道具の擦れる音がホールに響くが、さっきまでの店内の雰囲気とはまるで似ても似つかない。
エヌはソファに深く腰を落として目を瞑り、漂う匂いに身を任せる余裕さえ見せている。
2人とも自身の時間を少しの間過ごしているが、少女は勤めて飾らずに喋りかけた。
「…例えば。そう、例えばの話ですよ。店長さんが犬や猫、まあとにかく何かそういう家族がいたとしますよ?」
「あーそれなら猫を定数3で飼ってるよ。エヌ子みたいな白ニャンコだっているし。あ、もしかしてモコモコたち見たいの?可愛いよぉ?二階で飼ってるからさ」
厨房の奥からことさらデレデレとした語調で受け答えられる。
少しばかり親バカ気質というか、酔ったあるじ様と似たような面倒臭さを感じ取ったエヌは思わず眉間を揉み込んだ。
「ネコちゃんはぜひ今度でお願いします。それより今言いたいのは、やっぱり生き物っていつかは死ぬじゃ無いですか」
「そりゃやっぱりね。東方じゃ諸行無常っていうらしいよ。生あるものはいつかは死ぬ。それぞれの時間の尺度は違えど、ずっと同じままでは居られないって事だってさ」
「ショギョウムジョウが何かはわかりません…が多くの人はやっぱり次の家族を求めたりするものでしょう?」
「まーだろうね。いざ居なくなったらすっごい寂しいんだもん。死んじゃった日にはそりゃ丸一日ギャン泣きよ。お店も臨時休業間違いなしね」
店長さんは茶化した様子で戯けてみせるが、その言葉のどこかに哀愁を孕んでいるのをエヌは目敏く気付く。
だからこそ少女は言葉を続ける。店長さんならきっと自分の一助になると判断して。
「新しい子を迎え入れたとき、店長さんは昔の子の面影を重ねたりって、するんですか?」
今度はお盆に紅茶とカップを3つ載せエヌの元に戻ってくる店長さん。彼女はエヌの言葉に間髪入れずさっぱりとした口調で一言。
「もちろんよ。重ねないなんて出来るわけないわ」
「……へ?」
「最初はやっぱり寂しさを紛らわすためっていうのもあるのよ」
「そんな…それじゃあ!」
エヌはまたしても悲しげな表情に移り変わろうとしたが、「だけどね」と店長さんはエヌの顔に手を添えて持ち上げた。
「でもね、結局はそれを引っくるめてその子なんだよ。前の子と違うところに気付いて、だんだんと時間をかけて本当に家族になっていくの。少なくとも、私はそうかなぁ」
「時間をかけて、なっていく、ですか」
エヌはその言葉を口の中で反芻し、こくりと飲み込む。
「それにね、昔の子を引きずってばっかの人じゃあ、今の子に対してきちんと焦ったりなんてできないものなんだよ」
そう言って店長さんはチラリ、と匂わせるように店の出入り口に目を向けた。
「何を言いたいのか全然分かりませんよ。どういうことです?」
「それは自分で考える事だね。そら時間は待ってくれないぞ?」
ニヒルに彼女が笑うと同時、けたたましいドアベルの音と共に扉が蹴破られる。
ビクっとエヌが両肩を跳ね上げるが、その向こうにいる人物を捉えると目をまん丸に見開いた。
そこに居たのはずぶ濡れになったまま肩で息を繰り返し、扉に寄りかかるあるじ様。その姿を見たエヌは何も言えずただその場で動けずに固まったまま動けない。
「……エヌ、ここに居たのね」
「案外早かったじゃん来るの。お風呂なら暖まってるからまず行ってきてね」
たった1人のほほんとした空気のままの店長さんは、雨でぐっしょりとしたあるじ様にそう言葉をかける。
エヌはお風呂に向かっていくその姿をただただ見送ることしかできなかった。
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