第19話 ポロポロと溶ける
「ああ、それなら大丈夫よ。私の心臓使うから」
「……………はい?何を言ってるんですかあるじ様?冗談にしては笑えませんよ」
「冗談なわけないでしょう。他人の心臓使うなんて上手くいくか分からないじゃない」
あるじ様は事も無げにキッパリと言い切ると、まるで物分かりのある位子供に言い聞かせるようにゆっくりと語りかけた。
それはともすると優しげな科学者のようであるのが、エヌには異質で冷たい印象である。
「自分の体ならエヌの時より魔導炉心を作るとき失敗しにくいわ。ノウハウもあるし、何より血が繋がってるから簡単に目処も経つわ。そもそも他人から調達する時間なんてとても無いしね。いつグレー達がやってくるかも分からないし、これが一番って理解できるでしょ?」
「……冗談でも笑えませんよ。もうちょっと真面目にどうするか考えてください」
「嘘でもジョークでもないわ。エヌ、あなたを作った私には、何があってもあなたを生かす義務があるの。例えどんな手を使ってでもね」
少女の肩をギュッと握りしめたあるじ様は、現実から逃げようと後ずさるエヌを離さない。半ば縋るように諭すあるじ様は今までに無いほど取り乱している。
「そんな義務の話なんてしりませんよ。もし誰かが死ななきゃならないなら、それはエヌだけで良いんです」
エヌは両肩にかけられた手をつかんでゆっくりと下すと、あるじ様の膝の上からするりと抜けていった。
毅然と立ち上がったエヌは、座るあるじ様を少し見下ろすような姿勢で視線をぶつける。
それに応えるように、あるじ様の瞳の奥に電気が走った。瞬く間に散った火花は広がり、感情に昏い火を灯す。
「それは違うわ、私にはもうエヌしかいないのよ。世界がどうなろうと、誰が死のうと、それこそ私の命さえどうなったって構わない。何を犠牲にしたっていい。貴方を拒む世界なんてどうなろうが知ったこっちゃ無いわ」
「それでもエヌは誰かを犠牲にするやり方なんて嫌なんです。あるじ様が誰かのために私を失いたく無いように、エヌは自分のために誰かが犠牲になってまで生き延びたいとは思いません!」
エヌは真っ向からあるじ様の言葉に言い返し、一歩も引こうとしない。
「エヌの生まれは多くの人から望まれるようなものでは無いのでしょう。でも分かるんです、そんな私だからこそ、何かを犠牲にし続けるやり方じゃ必ず限界が来るって分かるんです」
少女は目下のあるじ様に掴みかからんとする勢いで詰め寄っていく。食ってかからんとするエヌは気づかぬうちに顔があるじ様へと近づいていった。
そんなエヌの様子に応えるように彼女の語気が徐々に昂っていく。
「いつかの限界の話じゃ無い、今を生き延びられるかどうかの話なのよ。人は聖人じゃいられないわ、誰も彼もが幸せになる道なんてどこにもある訳ないわ」
「道がないなら飛ぶなり掘るなり道を探す努力をした方が建設的じゃないですか。それにエヌはヒトじゃないから聖人も何も関係ありませんね。なるとしても聖機械です」
「屁理屈こねないで!どうなるか分からない選択肢より確実な未来を取る、そのために私を使うのが一番都合がいいだけのことなのよ!」
あるじ様は自身の胸を叩くと顔を少女にグイと近づける。その威圧に負けじとエヌも両の拳を握りしめて迎え受けた。
「そもそもあるじ様はどうしてそうすぐ自分の命を簡単に投げ出すんですか!もっと自分のことを大事にしてください!私のために見返りも無しに大切な臓器ホイホイ使っちゃって!」
「そりゃあ貴女の方が何にも変えがたいくらい宝物だからに決まってるでしょ!誰がどうだか知らないけれど、貴女になにか理由があるから私がこうすると思ったら大間違いよ!そのために必要なものなら何を使ったって構わないのよ!」
「ふざけないでください!1人で勝手に死んでエヌだけを残して、それでエヌが真っ当に生きていくと思わないことですね。こんな甘えったれ根性満載になるよう接してきた事を後悔するがいいですよ!」
2人は互いのおでこを押し付け合うのに気付かない程白熱していたが、不意に2人のうなじにヒヤリとした鋭い感覚。
2人仲良く肩を跳ね上げ息ぴったりに上を見上げる。そこには呆れ顔の店長さんが、両手に水滴がついたジャスミンティーをもって佇んでいた。
「はぁいお2人とも?たまに喧嘩するくらいは構わないけど、白熱しすぎるのはいく無くない?」
机に飲み物を置いた店長さんはエヌの体を軽々持ち上げると、先ほどまで少女が座っていたあるじ様の向かいの席に腰を下ろす。
そのまま膝にエヌを乗せてはいるものの、思わず喧嘩腰で少女が飛び出していかないように腕をガッチリと体に巻きつけていた。
「何の話してるかは知らないけどさ、2人とも「賢者の贈り物」ってお話知ってる?仲良し同士だから暖かエンディングだけど、喧嘩腰で喧嘩別れなんてした日には一生涯後悔するよ?」
「…エヌの扱いがまるで子供なのは何か釈明ありますか?」
「エヌ子の方がどこかに逃げていきそうだからね。すばしっこいし、目を離すと何処かに隠れちゃいそうだし」
エヌは身じろぎをするが、それでも店長さんの体を傷つけるわけにはいかず氷雪機巧は使えない。それでは子供とそう変わらない力しか出せず、抜け出すことも叶うことは無く。
「それにしても案外2人は似たもの同士よね。エヌ子はあるじ様が大事だし、あるじ様はエヌ子が大切だし。やっぱり仲良し家族はそういう風になるもんかねぇ」
「…依存の間違いじゃ無いですか?」
「違うわよ。自分のためじゃなく、相手がどうすれば幸せになるかってなる、それは家族愛に間違い無いじゃない?」
店長さんはエヌの頭に顎を乗せてうりうりと撫でくりまわしていたが、エヌがもぞりと顔をあげる素振りを見せると動きを止める。
「そういうものなんですか…難しいですね」
「エヌ子にはまだ難しかったかしら?まあそのうちわかる時がくるわよ…さてと、あるじちゃんの方も落ち着いたみたいだし、いったん頭冷やしてお話ししようか」
「…その前に一つ聞きたいんだけど、店長さんは私たちが何話してるかって分かってるの?」
「全然?何となくその場の雰囲気とノリよ」
全くもって晴れやかな顔で言い切った彼女に、思わずエヌとあるじ様は体を椅子からずり落ちそうになる。
「まあプライベートな話になれば私はすぐにバイバイおさらばだけど、こういう仲直りのお手伝いしなきゃ行けなさそうなときはお節介焼きにくるわよ。まったく、世話が焼けるわね」
店長さんは大きくため息をつくと、駄賃代わりと言わんばかりにエヌの頬を弄んだ。
「いい?喧嘩なんてしたこと無さそうな二人の為に言っておくけど、あんな風に意地張っちゃお互いヒートアップするだけでしょ?一旦落ち着くことは大切よ。特にあるじちゃんはエヌ子の保護者なんだから、ちゃんと受け止めてあげないと」
店長さんは腰に両手を当てると、縮こまったあるじ様と元から小さなエヌの前に立つ。
「それにエヌ子も。あるじ様の世界でたった1人は貴方なんだから、とーっても大切にされてるのよ。それを自分がどうなってもいいなんて言っちゃダメじゃない」
店長さんは穏やかな表情ではあるが、いつになく毅然とした態度で諭すように語りかけた。
「そう、よね…思わずカッとなっちゃったわ。ダメよね、ちゃんとエヌのことを見てあげなきゃいけないのに」
「別に怒るのは構わないわ。感情溜め込みすぎちゃったら爆発するし。まぁなんていうか、ひとりで抱え込みすぎないことが大切よ。義理の子供だってことは小さい時から伝えておいた方が変に拗れないって聞くし」
「それはそうだけど…でも!エヌのことは普通の人には話せないし、それに理解してもらえるとも」
それでもあるじ様は、ゾイ・メイドゥンヘッドは話せない、踏み込ませない。エヌの腕を抱え込むと、そのまま俯いて黙りこくってしまう。
「いい?確かに私たちは店員とお客さんの関係よ。でもね、そこまで知らない仲でもないわ。困っていれば力になりたいと思うし、手だって貸すわ」
それでも、エヌの手を離そうとしないまま、弱々しく左右に頭をふるのみ。
「きっとこの人なら大丈夫ですよ。ひとりで抱え込んでいつか潰れちゃいそうなあるじ様を見てる方が、エヌはとっても辛いです」
少女があるじ様に近づいてそっと話しかけるが効果なし。
それでもめげずにずっと彼女のそばで動かないでいると、観念したのかちらりと顔を上げた。
少女はその瞬間を見逃さず、あるじ様の顔を素早く掴むと、額がくっつきそうな距離で2人見つめ合う。
辛そうな表情の女性を見つめる潤んだ瞳のエヌに気圧されたのか、あるじ様は居心地悪そうに顔を背けようとするが、少女の両手は許さない。
「あるじ様、2人きりじゃすぐに行き詰まるのは分かってるじゃないですか」
「でも、エヌだってあんな風に逃げちゃったのよ。私のやったことは、そういうことなのよ」
気まずそうに目を逸らすあるじ様に少し言葉を詰まらせるエヌ。それでも時計の分針がカチリと音を立てる頃には、めげずにゴクリと唾を飲む。今にもまた塞ぎ込みそうな顔を固定している手を離し、そっと優しく頬に添えた。
「確かにそうですけど、あの時は少し受け止める心の余裕はなかったですけど…でも、エヌはエヌに変わりないですし、いつだってあるじ様の味方ですよ」
「ごめんねエヌ、面倒かけちゃって…うん、そうよね。いつまでも2人ぼっちや限界が来るのは当たり前だし…」
そのまま誰に語ると言うわけでもなく、ポツリポツリと、あそこまでの喧嘩になった経緯を喋り出す。
彼女が魔術師であること、エヌを作り出した経緯、二人がグレーに襲われたこと、エヌが自身の出自を知って現実を受け入れられずにあるじ様の元から逃げたこと。
そんな、事のあらましを語った彼女は、大きな身長に似合わず体を縮こませながらおずおずと店長さんの様子を伺う。
「なるほどねぇ、ようやく違和感が腑に落ちたわ。エヌ子ったらずーっと変わらぬミニマムサイズのちびっ子だもん。なんか病気かなーって思ってたけど、普段は元気っぽいし」
「気、付いてたの…?」
「そりゃあ私はお客さん商売なところだし、多少は目敏くもなるよ。それにエヌ子の腕から聞こえてくる時計じゃないカチカチ音、ここまでくれば何と無く察するくらいは出来るわ」
それでもまだ信じられないのか、いまだあるじ様の喉は震えたまま。
「…怖がったっりしないの?幻滅も。私は妹の遺体からエヌを作り出す、魔術師の中でも折り紙付きに酷いことをしてたのよ。それもとびきり危ないものを」
「最初っからそんな風に接されてたらこんな風に話しあえてはいないけど、普段のあるじちゃん様のこと知ってるし、エヌだってこんな良い子に育ってるじゃない。罪を憎んで人を憎まず、それであるじ様が嫌いになるような私達じゃないよ。ねぇ、エヌ子」
間髪入れずにエヌも「ふんふん」と何度も頭を縦に振った。そしてあるじ様の手を取ると、少女の小さい手でギュッと握る。
冷たくなった彼女の手をにぎにぎと解すように両手で包み、自分の胸元にもっていった。
「あるじ様が辛くても、それをエヌに『こうしなきゃいけない』みたいに思うのとは違うんですよ。エヌはもう沢山、あるじ様から貰ってるんです」
エヌがそのまま大きな彼女の膝によじ登り、目線をしっかり真正面からぶつけると、いつになくキリリとした表情で、額がくっつきそうな距離に近づく。
「だから、それでもエヌに負い目があるっていうなら、ちゃんと生きてエヌに何かして下さい!お菓子でも、旅行でも、エヌは嬉しいですから」
「―エヌ…」
「だから死んじゃうなんてダメです。生きて、エヌを幸せにしてください!今までだって2人、そうやってきたじゃないですか!」
すがるように言い放ったエヌにつられて、部屋の中が水を打ったように静まり返る。
二人が視線をぶつけ合う中、あるじ様は腹の奥から言葉を出そうとしては喉元で飲み戻し、しどろもどろな調子だった。
それでもゴクリと喉を鳴らすと、ややあって口を開いた。
「ごめんねエヌ、弱気になっちゃ、もっと大切なものを失うはずなのに、私どうしても臆病になっちゃってたわ。エヌの可能性をもっと信じてあげなきゃなのに」
「分かればいいんですよ…あるじ様が死んじゃうなんて、ふぐっ…ひっく…」
エヌはふんすと鼻息荒く強がるが、緊張の糸が切れたのか、顔をクシャリと歪ませる。咄嗟にあるじ様の胸元へ顔を押し付け声を殺そうとするが、肩が時折跳ねてしまうため隠し切れていない。
突然の拉致と敵地での監禁、脱走劇に大好きな人との喧嘩。度重なる大きな出来事に晒されていたエヌは、ついぞ感情の緒がプツリと切れたみたいだ。
自身の服がじんわりと湿り気を帯び始めたあるじ様は、まだどこかぎこちない手付きではあるが、そっとエヌの頭を抱きしめた。
「ごめんね、エヌも大変だったのに沢山迷惑かけちゃって。私はもう大丈夫だから。こんな甘えん坊で泣き虫のエヌを1人にできないもの」
「ゔう…あるじ様の、えぐっ、おばかっ」
大きな手で少女の背中をぽんぽんと優しく叩く姿は、もう間違いなく、大切なものを思い出した者のそれだった。
そんな彼女へなすがままに体を預けたエヌは、嬉しそうに目を細めては何度もあるじ様の体に頬を擦り付け、離れまいと強く体にしがみつく。
服がシワになるなど気にする余地もなく、がむしゃらに握り締められたあるじ様の服は、はたしてどれほどエヌの不安さを物語っているのだろうか。
「ゔう、ひっぐ、ばか、あるじ様の大ばかぁ…!」
「ほらあるじちゃん、こんなエヌ子を置いていくなんて、死んでも死に切れないと思わない?」
「おかげさまで、嫌でも顔を上げるしかなかったわ。なんだか結構恥ずかしいところ見せちゃったわね、私」
「ばかぁ……ずっと、いっしょに……すぅ…くぅ」
はにかむ彼女の胸元から不意に聞こえてくる微かな吐息に、思わずあるじ様は自分の胸元に視線を向ける。
そこには安心しきった表情でこっくりこっくり船を漕ぐ、見た目通りの幼児がそこに微睡んでいた。
眠っていても固く握り締められた拳は、エヌの決意の固さからか、それとも親離れ出来ない子供の性か。
それでも、ゾイ・グリニッジから迷いという感情を取り除くには十分すぎた。
「エヌ子ってば疲れちゃって眠ったみたいね。さっきまであんなにピリピリしてるっていうか、空気が凍りそうだったのに」
「いや、むしろよく起きていたわよ、この子は。捕まってから私の車の中で少し寝たくらいで、ほとんど休みなしにずーっと気を張っていたみたいだし…よいしょっと」
「結構力持ちだねえあるじちゃん。いや、エヌ子が細っこいだけなのかな?まあ、寝かしてあげるなら二階にうちの宿直室があるからそこ使って良いよ」
「運動は苦手でも力はあるのよ、上背もあるしね」
彼女は背中越しにそう答えると、ゆっくりエヌを起こさないように階段を登っていく。その後ろ姿に店長さんは、少しトーンを落とした声で呼び留めた。
「でも、何か勝算はあるの?このままだとエヌ子が大ピンチなんじゃないの?」
その言葉にあるじ様は少し肩をふるわせるが、エヌをそっとひと撫ですると、店長さんの方へ緩やかに振り返る。
「本当はエヌを戦わせたくなんてないんだけど、でも、この子が戦うなら一筋ばかりの光明はあるわ。そのために一部屋借りるけど構わないかしら?エヌの調整をしようにも、元いた場所じゃすぐに追手が来そうだから」
「それは構わないけど…ねえ、ゾイちゃん」
「どうしたの?」
「私はさ、みんなの2つ目の家になれば良いなって思って、このお店を開いたの…だからさ、もし良かったら、一緒に住まない?」
そう言われたあるじ様は目をまんまるに見開いたが、すぐにふわりとエヌのように微笑んだ。
「そうね、エヌもここのご飯は美味しいって言ってたからね」
そして、あるじ様は目に決意を秘めて一言。
「帰ってくるわよ、エヌと一緒にね」
◆◇◆◇◆◇◆
『自己認識を再定義。個体名『エヌ』の自己歴の再定義―完了』
『【氷雪機巧】の心理矛盾による回路凍結状況の破棄が提案…認証。魔術水晶端子駆動率50%上限を撤廃』
『神経接続を正常化…鼓索神経の味蕾機能を修復』
『変形機構の封印を解除。該当機巧の検索―未発見。展開図を励起状態で維持』
『個体睡眠時の自動更新終了。起床まで08:21:13:79』
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