第11話 決死高10000メートル②

「っはぁ、はぁ、はぁ…なんとか、急死に一生、です」


 ダクトの中を芋虫のように移動して少し。

 ガタンと音を当てて通気口の蓋を開けると、素早くそこから飛び降りる。

 そこでたまたま艦内を巡回していたフィッツが扉を開け、エヌの飛び降りた部屋に入ってきた。

 そこで、視線が交錯。エヌは素早く棚の裏へ隠れると、体を強張らせた。

 しばしの静寂ののち、最初に口を開いたのはやはりと言うべきか、社交的なフィッツからである。


「エヌちゃんじゃないですか。どうしたんですかこんな所で」


 ニコニコと人のいい笑みを浮かべたままの彼は、ゆったりとした歩調でエヌに近づいきた。されど少女は体を強張らせたまま、威嚇と怯えがないまぜになった視線を向け続ける。


「そんなに警戒しないでくださいよ…と言っても無茶ですよね。僕もエヌちゃんの立場ならそうなりますからね」


 そう言いながらフィッツは、懐から金細工のなされた拳銃を取り出すと地面に放り投げる。両手を挙げて、ともかく敵意が無いことを伝えようとしていた。

 エヌは鼻から大きく息を吐き出すと、棚からそろりと体を出す。


「…良いんですか?エヌを捕まえなかったらグレーが怒りますよ?」


「それはそうなんだけど…でもエヌちゃんまだまだ子供じゃん?それなのに無理やり機関の動力にするって言うのは、僕はどうかと思うよ」

 フィッツはエヌに近寄ると、ボサボサになった髪の毛を手櫛で整えた。触れられると体をびくりと震わせるが、それでも少しだけ気の緩んだ表情になった。

 体の土埃を払われ顔をハンカチで拭いてもらう頃になると、野良猫のような表情もいつのまにか治まっている。


「それじゃあ僕にについて来てください。足元が悪いので手を…は難しいですよね」


「なんか動きが手馴れてますね。」


「結構軍には強面の人が多いからね。線が細い僕でもできる仕事のためには必要なんだ」


 少し遠くを見ながら呟くフィッツに気づかず、エヌは彼について行く。


「いろいろ大変なんですね、フィッツのお仕事も」


「上司から真逆の命令を言い渡されたり、命が危ない現場に駆り出されたり大変なんだ…っと、ここからはおしゃべり禁止でお願いね」


 その言葉に応えるように、少女はわずかにコクリと頭を前に傾け頷いた。

 その返答を受け取ったフィッツは、悠々とした足取りで館内の廊下を堂々と歩いていく。不安そうな表情でエヌはチラチラと何度も彼の顔を盗み見た。

 それでも律儀に口を開かない彼女を良いことに、全く歩みを止めないで艦内を進んでいく。

 複雑に右へ左へ歩きながら、やがて2人は見慣れた廊下へとやってきた。

 フィッツがやがて扉を開けると、はたして見えて来た光景は、よく見覚えのある応接室の光景である。

 扉を閉めて誰もいないことを確認すると、エヌは大きく息を吐いた。


「こんな堂々と歩いて、見つかったらどうするつもりだったんですか?」


「見つからないよう巡回経路の隙間を縫って歩いてきたから大丈夫だよ。そんなに緊張したなら一腹していく?」


「うーん、時間が惜しいからいらないです。それよりエヌはこの部屋の窓からどうやって下に逃げれば良いんですか?何もなしではペチャンコですよ」


「それなら大丈夫。この部屋にも、もしもの時のためのパラシュートが備えてあるからね。それを使えばいいんだ」


「なるほど…でも、船体が前に進んでるならエヌが船に押しつぶされたりとかも」


「ここは後ろの方だから、轢かれたりは無いかな。あー、地上からの砲撃は保証できないから、その時は恨んだりしないで欲しいな」


「安全にここから出られるだけで十分です。それ以上の高望みはしません」


 少女はフィッツにパラシュートをつけてもらうと、軽く動いてずり落ちないか確認。

 しっかり自分の体に括り付けられているのを確かめたら、エヌは足を剣に変形させて窓を叩き割る。


「まあなんです、ここまでのこと、感謝します」


「うん、エヌちゃんも気をつけてね。まだまだ軍はエヌちゃんを追いかけると思うからね」


「ご忠告どうも」


 ぶっきらぼうにそう答えると、少女は窓枠にトンと片脚をかける。

 その時疲れからか、それとも両腕が無い故の違和感か。

 らしくなく少女は体のバランスを崩すと、ずるりと頭から後ろにひっくり返った。

 その瞬間、少女は目の当たりにする。フィッツが表情の抜け落ちた顔で、彼女に銃口を向ける様が。

 一拍遅れてつんざく銃声。本来エヌの頭があった場所を貫く弾丸は、ひっくり返った少女の膝を貫いた。

 そのまま、弾丸が当たった場所がパキパキと灰色になって行くと、塵のように風へ溶けていく。

 それが着弾点からジワジワと彼女の体を犯し始めた。


「っ!?【氷雪機巧】…っ!」


「ほう…判断が早いですね。それとも半ば捨て鉢だからでしょうか」


 エヌは素早く自身の足を氷の刃で断ち切ると、パラパラと歯車をこぼしながら飛び退る。それでもすぐに部屋の壁にぶつかった。


「殺意を気取られるほど僕は甘くないはずですが…ならばさっきのは偶然ですか。まあ良いでしょう。ならばもう一度撃ち込むだけですね」


 フィッツは中折れ式単発銃を開くと、新たに精緻な装飾がなされた弾丸をゆっくりと込める。


「ああそうですか!少しでも優しさを期待したエヌが間違いでしたよ!」


「ごめんね。小さい子がひどい目に遭うのは可哀想とは思うよ。でもね」


 カチャリ、と銃口をむけたフィッツはうっすらと綺麗な笑顔で引き金に指をかける。


「グレー様の命令は絶対なんだよ。あの方がそうあれかしと言えば、そうなるものですよ」


「っこの狂信者!」


 乾いた撃発音とともに銃口から凶弾が吐き出され、真っ直ぐ音を裂いて進んでいく。

 その奇跡は真っ直ぐ、天井へ。エヌに突き刺さるはずの弾丸は、脚に氷を纏った蹴りによって弾かれていた。

 そのまま足を振り上げたエヌは空中で一回転。足を窓枠に引っ掛けると、飛び降りる3秒前。


「案外ひどいことしますね、フィッツも」


「貴女の命より大事な主命がありますゆえ」


 そのまま膝を壁にぶつけて氷を砕き、足の自由を取り戻す。

 そのまま前に飛び出せば暁闇の空に落ちていくだけ。髪を風になびかせる少女はサッと後ろを振り返り、顔をはらりと綻ばせる。


「紅茶、美味しかったです。短い間でしたがお世話になりました」


 そう言い残し、大空へと落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る