第10話 決死高10000メートル①

 冷たく重々しい空気感を放つ鉄の拘留室。部屋の中には少し高価そうな調度品が用意されてはいるが、それが剥き出しの鉄の壁とはミスマッチだ。

 おまけに扉までの間に鉄格子が設置されており、普通の牢屋より厳重な設備となっている。

 そこに配置された巨大なベットの上に白い塊が一つ。エヌは体を抱く様に丸めると、繭に包まるようにして動かずに居た。


「……」


 器用に毛布を手繰り―というより足繰り寄せると、寒くもないのに体に毛布を巻き込んで動かない。

 小さな部屋のすぐ外には人の気配が絶えず存在し、自身がずっと監視されていると言うのを否応なく意識させた。

 だからこそ、エヌはこの部屋にいる時間が嫌いである。

 そこから体をピクリと動かす事もなく、ただただ惰性で胸を上下させるのみだ。

 いくら時間が経っただろうか、答えのない思考を繰り返しては頭がぐらぐらと揺れ、時間の感覚が曖昧になってきた頃。

 不意に、耳をつんざく爆発音。


「……っ!?」


 戦艦が上下左右に振られる中、体に力の入っていないエヌはベットから放り出され、鼻っ柱を強かにぶつける。

 もう涙も出ないエヌはもぞりと立ち上がると、辺りを軽く見回した。

 地面には備え付けの食器や椅子、その他家具が散乱しておりまるで地震でも起きたかのようである。


「いまさら、なんだって……」


 それでも無気力なままのエヌに、鋭い少女の聴覚は否応なく音を伝える。


『――襲、て―う!』


『1―-3番―塔きゅ―速―回!』


『目標――認!敵―勢力…―人!?』


「多分敵襲ですね?逃げるならお誂え向けの状況です、けど…」

 されど表情の陰りは取れないまま、力無く鉄格子に脚を添える。


「…【氷雪機巧】」


『心身乖離現象を確認。安全のため躯幹演算回路の一時凍結を実行中です』


「そう、ですか…」


 彼女は深くため息を吐くと、ベッドにぼふっと身体を投げ出し、動かなくなった。

 その間も何回か艦は断続的に外からも内からも揺らされている。エヌは目を背けるように毛布の中へ頭を突っ込むと、体を細かく震わせながら縮こませる。

 それでも現実は否応なく進んでいき、軍靴の音はどんどん煩くなっていた。

 だが次の瞬間、その全てを塗り替える爆発音。

 刹那、遅れてやってきた衝撃が爆風を伴って部屋を叩く。その威力は強大であり、金属が擦り合わさる耳障りな音が鳴り響いた。

 直後バンッという大きな音とともに扉が吹き飛び、爆風が部屋の中へ一気に流れ込んでくる。


「なんでまだ、生きるチャンスがやって来るんですか…もういっそ…」


 部屋に充満した土埃が晴れると、割れた壁から一筋の月光がエヌを照らす。

 鉄格子には吹き飛んだ扉が直にぶつかり、くの字方にひしゃげ、子供一人分ほどの隙間ができていた。

 エヌは死にたくないという一心で、ずるずるとその隙間を進む。

 蝶番が壊れ、倒れた扉の向こう廊下の奥。そこには、担架で運ばれていく兵士の姿がぼんやりと目に映った。


◆◇◆◇◆◇◆



「おいっ、見つけたか!」


「エヌっていう子供だろ?そんなんがウロチョロしてたらすぐ分かるもんだがなぁ」


「なんにせよ艦長が生死問わずで捕まえろって命令してるからな。失敗したらご機嫌斜めだぞ?」


「ったく、所属不明・出所不明の砲撃に晒されてるってだけでも十分キツイってのによ」


 艦内を走り回る兵士を眺める影が一つ。勿論のことエヌである。


「いっそもう捕まった方が…でも、それでも、最後にあるじ様には会いたいです…ギュって、されたいですよ」


 彼女が居るのは戦艦全体に張り巡らされている通気ダクトの中。服に汚れがつくのも気づかないほど焦燥しきったエヌは、どうにかなけなしの理性を片手に艦内の地図を頭に描いていた。


「どうせ外に逃げたから、次があるとは思えません」

 今日何度目になるかもわからないため息をつきながらしばしの休憩。光の加減で外から見えない場所まで後退する。


「ええっと、見回った感じだと下はすごい暑かったからエンジンでしょうし、その上に三段重ねのベットルームで士官室…はグレーに勝てる見込みは…はぁ」


 顔を煤や埃でどんどん黒く汚したエヌは、さっきからため息ばかりだ。


「そもそもどうやって空飛ぶ船から逃げるか考えなきゃですし、それに次いつ間近に砲撃が飛んでくるかっ!?」


 そう言ったそばから近くで爆発音。振動とともに様々な物が大きく揺れ、そして一瞬の浮遊感。

 ガコンガコンと様々な物がぶつかる音が鳴り響き、思わず目を瞑ったエヌは若干肌を擦り剥きながらダクトの中で揺さぶられてしまう。


「いったぁ…言ったそばから!」


 揺れがおさまったことを確認した彼女は体幹の筋肉のみで身体を跳ね起こした。そう、二つの足で立ち上がることができる程の広い空間なのだ。

 そこは無機質で装飾の少ないただの通路としての廊下。ひしめくパイプと蛍光灯のみが存在するはずの天井からは折れたダクトが伸びていた。

 そんな中立ち上がったエヌは、向こうから歩いてきた兵士2人とバッチリ目があってしまう。


「…艦長が言ってた白い子供って間違いなく」


「間違いなくこの子だよな」


「嘘っ!?」


 少女は咄嗟に駆け出すとトンッと跳躍。咄嗟に銃を取り出そうとした兵士の手首を蹴り上げるともう一人の兵士の首を膝で締めるように絡みつく。

 もはや頭でどうと考えるよりも前に、体が動いていた。

 小柄な体とはいえどEliza・Q、最高級の義体はその馬力も十分。ギリギリという音と共に大人一人を昏倒させる。

 たった、10秒未満の出来事だった。


「艦長、白い子供が腑抜けなんて真っ赤な嘘じゃないですかったく」


「それは、間違いじゃないですよ…でも、体が勝手に動くんです。そんなの、エヌにどうしろっていうんですか!」


 蹴られた手首がダラリと垂れ腫れ上がった兵士に向かって、彼女は涙を堪えた表情でそう喚いた。


「おいおい泣くなって…まあ落ち着いて」


「バカ!こいつ捕縛対象だぞ!なんで情けなんてかけてるんだ」


「だってよ、俺にだってこんくらいの娘はいるし、泣きそうになってたら思わずよ。それに艦長がよ…」


「うるせえ、下は上の考えにレトリバーより従順に尻尾振らなきゃなんだ。余計なこと考えんな。てことでワリィな嬢ちゃん。俺たちがあんたを逃す事は出来ねえぜ」


「…もとよりそんな事、できるとは思ってません。別に、行き当たりばったりですから」


 エヌは顔を俯かせ、表情に暗く影を落とす。


「悪い悪い、そんな顔すんなよ。世間話くらいはできるぜ。例えば、ここらはロンドンの上空なんだけど、地上から艦砲射撃があったみたいでさ。それがこの騒ぎの原因みたいだぜ」


「艦砲射撃?それも地上からってどう言うことか全然想像ができません」


 彼女は些か現実離れした様子に小首を傾げる。自身の氷雪機巧もそうであるのは気が付いていない。


「それがよ、なんでもテムズ川の川底を割って突然現れたらしいぜ。あそこら辺市街地だし、近くにロンドン塔やら天文台やらもあるからこっちから攻撃しようにも外したらヤバイだろ?そんなもんだから艦長が直々に弾道をコントロールしに出張ってるみたいだし」


「少し、気が楽になりました。合わなくて済むなら、それに越した事はありません」


「そうつれないことを言うな。お姉ちゃん寂しくなるぞ?」


 その瞬間、廊下の先から不敵な声。

 体の周りを炎のように陽炎で揺らめかせながら、ふわふわとグレーは宙に浮かんでいた。


「嘘つき!コントロールしてるんじゃ!」


「弾道管制は勿論、対艦防御から指揮までしっかりやっているぞ。でもどうやら愛しい妹が私に会いたいそうだからな、やって来たのだ」


「っ…!抜け抜けと!」


 軍服の少女を見た瞬間、彼女は素早く身を翻して走り出す。一も二もなく逃げ出したエヌにグレーは軽く鼻を鳴らした。


「逃げてばかりでは兵器としての本懐さえ果たせないぞ?おっと、壊すから別に関係ないか」


 少女は腰に下げたレイピアを抜き放つと、逃げゆく背中との距離を気にせず一閃。


「っまずい、来る!」


 刀身から炎が吐き出されるのと同時、エヌはその場でスライディング。

 頭のすぐ上を火柱は掠めていき、跳ねた髪の毛がチリリと焦げた。


「前もそうだが、エヌはすばしっこいな。やはり若いからか」


「知りませんよ!勝手に体が動くんです!」


 エヌが後ろを振り返ってグレーに差し出口を挟もうとするが、廊下の先から響く咄嗟の銃声に体をひねらす。

 頬をすれすれで掠めた銃弾は薄く肌を裂き血を滲ませた。


『代替不可部位への損傷を確認。一時的に凍結措置を停止、氷雪機巧の出力を最大に設定』


「ああもう!どうして!諦めさせてくれないんですか!」


 エヌは崩れた体勢から体を捻ると無理やり壁を蹴り三次元的に跳ぶ。

 素早く未だ銃を構え自身を狙う兵士の背後に回ると、渾身の力で彼をグレーへ向けて蹴り飛ばす。


「【氷雪、機巧】ァ!」


 力いっぱい足を一閃。振り上げられたその軌跡から、きめ細やかな雪の大河が吐き出される。

 通路いっぱいを押し流す雪崩は兵士だろうが艦長だろうが関係なく飲み込み、押し流していく。

 本来ならば炎で道を切り開くグレーだが、巻き込まれた兵士の近くで大火力を使えない。

 雪崩を放った本人でさえ目を丸くする中、エヌは降って湧いた幸運を無駄にしないため駆け出した。

 すぐにその場を後にしたエヌは適当な部屋に駆け込むと、通風孔の蓋を蹴り壊し潜り込む。

 残念ながら、正面から殴り込むほどの勇気は、エヌには残されていなかった。

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