第9話 Eliza・Q

 赤い絨毯が敷き詰められた一室の隅で、エヌは不機嫌そうな表情を隠そうともせずに警戒心をあらわにしていた。


「そんなに警戒心をあらわにしてどうするのだ欠陥品。其方の実力で私がどうにかなると思うか?」


「エヌを叩きのめした人を目の前に、呑気な訳がないじゃないですか。それと、エヌにはエヌという名前があります」


「悪いが私が名前を覚えるには値しない不出来具合でな。せめて私に一太刀でも浴びせていれば話は変わっていたのだが」


 黒い軍服の少女―グレーは上機嫌そうに小躍りしながら、部屋に置かれているカリンの棚からよく磨かれたアルミ缶を取り出す。

 金色の髪を後ろで一括りにして動く姿は年相応の少女の姿で可愛らしいが、燻銀の勲章がいくつもつけられた軍服が不釣り合いに威圧感を放っていた。

 ここは上空8000m、空中戦艦内部の士官室。本来キャリアを重ねた将軍しか使わない高級な家具が並ぶ部屋には、小さな子供と軍服少女が2人きりで占拠していた。


「エヌを普段は檻付きの部屋に閉じ込めた上、今日はどういう風の吹き回しですか。ついにエヌを壊すんですか?」


「壊すつもりなら一思いにやるとは思わないか?」


「…そうですね、エヌの記憶には脅迫の事項もあるのですが?」


「はは、保護者との三者面談のことか?」


 少女は部屋に備え付けられた電気ケトルに水を入れるとスイッチを入れた。


「それなら早く家に返して欲しい物ですね」


「敵地でとらわれの身だというのに生意気叩く口はここか?ん?」


 ニマニマ口の端を歪ませながら、彼女はエヌのほっぺを容赦なく摘まんでは四方八方に伸ばす。普段ならその手を払い除けるエヌだが、今回ばかりはそうともいかない。服の袖はだらんと重力にひかれて垂れており、そこに通されているはずの両手は外されていた。

 結果エヌは眉間にシワを寄せて、何度も身を捩りどうにか手を振り払おうとする。


「はは、そう仏頂面をするな。楽しい姉妹のじゃれあいだろう?」


「主人よ、グレーちゃんがすごい顔になっていますよ。少し落ち着いてください」


 エヌがほっぺを伸ばされている中、ガチャリと扉を空けて中に入ってきたのは優しげな表情の男だった。クリーム色の髪を肩口まで伸ばしており、どこかホヤリとした春の空気感を纏っている。

 一応軍服を着て入るものの、どちらかと言うと服に着られていると言うのが正しい雰囲気であり、兵士というよりも家政夫という方がしっくりくる印象だ。

 部屋に入ってくる際に大きなワゴンを引いている姿がより一層、場違いな執事の雰囲気を強めている。


「そう思うならエヌを逃してくれても良いですよ。それが一番のストレス解消です」


「だ、そうですよ。我が主人?」


「私が私の玩具で遊ぶのに誰の許可がいるのだ。それに手放す気は毛頭ない」


「誰が玩具ですか誰が。エヌは欠陥品どころかモノじゃありません」


 フィッツと呼ばれた男は膝を折り、不機嫌そうな表情を隠さないエヌへニコニコと人好きな表情を向けた。

 エヌと同じ高さに目線を揃えると、穏やかなテノールボイスで口を開いた。


「それならせっかくですし、僕とお茶でもしませんか?ハーブティーも用意しましたし」


「おい、勝手にそんなことを始めるなフィッツ。この欠陥品は捕虜だぞ?」


「捕虜でも人権はあります。それにお言葉ですが、主人のような人物とエヌちゃんを2人きりにするのは些か心配です」


 その言葉を聞いた金髪の少女はイヤそうに顔を歪めるが、ため息を吐きジロリとフィッツを睨む。


「…フン、興が冷めたわ。2人で好きに茶でもなんでも飲めば良い。だが甘やかすなよ?後が辛くなるからな」


 グレーは不機嫌さを隠すことなく乱雑に扉を閉めると、大きく靴音を立てて部屋から離れていった。

 その様子を見たエヌはフッと短く息を吐くと、少し緊張を解きホッと一息つく。


「エヌちゃんはやっぱり苦手ですよね、我が主人のこと」


「苦手もなにも、エヌのことを物扱いしてくるのがイヤです」


「やっぱそうだよねぇ。僕もあの態度はどうかと思うけど、言って聞くような人じゃないし、エヌちゃんは大変そうだよね」


 フィッツは士官室に備え付けられた椅子と机を部屋の中央へと運ぶと、ワゴンからティーセットやケーキスタンドなどをせっせと準備していった。

 そしてホワホワと穏やかな笑みを浮かべると、淀みない動きでワゴンからポッドを取り出し紅茶を入れる。

 エヌはその姿をじっと見つめていたが、その視線に気づいた彼は少し不思議そうな表情でエヌの顔を覗き込んだ。


「どうしたんですかエヌちゃん?もしかして紅茶は苦手でしたか?」


「ミルクと蜂蜜、甘くないとエヌは飲めません……子供っぽいですよね」


 エヌは子供っぽいのを気にするには若干影を落とした顔で、尻すぼみにそう呟いた。


「ハハ、そうかもね。でもまあここに見てる人は居ないから気張る必要もないと思うよ」


 フィッツのセリフに何度も頷くエヌは、どことなくフィッツに懐いているようだった。

 その様子を見てニコリと笑うフィッツはスプーンいっぱいに蜂蜜を乗せると、紅茶に入れてかき混ぜる。

 両腕が無いエヌがフィッツに紅茶を飲ませてもらうと、鼻を抜ける甘い匂いに思わず顔を綻ばせた。

 が、それも束の間のこと。エヌはすぐさま警戒色を強めて少女の様子を窺っている。


「別に毒を入れたりなんてしないよ。僕は勿論、主人だってそんなことする性格じゃないからね」


「確かにフィッツさんはやらなさそうですし、それにあの人はもっと正面きってやってくるような感じがします」


「まぁ、確かにそうだね。それにEliza・Qには毒なんて効かないからまずもってそんなことはしないと思うよ」


「Eliza・Q?エヌはあの人のことを名前さえ知らないのに、どうしてエヌ以上にこの体のことを知っているんですか…?」


 エヌは若干不気味そうな表情で問いかけると、フィッツはしまったと言わんばかりに口に手を当てた。しかしすぐに観念した様子を見せ、内緒話をするように少し小声でエヌに語りかける。


「それは僕の口からどこまで伝えて良いのか分からないんだ。そう言えば主人の名前に聞き覚えはないの?グレーって名前に」


「グレー…エヌにはてんで聞き覚えがありません」


「そうですか。結構エヌちゃんのあるじ様はエヌちゃん想いなのかもね。きちんと人間としてエヌちゃんと一緒にいるみたいだし」


「ますますもって意味がわかりません。そもそもEliza・Qっていうもののはエヌと何の関係があるんですか」


 エヌは頭に疑問符を次々連ねていくが、フィッツは困った表情でポリポリと頬をかく。さっきまでより言葉を選ぶのに時間がかかり、やがて慎重そうに口を開いた。


「それこそ僕が気軽に話せることじゃないんだけど、端的に言っちゃえば『ものすごく強い機械人形』って所かな。おまけでヒトと見分けがつかないほど精巧に作られてるていうのも特徴だね」


「つまりエヌは特別製ということですね。流石はあるじ様です」


「European 's Loyal Irenic Zenith ArmのQueenタイプというのが正式名称だ。それに其方は特別製だが欠陥品であることには変わりないぞ」


 士官室の扉をいつのまにか開け放ち、そこにもたれかかったグレーが話に無理やり割り込んでくる。途端に嫌そうな表情になるエヌだったが、残念ながら軍服の少女に配慮の二文字は存在しない。


「…興が冷めたんじゃないんですか。それにいきなり大層な名前を言われても分かりませんよ、グレー」


「途端に仏頂面に変わられると悲しいぞ?それよりも、なにも知らされていないエヌに伝えておかねばならないことが2、3出来のだ。話に付き合え」


「…拒否権とかないんですか?」


「人には適用されるかもしれないな」


「そうですか。それなら手早く終わらせてください」


 その言葉を聞いたグレーは、笑みを消すと真面目そうな表情でたった一言。


「まず最初にその失敗作の取り壊しが3日後の午前6時に決まった」


 途端に、水を打ったように部屋の中がシンと静まり返る。

 血の気を無くし真っ青に顔色を変えたエヌが喉を動かそうとするのに被せて、グレーは二の句を告げさせないよう言葉を続けた。


「何か質問はあるか?戦艦ライミントン艦長のグレー大佐の名において、嘘偽りなく答えよう。たとえ欠陥品で、もう人形であろうと、知る権利は与えるのが慈悲というものだ」


「……どうして、どうしてエヌのことをエヌより知っているんですか?」


「ふむ、私が貴様を襲う時に使った【炎熱機巧】という言葉、それが何よりの答えだ。其方と同じ…否、其方と違い完成されたEliza・Qであるからこそ、同じように作られた存在のことはよくわかる」


「なら、どうしてグレーはそのままで、私は壊されなきゃいけないのですか。どうしてエヌだけが」


「弱いから、だ」


 間髪入れずにグレーが答えると、ついぞエヌは押し黙る。

 わなわなと喉を震わせて何度も言葉を絞り出そうとするが、ついぞ一回たりとも言葉として発せられることはなかった。


「エヌを抑留してから3日間の食事のメニューとどのくらい残していたかを厨房に確認していたのだが、其方が手をつけない料理は決まっていたな」


 いきなり何を、という表情のエヌになるが軍服少女は意に介さない。

 彼女はポケットからメモ帳を取り出すと、次々とメニューを読み上げていく。


「牛ヒレ肉の山椒炒め、サバのムニエル、ピーマンと胡麻の和物、ふむ、他にも色々あるが、どれもみな臭いだけ感じるなら中々辛い食べ物じゃないか。なあ、エヌ?」


「っ…その通りですよ。エヌはベロがしっかり機能していません。だから食べ物は匂いでしか感じられませんし、お肉やお魚は臭いので苦手です」


「やはりそうだったか。心と体がうまく繋がれていなければ、分かりやすい障害で現れるのが私たちだ。そしてそれが、其方の弱さの原因でもある」


 扉からゆっくりと士官室の執務机へと腰を落ち着けると、冷たい表情でエヌを見下ろしながら彼女の心臓を指差した。


「欠陥品、そも自分がどのようにして作られているか理解していないだろう。其方のお優しいあるじ様というのはさぞお優しい人らしいからな。それが今回のような事件を引き起こすとは露程も思わないだろう」


 その言葉にエヌは蒼白な顔ながらもムッとした表情を取り戻し、この重苦しい空気の中で初めて反論を口にする。


「確かにエヌが貴方より弱いのは事実です。それでもあるじ様のことをそういうのは」


「まあそう怒るな。年上の話はしっかり黙って聞くものだろう?まずはこれを見ろ」


 執務机の棚を開け紙束を取り出すと、乱暴にエヌの方へ投げつける。両手がなく面食らうエヌだったが、側に控えていたフィッツが慌てて受け取った。

 そしてその紙面をエヌと共に2人で覗き込む。紙束の一枚目に書かれていたのは『魔導炉心』という単語と、おおきな特急秘匿事項の文字、それに精巧な機械仕掛けの心臓の絵だった。

 それを見てエヌは怪訝そうな表情を浮かべるのみだったがフィッツは違う。彼はまるで正気を疑うかのような形相で主人であるはずのグレーへと振り返った。

 そんな視線を受けてなお、グレーはこの空気感を物ともしていない。


「いいかエヌ、我らの心臓には必ずその紙に書かれた魔導炉心が組み込まれている」


「魔導炉心…それなら聞いたことがあります。複製不可能の偶然の産物で、半永久的にエネルギーを生み出す夢の機関だと」


「夢の機関な訳があるか!あんな物のせいでヒトもどきが生まれることになったのだぞ!」


 その言葉を聞いた途端、グレーは矢継ぎ早に語気を強めた。


「主人よ、落ち着いてください。ついこの前機嫌が悪くなった時はお気に入りの服を焦がしたのをお忘れですか」


 エヌは突然声を荒げたグレーにびっくりしたのか、椅子の上で肩を縮こまらせている。それに気付いたフィッツは落ち着かせるような笑顔で柔らかくエヌの頭を撫でる。


「すまない。つい世紀物の鬱憤が飛び出そうになった。とにかくその紙束に魔導炉心の材料が書かれているから読んでみろ」


 そこに記されていたのは、魔導炉心という物の設計図だった。

 銀と白金、タンザナイト他数十に素材の名前が黒く塗りつぶされた何種類かの【   】を混ぜて精錬して出来る宝石を作成。その宝石を割らないように腕利きの魔道具職人が加工することで作られる人の拳大の心臓を模した炉心が完成するとのこと。


「エヌは想像がつかぬと思うが、その素材の名前一つ一つが二桁億は下らない価値を持つ。さて欠陥品、その素材とは何だと思う?」


「そんな物、エヌが知るわけないじゃないですか。グレーも分かって言っているのでしょう?」


 一拍間を開けて、グレーはその素材の名前をそっと零す。


「人間だよ。生きた人間の臓腑をつかうんだ」


「……っ!?」


 そう言ったグレーはズイとエヌに顔を近づけると、刻み付けるように一言づつゆっくりと言い含めた。


「いいか?私も、其方も、Eliza・Qと呼ばれる機械たちは皆一様に人の死の上に成り立っている生臭い機械なのだ」


「そんな、それじゃああるじ様は…」


「間違いなく確実に、どこぞの死体で其方を作ったのだろうな。其方の大好きなあるじ様というのは」


 その言葉を理解できず、エヌは頭がぼうっとなり、音だけが頭の中を木霊する。


 そんな様子を確認した上で、エヌが知らぬエヌの事がまたもやグレーの唇から放たれていく。


「私やエヌが人間と見分けがつかないのも当然のことなのだ。なにせ魔導炉心と拒否反応を起こさず、最大限その性能を引き出せる器は臓器の持ち主本人をして他にない。その姿をした子供は、果たしてどのような気持ちで最後を迎えたのだろうな」


「いや、そんなはず無いです!あるじ様はそんな事できるほど肝が座っていませんし、とっても優しい人で…」


「それは其方に見せている顔であろう?魔術士なぞ魑魅魍魎、腕の立つものはどこか一線超えている。それに、ふむ…聞き方を変えるとするか」


 そう言ってグレーは顎をさすると、エヌの瞳をチラリと見やる。


「例えば…年より大人びているとか、しっかりしているとか、そういうことは言われたことはないか?」


「……」


 エヌの脳裏には昨日のアンナとの会話をはじめとして、いくつもの心当たりが思い浮かぶ。


「やはり図星。そも、起動した時点で赤子のように無力な存在でなく、しっかりとした知能を持って生まれたことに疑問を覚えたこと…も、なさそうだな。いや、あるじ様とやらが疑問を抱かせなかった可能性が高いか」


「…それが、なんだというんですか」


「答え合わせといこうか。それは元となった人間の新皮質の継承…まあ脳の記憶や知識が引き継がれているからだ。分かりやすく言えばその人が生きた経験を丸ごと保持しているようなもの。つまりはだ、其方の行動そのものが、人間を素体としたという事実の証拠そのものだ」


 エヌの周囲を、またしても沈黙が支配した。フィッツでさえも何も言えずにただエヌの様子を見守るしかできない。

 ついぞうな垂れたまま顔を上げないエヌは、掠れた声でグレーにどうにかといった体で核心に迫ろうとする。


「そう…ですか…それでエヌは…エヌは、何のために壊されるのですか?エヌは自慢なんてしたくはないですがそれなりに戦闘力だってありますよ」


「戦艦を空に浮かせる、それに莫大なエネルギーが必要であるのは子供でもわかるだろう?軍は降って湧いた制圧兵器の方が欲しいのだよ。所詮一個人の戦力に過ぎないエヌと比べるべくもない。完全なEliza・Qならば一体で戦艦級、だが欠陥品を遊ばせる余裕がないという事だ。エヌのように意識を覚醒している人形の解体は初だがな」


 グレーは事実のみを、坦々と事務処理的に伝えていく。そのたびにエヌの体はフルフルと震えるが、その伏せた素顔を窺い知れることはない。


「…じゃあ、空中戦艦には人間を素材にしたエヌと似たような人達が入ってて、お姉ちゃんと自称する貴方は、何人もの妹を物言わぬエンジンに変えていったのですか」


「そうだ。私が、この手で、何度もな」


 泰然自若、動じる様子など微塵も見せずにキッパリと言い切った。


「他に何か質問はあるか?ないならフィッツ、抑留室へ連れて行け。今の此奴に逃げ出すほどの気力はもうない。私の監視も必要ないだろう」

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