第8話 炎は踊る②

「――【炎熱機巧ムスペルマキナ】」


 反射的にエヌが動けたのは、あるじ様を守らなねばならぬという本能からか。

 咄嗟にあるじ様の体へ勢いよく飛び込むと、2人一緒に団子になって地面を転がる。

 直後、さっきまで2人が居た大地を極太の炎が舐めた。

 一拍遅れて肌が焼けるような熱波が辺りに吹き付け、枯れ木がパチパチと燃え始める。湿気を物ともしない火力の恐ろしさに、脂汗がたらりと伝う。

 エヌがあるじ様を背中に隠すと素早く炎の出所に目を向けた。するとその視線の先には、木の枝に座る異質な存在。

 上下黒字に金の刺繍がされた軍服を身に纏い、翠色の瞳で2人を睥睨する少女。短く切った金糸の如き髪と勝気そうに釣り上がった瞳は、どこか快活で中性的で子供っぽい雰囲気だ。

 しかし尊大な表情と、赤い裏地のマントには長年の経験からもたらされる兵の空気が覗いている。

 腰に下げたレイピアをトントンと指で叩きながら楽しげな表情を崩さないのは自信の現れなのだろうか。

 老獪でありながら子供っぽい、それが2人が感じた第一印象だった。


「流石にこれは躱すか。ま、あの程度で焼かれてはEliza・Qの名折れよな」

 鈴がコロコロと鳴るような声が楽しそうに笑う。反対に2人は『Eliza・Q』という言葉がこぼれた瞬間嫌な緊張感が張り詰めた。


「なぜその名前を知っているんですか、あなたは」


「別にそんな事今気にする必要ないだろう。私が居て其方がいる、それだけでは足りぬか?」


 軍服の少女は木の上で器用に立ち上がると、不敵な表情で胸を張る。その視線を向けられた当人はと言えば警戒を強めているが。


「確かに十分ですね。貴方にとっては、でしょうけどね」


「なんだ、つれないじゃないか。ここまで足を運んだぶん労ってくれてもいいだろう?」


 エヌはチラリと守るべき後ろを振り返り、そして再び正面に視線を移す。

 たった一瞬の動作、その間隙で黒い少女はエヌの目の前まで迫っていた。

 息を飲むエヌは咄嗟に脚を変形させ振り上げる。余人ならばそれで斬られる一撃。

 しかし、森に響く金属音。 

 いかなる剣術か、腰から素早く細剣を抜きエヌの剣戟に真っ向からぶつかり合う。

 だが、無理な体制から蹴りを放ったエヌは不利を悟ると膝をたわませ、迫るレイピアの勢いも重ねて後ろに跳躍。

 少女はその姿を目の端で追うが、すぐさま体の向きをあるじ様に変える。ゆったりとレイピアを振り上げ、狙うは脳天。


「っ、急速起動!【氷雪機巧:霜の金角鎖】っ!」


 吹き飛ばされたエヌは木の根を掴み、無理矢理体にかかる慣性を停止させた。すぐさま触れた地面かを媒介に【氷雪機巧】を発動。氷の矛がついた鎖が飛び出すと少女に殺到する。

 その姿を一瞥した少女は華麗にマントを翻しながら後退。羽織った布から炎が噴き出すと氷を溶かした。

 その隙を逃さずエヌは弾丸のように飛び出すと、林の木々を踏み台にして空中へ。マントで増えた少女の死角に潜り込むと、体を小さく丸め回転を加えた踵落とし。


「その軽い身のこなし、まるで小鳥だな」


 その言葉の直後、体と体がぶつかったとは思えない、人の芯にまで響く重い衝突音。少女はエヌの攻撃に完璧なタイミングで蹴りを合わせている。

 少女はエヌの攻撃に併せて軍靴の踵に点火。向かい来る蹴りに合わせて炎で加速させた上段の脚で迎え撃ったのだ。

 両者の勢いが拮抗する壮絶な威力の蹴り。しかし、両者がぶつかれども位置の有利不利がそこには存在した。

 威力が相殺されたことで空中で機動性を失ったエヌ。軍服の少女は好機とばかりにレイピアを叩きつけると、エヌの体をボールのように吹き飛ばす。

 嘘みたいに真っ直ぐ宙を舞った少女の体は、木に叩きつけられようやく止まった。

 両者ともに常識の埒外に居ながらも、あまりに一方的な戦い。

 しかしそれでも、ふらつきながらエヌは立ち上がろうとする。


「かふっ、こふっ……【氷雪、機巧】ァ!」


 エヌは口から血を吐き、浅い呼吸を繰り返してもなお叫ぶと、手の触れた大地から形もへったくれも無い氷を大量に作り出す。自棄になりながらも大質量の一撃。

 生半可な灯火など容易に押し流す質量の暴力が、森を押し流す波と化す。

 しかしそれを見た少女は、どこか落胆した表情で口を開いた。


「こうなってはもう興醒めだ。其方、半壊で踊る姿を見せずとも良い。無様だ」


 少女がレイピアをエヌに向けると、指揮者のように上に振り上げた。すると途端、空気が凛と引き締まる。

 流るる氷河はその勢いのまま林の木々を蹂躙し、暴力をもって軍服の少女の元へと殺到する。しかし彼女は怯えない、動じない。

 振り上げた細剣は、その切っ先まで一ミリたりとも震えることを知らず。


 「【炎熱機巧】」


 少女は穏やかにその機巧の名を口にする。たったそれだけ、一つの挙動でレイピアはオレンジ色に赤熱されていく。氷が支配を拡大するこの場において、少女の周りだけが暖かい。

 迫る氷海と収束する熱気。空気が極度に張り詰めていく中、ついぞ少女が動く。

 風を裂いて、切っ先を下へ。


「――【回路輪転:燃ゆる噴山イグニス・ユーラプション】」


 動作としては単純明快、細剣を振り下ろすだけ。だが、剣からはその動きに合わせて莫大な熱量が吐き出された。

 それは、氷の海を割り進んでいく船が如く。

 炎の斬撃は向かってくる氷を沸騰させながらエヌのすぐ真横を通過。

 一拍遅れて急激に熱せられ膨張した蒸気がエヌに叩きつけられた。冗談のように宙を舞ったエヌはどうにか体勢を立て直そうと木に捕まり、先ほどと同じく足場代わりで跳躍を試みる。

 だが、木に足を乗せることは叶わない。急激に冷却と加熱を与えられ、今なお木を掴む腕はピシリ、とイヤな音を立てた。

 それが契機か、エヌの両腕は瞬く間に崩壊していく。人工皮膚は劣化して千切れ、内部機構―筋肉などにあたる機械がエヌが出そうとする出力に耐えきれず、歯車や潤滑液が隙間から次々溢れていく。

 繊細な構造が仇となったのだろう。蒸気の暴風が止み、エヌが氷の大地に顔から落っこちた時には、もう両腕はぴくりとも動かない。

 ヒヤリとした霜の味を確かめ、這いつくばったまま動けない絶体絶命の状況。それでも、執念でエヌはまだ立ち上がろうとする。


「何故立ち上がる、壊れかけの人形よ。両の腕は使い物にならず、足にもガタが来ている。手詰まりなのになぜ?」


「あるじ様を死んでも守らなきゃエヌは…エヌは…!」


 腕が動かないため身を捩って体を起こそうとするエヌ。しかし、どうにか顔を上げた先にはエヌにとっては絶望的な光景だった。

 少女がレイピアを突きつけるのはあるじ様の喉元。


「さて、取引をしようか。小鳥よ」


「ダメよエヌ、口車に乗ってはいけない。隙を見て逃げなさい」


 あるじ様は蒼白な顔に焦りを添えてエヌに逃げるよう命令する。

 しかし少女はエヌを見据えながら、あるじ様を無視して話を続けた。


「なに、私は其方に…正確は其方の首と胴体にしか用がない。出来うる限り綺麗な状態でとのお達し付きではあるが」


「つまり、エヌが暴れるようならあるじ様を殺すと?」


「この女が死んだ後に其方をボロボロの状態で持ち帰ることになるな。其方としても本意ではないだろう?」


 少女は、少なくとも表面上は自身が上位者のように振る舞いエヌに選択肢を突きつけた。


「なに、命がここで二つ散るか、一つ散るかの違いだ。合理的に行こうじゃないか」


 エヌは鋭く少女を睨みつけた。が、少女はその視線をものともせず受け止める。

 あるじ様は変わらずエヌの方を見ては。視線でエヌに逃げるよう伝えていた。

 しかし、エヌは逃げ出せない。あるじ様の視線を見るたび否応なく彼女の首に突きつけられている細剣が目に入る。

 頭ではあるじ様の命令に従うべき、そう分かっているのに体が動かない。まるで自身の体が本当に凍ってしまったかのように。

 やがてエヌは、悲壮な感情を滲ませながらゆっくりと口を開く。


「…わかりました。エヌを好きにしてください」


「エヌ!」


 あるじ様は責める高い声で叫ぶ。反してエヌはどこまでも落ち着いたように振る舞っていた。


「あるじ様、エヌなら大丈夫ですから」


「そんなわけないじゃない。貴女の本当の価値は、貴女が思っているよりももっと大きい物なのよ。捕まったら何されるか」


「おいおい、子供の一人立ちに大人が口を挟むんじゃない。そうは思わないか」


「よくも抜け抜けと…!」


 あるじ様はレイピアを前にしても怯まないが、軍服の少女は鳥の囀りのようにしか思っていない。

 いまだ視線が向けられたままのエヌはその姿を見て、いっそ穏やかな笑顔を浮かべた。


「あるじ様より強いですから、心配しないでください。それに、手紙書く約束もありますしね」


 軍服の少女は2人の姿を見届けるとレイピアを下ろし、エヌのもとまで歩み寄る。

 エヌの泥だらけの体を物ともしないでギュッと大切そうに抱きかかえると、そのままふわりと空中に体を浮かせた。


「それが、戦艦がエヌ達に向けて砲弾を撃ちこめたカラクリですか」


「さしもの私も十全な其方を相手取るのは少し骨が折れる。故に熱で風を捻じ曲げ弾道を変えただけのこと」


 少女はニヤリと屈託なく笑う。エヌにはその時、どうしてかその笑顔こそが彼女らしいのだろうと感じてしまった。まったくそのような状況ではないのに。


「それともう一つだけ、あなたはエヌのことを知っているようですが、何者ですか?」


「そうさな…其方のお姉ちゃん、名前はグレーだ」

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