第7話 炎は踊る①
「じゃーねー!必ず手紙書いてよ!アタシ、待ってるから!」
駅のホームから大きく手を振るアンナに、エヌは車内の窓から小さく手を振り返す。
そうすることしばし、車両がカタンコトンとゆっくり進んでいき、すぐに2人の姿が見えなくなった。
「エヌには初めてじゃない?同年代の友達できたのってさ」
「確かに初めてですね。学校も行ったことないですし、知り合った人はあるじ様を除けばもっぱら大人ですからね」
「それも魔術士は年齢不詳な人多いのよ。若く見えても実は…って人多いし。それより作戦のことでちょっと伝えておきたい事があるんだけど、今いいかしら?」
「もちろんです。エヌもやる事ありませんし」
「それなら良かった。じゃあまずこれを見て欲しいのだけれど…」
あるじ様は懐の手提げカバンから手帳を取り出すと、パラパラとページを捲った。
「エヌの【氷雪機巧】で一番大切なの物は分かってるわよね」
「勿論です。“氷雪”と名前がつくからには大気に水分がなければ大規模な氷は作れません」
そう言いながら、エヌは手のひらで小さい氷の結晶を作り上げて見せる。
そのまま氷をフッと吹けば、そっと空気に溶けていった。
「そんなエヌに朗報なのだけれど、このページを見て欲しいわ」
少しニヒルに笑ってあるじ様が差し出した手帳のページに、ヨーク州1月と湿度のグラフ。
「あるじ様、湿度の線が見えないんですが…?」
「上よ上。ほとんど90%横ばい傾向なのよこれが。毎日雪どっさりね」
「これは100%を示す線じゃなかったんですね…でもそれならエヌに有利じゃないですか。たくさん氷作り放題ですよ?」
しかしあるじ様は首を横に振って否を唱える。
「エヌはまだ機巧を扱いきれてないでしょ?一気に氷を作りすぎると【氷雪機巧】の回路が自分の冷気で凍結するわ」
「えぇ…なんだかお間抜けさんじゃないですか。確かにエヌも細かく水だけを凍らせたりとか、そういう事はまだ難しいですけど」
「そこに関しては製作者として謝るわ。でも言った通り、機巧の出力を上げすぎてはダメよ」
それに、と指をピンとたてながらエヌの四肢を指差す。
「申し訳ないけど、この前派手に銀行を倒壊させた時、細かい砂埃がだいぶ奥まで入り込んでるの。まぁ、分かりやすく言えば完全にオーバーホールしきれてないわ。特に腕は帰ったらまたすぐに調整よ」
「無茶は禁物、っていうことですね。善処します」
「よろしい。話はこれで終わりよ」
『―まもなくゴースランド、ゴースランド駅に到着です』
会話が終わりエヌが暇つぶしに一眠りしようかという絶妙なタイミングで、横を車掌が通り過ぎて行く。
それを横目で見やったあるじ様はサッと目配せした。
「エヌ、目的地よ。ここからはしっかり気を引き締めて行かなきゃだわ」
「…了解です」
飛び起きたエヌは先ほどまでの雰囲気はどこにやら。ヒヤリとした表情に変わる。
沢山の荷物が入った等身大のキャリーケースを苦もなく持ち上げると、列車とホームの隙間を苦もなく飛び越え寒い外へ。
石造りの駅舎とアーチ状の鉄橋が映える駅を降り立つと、そこはお世辞にも風光明媚とは言い難いどこまでも続く放牧地であった。
ほのかに香る畜舎の香ばしい堆肥の匂いが2人の鼻腔をくすぐり、どうしようもなく畜産動物の気配を感じさせる。
「あるじ様、本当にここであってますか?人っこ1人居なさそうですが?」
「畜舎で牛さんと一緒に生活してるならあり得るかもしれないわね。それだったら、なんだかやる気削がれるけど」
「ですよね。なんだか牧歌的でのどかですね」
二等級異端者ーー魔術犯罪者が逃げ込むにはあまりにも平和で牧歌的な光景である。
だからこそ、2人はほんの僅かだけ気が緩んでいた。
ドロドロと低いバスドラムを叩くような重低音、それを最初に気づいたのはやはりと言うべきか耳が良いエヌである。あるじ様の袖をクイクイ引っ張ると、不思議そうな表情で顔を上げた。
「あるじ様、この低い音はなんですか?この地域特有の風ですか?」
「そんな風聞いたことがないけれど…まってエヌ、言葉に表すならどんな音?」
「ええっと…あえて言うなら、ドロドロって音でした」
その言葉を聞いたあるじ様は、眉間に深いシワを刻む。それでもすぐに表情を落ち着かせると、エヌにいつになく硬い口調で語りかけた。
「エヌ、私を抱えて走りなさい」
「どういうことですか…?」
「いいから!時間がないの。さあ早く!」
あるじ様のいつになく強硬な態度に、エヌもただ事ではないと判断。素早くキャリーケースを投げ捨てると、あるじ様を抱き上げる。
腰に手を回し、もう片方の手を膝関節の裏に回すーーいわゆるお姫様抱っこの形になると、一気呵成に駆け出した。
ちっこいエヌが身長180センチ弱のあるじ様を抱えるアンバランスな体勢ながら、人には決して出しえない速度で雪を巻き上げ真っ直ぐ走る。
その直前、エヌがいた地面に鉄塊が激突。
鉄の暴力は辺り一体に騒音を巻き散らかしながら爆発、周囲3mの地面をえぐり抜いた。
常人ならば結末しか捉えられない刹那の光景。しかしエヌの驚異的な動体視力は見逃さなかった。飛んできた物が、爆発によって破片を周囲に撒き散らす榴弾であったと。
――このサイズ、間違いなく戦艦の砲弾!?。
エヌは内心驚愕しつつも顔には出さず、すぐさま砲撃の軌跡を目で追った。しかし、煙が尾を引いていたのは遥か曇天の空の向こう。
「嘘だ、攻撃は空から…!?」
「やっぱりね。ってことはあの爺さん嵌めてくれたわ…!」
あるじ様はギリリと歯軋りして怒りを滲ませる。それにエヌは気付いているものの、もはや普段らしからぬあるじ様を気にしている余裕はない。また次が来る。そう本能が警鐘を鳴らしていた。
「っ、またドロドロ言いました!もう一回走りますよ!」
次の瞬間、地面が巻き上がる。遅れてあるじ様にクンッ、と強い負荷が掛かった。そこでようやく彼女は、エヌが地面を駆け出したことが分かる。
しっかり空を見据え、音を超え迫り来る砲弾を、驚異的なその動体視力でもって軌道を先読みする。頭が理解するより早く直感で何度も方向転換を行い、不規則なジグザグで地面を縫うように駆け回った。
しかし時間が経つごとに地面のクレーターは増えていき、逃げ場が制限されていた。
それのせいか、砲弾の着弾地点はエヌの動きを予測し狙いが正確になっていく。
「っはぁ、はぁ、エヌ、どんどん砲弾の狙いが鋭くなってきたわ。明らかにエヌの動きを読んできてる。相手はビックリするほどヤリ手ね」
「分かってますよっ…!じわじわ追い詰められているのが!」
短い会話にも覆いかぶさるように、ドンと重苦しい炸裂音。爆心地はエヌのすぐ近く。
2人が逃げるのは視界のひらけた牧草地であり、身を隠す場所などこれっぽっちもない。農地を分ける林の方へ向かおうとするが、それを見越したように砲撃が飛んできた。
だからこそ、ジリジリと真綿で首を絞められるような状況が精神的を苛んでいく。
それに加え、人間にはあまりにも無茶な負荷が何度もあるじ様にかかっている。人一倍か弱い彼女の顔からは、血の気がどんどん引いていた。
「あるじ様っ、体はあとどのくらい持ちますか?」
「ぶっちゃけもう限界、かしら…?」
青い顔で弱々しく笑うあるじ様を見て、エヌは顔に決意をにじませる。
「今から一回だけ砲撃を受け止めます。そしたら煙に紛れてあるじ様は林の方まで逃げてください」
「…ごめんねエヌ。ごめんね」
「それなら早く逃げる準備をしておいてください。稼げる時間はわずかですから」
エヌは紙一重で砲弾を避けると地面を滑り、泥を巻き上げながらスピードを相殺。
そのままあるじ様を地面に落とすと、地面に手をつけ、勢いよく体を跳ね上げる。
「―回路並列接続、回路駆動率いっぱいまで上昇」
着地までの時間さえ惜しい。エヌは焦るような早口でそう呟く。
『躯幹演算回路と四肢出力器の完全接続を確認。魔術水晶端子の起動を確認。励起状態に移行』
そのエヌの焦りとは正反対に、画一的なテンポの機械音声が体から発せられた。
『魔術水晶端子駆動。駆動率30%…40%…50%…エラー、エラー。原因検索……不明』
「やっぱりいつもの50%で止まるエラーは健在ですかっ…それでも!」
フッと息を浅く吐くと、自身の足を直剣に変形させる。
「…エヌはできます。ここは、ここだけはエヌの領域なのです!」
脚剣を地面に刺すと、そこよりエヌの前方に冬が訪れる。
放射状に広がるは霜の原野。そして野原からは木々が育ち樹氷の森が現れた。
続けてエヌは両の袖から長さ一杯鎖を出すと、森に蜘蛛の巣の如く網目を作り上げる。
「防壁展開、【氷雪機巧:
その一言で、森が蠢いた。
氷がその体積を増やし、ぶつかり合っては一体となる。
それは、圧倒的な威容を放つ城壁であった。
氷だからこそ内部に鉄筋がわりに埋め込められた鎖が見え、間近で見るものを圧倒するであろう風格を感じさせる。
待ち構えるは冷気を帯びる鉄壁の城塞。相対するは障害を食い破る鋼鉄の矢尻。
近代の矛と中世の盾、本来決して相見えるはずの無い両者が魔術によって激突する。
そして、刹那的邂逅。榴弾は氷壁を僅かに削るが未だ防御は健在のまま。
しかし激突の衝撃で、榴弾の信管が作動する。一瞬遅れて耳をつんざく爆発音。
砲弾の破片一つ一つが鋭利な刃物となって氷壁に喰らい付く。数多に飛散する小片が僅かな時間でガリガリと壁に喰らいつく。
しかし、分厚い氷を完全に食い尽くすことは出来ず、その勢いをどんどんと弱まっていく。ついには薄壁一枚のところまで迫りながらも、込められた運動エネルギーは霧散した。
『【氷雪機巧】過剰冷却を確認。下肢出力器の増幅停止。機関の暖機を開始します』
エヌにとって、短くも長い間の出来事であった。
「あるじ様、早く!!」
エヌはいまだ防壁の鉄筋と化している腕から伸びた鎖を躊躇無く切除。砲弾を防いだ感慨にふける間も無く、あるじ様と共に林の方へ駆ける。
砲弾の煙と巻き上がった土の霧を利用したこの瞬間だからこそできる、エヌの精一杯考えた苦肉の策だった。
風を切って林に突っ込むと、暗い影に腰を落として息を潜めた。
どうやら上手く行ったようで、低い砲撃の音は鳴り止んでいる。
「っふぅ、どうにか一旦は撒けましたね。うぅ寒っ!」
「ありがとうねエヌ。足に霜、ビッシリつけるくらい頑張ってくれて」
湿度100%近くの大気の元で【氷雪機巧】の上限50%駆動、それほしなければならないほどに切迫した状況だった。それは現在、足の半凍結という形で跳ね返ってくる。
「あるじ様、次はどうしたらいいですか?エヌはまだ戦えます」
エヌは努めて無表情でそう声を絞り出す。
しかしその言葉はどう見ても嘘だ。寒さでカタカタと震えているし、脚の動きはぎこちない。
「いい、必ず私たちが死んだのを確認するためにいつか偵察隊が来るわ。その前にどうにか列車を捕まえてここから逃げるのよ。人が多いところまで逃げれば後は紛れるだけ」
「エヌはその車両までの足ってことですか」
「そ、だからそれまでにどうにか体調を戻しておいて」
あるじ様は強い口調でエヌの頭をグリグリと撫でる。
「でもあるじ様、戦艦があんなに的確に砲弾を打ってこれるものなんですか?」
「そのカラクリが分からないわ。超遠距離からたった1人をあんなに正確に狙うなんて」
「でもエヌの耳でも飛行機どころか機械の音一つしませんでしたよ」
その時、不意に木の上からパチパチと拍手の音が鳴り響く。頭上を見上げる間も無く、凛とした声が林を裂いた。
「――【
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます