第5話 午前1時の来訪者
はたしてエヌを寝かしつけてからどのくらい経っただろうか。
あるじ様はエヌが座っていた椅子に座り、組み立て式の机を作業代替わりに細かい機械の組み立てを行っていた。
ランプの薄明かりが照らす部屋で、エヌの肌と一体化した外殻を取り外し内部気候を露出させる。これでもかというほど詰め込まれた精緻極まる駆動機構の一つ一つを、熟達した手際で取り外しては並べていった。
エヌの寝息と時計の針、それに触れ合う金属の音が部屋に響く真夜中の部屋。不意に、静かな合唱の均衡を破ってコンコンと扉が叩かれた。
「夜分遅く失礼、ゾイ・メイドゥンヘッド様はあらせられますか?」
しわがれた老人の声が部屋に木霊する。あるじ様は一瞬作業の手を止めるが、それでも何事もなかったかのように再びエヌの義肢を調整し始めた。
「これはこれは失敬、『あるじ様』は御在室かな?」
「…今扉を開けるわ」
あるじ様はロッキングチェアから腰を上げると、心底嫌そうに扉を開ける。扉の向こうにいたのはニンマリと笑う壮年の執事だった。
「おやおや、私もずいぶん嫌われたものですな。どれ、失礼しますぞ」
「腰かける場所は本しかないけど、それでも良いなら。あとエヌは起こさないで」
あるじ様は再び椅子に座ると、刺のある口調で執事に釘を刺した。
「とんでもない。私にも似たような歳の孫娘がいましてね。そのような子を起こすのは忍びない」
「ご親切にどうも。それで用件は何?ヤング・フリッツロー…強盗犯の生け捕りに関しては話は済んだはずでしょう?」
あるじ様はエヌには向けたことがないような冷ややかな目線で執事の話を軽くあしらう。
しかし執事はその程度どこ吹く風といったもので、にこやかな相貌を崩す気配は全くない。
「いえ、そちらは関係ございませんよ。それよりも貴方様は今日もエヌ嬢の身体の調整ですか。精が出ますね」
「別に。機巧人形を持つ人なら誰でもやるわ、このくらい」
だが執事は心外と言った表情で肩を竦めた。
しばしの沈黙が2人の間に立ち込める。ランプの光がゆら、ゆら、とあるじ様の顔に波打つ影を作り出した。
「…早熟の天才、稀代の技巧士、ゾイ・グリニッジによる逸品、文字通り命を削って生まれた最高傑作『九番機』、また別の名をEliza・Q。その調整に精が出ないはずがないでしょう」
エヌのことをわざと『九番機』と言われたあるじ様は顔をしかめる。がそれ以上はどうにか喉元で留めた。
「…なにが言いたいのか読めないわ。あなたが私に世間話をするためにここに来るわけがないでしょう?政府のお使いさん?」
その言葉を聞いた途端、執事は口角を吊り上げドロドロと暗く笑った。それとは対照的にあるじ様の顔からは表情が失われていく。
「いやはや、せっかちなことだ。よろしい、単刀直入にお話ししましょう。今回の要件は貴方たちへの依頼の要請です。明後日早朝、列車でノースヨークシャー まで向かい、そこで二等級異端者を捕縛してきてください」
「依頼…?昨日の今日で新しいのを?魔術師の犯罪者が多いなんて、あなた達の待遇かなり酷いんじゃないの」
「いやぁそう言われては我々の立つ瀬がありませんな」
「でもどうして?二等級ならばエヌじゃなくても十分対応可能でしょ?」
「今回の依頼は僻地に赴かねばならない分かなり割がいいですよ。あなたも九ばー失礼、エヌ嬢の整備や新しい装備のために何かと入用でしょう?」
そう言われて彼女は押し黙る。表情こそポーカーフェイスで動かないものの、信用していない者からの好意にどう対応するか考えている雰囲気だ。
「それに、申し訳ありませんがこれは要請です。どれほどお悩みいただいたところで貴方からの答えは『はい』以外用意されていません」
「私が断ると言えば?」
「九ば…失敬、エヌ嬢がそうと知れれば欲しがる者はごまんといらっしゃいますよ?文字通り、貴方の血肉を分けるほど大切な、ね」
「最終的には脅迫?なかなか素敵なダブルスタンダードね」
「いえ、私ももう老骨ですゆえ、ふとした弾みに何か口から漏れ出ないか心配で心配で」
その言葉を聞くと、あるじ様は敵意を隠そうともせず執事を睨みつける。それでもなお執事は汗ひとつかかずに自然体だ。
「…分かったわ。引き受けるわよ、その仕事」
「ありがとうございます。では、こちらが詳しい内容が書かれた封書ですのでご確認を」
執事は参加の意が示されるとと嬉しそうに笑い、胸ポケットから封筒を取り出す。あるじ様は苦虫を噛み潰したような表情でそれを乱暴に受け取った。
封蝋を気にせず無理矢理開けると、中にあった文章に一通り目を通してから上着のポケットにしまう。
「列車のチケットも用意しておきましたので当日お忘れなきよう。夜分遅くに失礼しました。それではまた」
「二度と会う機会がこないことを願っているわ。おやすみなさい」
彼女は去っていく執事を忌々しげに見送ると扉を閉める。そのまま一直線に寝息を立てるエヌの元へと向かった。
「すぅ…くぅ…」
「よかった、熟睡ね。エヌが『九番機』なんて呼ばれるところを見られるわけにはいかないもの」
あるじ様はエヌの頭を撫でながら独り言を続ける。
「私の大切な宝物。あなたの為ならばなんだってするわ。本当よ」
あるじ様の翳った瞳を、爛々と明かりが舐めた。
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