第3話 Merry go London②

「はい、いつものピザランチとエヌ子には…専用フォートナム&メイソンの専用茶葉ね。甘めの蜂蜜入りミルクティーブレンド!おまちどうさま」


 柔和な表情を浮かべた女性の店員が、2人の前に結構な量の注文を運んでくる。

 場所はバスとは打って変わってバス停の近くのパブ、『ザ・ミュージアム』。博物館の名の通り、アンティーク調の装飾品たちがならべられている。


「いやー、それにしても毎回すごい顔してるねぇエヌちゃん。あるじ様と仲良しなのに仲良くないねぇ」


 『仲がいい』のは繁盛しているこの店では常に席数が少ないため、椅子に座ったあるじ様の膝の間にすっぽりと収まっている故である。


「今この瞬間だけは敵です…エヌに対する嫌がらせです…」


 それに対し『仲が悪い』とは、エヌのその表情にある。ズモモモモモ、と音が聞こえてきそうなほど黒い表情をしている。

 すっぽり膝の間に挟まった少女の頭の上には、たわわと実った二つの果実。

 二つ合わせて2kgもあるそれを、ちょうど胸の下あたりに頭があるエヌで支えていた。それでもってあるじ様は、文字通り肩から荷が降りた表情で自身の首回りを揉んでいる。


「ほ、ほら、エヌ子もまだまだこれから育つから可能性はあるよ」


「まあまあエヌ、あなたなんて全身きめ細かいぷにぷに肌よ。もっちもちで羨ましいわ」


 2人にそう宥めすかされても、少女は親を殺されたかのような目付きでご機嫌斜めのまま。


「頭に駄肉を載せないでください、もぎりますよ」


「駄肉っ!?それに“もぎる”ってなに!?どうしようエヌがいつもより手厳しいよ!」


  未だ黒い気配を出し続ける少女は、ほっぺを揉み込まれるのも意に介さずに鋭い目つきのままだ。

 その強固な抗戦の構えに狼狽るあるじ様であるが、周りの人はいつもの事で「またか」としか思っていない。


「それじゃあ私はまだまだやることあるからもう行くね。2人ともじゃれ合うのは程々にしなさいな」


 そういうと給仕はおっとりしたまま「冷める前に食べてね」と言い残してこの場を後にした。

 残されたあるじ様はズモモと嫉妬を滾らせる少女の方を見て頬から手を離し一言。


「賄賂はいかほどで許してもらえますか?」

 そう、迷わずのっけから賄賂宣言。だがその言葉を聞いた途端にエヌは表情をコロリと変え、待ってましたと言わんばかりの笑顔になる。


「いつも通りレモンが良いです。それもでっかくて風味がいいものだったらとっても嬉しいですね」


「とエヌが言うと思ってたので、はいこれは今日のレモン。本当に好きね」


 あるじ様は椅子にかけたカバンを弄ると、紙袋に入った瑞々しい黄色の果実を一つ手渡した。

 それを見るや否やエヌはあるじ様からパシッとその果実を奪い取り、後生大事そうに両手で握り込む。


「あはは、レモン本当に大好きなのねエヌ。他の果物は嫌なの?」


 話しかけられた少女はもうかぶりつき、ガジガジと少しづつ少しづつ齧っていた。様子はさながら小動物だが、そのことを指摘して話を蒸し返すような者はここにはいない。


「レモンが一番風味が強くさっぱりしていて、はっきり感じるんです。あるじ様もひと口かじってみますか?」


「ううん、エヌのレモンだからエヌが全部食べていいのよ。あと絶対酸っぱいし」


 あるじ様はそっと目をそらし、尻すぼみな語尾になりながらそうぼやく。耳ざといエヌはもちろんそんな言葉を聞き逃すことはなく、ジーっと主さまを見上げていた。


「じゃ、じゃあ折角だし一切れだけもらおうかしら?」


 そんなエヌの視線に耐えきれなかったあるじ様は折れたのか少しだけ食べることを決めたようだ。だが、その表情は若干引きつっていた。

 そんなあるじ様の様子などお構いなしに、エヌは食べていたレモンを気色満面の笑みで真上に放り投げる。


「限定展開––【氷雪機巧:ピアニッシモ・霜の白蓮華】」


 エヌが氷雪機巧を発動すると、銀行の時とは違いヤドリギのような細い氷の蔦が足先から伸びてレモンへ絡みつく。

 するとすぐさまレモンに霜がまとわりつき、パキパキと表面に霜が降りた。

 そして蔦がすぐさま雪のように崩れていき、投げ上げたレモンがエヌの手元に戻ってきた。


「見てくださいあるじ様!冷やしレモンのできあがりですよ!」


 そういってニコニコ笑顔でレモンを差し出すエヌ。あるじ様は恐る恐るといった風貌でそれを受け取ると、目をつぶって一思いにかぶりついた。


「~~っ!!しゅっぱ!やっぱりしゅっぱいよエヌぅ!」


 そしてあるじ様はがくりと顔を俯かせた。俯かせながらもピザをモシャモシャと頬張るあたりに食への執念を感じさせる。その姿を見ながら少女は「どうしてだろう?」と不思議そうな顔をしていた。

 そんな満足げな子供の背後には、いつの間にか翳った笑顔の給仕さんが忍び寄る。


「エ~ヌ~子~!食べ物は投げちゃいけないっていったでしょ!」


 エヌがレモンを投げ上げたのを目敏く見つけた彼女が、少女の頭に握り拳を当てグリグリと拳を回転させた。


「ひっ!ごめんなさいです!おっとりさん私がわるイタタタタタッ!」


 そしておっとり給仕さんがその場を去ると、そこにはグッタリと俯いたエヌの姿があった。俯きながらも冷やしレモンをモシャモシャ頬張っている。

 瞬く間にピザを平らげたあるじ様はそんなエヌを手慰みに撫でていた。


「あるじ様ぁ…子供扱いは…子供扱いは今だけは許してあげます。くすん」


◆◇◆◇◆◇◆


 夕日がもの寂しく差し込む、築50年越えのオンボロアパート。そこの親切心を感じない急階段を2人仲良く上っていく。あるじ様に至ってはもう既に息を切らし始めいた。


「はぁ…、エレベーターとかできないかしら。毎日帰りにこれはキツいわ。エヌは大丈夫なの?」


「キツいのは普段運動しないからじゃないですか?まあ、子供に優しくないのは同意ですね」


 うっ、とあるじ様は苦虫を噛み潰したかのような顔になると、ぎこちない動きでエヌから目を逸らす。彼女の脳裏に昨日乗った体重計の値がよぎるが、小さく頭を振って頭から追い出した。


「それにしてもあるじ様は運動するの嫌いですよね。無性に体動かしたくなったりしないんですか?」


「私は木陰でエヌが動いてるの見るだけで十分よ。動くと蒸れるわ全身痛いわで2日くらい外から出たくなくなるし」


 あるじ様は若干げっそりしながら階段を上り切り、ようやく家の扉へと辿り着いた。

 鍵を開け中に入ると、そこには汚部屋だった。

 明かりをつけると方々の地面は、本棚に入りきらなかったのか本が何冊も重ねられ出来た山が、さながら海のようになっている。

 脱ぎ捨てられた靴下やキャミソールが本の隙間にまばらに落ちてており、服などの洗濯物はカゴの中に適当に放り込まれて大きな山を作っていた。

 そんな中部屋の一角だけが今までとは逆に片付けられており、異質な雰囲気をかもし出している。可愛らしいクッションが敷き詰められたロッキングチェアと、収納棚にしっかり収められた工具や小説の数々。

 2人の性格がなんとなく分かる部屋で、エヌは深々とため息をついた。


「あるじ様、少しは片付けましょうよ。少し見ぬ間にエヌのお腹くらいまで本が積み重なっているじゃないですか」


「大丈夫よ、うまく本の隙間を縫えば跨がなくても部屋を動けるわ」


 そう言いながら彼女はスイスイと部屋の中を歩いて行くと、食料がほとんど入っていない冷蔵庫を開く。

 ペットボトルをクピクピと飲んだら、エヌの方にひょいと放り投げた。

 少女はこともなげに片手でそれを受け取ると、憮然とした表情でそれに口をつける。


「無茶なこと言わないでくださいよ。エヌは迷路の製作者じゃないんですし、あるじ様と足の長さも違います」


「仕方がないなぁ我が家のお姫様は。ちょっと待っててね」


 そう言って彼女はエヌの元まで戻ってくると脇の下に手を回し、両手を上げる。すると少女はすぐさまあるじ様の体に抱きついた。

 そして彼女がベットへ腰かけるとエヌは腕を解いて、向かい合うようにあるじ様の膝の上に座り込む。


「相変わらず凄い量の本ですね。全然なんの本か分かりませんし」


「あるじ様やるのも楽じゃないってことよ。機械工学から魔術まで、色々知ってなきゃ務まらないのよこれが」


 そう言いながら少女をどかすと、最低限の通路を確保するために本に本を重ね、獣道じみた細いフローリングの小道ができる。


「けほっこほっ、本を動かしたらホコリが凄いわね」


「ちゃんとマメに掃除をしないからですよ。エヌも手伝いますから、こんど一度綺麗にしましょう?」


 そういってベットの上を膝立ちで移動し、近くに置かれた空気清浄機の電源をつける。するとすぐさまグォォォ、と大きな音を立て、埃たちが勢いよく吸い込まれた。


「あら気が利くじゃない、ありがとうね」


「ふんす、エヌはあるじ様のサポートが得意なできる相棒ですからね」


 エヌは少しだけ鼻息を荒くすると姿勢を正して胸を張る。

 そのまま上機嫌そうに本の海溝をトトトッと駆けると、軽く踏み切り空中で一回転。白髪をたなびかせながらロッキングチェアに着地。ボスッと音を立てながら深く体を預け、ブラブラと脚を揺らした。


「お見事、ネコみたいな身のこなしじゃない。体柔らかくて羨ましいわ」


「まだまだですよ、その場でバク宙でもして見せましょうか?」


 けれどもあるじ様は苦笑いの表情で、先ほどより大きな音で働く清浄機を指差していた。


「でも次はもうちょっと軽やかに着地してほしいわ。ホコリがブワッてなったわ。ブワッて」


「ぬぁ、ごめんなさいです。柔らかそうだからつい」


「エヌの気持ちもわかるけどね。私だってホテルのベットに飛び込みたくなるもの」


 その言葉を聞くとエヌは途端にパッと表情を明るくし、コクコクと頭を縦に振る。


「ですよね!それにいつか警察署のふかふかソファにも飛び込みたいです」


「エヌ…貴方…」


「な、なんでしょうか…?」


「やるときは私も呼ぶのよ。一度飛び込んでみたいのよ」


 エヌはゴクリと生唾を飲み込むと、神妙そうに頷く。たとえ歳や身長が違えども、フカフカに飛び込みたい気持ちは一つ。いつにも増して奇妙な連帯感が2人を結んでいた。


「さて、それじゃあホコリも落ち着いてきたしいつものしましょうか」


「えー、エヌはあれあんまり好きくないんですよ。また今度じゃダメですか?」


「だーめ。今日は捕縛任務で派手に動いたでしょ?だったらちゃんとメンテナンスしなきゃじゃない」


「…はーい」

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