第2話:その女、元・同棲相手

「え、わざわざお弁当作ってくれたの!」


「朝五時に起き、丹精を込めてお作りしました。もちろん、冷凍食品や出来合いのお惣菜などは使ってません。全て昂の手作りです。伴侶に尽くすのは妻の務めですから」


 出勤前、昂の差し出す弁当箱の入った包みを受け取りつつ、陽菜は困った顔で笑う。


「ありがとう。……でも、何だか悪いよ。お嫁さんって、そういうものじゃないと思うし」


「何をおっしゃいますか。身を粉にして奉仕するのがお嫁さんのあるべき姿。……そうだ、チャイも作ったんでした。今、水筒に入れて持ってきますね」


 キッチンに駆けていく昂の背中を見ながら、陽菜はそっと弁当箱の蓋を開けてみる。白飯に桜でんぶで大きなハートマークが描かれていた。


「……これは会社の人の前では食べられないな」


 どこか人目に付かない所で頂こうと、箱を包みの中に戻した。



* * * * *



「むう……」


 陽菜が会社に向かい、自分も登校するまでの僅かな間。舞原昂は脇にランドセルを置き、ソファに座って二膳の箸を眺めていた。


「陽菜ちゃんは一人暮らしなのに、どうしてお家にお箸が二膳も?」


 これだけならスペアだとか、貰い物だとか考えられる。けれど、この部屋には不審な点がいくつかあった。


 例えば、一人分にしては食器類やタオルが多過ぎる。例えば、IT関連の技術書とか流行りの自己啓発本とか、陽菜ちゃんが読みそうにない本が棚に何冊かある。例えば、陽菜ちゃんが使っている様子がない化粧品類がいくつかある。


「まさか陽菜ちゃん、昂以外の女と同棲していたのでは……」


 その考えに至って思わず立ち上がるのと、玄関の戸が開錠される音が響くのは同時だった。


(陽菜ちゃん……? 忘れ物でしょうか?)


 最初はそう思ったが、何だか様子がおかしい。鍵を開けた主はどうやら忍び足で、気配を消そうとしている様子だったからだ。


(ま、まさか泥棒……!)


 昂も息を潜め、箒を手に取って身を隠す。侵入者が扉を開けて今いるリビングに入ってきた瞬間、「うおおおおお、ロシアの女を舐めるなでぇす!」と雄たけびを上げて飛び上がり、その頭に獲物を振り下ろした。



* * * * *



「え、津貴子つきこちゃん、帰ってきたの?」


「ほほう。津貴子というですか、あの泥棒猫は。昂の箒の錆にしてやったです」


「あー、何をやったのかは知らないけれど、あんまり乱暴なことはしちゃダメだよ」


 夕食を囲んでいる陽菜と昂。昨夜の夕食、今朝の朝食、それから昼のお弁当。三食連続で作らせて申し訳ないと思ったのか、卓上には昂の作った物の他、陽菜の買ってきた駅地下の総菜も並んでいる。


「全く、陽菜ちゃんは昂という許嫁がいながら、横浜で現地妻を作っていたなんて……。こいつは憤慨の極みですよ!」


「現地妻って……。それは何だか言葉がおかしいような」


 陽菜は苦笑し、皿から肉団子を取って口に運ぶ。


「それにもう、あたしと津貴子ちゃんは陽菜ちゃんの考えているような関係じゃないよ」


「……もう?」


「うん。あたし、フラれちゃったんだ。同棲していたけど、津貴子ちゃんは一ヶ月前にここを出てっちゃったから」

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