暗夜異聞 古き記憶……

ピート

 

 目の前にいるこの娘は本当にロゼリアなのか?

 どう見ても10代にしか見えない、まだ幼さは残るが数年も経てば美しい女性になるだろう。

 前世紀から生きてるなんて話もあるが、本当に不老不死だとでもいうのだろうか?

「何を不躾に人を見てるのさ?レディに対する礼儀は学んでいないのかい?」

 声だって幼い、ただ口調は年長者、いや口うるさい祖母と変わらなかった。

「失礼、聞いていた情報に誤りがあったようだ。貴女が魔女ロゼリアの……使いの方でしょうか?」

「どんな情報だか知らないが、この私がロゼリアさね。礼儀知らずの坊やが私を使いだというなら、帰らせてもらうよ」

 坊や呼ばわりされるような年齢は何十年も前になるが、彼女が本人だというのなら、礼を欠いてしまってるのは自分の方だ。

 生きてるという事は、まだ挽回出来るという事だろうか?

「申し訳ありません、ロゼリア。私が貴女へ依頼を出したエルディ。この場では、この名乗りで許していただけないでしょうか?」

 顔は出さないようにしているが、名前だけは世間では有名になりすぎてしまった。

 依頼を出す際にもこの名で連絡を取るようにしていたので、問題はないと思うのだが……。

 彼女の表情は変わらない。

「依頼者の名はエルディ。それ以外の名を知る必要はないさね。さて、私がロゼリアだと証明する術はないが、それでも依頼するつもりなのかい?」

 試すような質問だ。

 彼女がロゼリアでなかったとしても、この願いが叶うなら問題はないのだ。

「ロゼリア、私は願いが叶うのならば、例え貴女が悪魔であっても問題はないのです。お話を聞いて頂けるなら当家までご案内したいのですが」

「ふん。どんな願いか知らないが、私にだって出来る事と出来ない事がある。何でも出来るなんて思われては困るね」

 そう言う彼女の表情は変わらない。

「無理難題になるやもしれませんが、それでも私には貴女に依頼するしか術がないのです」

 深々と頭を下げ、改めて懇願する。

 娘に何が起きているのか?わからないことだらけなのだ。

 医者が言うには病ではない。

 体は健康なのだ。

 早産だったこともあって、産まれた頃は心配も多かったが、言葉を少しずつ話せるようになった頃には体調面で心配することは殆どなかった。

 ただ、娘が発した言葉に問題があった。

 異国の言葉だったのだ。

 家族の中にその言葉の意味がわかる者はいなかった。

 当初は喃語だろうと思っていた。

 それが異国の言葉だとわかったのは、友人が気付いたからだ。




「エル、なんだって日本語を教えてるんだ?」

「日本語?」

「レイチェルが話してる言葉だよ」

「喃語じゃないのか?まだしっかり話せていないんだぞ?」

「喃語?違うと思う。コレはたぶん日本語だよ。リョウってのが何かはわからないが。待ってるって言ってると思うな」

「待ってる?リョウってのはなんだ?」

「日本語は同じ響きでたくさんの意味があるんだよ。リョウだけじゃ、意味はわからん。ただ待ってるって言葉と繋げて考えるなら名前か場所じゃないか?」

「地味に長い歴史を持つ家ではあるが、日本人の友人知人はいない。そもそも日本に行ったこともないんだぞ?」

「そんな事を俺に言われてもなぁ」

「オカルトなら前世の記憶がってパターンだな」

「前世?」

「仏教じゃ人は死ぬと生まれ変わるんだそうだ」

「生まれ変わる?」

「そうさ、天国だか地獄に行った後。またこの世に生をうけるんだそうだ。人じゃないモノに生まれ変わる事もあるみたいだがな。その際に生まれ変わる前の記憶、前世の記憶を持ったまま生まれ変わる者がいるって話さ」

「レイチェルが日本人だったと?」

「さてな、大きくなるにつれ前世の記憶は消えていくそうだから、レイチェルもその内忘れてしまうんじゃないか。そういう話ならな」

「どういう事だ?」

「あるハズのない記憶、知識を持ってる。悪魔憑きの可能性だってある」

「そんな!?」

「俺は宗教家じゃないからな。レイチェルはレイチェルさ。見ろよ、天使の寝顔じゃないか」

 ベッドで眠るレイチェルが悪魔憑きとは思えない。

「そうだな。なにかの偶然かもしれないしな」

「あぁ、そんな風に聞き取れただけかもしれない。変な事を言ってすまない」

「……日本人の友人はいないか?」

「おいおい、そんな事わざわざ確認してどうするんだよ?」

「もしも、もしもだ。前世の記憶とやらがあるのなら、何故そんな事を覚えたままなのか?そして、それを伝えるって事は何か意味があると思うからだよ」レイチェルは間違いなく俺の娘だし、悪魔憑きなんかではない。記憶を持っていて、何かを伝えたくて口にしているのなら、俺はそれを確認したいと思った。ただそれだけだ。

「友人ではないが、仕事の取引先で最近日本企業と付き合いが始まった。録音していいなら、レイチェルの言葉を聞かせてみることくらいは出来るぞ」

「信頼出来るのか?」

「そもそもレイチェルのものだと伝える必要なんかないだろ?日本語のように聞こえるんだが、意味を教えてくれないか?って聞くだけさ」

「じゃあ、レイチェルがまた何か喋ったら録音出来るようにしておくよ。ある程度溜まったらデータを送る」

「他にも違う言葉を話してるのか?」

「わからない。俺は日本語は全く馴染みがないからな。だが喃語だと思っていたモノがもしかしたら違うかもしれない」

「妙な事を言ったばっかりに面倒を引き起こしそうな気がするのは気のせいか?」

「何かが起こったとしてもレイチェルは大切な娘だからな。どんな方法を使ってでも彼女を救うだけさ」そう大切な娘だ。

「わかったよ。俺も協力出来ることはなんでもするさ。子のいない俺にとってもレイチェルは娘同然だからな」

 友人に音声データを送ったのは、それから数か月後だ。

 日本語についても勉強するようにした。

 勉強するようになって、友人の言っていた事が少しずつわかるようになってきた。

 確かに日本語に聞こえる単語がある。それも思った以上にだ。

 前世の記憶か……いや、記憶がどうであれ、レイチェルはレイチェルだ。



「データを聞かせてみた結果を知りたいか?」友人から連絡が入ったのは、それから2週間ほど過ぎた頃だった。

「それなりに日本語を学んではみたが、ネイティヴには勝てないからな」

「聞き取れない部分も多いし、断片的な言葉だから意味はわからないそうだ。小さな子供がアニメや映画でも見て覚えたんですか?って聞かれたよ」

「意味のわかる部分はあったのか?」

「『会いたい』『待ってる』『公園』『ごめんなさい』『リョウ』『01』『忘れないで』前後の言葉から『リョウ』ってのは名前だろうって、ただ『01』ゼロイチってのはが何を意味してるのかはわからないそうだ」

「会話になってるようなものはなかったのか?」

「もらったデータを聞いてもらったが、断片的なものが多くてはっきりと聞き取れたのはさっき話したものだけだそうだ」

「俺が日本語を勉強して聞き取れた部分よりは多いな」

「そりゃそうだろ。で、どうするんだ?」

「正直なところ、これだけじゃ何もできないな。もしレイチェルが大きくなっても忘れていなければ、また考えるさ。日本語の勉強は続けるし、それっぽい言葉は録音していくさ」


 そうして月日は流れていった。

 レイチェルは健やかに成長してくれた。

 そして成長するにつれ、日本語を話すような事はなくなっていった。

 そう前世の記憶は消えたのだと思っていた。

「お父様、私は幼い頃日本に行った事があるのでしょうか?」

「!?」言葉が出てこない、どういう事だ?

「夢を見るんです。いつか必ず会いに行くって」

「会いに行く?」

「誰かはわからないんです。それに最初は何を話してるのかもわからなかったんです。ただ優しく微笑んでくれてるような気がするだけで……」

「顔はわからないのかい?」

「靄がかかるような感じで顔は見えないんです。でも、微笑んでくれてるような……」

「……そうか。最初はわからなかったって事は今はわかるようになったということかな?」

「……最初は不思議な夢だと思っていたの。見たこともない場所だし、誰かの声は聞こえるけど、何を話してるのかはわからない。でも、なんとなくわかるような気がしたの」

「なんとなく?」

「この人と何か約束をしてるんだと……」

「……約束?」

「夢の中で話しかけてくる人がこう言うの『必ず君を見つけるから、忘れないでほしい』って」

「忘れないで・・・………か」

「お父様は何か知ってるの?」

「これがどういう事なのかは私にもわからない。ただ不思議な事があったんだ。だから、もう忘れてしまってるものだと思っていた」

 レイチェルと書斎に異動すると、以前友人に持たせた音声データを再生する。

「……喋ってるのは私ですか?」

「最初は言葉だとは思ってなかったんだ。ジェイミーが日本語じゃないか?って言い出してね。実際に日本人に聞いてもらったりもしたし、私自身日本語を学んでみた」

「お父様は日本語がわかるんですか?」

「おかげで日常会話レベルなら話せるようになったよ。まだ行ったことはないけどね」

「じゃあ、これはわかりますか?」

 そう言ってレイチェルが話始めた言葉は日本語だった。

「私はお父様の娘なの?それとも夢の中の誰かなの?母さんを死なせて産まれたのに、それとも私の中の誰かが殺してしまったの?」

 悲痛な叫びだった。

「レイチェル、君は僕とミシェルの娘だ。ミシェルは殺されてなんかいない。君を生んでそのまま天に召されてしまったのは事実だが、それはレイチェルのせいではない。ミシェルは君が生まれて良かったと、ただ一緒に生きていくことが出来ないのを悔やんではいたけどね。いいかいレイチェル、夢の中の記憶はレイチェルとして産まれる前の記憶なのかもしれない。でもそれを確かめる術はなかった。大きくなるにつれ、日本語を話す事もなくなっていた。記憶はすっかり失われてしまったものだと思っていたんだ」

 レイチェルの言葉を理解している事を伝えるために日本語で話す。

 上手く伝わっているとよいのだが……。

「産まれる前の記憶?」

「そうだよ。仏教では輪廻転生という考えがあってね。命あるものはまた生まれ変わるんだそうだ。だから、君の見る夢はレイチェルとして生まれてくる以前の記憶なのかもしれない。前世の記憶というそうだ」

「私は本当にレイチェルなの?」

「もちろんだとも。僕の愛する娘レイチェル、記憶の謎を解き明かしたいかい?」

「どうしたらいいのかわからないの。もし生まれる前の記憶だったとしても、どうして覚えたままなの?日本語で話していたけど、あの場所は日本の何処なのかはわからないし、もしかしたら日本じゃないのかもしれない。そもそもただの夢なのかも……」

「慌てなくてもいい、とりあえず色々と試してみよう。レイチェルは記憶の意味を知りたいのかい?それとも忘れてしまいたいのかい?」不安そうな娘に問いかける、まだまだ幼いと思っていたのに、まさか1人で抱え込んでいたとは……。

「記憶が本物だったとしても、私はレイチェルでいいの?」

「記憶があったとしても、ミシェルと僕の大切な娘だ。レイチェル、君はどんな事があろうとも僕の愛する娘だ。夢で見る記憶もあるかもしれないが、一緒に過ごした記憶だったあるだろう?」今にも泣き出しそうな娘を抱きしめる。

「ありがとう、お父様」

「じゃあ、食事でもしながらゆっくりとお互い知っている事を話し合うことにしよう。幼いレイチェルの可愛い話と、君の見る夢のこと。そして、我が一族に伝わる盟約を」

「盟約?」聞きなれない言葉に首を傾げる、そんな仕草もまた愛らしい。

「お祖父さんのお祖父さん、そのお祖父さんのお祖父さん、何代も前に交わした約束の事だよ」

「約束をした人も同じように子供に伝えているの?」

「どうだろうねぇ。この盟約を過去に頼った事はないんだよ」

「忘れられていないの?」

「それもわからない」

「…………」

「頼れるものは何でも頼りたいんだ。それがなんであってもね」

 不安そうな娘をもう一度抱きしめる。





「それで、私に依頼を?」

「そうです、ロゼリア。いえ、ルルド」

「何故その名を?」

「覚えていらっしゃいませんか?かつて貴女と約束を交わした……」

「……ウィンザルフね」

「貴女の愛銃の名でもありますね」

 盟約は有効なのだろうか?それとも、疑われているのだろうか?

 ルルドの表情は変わらない。

「私はそれをどう信じればいいのかしら?」

「偽りであったなら、貴方の好きなように。屋敷にはウィンザルフの書き残した貴女の肖像画があります。私が貴女を信じるのは、その絵のルルドの面影が貴女にあるからです」

「そんな物が残ってるのかい?じゃあ、案内してもらうとするさね」そう言うとルルドは用意してある車へと歩き出した。

「信じていただけるのですか?」

「貴方にはウィンザルフの面影があるもの」

「面影?」

「彼の肖像画は残ってないのかしら?」

「そういったものは嫌っていたそうです」

「私の肖像画は隠れて描いていたのにね」

「知らなったのですか?」

「何かを描いていたのは知っていたけどね。見せてはもらえなかった」

「……貴女は不老不死なんでしょうか?」

「不老不死?そんないいものじゃないのは確かね」

 そう言うとルルドは瞳を閉じた。

 これ以上の会話はしてくれないという事だろうか?

 何かに思いをはせているようにも見える。

 無言のまま車は屋敷に到着した。


 屋敷に到着するとレイチェルが出迎えれくれた。

「いらっしゃいませ、ルルド様。レイチェルと申します」

「私がルルドだと?」

「肖像画でお姿はいつも見ていましたから」

「レイチェル、依頼が必要なのは貴女だね?」

「!?」

「混ざってるのが見えるからさ」

「混ざってる?」

「エルディと呼んだ方がいいのかい?」困惑しているレイチェルをそのままに、ルルドは私に問いかける。

「もうご存知だとは思いますが、現当主エルドレットと申します。仮の名で依頼を出してしまいました」

「ウィンザルフ家はこの辺りだけでなく、色々と有名だからね。私へ連絡を取りたいなら、手鏡があっただろう?」

「書付には手鏡の事も書かれていたのですが、何代か前に賊に入られた際に失われてしまったと……申し訳ありません」

「必要かい?」

「貴女の力をお借りしたいのです」

「混ざってるのは、どうしようもない。この子は産まれた時、死にそうだったんじゃないかい?」

「早産でした。妻はその際・・・…」

「そうかい。死にそうだったこの子を救ったのが、今の状況の原因さね」

「!?」

「このまま立ち話させるのかい?」

「失礼しました。書斎でもよろしいでしょうか?肖像画はそちらにあるのです」

「エルディの描いた私ね。エルドレット、レイチェル、貴方たちはエルディの、私の大切な友人の末裔。こんな堅苦しい感じで話を続けたくはないのだけど?それともこのままの方が良いかしら?」そう微笑むルルドの表情は優しい。

 盟約を交わしたエルディの名で依頼を出していた。

 連絡がついた段階で、こちらの事はわかっていたということか。

「その、失礼でないのでしたら」

「レイチェルはその方が話やすいでしょう?」

 後ろを歩くレイチェルが緊張しているのはルルドにも伝わってしまっていたようだ。

「ルルド様……」

「ルルドでいいわよ、レイチェル。エルディと私は友人だったのよ。貴女のお祖父さんのお祖父さん……どれだけ遡るのかはわからないけどね。エルドレット、書斎でゆっくりと話しましょう。貴方達の依頼の事も、エルディの事を知りたいのならエルディのこともね」出迎えた時とは全く違う、穏やかな優しい空気がルルドを包む。

「こちらです」

 書斎に案内されたルルドは、肖像画を優しい瞳で見つめる。

 絵と並ぶルルドは肖像画の女性によく似ている。

「こんな風に見ていてくれたんだね、エルディ」こぼれた呟きは懐かしむようだ。

「当主になると、この絵の女性の事と共に、交わされた盟約を伝えられるのです」

「盟約ねぇ。そんな大層なものではなかったわ、ただ何かあった時に私が恩返しがしたかっただけよ」

「恩返しですか?エルディの書付には貴女に助けられた事が数多く残されています」

「助けてもらったのは私の方さね」

「ルルドはこの絵の人なの?末裔ではなく?」

「長い時を過ごしてきたのよ。だからレイチェルのような人もたくさん見てきたわ」

「私と同じように記憶を持った人がいたの?」

「いたわよ。特別な事ではないのよ。成長するにつれ忘れる者が多いだけ、覚えたままの人もたくさん見てきた」

「私は……私ですよね?」レイチェルは自分が何者なのか?不安に押しつぶされそうになっていた。

「貴女はレイチェルよ。記憶は記憶でしかないもの」

「先ほど言っていた。混ざってるとは?」

「レイチェル、貴女は産まれ落ちると死んでいた」

「「!?」」

「本来なら一つの身体に一つの魂が宿る。貴女は産まれ落ちてそのまま命を失いそうだった。そこに貴女を悩ませている魂が宿った。貴女を救うためにね」

「この記憶の持ち主は違う命として生まれていたということですか?」

「レイチェルが産まれた日に死産だった子はいなかったかしら?もしいなかったのなら、貴女を救う為に転生する事を諦めたのかもしれないし、少しでも早く転生したかったのかもしれないわね」

「私を救うために……」

「レイチェルはどうしたいの?」

「誰かともう一度会う約束をしてるんです。もし会う方法があるのなら……」

「貴女の『記憶』についてはエルドレットから聞かせてはもらった。気になる言葉もあったわ」

「気になる言葉?」

「えぇ『ゼロイチ』というのは何かわかる?」

「約束した人の……知り合いだと思います」

「名前だったのかい?」

「会話の中で出てきたと思うんです。でも全てを覚えているわけじゃなくて……」

「もし『ゼロイチ』が人の名で、それも日本人ならその男を私は知ってる」

「!?お知り合いなのですか?」

「そうね」

「貴女に連絡をしてよかった」

「レイチェルは会いたい?ゼロイチに?」

「私が約束したのはゼロイチさんではないのです。それに……」

「それに?」

「探し出してくれると……」

「おとぎ話の王子様ではないんだよ?」

「……ゼロイチの知り合いで、レイチェルを探すと約束したんなら、その男は必ず現れるさ」

「予言ですか?」

「予言はしない。でも、私はゼロイチをよく知っているし、ゼロイチの友人なら約束を違えるような事はしないさ。ただ……」

「ただ?」

「ゼロイチは今年で28。その男が近い年齢だとしたら、結構な年の差になるわね、エルドレット?父親として、その辺りは大丈夫かしら?」悪戯っぽくルルドは微笑む。

 レイチェルは顔を赤らめる。

「レイチェル?まさかその男に恋をしているのか?」

「会った事もないのに恋だなんて……」そう言うレイチェルの顔は赤いままだ。

「そういう覚悟もあって私を呼んだんじゃなかったのかい?」

「……いや、レイチェルがその男に会ってみないとわからないじゃないですか」

「さて、レイチェル。ゼロイチに連絡を取ってみるかい?それとも探してくれるのを信じて待ってみるかい?」ルルドの眼差しは優しい。

「私のこの気持ちは記憶に引きずられてるものなのかもしれません。私がレイチェル・ウィンザルフとして、この記憶ともう一度向き合う時間が欲しいのです。ルルドが信じてもよいと言うのなら、いつか私の前に現れるまでに、その時までにこの記憶と私自身の事をしっかりと考えておきたいのです」

「じゃあ、レイチェルが二十歳になるまでに現れなかったら、私がゼロイチにそんな男がいないか聞いてみると約束しよう。それまではゼロイチに会う事があってもレイチェルの話はしないし、ゼロイチに聞かれても答えない。その男本人がもし私に直接聞いてくるような事があれば答えてやるというので、どうだい?」

「ゼロイチさんの知り合いなら、ルルドと出会う可能性は高いのでは?」

「ゼロイチが私に連絡を取ってくるような事はないわ。その男が何らかの手段で私に連絡を取ってくることはあるかもしれないけれど、そのリスクの大きさはエルドレットが知ってるはずよ」ルルドに連絡を取るために、様々な方法を取った。法外な謝礼を要求される事もあったし、そもそもルルドの存在そのものが伝説のようなものなのだ。

 家名を出さないで連絡を取ったのも、与太話に法外な謝礼をウィンザルフ家が出すなんて噂が立ってしまうのを避ける為でもあった。

「鏡を失ってしまうような事がなければよかったのですが……」

「今度は無くさないようにね」そう言うと、ルルドは古ぼけた手鏡をどこからともなく取り出した。

「これは?」

「盗まれたんでしょう?」

「ありがとうございます」手渡された手鏡を大切に受け取る。

「私がエルディにしてもらった事はたくさんあるのよ。彼がどう思っていたのか知らないけど、たくさんの恩があるのよ。それに、この場所に屋敷があるって事は、森もあのままって事なのかしら?」

「えぇ、『ルルドの森』と当家では呼んでいます。エルディから当主に課せられる約定の一つでもありますから」

「森に入ってもよいかしら?」

「もちろんです。貴女の森なのですから」

「エルドレット、レイチェル。……貴方達は私の友人になってくれるかしら?」

「もちろんですとも。レイチェルの為に来ていただけた。貴女とエルディのお話を聞かせていただけますか?」エルディという祖先の話を聞きたかった。

 ルルドとどのように出会ったのか?ウィンザルフ家はエルディがいたから現在まで続いているといっても過言ではないのだ。

「私も友人でよいのですか?」おずおずとレイチェルがたずねる。

「年の離れた友人というのは得難いものなのよ。レイチェルは年上の友人は苦手?」

「友人として恥じないように行動できるかが心配で……」

「そういう思いがあるなら大丈夫さね。それに王子様は間違いなく年上なんだから、私と仲良くして年上との付き合い方を覚えておくのも良いと思うのだけど?」ルルドは少しからかうように微笑む。

「王子様だなんて……」顔を赤らめてはにかむレイチェルが可愛い。

 少なくとも不安な気持ちは解消されたということだろうか?

「ルルド、あまりレイチェルを焚きつけないで欲しい」

「おや、反対なのかい?」

「会ってもいない男に対して、反対する理由もなければ、諸手を挙げて歓迎する理由もないのです」

「素敵な王子様だといいわね、レイチェル。年齢差なんて大した理由にはならないから大丈夫よ」

「出会える時までに素敵なレディになれると良いのですが……」

「エルドレット、レイチェルはなかなかの大物になれそうだね」

 これではただの恋する娘だ。何を不安に思っていたんだろう?

「ルルドが来るまで不安な日々ではあったのですよ。ルルドの存在そのものがレイチェルには大きな安心になったのでしょう」

「いったいどんな風に私の事が伝わっているのか教えてくれるかい?」

「もちろんですとも、当家の古き友人、そして私たち親子にとっても新しい友人である貴女に話すことはたくさんあると思うのです」

「それじゃ、時間の許す限り教えてもらえるかい?」

「ご迷惑でなければ、いつまででも滞在してください。ここは貴女の家でもあるのですから」

「私の家?」

「エルディは貴女が我々子孫を自分と変わらず友人と認めてくれたのなら、友人として家族のように迎え入れて欲しいと・・・…いえ、そんなものがなくても、貴女はレイチェルの不安を取り除いてくれた恩人なのです。いつまでもいて欲しいし、好きな時に遊びに来て欲しい、そして我々に出来る事があるのなら頼っても欲しいのです」

 かつて受けた大恩を返していきたい、それがエルディの願いでもあったし、こうして出会い友人と認めてくれた娘の恩人に対する自分自身の気持ちでもあった。

「エルディが大げさに話を伝えているんじゃないかい?」

「それだけ嬉しかったのだと思います。そんな話も含めてたくさんの事をお聞きしたいのです」

「私も同席させてください。私も次期当主なのですから」目を輝かせてレイチェルがこちらを見つめる。

「ささやかではありますが、晩餐の用意もしてあります。ご迷惑でなければ是非」

「なら、新しい友人の好意に甘えさせてもらうとするよ」少し困ったようにルルドは微笑む。純粋に自分を受け入れてくれた、古き友人の末裔に出会えた喜びを隠しながら……。



 滞在中ルルドはウィンザルフ家との経緯を語る。

 エルディが書き残した話を訂正すべく、幼い友人の記憶についての不安を払拭する為に、それは彼女にとっても久しぶりの穏やかな日々だったのかもしれない。

 そして数年後レイチェルは出会う、夢の中で約束を交わした男性に……。



 Fin

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暗夜異聞 古き記憶…… ピート @peat_wizard

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