第二章 デュアリアス地方
第07話 311年8月 覚めない悪夢
その1 ベルミア公国臨時政府、結成
<ここまでのあらすじ>
シェラルデナ、サンディ、パテット、ジューグとケイトらの冒険者一党は、エインフォート市を狙う“魔将”ウェデリリ・ディロフォスとシトラス七騎を討ち取った。
多大な功績を挙げたシェラルデナには7年前からの悲願があった。祖国、ハーグストン王国の再興である。
ここに、シェラルデナ一行の新たな冒険が始まったのだ。
311年8月1日。シェルシアス公国エインフォート市において、ささやかな式典が執り行われた。ベルミア公国臨時政府の結成式典だ。
なぜハーグストン王国臨時政府ではなく、王国の一部であるベルミア公国の臨時政府なのかと言えば、シェラよりも上位の王位継承権者(シェラの従兄・従姉である王子王女たち)がシェラと同じくまだ生きている可能性に微かな望みを賭けているからだ。仇敵であるフョードルは王族を皆殺しにしたと言っていたが、見落としがあったかもしれないし彼が偽りを述べた可能性とてある。
(今、俺はハーグストンの一部、いや歴史の一部になった)
歴史学の学徒でもあるジューグとしては感慨深いものがあるが、自身が歴史の観察者ではなく当事者の一部になってしまったことには複雑な思いもある。だが、そもそも人の身である者に完全に公正で中立な歴史叙述など不可能だ。どうしても主観・私情・しがらみその他からは無縁でいられない。それでも、ハーグストンとシェラルデナの今後の行いについての記述に忖度するつもりなどジューグには一切なかった。
(しかし臨時政府、なぁ)
ジューグは微苦笑を禁じ得なかった。今ここにいるのは、シェラとは別にジュノー市に漂着したウィリアム・ディクソン率いるベルミアの敗残兵。一時期ベルミア州(旧ベルミア公国)アラウドネフを領していたリュリアス王家の母子がテレポーターで亡命した時に連れてきたアラウドネフの民。シトラスの蛮族からシェラ達が解放した奴隷。すべて合わせれば兵50人、民800人にもなるが、国というにもおこがましいほどの小勢力だ。
とはいえ、まぁ悪いことばかりではない。来賓として参列したのはエインフォート候女キルシュブリューテとシェルシアス公家のカンファ公子。シェルシアス公国はフェルライザ地方の人族国家のなかでも随一の規模を誇る大国だ。魔将ディロフォス討伐とエインフォート市の防衛、シトラス市の奪還においてシェラ一行はシェルシアス公に大きな貸しを作った。それに今後も、シェルシアスの南にあるドレイクの大領シェザリア藩王国やシトラスより東の蛮族領域のことを考えれば、ベルミア公国臨時政府を無下にはできないはずだ。
ささやかな式典が終わり、エインフォート市郊外のベルミア公国臨時政府公館に戻ると、ウィリアムが恭しく言った。
「シェラルデナ殿下」
彼はかつて、シェラの父ベルミア公に仕える伯爵だったという。しかし、滅亡直前でも人口24万人を誇った―大破局以後の現在のラクシアでは、人口10万人もいれば文句なしの大国だ―ハーグストン王国においては、伯爵と言えど『おらが街の殿様』に過ぎなかっただろう。本来ならば、地元の史料館やら博物館やらに肖像画や遺品が残されば十分な程度の人物だ。皮肉にも、祖国の滅亡が彼を歴史の表舞台に引き上げることとなった。
「我らベルミア衆、寡兵なれども意気軒昂にございます」
「うんむ! ウィリアム卿!」
胸を張って応じるシェラに、ウィリアムは続けた。
「例えデナーレが10万の兵を擁していようと、心意気では負けませぬ」
(心意気では、な)
ジューグとしては、どうしても冷ややかな感想を抱かざるを得ない。デナーレの兵を少なめに1万人と見積もっても、兵50人ではどうしようもない。
「心意気で戦争に勝てるならこんな楽な事無いよねえ。ていうか何、デナーレに喧嘩売るの?」
パテットが訊くと、ウィリアムは首を横に振った。
「さすがに、今すぐというのは匹夫の勇もいいところかと。やはり頭数は必要でございますな」
どうやらジューグが思っていたよりも、ウィリアムは冷静だったようだ。
「そうだよな……戦力は少ないよな」
シェラはため息をついた。
「じっくりと力を蓄え捲土重来の時を待ちたいものです」
まあそもそも、311年8月現在、デナーレ王国のある(そしてハーグストン王国の存在した)アルフレイム大陸から現在シェラルデナたちのいるケルディオン大陸に漂着することはできるが、その逆はできない。(ルールブックⅡP312『“帰らずの大地”ケルディオン』参照)破壊されたジュノーのテレポーターを修理するか、他にアルフレイム大陸に通じるテレポーターを探すか。あるいは、海流の影響を受けない飛空船か……ともあれ、デナーレとの戦争はずっと先のことになりそうだ。
「少なくとも皆の忠と腹は私が満たすことを約束する!」
シェラルデナは請け負った。
俺たちはシェラにとって十分じゃあったが、不可欠じゃなかったな。
ジューグ・アトロクスは、後にそう回想する。後世、シェラルデナ四天王と称されるサンディ、パテット、ジューグ、ケイトではあるが、もしもシェラが商都アガタやシェルシアス公国の都ユーゲニアあたりで仲間を集めたとしても、遅かれ早かれ彼女は事を成し遂げていただろう。
歴史学者としてのジューグは代わりにベルミア三傑を挙げたい。まず一人は、ベルミア臨時政府の政治面を牽引し、シェラの留守を守った老臣ウィリアム・ディクソン。
では、知の面においてシェラを支えたのは……
その彼女は今、気を失って倒れていた。ショートボブの、美人というより可愛らしいと言うべき容姿で、白衣に包まれた身体は小柄ながらも出るべきところはしっかりと出ている。
ただし、その肌は青く、頭と肩からは角が生えていたが。
8月7日。
先のシトラス戦役で崩壊したベイル洞の住民に海中都市ジュノーへの移住を勧誘するなど政務に精を出していたシェラに、一報が届いた。
シトラス付近は北の混沌海が南に食い込んだ湾になっており、東に進むと西デュアリアス山脈が海に突き出ている。その山脈を越えればデュアリアス地方だ。シトラスを奪回したとはいえ、その東側へは未だ人族の支配は及んでいない。その地域に対して、探索のために冒険者を送ったのだが……
「冒険者が、蛮族の支配していると思しき砦と村落を発見しました」
ウィリアムの娘でシェラルデナの一の騎士を自負するノエルが、緊張した面持ちで言った。
「蛮族の数はおおよそ50、支配下の奴隷数は200と推定されます」
「人族の奴隷が酷い目に遭ってるなら、救出したほうがいいねえ」
パテットが騒がしいペットの不審鳥……もといスズメどもをしまい込みながら、言った。
「まあ奴隷でも良い立場の人もいるだろうから、本人の意思はしっかり確認しといたほうが良いよー」
「良い立場の奴隷って大抵他の奴隷を踏み台にしてるよね」
サンディは皮肉っぽく言った。
「社会の縮図だ。貴族社会も概ねそれで成り立ってる」
「で、どうする?」
ジューグが視線を向けると、シェラは答えた。
「まずは成すべき事を成そう」
結果はなんともあっけないものだった。
発見者の冒険者一行の案内で件の村落に乗り込み、詰所にいるボルグたちを軽く制圧すると、集落を治めているのはクラミドというディアボロであることが判明する。
動揺させるために砦に火を放つと、彼女は慌てて飛び出してきた。
「え?何?なにー!?」
クラミドは、何が起こっているのかよくわからないままに叩きのめされてふん縛られた。
「よし、ノエル! 我らが旗を持て!」
「はっ」
ノエルが旗を取り出して翻す。
「聞け! 本城並びに城主クラミドは、シトラスを解放せし我らがベルミアの手にあり!」
シェラが高らかに宣言すると、残りの蛮族たちは戦意を喪失し、逃げ散ってしまった。
意識を取り戻したクラミドは「ふぇぇ」とディアボロらしからぬ情けない声を上げた。
「えー?ちょっと君たち何者?」
「遠い大陸から流れてきた椰子の実ことパテット・パーム・プルシュカだよ」
「シトラスの解放者ってところかな?おっと変な素振りを見せると風穴が開くよ」
サンディがクラミドに銃口を押し付けながら言った。
「シトラス……」
「既に傘下の蛮族は全部制圧、降伏した。奴隷の首輪に関して吐いてもらおうか」
「うー……首輪の鍵ならポケットに入ってるけど。ふひゃあ!?」
パテットに容赦なく身体をまさぐられてクラミドは悲鳴を上げた。
「鍵ゲットー」
「おーい、どうだった?」
シェラはノエルと共に村落の奴隷たちを呼び集めてきた。
「鍵は手に入ったよ。とりあえず奴隷たちの首輪を外して回ってくるねー」
「パテット、慎重にな! すぐさま自由にさせるのが得策じゃない場合もあるからな!」
「だね。明らかに喜んでない奴は外さずに様子見るよ」
「それで、クラミドだったな」
シェラは困惑しているクラミドに声をかける。
「私はシェラルデナだ。見慣れぬ格好だし、籠りがちみたいだけど何してたんだ?」
「……学術だよ」
「つまり賢いってことか!専門はなんだ?」
「化学とか……」
「そうか。ここは研究施設かなにかか?」
「ううん。僕、父さんから使えない奴扱いされたから」
クラミドは少し寂しげに笑う。
「捨扶持ってとこか」
そう言うと、ジューグの脳裏に新たな疑問がわいた。この辺で娘に捨扶持を与えられるディアボロ……とは?
「なるほどな。どうだ?私たちの下で働いてみないか」
「なーに?スカウトするつもり?」
サンディが訊くと、シェラはうなずいた。
「えぇ……いいのかい?」
「種族は関係ない。己の生で何を全うするかが重要だと私は思う」
「……そっか。うん、ありがと!」
「そりゃいいんだがな……」
ウデクの蛮族集落とも同盟したし、ミノタウロスウィークリングのフリーシア一派の帰順も受け入れたし、その辺は今更驚くことではない。
ただ、彼女は。
「なあ、あんたの親父さんだが」
ジューグが言いかけると、クラミドは首を横に振った。勘当された時に縁は切ったということか。
なお旧クラミド領の奴隷たちは、一部は残留を希望したが、大半はベルミアに合流することになった。
旧クラミド領より帰還してから数日後。ピアナとユリシーズが訪ねてきた。
ピアナはレプラカーンの女性で、元はシトラスの浮民だったが蛮族軍の船に密航してジュノーに潜伏し、シェラ一行と遭遇して後にエインフォートのマギテック協会に職を得た。
ユリシーズはエルフの男性で、レッドウッド・トゥーソン商会の共同経営者の一人だ。シェラ一行とは護衛を依頼するなど何度か縁がある。
「今日はどうした!」
「ど、どーもっ」
「いやぁ、皆さんにはずいぶん儲けさせてもらってるんでね、その礼にね」
ユリシーズによれば、海はパラス(マーマン)、陸はウデク(ダークドワーフやライカンスロープ、アルボル、リザードマン)と取引先が拡大して、急激に業績を伸ばしているという。
「これも縁あってだな! これからもよろしく頼むぞ!」
シェラが朗らかに言うと、ユリシーズは「それでねぇ」と言った。
「パラスも元は海中都市って話で、何か使えるものはないかクルピアさんに捜索を頼んでたんだ」
クルピアとはマーマンの女性で、先日シトラス七騎との戦闘で共闘した仲だ。
「そ、それでマギテック協会でいろいろ鑑定したんですよ。そしたら……」
「そしたら?」
ピアナはおずおずと答えた。
「海中船の操船マニュアルを発見しまして」
海中都市ジュノーの港には海中船(潜水艦)が残されていたが、操船方法がわからないので放置していた。
「ああ、例の奴だな!」
「おー、それジュノーでほしかったやつ!」
「いいじゃんいいじゃん」
パテットとサンディが思わず身を乗り出す。
「えっとそれで……」
ピアナはしばし逡巡したのち、意を決した。
「私を操縦士にしてください!お願いします!なんでもしますから!!」
「もちろん、その気概を買うぞ!」
「ありがとうございます!」
ピアナとシェラ一行は海中都市ジュノーの港湾地区に移動した。ピアナはサンディの助けを得て、海中船の起動準備を進める。
「準備ができたら、管制室と通信してドック内に注水してもらいますね」
「それ手順と作業の安全を徹底しないと死人が出そうだな……」
「……ですねー」
「注水前には確認が必要だな」
シェラの危惧にジューグが応えた。
「おっけー、海底地形の地図がないと怪しいけど海底地形の探査は……どうすんだろ」
計器を見ながら、サンディ。
「魔力で探知するとか?ほら魔動機って魔力で外界を認識するって言うし」
隙あらば要らんところに行こうとする不審鳥たちをしまい込みながら、パテット。
―便利だな魔力!―
ドック内に第三者が入り込んでいないか確認した後、ピアナは操縦席に座った。
「こちら海中船、ドックへの注水開始願います」
『了解、注水開始します』
ドッグの四隅から海水が流し込まれ、ドックを満たしていく。
「こちら海中船、ゲート開放を要請します」
『ゲート開放します。良い旅を』
振動と共に、外海へのゲートが開かれる。
「……発進します!」
艦橋の操縦席前方には、外部の状況が画像として映し出される。
「各計器、今のところ異状なし」
「おお、海底地形が立体的に見える」
「なんか水中に放り込まれたような気が」
「世の中、凄い技術があるんだな」
「これが数百年前のものだってのがまた凄いねえ」
海中船は水中をゆっくりと進み始める。
「そういえばこの船って名前あるの?」
サンディが訊くと、ジューグは頭をかいた。
「そりゃ、当然元の名前はあったと思うが……」
「何かつけたい名前があるなら言ってくれていいぞ!」
「まあジュノーで見つけたものだし、エルフ語に崩して”公女殿下の”ジュノン号とかどうかな」
「サンディたちがいいならそうしよう」
特に異論が出なかったので、<ジュノン>号で決定した。
数時間後。試験航行は滞りなく進んでいた。
「!前方に人工物発見」
「人工物だとわかるのは何故?」
「ドゥーム系の波長が出てます」
パテットに対し、ピアナが答えた。
「稼働してる?」
ピアナの肩越しに、サンディ。
「いえ、バラバラに壊れた残骸です。マニピュレーターで回収可能ですけど……どうします?」
「資源になるかもしれないから回収して」
「普通に魔動機の部品て売れるよねー」
「そちらの席からマニピュレーター動かせますので、お願いします」
パテットが操ったマニピュレーターは魔動機を掴んだが、取り落してしまった。
代わってサンディが操作すると、回収に成功した。
「後部デッキに下ろしました。排水したら見分できますよ」
「おっけーおっけー」
「なにがでるかな なにがでるかな」
サンディとパテットが艦橋を飛び出し、シェラ達が後に続いた。
その残骸は海藻やフジツボまみれになっているが、確かに魔動機の面影があった。
「お、こいつは……エアロドゥームって奴だな」
「空飛ぶ魔動機だね」
「何者かに破壊されたようだな」
ケイトが言った。
「どうしてこんな海底に沈んでるんだろうな。上空で戦闘でもあったのか?」
「破壊されたのは大破局時代?」
「そこは調べてみないとな。お、これは……たぶんエンブレムだな」
ジューグが装甲に施されたエンブレムを示すと、シェラとノエルが顔色を変えた。
「ハーグストン王家の紋章です!」
「なんでこんなとこに……」
「でもなんでだ!? 考えられるとしたら……共和制時代か?」
「大破局の頃までは、共和政になってたんだっけか」
「そうだぞ! よく覚えてたな、えらいぞジューグ!」
「お、おう」
「まあつまり、僕等が手に入れても問題ないって事だね」
パテットはやはりパテットであった。
『救難信号を確認しました。あ……そんな!?』
ピアナの困惑した声と共に、船がぐらりと揺れた。
「今度は何!?」
悲鳴交じりに、サンディ。
『操舵が!舵が効かなく……加速しています!』
「あ、これ何者かに操られてるやつだ」
「潮流か?」
『わかりません!』
「……笑えないな! どうするんだ?」
「掴まれ、シェラ!」
ジューグが手を伸ばす間もなく。
一行は、一瞬宙に浮いたような不思議な感覚を得た。
「ひえっ」
「こういうのは慣れないぞ!」
『……みなさん、大丈夫ですか!?』
「なんとかな」
ケイトが周囲の面々を見回す。みな目立った怪我はないようだ。
『<ジュノン>停止しました。深度は……浮上しています!』
(つづく)
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