第39話:制服の人魚

渡辺莉奈は孤独だった。

10歳で子役としてデビューを果たした彼女は、地元では少し有名で、たくさんの大人たちに囲まれる生活を送ってた。

そんな莉奈に対し、同級生たちは必要以上に持ち上げたり、なんとかして取り入ろうとする者も少なくはなかった。

自分へと向けられる好意の正体が『渡辺莉奈』個人としてではなく、『芸能人』という肩書きに向けられていることに莉奈自信も気づいてはいたが、決して口には出さずそのままを受け入れていた。

誰も本当の自分には興味がなく、あるのは芸能人との繋がりなのだと。

だから、自分はその言葉一つ一つに振り回されることなく、ただ上手く取り繕っていけばいい。

それこそが芸能人として生きていくということなのだと幼いながらに悟っていたからだ。

渡辺莉奈は必死に『良い子』を演じていた。

けれど、それは常に自分ではない何者かを演じるということであり、本当の自分を誰にも見せることのできない孤独な生き方でもある。


結局、そんな生活に莉奈は耐えることが出来なかった。

莉奈は両親の反対を振り切って、中学三年生の夏頃には莉奈は芸能界を引退した。

莉奈の両親もこれまで莉奈の活動で得てきたものが多く、莉奈に対して強くは出れなかった。

そして、半ば強引に親元を離れた莉奈は、坂之上女子高等学校に進学することを決意したのだった。

新しい地で周囲の目を気にする必要もなくなった莉奈はようやく自由を手に入れた。


入学式の日の放課後。

莉奈は真っ直ぐ家には帰らず、日が沈んでからも初めての街をぶらぶらと歩いていた。

LEDが眩しく光る街の中を歩く制服姿の少女は一際異彩を放っていた。

そんな莉奈を見て誰かが言った。


『制服を着た人魚のようだ』


街に溢れる雑音の中で聞こえたこの言葉を莉奈はひどく気に入った。

知らない人たちばかりの温かくて小さな世界。

誰からも期待されないし、期待なんかしなくていい世界。

太陽の光も僅かにしか届かないような深い深い海の底のような、まるで時間が止まっているような不思議なこの世界。

たった数時間で莉奈はこの街が好きになった。


ハンバーガーショップでポテトを食べながらそんなことを考えていると、莉奈のことを遠くから見つめる二つの影があった。

莉奈と同じ坂女の制服を着た二人組はゆっくりと莉奈に近づくと、声も掛けず莉奈の肩をポンッと軽く叩いてみせた。


莉奈「きゃっ」


突然、肩を叩かれて莉奈は思わず叫び声を上げてしまった。


??「あ、ごめんごめん。驚かせるつもりはなったんやけど」


莉奈は警戒するようにキョロキョロと二人組の顔を交互に見ていた。


莉奈(あれ…この制服、うちの高校の)


??「だから言ったじゃん。放っておきなって」


??「せやけど、こんな時間にうちの生徒が一人で居たら心配やん?君、坂女の生徒やろ?もしかして一年生か?」


莉奈「そ、そうですけど…」


??「いきなりでごめんな。うちは三年の武元って言うねん。こっちは天ちゃん」


二人組の正体はダンス部の武元唯衣と山﨑天だった。


唯衣「お節介やとは思うんやけど、こんな時間に制服着たまま一人でおったら危ないんとちゃう?迎えでも待ってるん?」


莉奈「いえ、一人暮らしですけど…」


唯衣「へー、そうなんや!一人暮らしって大変そうやなあ。けど、入学初日からさすがにハメ外しすぎじゃない?悪いことは言わんから早くお家に帰りな」


莉奈「関係ないじゃないですか。それに、先輩たちだって今から帰るんですよね?人のこと言える立場なんですか?」


街の雰囲気にすっかり飲まれていた莉奈は強気な態度に出てしまっていた。


唯衣「お~、怖。どうやらこの子は『良い子』じゃないようですなあ」


天「…なにをニヤついてんのよ」


唯衣「この子、誘拐してみない?」


莉奈「え?」


天「…出た。お節介おばさん」


唯衣「おばさん言うな」


そう言うと、唯衣は莉奈の腕を力強く掴んだ。


莉奈「ちょっと、なんなんですか!」


唯衣「今からさ、学校に侵入してみない?新入生だけに」


天「ぷっ(おっと、笑っちゃった)」


莉奈「…どういうことですか?」


唯衣「うちら、帰るんとちゃうんよ。今から学校行くところやねん」


莉奈「こんな時間に?何しに行くんですか?」


唯衣「そんなん、踊るために決まってるやん」


莉奈「は?」


唯衣「いいから、いいから」


唯衣は強引に莉奈のことを引っ張ると、そのままハンバーガーショップを出ていった。

そんな唯衣のことを呆れた様子で見ていた天もなんだか楽しそうな表情を浮かべていた。

最初は何度か抵抗を繰り返していた莉奈も、いつの間にか抵抗することを諦め、大人しく二人に付いていくことにした。

そして、三人が坂女の校門の前に到着すると、もう一人、制服を着た生徒が現れたのだ。

それはダンス部二年生の遠藤光莉だった。


光莉「もう、二人とも遅いですよ。って、あれ?誰ですか?その人は…」


唯衣「誘拐してきた」


光莉「え?」


天「新入部員よ」


莉奈「は?」


唯衣「さすが天ちゃん!よっ!お節介おばさん!」


天「おばさん言うな」


そんなやり取りをなんだか嬉しそうにしていた天は、鞄を校舎の方へと投げ入れると、勢いよくフェンスを越えて学校へと侵入していった。

後に続くように、唯衣も軽々とフェンスを越えていく。

目の前の光景に呆気に取られていた莉奈だったが、不思議と心が踊っているような感覚だった。

そんな莉奈の目を見た光莉は一年前の自分を思い出して静かに微笑んでいた。


光莉「行こっか」


莉奈は光莉が差し伸べた手を掴むと、ゆっくりとフェンスを越えていき、夜の校舎へと消えていった。


まだまだ家に帰らない。

今だけ楽しければいい。

いけませんか?


なんにも期待なんかしないで。

私は何もないただの女子高生だもん。

子供でもなく、大人でもない、中途半端な存在。

それで構わないの。

だって、私は私でしょ?



続く。

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