第34話:絶望の一秒前
夕暮れ時、空に輝く一番星を見上げる少女の絵。
まだ半分も色付けされていない未完成の絵を眺めていた井上和は、首を横に振るとその絵を真っ黒な絵の具で塗り尽くしてしまった。
漆黒の闇が来る。
微かに光っていた星たちをも全て呑み込んでしまうくらいの闇が。
和はベッドに仰向けに倒れ込むと低い天井を睨みながら思い悩んでいた。
和には天井がまるで黒い絵の具で塗りつぶされた絵のように真っ黒に見えていた。
和(私が描きたい絵って、なんだっけ…)
和は絵を描くことが好きだった。
小学生の時に絵画コンクールで入賞するほどの実力で、自分の描く絵にも自信があった。
けれど、中学に進学すると、自分は宇宙に存在する無数の星の一つに過ぎないのだということに少しずつ気づいていった。
和は自分のことを一番星だと思っていたが、一番星は最初に輝く星であり、最も輝いている星というわけではないのだ。
和(私って、周りからどう見えてるんだろう…)
自分が持っていない才能を持っている人が羨ましかった。
決して和は周囲より才能が劣っているわけではないが、特段秀でているものがあるかというとそう言えるほどの自信はなかった。
これ以上、明るく輝けないのであれば、誰の光も届かないくらい漆黒の闇の中に閉じ籠った方が楽になるのかもしれない。
そんな思いから、和は未完成の絵を黒く塗りつぶしたのだった。
コンッ コンッ
和の部屋の扉をノックする音が聞こえる。
ノックをしたのは和の姉である井上梨名だった。
梨名「開けるよ~」
和「返事する前に開けないでよ、お姉ちゃん」
梨名「ええやん。見られて困るようなもん無いやろ。それとも、何か見られたらまずいもんでもあるんか?」
和「別に無いけど…で?何か用なの?」
梨名「せや、せや。純葉ちゃんが遊びに来てんけど、部屋に呼んでいいか?」
純葉とは和と同じ美術部の友人である向井純葉だ。
和「純葉が?来るなんて連絡来てないけど…いいよ、私が玄関まで行くから」
純葉「ごめん、もうここまで来ちゃった」
和が立ち上がろうとしたところで、純葉が部屋に入ってきた。
和「ちょっと、純葉…また勝手に上がってきたの?」
純葉「いいじゃん、いいじゃん。うちらの仲なんだから、ねえ?お姉さんもそう思いますよね?」
梨名「うん、純葉ちゃんならいつでも大歓迎やで。もう、うちの養子になったらええねん」
純葉「あー、それ良いかもです~。うちだとお姉ちゃんとしょっちゅう喧嘩しちゃうんで」
梨名「葉月先輩、喧嘩なんてするんや。そんなイメージなかったけど」
純葉「します、します!お姉ちゃん、うちだと鬼みたいに怒ったりするんですよ」
純葉の姉、向井葉月は坂女のOBであり、梨名が一年生のときに三年生で、同じ軽音楽部に所属していた。
和「ちょっと、ここ私の部屋なんですけど…勝手に二人で盛り上がらないでくれる?で、純葉は何しに来たの?」
純葉「あー、そうだ、そうだ!志望校ってもう決めた?うちは坂女一択なんだけど」
和「まだ決めてない…純葉は坂女でも美術部に入るの?」
純葉「もちろん。そのために坂女を選ぶんだから。あそこ、絵が上手くて若い先生が入ったっんだって」
梨名「美術の先生?たぶん、金村先生のことかな?めっちゃ美人な先生が入ったんよ」
純葉「そうそう!そうなんですよ!どうせなら絵が上手くて美人な先生に教えてもらいたいじゃないですか~」
和「動機が不純よ…」
純葉「いいじゃん、別に。私は楽しく作品が作れたらそれで十分なんだから」
和「楽しくって…コンクールとかで入賞するためとかじゃないの?」
純葉「あー、無理無理。それこそ小学生のときは入賞とかしたことあるけど、現実から目を背けないで言っちゃうと、今の実力じゃあ箸にも棒にもかからないから」
自分と同じような境遇なのに、どうして純葉はこんなにもケロッとした態度なのだろうか。
純葉「そりゃあ、入賞するに越したことはないけどね。だからって、そればっかり考えてたら創りたいものが頭から逃げてっちゃう気がしてるんだ。周りからの評価なんて後から付いてきたりもするし、今の私は私が創りたいものを私のために創るって決めたんだ」
和「自分のために…私が描きたいもの…」
純葉「和、絵を描くの止めようとしてるでしょ」
全てを見透かされているようで、和はドキッとした。
純葉「分かるよ。友達なんだから」
和「私、描きたいものが分からなくなっちゃって」
純葉「そうなんだ…けど、私がやってる切り絵も、和が描いてる水彩画もさ、自由なんだよ」
和「自由?」
純葉「うん。今すぐじゃなくても、好きなときに好きなものを創ればいいの。だから、描くのを止めたとしても、また描きたくなるときが来るかもしれない。そしたら、そのときに筆を取ればいいんじゃん?結局は和自信がどうしたいかだよ」
和「私が…どうしたいか…私、絵を描くのが好き!これだけは、やっぱり止めたくない!」
純葉「うん。その気持ちがあれば大丈夫だよ」
二人の話を黙って聞いていた梨名は、勢いよく二人を抱き締めた。
梨名「青春だね~!お姉ちゃん、泣いてしまうわ」
和「もう…お姉ちゃん、茶化さないでよ…」
ピンポーン
誰かがインターホンを鳴らした音が聞こえてくる。
梨名「はい、はーい」
和と純葉はお互い照れくさそうに笑い合った。
和「私も坂女にしよっかな」
純葉「いいじゃん!そうしよ、そうしよ!」
すると、梨名が慌てた様子で階段を掛け上がってきた。
梨名「純葉ちゃん!大変や!鬼や、鬼が来たで!」
純葉「え?」
梨名の背後にはしかめっ面をした葉月が仁王立ちしていた。
葉月「誰が鬼ですって~?」
純葉「げっ!お姉ちゃん!なんで!?」
葉月「なんでって、晩ご飯の時間でしょ。ちっとも帰ってこないから迎えに来たのよ」
純葉「お姉ちゃん!私、もう子供じゃないんだからね!放っておいてよ」
葉月「なーに、生意気言ってるのよ。中学生はまだまだ子供よ」
梨名「まあ、まあ、まあ。二人とも落ち着いて」
葉月「いのりちゃんも、鬼が来たってどういうこと?詳しく聞かせてくれる?」
梨名「あ、いや~。それは…その…何て言うか…」
三人は声を荒げて思い思いに話し始める。
和「ここ、私の部屋だってば~!!!」
和は無理やり三人を部屋から追い出すと、鍵を掛けて再びベッドに仰向けで倒れ込んだ。
漆黒の闇で覆われていた低い天井には一番星が微かに光を発していた。
続く。
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