第30話:世界にはThank you!が溢れている

ありがとう、お母さん、お父さん。

ありがとう、私の家族。

ありがとう、大切なお友だち。

ありがとう、世界中のみんな。


命があることに、ありがとう。

かけがえのない毎日に、ありがとう。


世界には『ありがとう』が溢れている。


ありがとう。


私のヒーロー。


あの日、9歳だった私の命を救ってくれたヒーローは、坂之上女子高等学校の制服を着ていた。

ぼんやりとした記憶の中で、それだけははっきりと覚えている。

顔も名前も知らない、私だけのヒーロー。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


果歩「かほりん、降臨!!!」


中学3年生の藤嶌果歩は大きな声を出しながら、幼なじみの小川彩の背中をバシンッと叩いた。


彩「いった~い!もう!降臨って、もう10分も遅刻ですけど?」


果歩「ヒーローは遅れてやってくるものなのよ」


彩「果歩はただの寝坊でしょ。まったく、寝坊するヒーローなんて聞いたことないわよ」


果歩「ごめんごめん。楽しみにしすぎて昨日はなかなか寝れなくて」


彩「もう、子供じゃないんだから」


果歩「…子供じゃん」


彩「なに?反抗期来てほしいの?」


果歩「間に合ってます」


彩「とにかく、今日は年に一度の『坂女祭』なんだからね。しかも、坂女は私たちの志望校。見学に来る他校の生徒はもちろん、私たちもみんながライバルなのよ。気合い入れて行かないと!」


果歩「う、うん。分かった!気合いだー!」


気合いを入れ直した二人は目の前に停まったバスに乗り込んだ。

バスはゆっくりと坂之上女子高等学校へと続く坂道を登っていく。

学校に近づくにつれ、賑やかそうな声や音が聞こえ始めた。

彩の気合いに押されぎみだった果歩も徐々に気持ちが高ぶっている様子だった。


果歩(ここが私のヒーローが通っていた場所か…)


彩「見て、見て!校門が見えてきたよ!なんだか緊張してきちゃった」


??「あら~、彩ってば緊張してるの?可愛い~!う~ん、今日もいい匂い~」


彩「きゃっ!」


突然、誰かに後ろから抱きつかれて彩は驚いた。

彩に抱きついたのは同級生の一ノ瀬美空だった。

美空は彩のことが好きすぎるあまり、過剰なスキンシップを取ることが多かった。


果歩「美空!あんた、いつから私たちの後ろにいたの!?彩に近づかないでって言ってるでしょ!彩が嫌がってるじゃない!」


美空「え~?ずっといたよ。彩がお家を出たところから、ず~~~とね。彩が嫌がる?嘘、嘘。そんなわけないよね?彩、私のこと嫌いなの?」


彩「べ、別に嫌いじゃ…ないけど」


美空「あ~!照れてる彩も可愛いね~!今日もえらいね~」


美空が彩の頭を強めに撫で回した。

彩は嫌がる素振りを見せながらも、美空に褒められて満更でもない表情を浮かべていた。


果歩「もう。彩がはっきり言わないから美空がこうやって調子に乗るんだよ。このまま放っておいたら、いつか美空に誘拐されちゃうんだから」


美空「出た出た。果歩のお節介なヒーローごっこ。言っときますけど、私がいつも側で見守っているおかげで、彩に変な虫が寄ってこないんですからね」


果歩「一番の変な虫はあんたよ!」


美空「なによ!やろうっていうの?」


突然、バスの中で果歩と美空が睨み合いを始めたことに、彩は焦りを隠せなかった。


彩「ちょっと!二人とも止めてよ。みんなが見てるから…あ~恥ずかしい…」


周囲の視線に気づき、少し冷静になった二人は顔を真っ赤にして急に大人しくなった。

そんな二人を見て彩が大きなため息をつくと、それと同時にバスが坂女前のバス停に停車した。

バスの扉が開くと、三人はそそくさとバスを降りて校内へと走り去っていった。


そんな三人のやり取りに聞き耳を立てていた少女がいた。

父親が空手の師範をしており、幼い頃から武術を習い育ってきた正源司陽子だ。


陽子(ヒーローごっこ…あの子、気になる!)


陽子は空手を習う傍ら、友達とよくヒーローごっこわやっていたこともあり、三人の会話を聞いて果歩のことが少し気になり始めていた。

しかし、陽子が果歩に声を掛けようか迷っているうちに、三人はバスから降りて陽子の視界から消えてしまっていた。


美空「最悪…果歩のせいで大恥かいちゃったじゃない」


果歩「なんで私のせいなのよ。元はと言えば、美空が…」


彩「二人ともいい加減にして!今日は私たちにとって大事な日なんだよ!喧嘩なんてしてる場合じゃないでしょ!」


美空「彩…怒った顔も可愛い~!もう一回!もう一回怒った顔、お願い!」


彩「もうっ!」


果歩「ごめんね、彩。目的を見失うところだったよ。私はここでヒーローに繋がる手掛かりを探すって決めたんだ」


美空「まだ諦めてなかったんだ、ヒーロー探し」


果歩「当たり前でしょ。川で溺れていた私を助けてくれた命の恩人なんだから。会って直接『ありがとう』を言える日が来るまで、私は絶対に諦めない」


彩「けど、9歳の時の記憶なんて当てになるの?本当にその人が着ていたのは坂女の制服だったの?」


果歩「それだけは間違いない。ただ、顔や名前も分からないから、何か少しでも情報が手に入ればと思って」


美空「案外、その人に妹がいて、今まさに校内のどこかにいたりしてね」


彩「えー、なんかそれ素敵だね。すっごくドラマチックだよ」


そのとき、ヒーロー話に花を咲かせる三人の後ろを小走りで駆け抜ける少女がいた。


??(寝坊しちゃった!お姉ちゃんが起こしてくれなかったら、間に合わなくなるところだった。志望校の学園祭なのに、もう私ったら、馬鹿、馬鹿!)


果歩「そんな上手い話があるかな~?」


美空「あるわけないでしょ」


果歩「もう!適当なこと言わないで。と、に、か、く!私は必ずあのヒーローに『ありがとう』の気持ちを伝えて、行く行くは私が誰かにとってのヒーローになるの!そして、この世界を今よりももっともっとたくさんの『ありがとう』で溢れさせてみせるんだから!」


世界には『ありがとう』が溢れている。

どうでもいいような、普通の言葉が、

さりげない言葉の風になって、今日も誰かの心に響いている。


果歩「かほりん、降臨!!!」



続く。

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