第21話:僕のこと、知ってる?

夏が終わり、秋が訪れる頃。

佐藤璃果は知らない街のどこかに一人で立っていた。

誰かと待ち合わせをしているわけではなく、どこかに行く目的かあるわけでもない。

璃果自信もどうしてここにいるのか分かっていなかった。

家でじっとしているのが不安で、気分を紛らすために外に出た。

ただそれだけの理由だった。


父親の仕事の都合で遠い田舎からこの街へと引っ越してきた璃果は、田舎を飛び出してこの街で一人暮らしをしていた姉の楓から薦められて、坂之上女子高等学校に転校することになった。

しかし、引っ越しの当日、あまりにも違いすぎる田舎での景色とのギャップに学校生活を上手くやっていけるか不安になったのだ。

この街は昨日までの璃果の記憶には無い世界だった。

璃果はまるで自分が記憶喪失にでもなったかのような感覚に陥っていた。


璃果(誰か私のこと知ってんか?)


この街にはまだ家族以外に璃果のことを知る者はいない。

つまり、璃果は存在していないに等しいのだ。


璃果(ここはどこ?私は…誰?なんつってな)


璃果はしばらく街の様子を眺めたいたが、楓から夕飯の時間だと連絡が入ったため、どこにも立ち寄らずに真っ直ぐ家路へと向かった。


璃果「ねえ、お姉ちゃん。明日の自己紹介、なんて言えばいいんだ?」


楓「なんでもいいんじゃない?趣味でも特技でも」


璃果「普通すぎん?こういうのは第一印象が大事やろ?」


楓「じゃあ、こういうのはどう?『国語、数学、理科、社会!皆さんが好きなのは?』それで、みんなに『璃果~』って答えてもらうの」


璃果「それ私のこと知っとらんと出来んやつじゃろ。転校初日でそんなことして引かれたらどうするんよ」


楓「だったら、自分で考えなさいよ。璃果は自己紹介よりも、その訛りを抑えた方がいいんじゃない?」


璃果「それは言われんでも分かっとるよ。もう、ええわ。自分で考えるけ」


そうは言ったものの、結局は何も浮かばずに当日を迎えたのだった。

『1年C組』と書かれた教室の前で、璃果は緊張しながらその時を待っていた。


??「どないしたん?」


璃果「きゃっ」


突然、背後から話しかけられて璃果は驚いてしまった。


??「あ、ごめん、ごめん。教室の前で立ってるからどうしたんかなと思って」


璃果「あ、あの。私、転校してきたばかりで…その…」


??「転校生なんや。じゃあ、C組ってこと?一緒やな。私、幸阪茉里乃。よろしく」


璃果「あ、はい。佐藤璃果です」


茉里乃「おっと、こんなことしてる場合じゃなかったわ。うち、寝坊してしまったから、これからこっそり教室に入るつもりなんよ。ほなね」


そう言うと、茉里乃は教室の後ろの扉の前にしゃがんで入るタイミングを見計らっていた。

すると、担任教師が前の扉を開けて、璃果を教室に招き入れた。

璃果がちらりと後ろの扉の方に視線をやると、その隙を狙って茉里乃は教室に入っていった。

担任教師は簡単に転校生であることを伝えると璃果に自己紹介するように促した。


璃果「は、初めまして。佐藤璃果です」


しばらく沈黙が続き、教室がざわつき始めた。

訛りが出ないように意識しすぎたことが仇となり、璃果は次の言葉が出てこなかったのだ。


璃果「えっと、、、」


茉里乃「先生、こっちから質問してもいいんですか?」


教師「おう、いいぞ。って、幸阪はいつの間に来てたんだ?さっき居なかった気がするんだが」


茉里乃「え?私、最初から居ましたよ」


明らかに嘘だったが、茉里乃は表情を崩すことなくそう答えた。


教師「そうだったか?じゃあ、佐藤に質問してあげてくれ」


茉里乃「好きな教科はなんですか?」


璃果「え?」


璃果の脳裏に姉の楓が考えた自己紹介が浮かんだ。


璃果「り、理科…です」


茉里乃「うーん、30点やな。この場合の正解は図工らしいで。ズコーって。この前、お笑い芸人さんがテレビで言ってたわ」


教師「幸阪、そんなくだらないこと言うためにわざわざ質問したのか?」


茉里乃「くだらないですか?助け船のつもりやったんですけど」


教師「それじゃあ誰も助かってないだろ。まあ、いいや。自己紹介はこのくらいにして、佐藤も席に着いてくれ。場所は…幸阪の隣だ」


璃果は恥ずかしそうに慌てて席に着いた。


茉里乃「ごめんな。せっかくの場を茶化してしまって」


璃果「うんうん、大丈夫。何を話したらいいか分からなくなって焦ってたところだったから」


茉里乃「なら良かった。ところで、璃果ちゃんは部活どうするん?もう何に入るか決めた?」


璃果「一応ね」


茉里乃「そうか。決まってるんか。『おもろい部』に勧誘しようと思ったけど、残念ながら無理そうやなあ」


璃果「『おもろい部』って?」


茉里乃「おもろいことをする部活らしい。うちも数合わせで入っただけやから、あんまりよく分かってないんやけどな。コントとかもやったりするよ」


璃果「へ~、面白そうだね。けど、私にはちょっと無理かも…ごめんね」


茉里乃「謝らんでもええよ。やりたいことやるのが一番なんやから。それで?何部に入るつもりなん?」


璃果「私は…」


放課後、璃果は1枚の入部届を提出した。

その入部届には『吹奏楽部』と書かれていた。



続く。

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