006

例えば。溶岩…玄武岩には磁鉄鋼が含まれていて磁場を乱すとか。樹海でコンパスがくるくる回るなんて迷信はそこから来ている。実際には全く役に立たなくなるほど狂ったりはしない筈だ。

例えば。家電類から発せられる電磁波でコンパスが狂うとか。

Kの転移システムは確かに磁場が不安定な時は使えないが、そんな些細な磁場異常で使えなくなることはない。妨害する為に人為的に乱すか、落雷くらいの強い乱れが必要だ。

「もし天然ものなら、体に悪いぞこの森」

人為的な構造物も見られない。チキュウではあまり考えられないが、何せ異世界。そういうこともあるかも知れない。

「取り敢えず磁場の安定した所まで移動して──!?」

暗い灰色のモジャモジャしたものが木陰を横切ったのを見て、Kは言葉を飲んだ。実体があるようには見えなかった。得体の知れない、陰。召喚が使えないKなど、村人A以下の戦闘力だ。しかもあんな陰となれば、aの物理攻撃だって通じるか怪しい。攻撃してくると決まったワケではないが、怪しいものには近付かないに限る。口に人差し指を当てたまま、息を殺してソレが通りすぎるのを待った。

「……なんだったの、アレ」

「さあ…」

シールもグールも知らないものらしい。

「あんなのがうろうろしてんの? この森」

墜落前に見た感じだと、それなりの広さがあったように思う。

「此処だけ局所的に磁場の乱れが強いだけかも知れないし、とにかく移動してみよう」


森の中を進むこと数分。あの妙な陰はそこそこの遭遇率で、見つける度に気配を殺して遣り過ごした。グールの索敵能力が高くて助かっている。aには基本的に危険なものを避ける(遭遇を未然に防ぐ)という能力が備わっていない。彼女にとって危険なものなどそうそう存在しない所為だろう。

「暫く歩いたが…どうだ?」

「ダメだねー。一向に安定しない」

このままだと森を出る前に日が暮れてしまう。

「アメカーヤカグーの精霊殿でもあるのかも知れないな」

「なんて?」

完全に呪文だった。復唱すら出来ない。

「磁の精霊王だ」

精霊王。先日お世話になったぺファンの主が闇の精霊王と呼ばれていたことはKも覚えている。

「精霊の王はひとりじゃないのか」

「各属性ごとにいる」

へぇと頷いてシールを振り返りながら踏み出した一歩は地に届かず。

「ひぉわ!??」

「ッ、よぉ落ちるやっちゃな…!」

足元に穴が開いていたらしく、落下しかけたKをグールが掴まえる。引き上げようと力を込めると、

「嘘やろ!?」

「えっ、ふたりとも!?」

「うぉあぁぁぁあぁあぁぁッ!!」

ガラゴロと足場が崩れて、ふたりは悲鳴と共に暗闇に呑まれていった。

からん、ころん、パラパラ…

「おーい!? 大丈夫か!?」

深く開いた穴の向こうへ声を掛ける。aの叫び声の反響は聞こえるが、返事は帰ってこない。

「うそ、どうしよう」

流石に後を追うことは出来ない。灯りも、ロープも、召喚が使えない今用意出来ない。

「…召喚が出来る場所を探して、コルードなりなんなりを召喚してからまた来るしかないな」

シールは冷静に辺りを見渡し、場所の目印になるようなものを探している。

「う、うん。そうだね…それまで無事でいてくれ…」

なるべく最悪の事態は考えないようにしつつ、aも顔を上げた。そうとなれば急がなくては。

「二の舞踏まんよう、足元には気を付けろよ」

「うん、そうだね。シールこそね?」




落ちた。

そう認識した直後、Kはグールにしがみつきながら叫んだ。

「グールちゃん縛呪!」

「!」

グールの縛呪は身体の電気操作ではなく『空間固定』だ。四肢を空間に縛り付ける。それを応用して、落下を止めた。

「はぁ、こういう使い方も出来るんや…よう咄嗟に思い付くなぁ」

「とはいえこのままというワケにもいきません。連続で使える?」

「やってみよか」

小刻みに解呪と呪縛を繰り返して底まで辿り着く。

「はぁぁ吃驚したぁ、グールが一緒で良かった。ありがとう。他なら死んでた」

盛大に息を吐いて落ちてきた方向を見上げる。遥か頭上に小さな光。この穴の壁面は苔むした石垣で、どうやら人工物のようだ。ではやはり磁場の乱れも人為的なものなのかも知れない。

「いやしかし、人工の地下施設か」

見回してみるが、暗くてあまり見えない。特にKは夜目が利かない。

「まぁ人が作ったものなら出口があるでしょ」

落ちてきた穴から出ようとするのは現実的ではない。着地地点に背を向けて、差し当たり空間が広がっている方へ進む。

──パサッ

背後から軽やかな音。振り替えると、

「へきゃめきょ きゃきゅきょ」

「───ッ!!?」

あの陰が。オチガミのようなモジャモジャした陰の分際で、まるで小首を傾げるようにしてKたちを見ていた。見ていた。目が何処かも、在るかどうかも解らないが。

「きょきょきょ めきょ」

奇妙な音を立ててそれは仲間を呼んだ。穴からパサリ、パサリと飛び降りてくる。

「見てる場合じゃない。逃げよ」

「お、おう」

よく解らないが、アレはきっと敵の類いだ。



はぁ、はぁ…

息を切らせて真っ暗な洞窟の中を走り続ける。Kには何も見えていない。ただグールに手を取られて導かれるままに走り続けてた。

落ちてから結構な時が経った。長く感じていることは確かだが、実際、もう日は暮れただろう。

「ッ」

「気ぃ付け」

倒れかけたKをグールが支えて立て直す。

「わり…」


自分の呼吸音に驚いて目が覚めた。十秒もない程の時間だったが眠ってしまっていたらしい。

額の汗を拭って辺りを見回す。洞窟の薄闇の中、ぼんやりと白く浮き上がる影が見える。それを確認するとKはその影に頭から上着を被せた。

「グール、目立つ。被っといて」

「あぁ、そか…うん」

Kの、男物とは言え小さい上着で乳白色の髪と白い肌を闇に隠す。やはりやつらには目があるらしく、視覚と聴覚情報を頼りに追ってきているらしい。

「それより…早くどうにか逃れないと。ウチ夜目利かんよ」

「夜目?」

グールが不思議そうに繰り返す。

「もしかしておまえ、今目見えてへんの?」

「あんまし。え、なんで。見えてんの?」

Kの問い返しに然も当前と肯いてみせる。

「嘘ぉ…まあ確かにグールはタペタム持ってそう…」

「何やて?」

「猫目って事」

今の状況を考慮して最短に説明を終えると、凭れていた壁から背を離した。

「じゃあグール先陣切って」

「しゃあないなぁ」

グールを先頭に暗洞を行く。一本道ということもあって、グールは迷いなく進んでいく。

やがて分かれ道に到り、初めて歩を止めてKを振り返った。

「どっち行く?」

「げ、分かれ道か…。うー、」

悩むこと二秒。Kは軽く左を指した。迷った所で正解を知らないので仕方がないと、取り敢えず直感的に左を選び進んでみることにしたのだ。

再び先陣を切って進み始めたグールが突然Kを隠すように壁に伏せた。

「っ!!?」

軽くパニックを起こし掛けたが何とか持ち直し、状況を確認しようと首を伸ばす。

「やめとき。見つかる。暫くじっとしとき」

極限に抑えた声でKの耳元に告げる。不覚にも暴れだした心音と辺りの静寂に包まれ数十秒。グールがゆっくりと身体を離した。

「行ったか」

「あ…りがと」

一瞬きょとんとした表情をしたグールだが、すぐにKを見下すように不敵な笑みを浮かべた。

「むかつく…。なんだよ。行くぞ、ほらっ」

「いやいや。大人になったようで」

「るせっ、黙れ。行くよってば」

思わず状況を忘れて普通に声を出してしまった。

「めきゃめきょ めきょきょ」

凄まじい勢いで追っ手が戻ってきた。

「げ」「ちっ」

今更手遅れではあるが、Kの口を塞いで担ぎ上げ静かに走り出すグール。色々と言いたいこともあったが、Kも黙って担がれておくしかなかった。


「重い」

「…悪かったよ」

夜目の利かないKの手を引いて走るよりは担いで持っていった方が早いと判断したのだろうが、幾ら身体能力に優れたツェク・マーナとはいえ成人女性一人を担いで足音を殺しながら走るのは重労働だ。騒いだのもKだし夜目が利かないのもKなので、文句の類は言えそうにもない。

「それで、何処此処」

「さぁな」

兎に角逃げることに重点が置かれていたので、どう走ったのかは憶えていない。身体的にも精神的にも疲労はピークに達している。いい加減この暗闇から逃げ出したい。

「…どうしよ」

せめて貝空がいればもう少しどうにかなったかも知れない。

「はぁ。溜息が出るねぇ」

「少し休んだ方がええんちゃうか」

「ん。大丈夫。実はさっきちょっとだけ寝ちゃってたし。グールこそ少し休んだら。手間取らせたし。もう年でしょ」

笑って言うと、軽く頭を叩かれる。

「基礎体力が違うわ阿呆。ええから、少し休んどき」

現在、グールは実はKよりも肉体年齢的に下かもしくは同等なのだが、どうにも忘れがちだ。グールから見れば未だKはまだこどものイメージで、互いに感覚の異なったまま会話は噛み合い流れていく。

「…むぅ。やめとくよ。下手に休めると足痛くなっちゃうし。疲れたらまた担いで貰うからグールこそ休んどいて」

「…ああ言えばこう言う…」

それでもKの言葉に従っておくことにしたようで、グールの雰囲気が少し緩和する。相当気を張ってくれていたようだ。

追われるということは、随分と精神を磨り減らす。見つかって捕まりそうになった処でグールなら撃退できるかも知れないが、今回ばかりはKがお荷物になってしまう。第一、アレは気持ちが悪くて触れたくない。

追手は近くへは来ていない。数秒に一回それを確認しながらKは目を閉じたグールを見た。

ダメ男な印象しかなかったが、思った以上に役に立つ。それに、これは昔も思っていたが……落ち着く。気兼ねなく傍に居られて、一緒にいるのが楽だ。こいつは意外に他人への気遣いが巧いのだ。言葉にするわけでもなく、こっちに気付かれないような自然体の気遣いをしてくれる。それを意識してやっているのかは知らないが、aはそういう処にも無意識ながら気付いていたのだろう。

「…サンキュ」

「あ?」

「ん。まだ大丈夫だよ」

何故だか脳裏にフェニックス君の羽の中で眠るKとグールの映像が過る。そんな過去はなかった筈だが、何処かの世界ではあったことかも知れない。

グールが頭を軽く振って姿勢を直す。

「そろそろ行こか」

「大丈夫?」

「ああ。はよ此処から出た方が落ち着いて休めるやろ」

「それもそうだ」

頷いてKも歩き出す。何処へともない薄闇の穴へ。

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