003


_神代前。草原の北西、カゼドマリの街より。





青龍ちゃんとフェニックス君で並んで四人は空を駆る。態々時を超え、十数分で満足したから還るなんてのは勿体ない。誘われるままに三人は召喚獣の背に乗り込んだ。

―若干一名、攫われるようにしてではあったが。

「折角、折角開放されたと…」

ぶつぶつと言うグールを無視しきれず、aが苦笑いで応対する。

「ごめんごめん、でもあのカミサマが勝手に連れて来たんだもん。あそこに置いて行ってもよかったんだけど?」

「それこそ勘弁。あー、このまま何事も無く終わるとは思えへん」

それは、Kを除く全員の共通見解だ。この騒ぎの元が動けば、何某かの事件が起きる。それはもう付き合いの長いaは当然のこと、シールとグールも体験済みだ。

「こんな過去に飛ばされたってだけで十分事件なんだがな」

シールがさめた瞳でポツリともらす。

「なんでー。あ。忙しかった?」

思わず宰相職に就いていたシールに向かう感覚で尋ねるK。

「いや。暇を持て余してはいた」

帰ってきたのは有閑時代のシールの言葉だ。

「んー。慣れないなぁ…」

苦笑いで応じつつKはシールを振り返った。再度懐かしい顔を認識する。変わっていないと思っていたものが意外と変わっていたという真実が、巧く定着しない。

─―そっか、今はKの方がお姉さんなんだ?

他愛もないことを考えて、視線を前に戻した。

流石に守護獣であるフェニックス君が呼べないので時越えは使えない。時越えが使えたなら色々連れて行ってあげられるのに、なんて考えた。きっとこの知的好奇心旺盛なオージサマは見たい場所が沢山あるに違いない。

「やあ、漸く街が見えてきたね」

昼過ぎの風は北国にしては暖かで、日差しは優しく空腹を思い出させる。小さく鳴った腹の音に従うようにして朱の鳥は踵を返した。


「人は変わんないねぇ」

マスカルウィンの近くまで引き返し、人目も憚らず街に降りたつ。鳥と龍を駆って空から現れたKたちに街の住人は好奇の目を隠さない。それがティフェレトの一件を思い出させて懐かしい。

「そうだな…」

寄ってくる人々の、行動や大筋の言語、形は現代となんら変わりはないようだ。ただ、Kとaにはただ見慣れない衣装だとしか思わせないその格好が、シールに此処が過去の世界であると認識させる。素材だったり造りの粗さだったり、着こなしや化粧の仕方も今とは違う。グールに至っては何を考えているのか、人々をじっと見つめたり虚空を眺めたりを繰り返している。

野次馬を引き摺ったまま、四人は町並みを眺めて歩く。

「やぁ本当、懐かしいね」

多少ウンザリ気味に洩らすKに、それ程過去でもないだろうとシールが突っ込むが…。

「あー、やぁ、だから、過去なんだよ。ウチ等にとっちゃ」

時間的認識の差は大きく、なかなか簡単には埋まらない。

「そうだったな」

Kたちから見てシールとグールは外見が違うのでまだ解りやすいのだが、彼らから見ればKもaも大して外見が変わっていない。aの髪が長くなっている程度だ。マルクト・ゲートを潜った影響で、当時から体年齢がそうは変わっていないので仕方がないのだが…。思うより、中身は変わってしまっているものだ。外見に変化が見出せないからこそ、この間別れたばかりだという認識のままでは彼らは近い内きっと痛い目を見ることになるだろう。


昼下がりの平和な街の一角。Kたちが美味しく銘菓を頬張っていると、街中に悲鳴が響き渡った。

「―─え?」

視界の片隅に燻る黒い煙。

「あー、火事だ」

「の様だな」

aが軽く腰を浮かす。ただの火事にしては様子がおかしいと気が付いたのだろう。

人々は、遠くの火事だというのになるべく遠ざかろうと走り去る。誰も火を消しに行こうとする者は居らず、ただただ悲鳴を上げて逃げ回っている。

「……?」

「何か変ちゃう?」

様々な物が燃える独特の焦げ臭さが鼻を突く。鼻のよいグールは特に厳しい顔付きになっていた。

「どうしよ。何か来るよー」

暫く人々が逃げ惑う様を眺めていたが、手の中の揚げ菓子がなくなるとともにKも立ち上がった。

街の半分を取り囲んだ火の手。逃げ惑う人々の奥から、悠々と歩く影が見える。その影は静かにKたちの許へと向かっていた。

「本当に…問題ばかり引き寄せるな、おまえらは」

軽く溜息を吐いて、漸くシールも立ち上がる。

こういうのも逆光というのだろうか。炎を背負い姿のよく見えないその影は、正しくこの街に禍を運んで来た死神のように見えた。

火が完全に街中を包み込む。逃げようともせずその中に残ったのはこの広場に集った五人のみ。

炎の中から現れた死神は、白髪といって差し支えないほど薄い飴色の髪に、少し深めの琥珀色の瞳をした華奢な少年だった。

「うわぁ、キレーな…」

思わずKが感嘆の声を漏らす。シールが冷めた視線を向けたが、気付いているのかいないのか、Kは変わらず感動の瞳でその少年を見ていた。

「確かに」

K程大胆じゃないにしろaも小声で同意する。焼けゆく街を無表情に眺めているその横顔は、誰しも見蕩れる程に神秘的だった。

「炎は全てを無に帰してくれる。綺麗だと思わない?」

顔をKたちに向けぬまま、少年はそう語りかけてきた。Kが軽く目を見張る。シールは表情を変えることなく、aも微かに眉を顰めた程度だったが、グールの顔には素直に「うわ、コイツヤバい」と書かれている。

「こんにちわ、お兄さん方。炎に巻かれて、何の会合?」

少年はKたちに微笑みかける。色素の薄い整った顔が、炎に照らされてゆらゆらと照る。Kはぼんやりと、彼はツェク・マーナなんだろうかと思った。しかしその言葉に特有の訛りはない。それに、何百年もの時の隔たりがあるにも拘らず、若干の違和感もなくその言葉は聞き取れた。

「やぁ…、炎を背負って遊歩するお兄さんがあまりにもキレイだったから、見惚れてたのさ」

誰も口を開かないので仕方なく返したKの言葉に、少年はゆったりとした笑みを深めた。

「うん、死を運ぶ者っていうのは、何であれキレイだよね」

言って、少年は炎の中に躊躇いなく腕を突っ込んだ。

驚く余人を余所に、彼が炎の中から引き出したのは無色の大蛇。

「折角だから、紹介するよ。オレの相棒…」

実体なき大蛇は彼の腕に纏わりつく。シールは瞳を細めて大蛇を見つめた。何某かの精獣には間違いない。だが此処まで大きく、更に、色を持たないものは聞いたことすらない。無色というのは、精霊や神、玄獣等の特異な存在にとって最上級の力を持つことを意味する。そんな精獣を、杖も使わず容易に従えているこの少年に一抹の畏怖を覚える。

そして、続く言葉に四人は揃って絶句した。

「マスカルムっていうんだ」

「え?」

大層慣れ親しんだ言葉に似た音を持つその名前に、Kとaは眉を顰める。振り返ると、シールとグールは苦い顔をして頷いた。

「え、あ、やっぱりそういう事?」

マスカルム。それは今では一つの土地を示す言葉の語源。かつては死の神と呼ばれたものの名前。「大胆な名を付ける」と笑い飛ばすには、目の前の少年は不吉すぎた。

死を運ぶ者と先程少年は名乗った。成程。「マスカルム」を連れているのなら、それは確かに「死」を運ぶ者。

「じゃあ、キレイな死徒さん。貴方は何て名前なのかな」

「オレの名前?」

ぐぉ、と周りを囲む炎が揺れた。色素の薄いその瞳は周りの炎を反射して、赤暗く揺らめく。いつの間にか火の手は近く、汗ばむ程傍にあった。

「まぁいいか。冥土の土産って奴だな」

少年はもったいぶって、マスカルムに囁き掛けるように名を告げた。

「クェイネルバロウ。でも、そうだな。その死徒と言う呼び名は悪くない」

「くぇ…?」

「けいねる…?」

Kとaは眉を大仰に顰めながら復唱する。だが、上手く出来はしない。

「くえ…け…くぇ、――ぁあ、えーとキョロちゃん。で、結局放火犯はキミなんだ?」

「きょろ?」

名前を呼ぼうとすると、くぇ、くぇと鳴かされるのでキョロちゃん。単純で混迷を極める命名だ。

発音が出来ないのでaもKに倣うことにした。

「そう、キョロちゃん。そろそろ熱くなって来たから、この火事、収めちゃってもいいかな」

「な」

絶対優勢だと思い生命を摘み取りにやって来た死の使いは、此処に至り漸く何かがおかしいことに気付き始めた。いつもの、自分に向けられるべきあの感覚がない。死を運ぶ自分に対して彼らからは恐怖や畏怖、恨み、懇願、そういった馴染んだ感情を感じない。

ヴぉん。

大気が振動したかと思うと、クェイネルバロウが嘗て見たこともない光景が其処にあった。

歪に歪んだ空間。捩じ切れた『穴』から放たれる数匹の蒼竜。彼らは空へ舞い上がり、優雅に空を泳いで雨を降らせる。

炎は勢いを失い次第にただ燻る煙と成り果てた。

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