002


_神代前、マスカルムの草原、上空より。




「―─これは…」

激しい既視感。aが引き攣った声を出す。同時に、二人の落下は始まった。

「懐かしいーッ」

「でしょー」

叫びながら落ちていくaとK。ただ十年前と違うのは、今はもう飛行能力を身に付けているということ。

ヴォン。

大気を振動させてフェニックスと青龍を招ぶ。その背に跨ると、溢れた冷や汗を拭って上空を振り仰いだ。其処には空間から顔だけ覘かせたサリルス。彼女は悪戯な笑みを浮かべその手を突き出し…

「忘れ物だよ」

「!?」

笑いながら消えた彼女の後に現れたのは、見慣れぬ懐かしさのシールとグールだった。

「えー…と」

Kが首を捻っている間に、二人は落下を始めていた。

「あ」

「やべ、K!助けないと」

「あ、うん。そっか」


少し飛んでから、果てしない緑に包まれた草原に降り立った。

「うーん…」

納得いかなげにシールとグールを観察するKとa。拾い上げた二人は、若かった。

「若い…」

「若いね」

十三年前の、懐かしい顔が目の前にあった。昔から変わらないと思っていたが、成程、こうして見比べてみるとそれなりに変わっていたらしい。それはそうだ。十代と三十代が同じ顔なワケがない。

「若い? おまえらこそどうした。この前還ったばかりじゃないか」

状況も理解できないままシールが眉根を寄せる。

「いや、若いわ!」

「K、落ち着け、K」

aが呆れてKの肩を掴む。

「声!声が違ぇもん!!」

aとてそう思ってはいたが、自分より興奮状態にある人間がいると醒めるものだ。

「えーと、Kがマスカルウィンが緑な処が見たいって言い張ってね、また来たんだよ」

「もう十三年も経つっていうのにまだ全然死んだままじゃん。過去か未来に救いはあるのかなーって思って」

その遣り取りに、何故か男達は怪訝な顔をして見せた。

「マスカルウィンて…あそこ、まだ入れんやろ?」

「あぁ。玄霊が居なくなったと知って立ち入った人間が数人発狂したと聞く」

「………へ?」

どうにも、会話が噛み合わない。

「えー…と」

何と訊けば良いのか、暫し考え。

「ね、ウチらが貝空手に入れてから、どのくらい経ったかな」

返ってきたのは、驚くべき答えだった。


「つまり、おまえたちは未来から戻ってきたって事か?」

「そうなるね。アタシたちからしたら、そっちが過去から連れてこられたって事になるんだけど」

頭が痛い話になった。

「じゃあ体が若返っただけってわけじゃなくて、二人は精神的にも若いんだ」

疲れた顔でKが吐き出すように言った。

「はあぁ、なんでまた態々…」

「なんやよう解らん」

理解を諦めたグールに、Kが冷めた目をおくる。

「読めた…。ち。何か楽しくないな…」

「K?」

いつになく協力的だったジズフと、時代を遡って連れて来られたシールとグール。

「覚えてない? ティフェレトに貼ってあった、ジズフの絵」

aは首を捻った。そこまでしっかり見たわけでもなく、はっきりとは覚えていない。

「首輪。グールの首輪付いてたよね」

「あー、うん。それが?」

言われてグールが首紐に指を掛ける。

「この前石砕けちゃったじゃん」

「あー、そう言えばそうだね」

そう考えると、ジズフが男神なのはKが少年に間違えられ易かったからではないのだろう。今のKを男に間違えるには無理がある。勿論aに至ってはKより無理だ。華奢すぎる。

「どういう事だ?」

寧ろ何の話だというようにシールが口を挟む。

未来の話となればシールには知り得ないことばかりで、理解が出来ない。

「あ、や、あのね? 覚えてる? ティフェレトでさ、ウチらがジズフのモデルだって話あったじゃん」

「ああ」

Kたちにしてみれば遠い過去の話でも、シールにしてみれば先日の内容である。特に記憶力のいい彼が、忘れているわけがない。

「ぁあ…成程」

たったそれだけで推測にまで至ったらしく、納得したように頷いた。

「一人で完結すな。何や、ついてけん」

「うん、だから、これから過去に行ってジズフになるんじゃないかって話したの覚えてる?」

「―…?」

覚えているわけがない。そのとき彼は興味がないといって寝ていたのだから。

「まあとにかく、そういう話があったんだけど。その後過去へは行かなかったでしょ」

つまり、一回目の訪問時にはジズフは生まれなかった。二回目の訪問時にも、慌しく還って行ってしまった為ジズフの生まれる機会がなかった。

今回、過去でも未来でも構わないのに態々過去へ送ってくれたのは、つまりそういうことだ。自分の誕生が掛かっているのだ。そりゃあ積極的にもなるだろう。

軽く舌打ちはしたものの、Kはそれ以上深く考えるのはやめた。気を取り直すように両手を開いて、自分たちの今立つその地をアピールする。

「で、はい。マスカルウィン。見事に緑だね」

「えっ、マルクトかと思ってた!!」

三人は驚いて辺りを見回す。確かによくよく見れば大まかな山の配置や形は似ているが、あの赤い岩地が印象的なマスカルウィンとはどうしても思えない。それ程に今立つこの地は緑で溢れていた。

「嘘やろ、有得んわ。此処がマスカルウィンやて?」

「気持ちは解るけど、そうなんだからしょうがない」

マスカルウィンが緑にあふれていることが信じられないグールにKは苦笑する。何せジズフが生まれてから死ぬまでの間『死』と呼ばれ続けた土地だ。何百年と人々に赤の記憶を植え付けて来たものがそんな一瞬で受け入れられては、それこそ納得がいかない。

ただ、今この時代が一体どれ程の昔なのか―─それはKとて知らない。

「まあ、ジズフが生まれるよりも前の時代って事だけは確からしいよ」

「神代前!?」

目を見張るシールとグール。その態度にaとKは逆に驚く。

「え、うん?」

ジズフが生まれてないだけで、それが神代前なのかどうかは異邦人の二人には解らない。ただまぁ、うんと昔なんだろう事だけは理解できる。

「ジズフはかなり古い神だと聞く。それが生まれる前という事は…」

思案気にそう呟くシールの後ろで、空間が揺らめいた。

「あ、貝空」

「!?」

また勝手に出てきて~、と軽く諭すKに対して、男たちは過剰な程の反応を返した。

「何、二人ともまだ貝空コワいの」

aが茶化して言うが、反論しようとする二人の顔色は悪い。視線を彷徨わせた上に反論を飲み込んで、二人は黙した。

「そんなに苦手なんだ? シールなんか結構お世話になってるだろうに」

シールはただ怪訝な顔をしただけで特に反論はしなかったが、それは彼にとってはまだまだ未来の話である。貝空を手に入れてから四人が別れるまで、貝空は表立って二人と接触する事はなかった。苦手意識が払拭されるのも、まだ先の話になる。

「で、何かな貝空。出てきたって事は何か言いたい事があるんでしょう」

貝空が本来の姿のままの時は、どうやら会話が出来るのは正式な召喚主であるKのみらしい。お陰でどうにもKの独り言にしか聞こえないのだが、本人は至って気にせず「へー」とか「ふんふん」とか言って納得気に頷いている。

「成程。どうやらタクちゃんが生まれてないから、フェニックス君たちは呼べないらしいよ。この時代」

「あ、そうなんだ」

何時ぞやタクリタン本人が言っていた。

『言うなればジズフは私の親に当たるかな。彼の使う技を見て人々は私を創造したのだから―』

その言葉をこの内の何人が覚えているかは解らないが、少なくともaは覚えていなかった。親たるジズフが生まれていないのならば、勿論その子たるタクリタンも生まれてはいない。タクリタンと同期だと言っていたから、スクラグスの存在すら怪しいものだ。最も古く、最も強いと言われたスクラグスが生まれているかどうかという時代。それは彼等の予想以上に遥かな過去だ。

言う事だけ言って還っていった貝空に構うことなく、また、告げられた言葉にも構うことなく、Kは景色を眺めている。

緑のマスカルウィン。生命の息吹に溢れ、青々と茂っている。

「………で」

景色から三人に目を移し、Kが口を開く。

「目的は果たしちゃったワケだけど。…何かしたい事ある?」

「…したい事、と…言われましても」

aが困って辺りを見回す。とりあえず辺りは一面、見渡す限りの草原だ。

「大体、此処が本当にマスカルウィンなのかも疑わしいんだけど」

「ふむ。成程ね。ニンナ寺の法師にはなりたくないと」

「まあそうですね」

グールは完全に動向を任せたようで、しゃがみこんで草花を突付いている。シールの方はハテナマークを浮かべつつ、会話の成り行きを気にしているようだ。

「ん? あぁ、えっとね。『ニンナ寺にある法師、年寄る迄イワシミズを拝まざりければ、心憂く覚え…」「要するに」

それに気付いたKの解説を、aが遮る。

「要するにね、観光地で、本殿を見ずに入口で満足して帰っちゃったおじいさんの話があって。ちゃんと確認しないと勿体無い思いをするよ、という昔話」

「成程。最もだな。だが――」

幾つであっても変わらない物もあるようだ。シールはそのつまらなそうな半眼を、少しだけ感嘆の色を交えてKに向けた。

「おまえ、古語が解るのか」

「ほへ」

少し考えてから、Kが逆に聞き返す。

「翻訳されてましたか」

「何を言っているかは大体解った。流石に固有名詞らしき処は解らんかったが」

その答えに「ふむ」と一つ頷いた。何が解ったのかは定かではない。

「何語で喋っても、こっちの『意』に従って変換してくれるようだね。…便利というか、若干つまんないというか」

「どうでもいいけどさ。結局どうするの?」

Kの考察はさっくりとaに断ち切られ、Kも特に気にする様子なく、もう一度空を仰いだ。

「そうね。じゃあ、街でも見に行こうか」

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