第2話 全てを失った男

 被害にあった男性が次に目にしたのは白い天井だった。


 白い塗料で綺麗に染め上げたシミひとつ無い真っ白な天井。ぼんやりとする思考が続く中、最初に思った事は「眩しい」だろう。綺麗な白い天井と天井に取り付けられたランプの光が男性の目を刺激する。

 

 その刺激が彼の思考を覚醒させるに一役買ったのか、男性の思考は徐々にクリアになっていった。


「ここは……」


 小さく言葉を口にしながら周囲を見渡す。彼がいる場所は個室のようだが窓がない。代わりに彼が横になっているベッドの周囲にはカーテンレールが設置されていて、自身の胸からは何本もの管がベッド脇に置かれた謎の箱に繋がっていた。


 ピッピッと甲高い音を鳴らす謎の箱は魔導具の一種だろうと男性は察する。近年では魔導具技術が発達して医療にも取り入られるようになってきたからだ。


 つまり、ここは病院の個室。そう結論付けた男性は小さく息を吐いて頭を枕に沈めた。


 ―― 一体何が。


 男性が記憶を探るように目を瞑ると、同時に病室のドアが開く。入って来たのは薬品の入った瓶を持った女性の看護師だった。彼が頭を再び上げて、入室してきた看護師と目が合うと看護師は驚いたような表情をして身を固めた。


 一瞬だけ静寂が場を支配する事となったが、看護師の女性はすぐに職務を思い出したのだろう。


「起きたのね」


 患者を安心させるような優しい微笑み。髪を耳に掛けた看護師は近くにあった医療台に瓶を置きながら男性に近付くと彼の額に手を乗せた。


 熱が無いか確認しているのか、ひんやりと冷たい女性の体温が男性に「生きている」という実感を与える。彼女は男性の左目部分を覆う包帯を少しだけ直すと「すぐに先生を呼びますね」と言って再び病室を出て行った。


 それから数分もしないうちに初老の男性が先ほどの看護師と共に登場。初老の男性は白衣を着ていることから、彼が医師であり「先生」なのだろう。


 医師は男の右目瞼を開いて瞳孔を確認したり、胸に生えた管の状態などを確認していく。全ての確認事項を終えたのか、初老の医師は「何とかなったか」と小さく零した。


「君、社長に連絡を」


「はい」


 医師は看護師にそう告げてから再び男性に顔を戻す。


「喉は渇いているかな?」


 医師は決め打ちするようにそう問うた。そう問われると男性は確かに喉の渇きを感じる。男性が頷くと「すぐに用意しよう」と要望に応えてくれた。


「ここは……?」


 ただ、男性が質問をすると医師は首を振る。


「私からは何も言えない。ただ、もうすぐ事情を知る方が来るだろう。その方に聞きなさい」


 本当に何も語れないのか、医師は首を振ったきり何も答えなかった。水を持って来させようと言ってすぐに病室から出て行ってしまう。


 医師が出て行ってから5分も経たず、たっぷりと水の入った水差しと空のコップが届けられる。


 ベッドに横たわる男性は体を起こして水を飲もうと試みるが、体が言う事を聞かない。男性はそこで初めて自分の腕すらも満足に持ち上げることができないのだと気付いた。


 男性がと水差しを持ってきてくれた看護師に対して「俺の体はどうなっているんだ?」と問うものの、看護師は男性の質問を無視……というよりも、水の入ったコップを口元に近付けることで受け流した。


 喉の渇きを癒したところでもう一度同じ質問をするが、やはり看護師は無言のまま。そのまま病室を出て行ってしまい、再び一人になってしまった。


 それから何分、もしくは何時間経っただろうか。窓が無く外の景色が見えず、病室の中に時計も無い故に時間の感覚がよく分からない。白い天井を見つめていると、病室のドアが開いた。


 病室に入って来たのは黒いスーツとグレーのネクタイを身に着け、黒い髪が特徴的な若い男性。


 黒髪の男性は先ほどの初老医師と共にやって来て、ベッドにいる男性を一目見ると医師に向かって「続きを処置できそうか?」と問う。それに対し初老医師は「大丈夫でしょう」と返した。


 一体何の話だ、と男性が口にしようとした矢先、黒髪の男性はベッドに歩み寄る。


「こんにちは。初めまして。私はレッドマテリアル社の社長、ランディ・アルマークだ」


「レッドマテリアル……?」


 どこかで聞いた名だ、と男性は思ったのかランディが告げた社名を繰り返した。男性の声を聞いたランディは小さく微笑み、再び口を開く。


「君は色々と疑問を感じているのだろう? ここはどこなのか。何故ベッドで寝ているのか。理由は思い出せるかね?」


 そう言われ、男性は頭の中にある過去の記憶を探った。探って最初に思い出したのは燃え盛る炎と黒焦げになった何か。そして、愛する最後の家族である妹の笑顔がフラッシュバックした。


「あ、ああ――」


 自身か、それとも意図的にか、封をされていた記憶が蘇っていく。


 魔導車が爆発し、自分は外に吹き飛ばされ、同乗していた妹はどうなってしまったのか。とても重要な事だったのにどうして今まで思い出せなかったのか。


 男性の脳がそれを認知した瞬間、男性の感情は焦りが支配する。


「妹! 俺の妹はッ! リナはどこだァァァッ!!!」


 焦りが怒りに変わり、男性は叫びながら身を起こそうとした。しかし、彼の体はピクリとも動かない。それでも無理矢理起きようとする意志に反応してか、僅かに動かせる首と上半身がベッドの上で跳ねた。


「リナッ! リナァァッ!!」


 大切な妹。たった一人の家族。彼女の安否を確認したい。彼女を失いたくない。


 すぐ近くにいるランディを睨みつけながら、依然として体を起こそうとするが――


「いけません! 刺激してはダメですよ! こうなる事を予想していたから記憶を封印したんです!」


 注射器を持った医師が男性の体を片手で押さえつけ、暴れる男性の胸に容赦なく注射器を刺して中身を注入した。  


 注射器の中身が男性の体内に侵入していくと同時に男性を支配していた感情が落ち着いていく。恐らく注入されたのは鎮静剤か何かなのだろう。


「すまないね。何分、初めてなもので。だが、彼は全てを知るべきだ」


 初老医師に注意されたランディは悪びれもせずに肩を竦めると再び男性に顔を向ける。


「落ち着いたかね? 順を追って事情を説明するから、もう暴れないでくれよ?」


 ランディはそう言って、未だ荒い息と唸り声を出す男性に事情説明を始める。


「まず最初に。ここはガーランド国内にあるレッドマテリアル社所有の医療施設だ。君は今から二週間前に起きた事件の被害者。君が所有する魔導車が爆発を起こし、被害者である君は瀕死の状態に陥った」


 告げられて、男性の脳内にあった爆発時の記憶とその前後の記憶が鮮明に蘇っていく。


「君は外に吹き飛ばされたが、それは不幸中の幸いだったと言うべきか。一時はレクトラシティの病院に運び込まれたが――」


「妹は!?」


 順を追って話すランディを無視し、男性は一番気になる事を早く教えろと言わんばかりに。だが、その問いの答えは彼にとってどんな事よりも辛い答えとなった。


「……亡くなったよ」


 ランディも男性の気持ちが分かるのか、重々しく首を振りながら事実を告げる。答えを知った男性は絶望するかのように「嘘だと言ってくれ」と何度も繰り返すが、ランディは瞼を閉じたまま首を振り続けた。


 しばし、その問答が続く。だが、ランディも根気よく付き合った。ようやく男性が現実の一部を受け入れ始めると、ランディは医師に退室するよう告げた。


 二人きりになった病室でランディはベッドの脇にあった椅子に腰を下ろす。


「話の続きをしよう。君の魔導車が爆発したのは事実だ。しかし、それは単なる魔導車の不具合や事故なんかじゃない」


「え……?」


「君は殺されかけたのだよ。理由は君の職業と従事した作戦に関係している」


 男性の職業は軍人だ。所属はガーランド国陸軍特殊作戦部隊。ガーランド国軍の中でもエリート部隊と呼ばれる凄腕集団の一人。


 ガーランド国は平和な国と先に説明したが、それは彼のような軍人達が平和な国の裏側で国防に尽くし、国が大きな被害を受けぬよう尽力してきたからだ。


 所謂、正義の味方。国民を守る正義の盾と言うべき存在だ。


 しかし、そんな正義の組織に所属していた男性が何故殺されそうになったのか。


「君は一ヵ月前、ガーランド国北部に潜伏するテロ組織を拘束するべく、対テロ対策作戦に参加していただろう? その時、君はテロ組織の代わりに何を見つけた?」


 男性が直近で参加していた作戦の概要は、ガーランド国でテロを行おうとする組織の構成員を拘束する事であった。テロ組織の構成員は北部にある廃鉱山の中に潜んでいるという情報だったが、テロ組織構成員の姿は無く作戦は『誤報』という結果に終わった。


 だが、男性を含むガーランド国陸軍特殊部隊のメンバーは廃鉱山の奥で別の物を見つけたのだ。


 恐らく、問いかけたランディは既に答えを知っているのだろう。男性は当時の記憶を掘り起こしながら答えを述べる。


「マナストーン……」


「そう。それを見つけたのが原因だ」


 マナストーンとは世界に満ちる魔法の素マナが自然的に圧縮されて塊になった物だ。どうやって圧縮されるかは未だ不明であるが、空気と共に漂うマナが自然圧縮されて宝石のような綺麗な塊になった物を指す。


 現在の技術体系ではマナ自体を100%抽出・加工する事は不可能だ。


 空気中に漂うマナを空気と共に封じ、特殊な素材と混ぜ合わせてエーテルという液状物質に変換。それをエネルギーとして人の生活には欠かせなくなった魔導具を動かしている。


 マナとは世界に満ちている物故にどこにでもある存在だが、これをエーテル化させるには多大な作業量、巨大な設備とコストを要する。加えて、マナだけを抽出する事ができないのでエネルギー効率面でも不十分な物であった。


 だが、自然圧縮されたマナストーンを用いれば現在のエーテル化技術に関する問題を一気に解決できる。なんたって、マナストーンは『純度100%なマナの塊』なのだ。


 これを砕いてエーテル化加工するだけで、いくつもの工程をすっ飛ばしながらが製造できる。


 しかも、現状のエーテルと同じ物を製造しようとするならば、ほんの欠片程度を使うだけで生産可能となるのだ。


 1つあるだけで巨額の富を生む。それこそ、ガーランド国のような中堅国家であれば10年分以上の国家予算を生むだろう。上手く利用できれば、それ以上の価値を秘める財宝のような物だ。


 ただ、このマナストーンは大変希少で世界的に見ても発見数は未だ一桁にしか満たない。発見した場合は国際研究機構と呼ばれる世界的権威を持つ学者達が集まる研究機関に譲らねばならないという国際条約が存在する。


 マナストーンを見つけた男性達特殊部隊のメンバーは軍に報告。世界的な発見に対し、当時指揮を執っていた司令官から箝口令が敷かれていたが……。


「ガーランド国上層部が独占しようと?」


「いいや。一部の人間がマナストーンをブラックマーケットに流そうとしている……という情報だよ」


 男性の予想に首を振るランディ。どうやら国としては腐っていないらしい。


「この国は農業を基本とした一次産業中心の国家だ。現在の上層部はそれを崩そうとは思わないだろう。なんたって人が生きていくには必須になる食料を各国に輸出しているのだからね」


 ガーランド国は世界的に見ると小国にカテゴライズされるが、農地に適した大地と海が近いこともあって農業と漁業が大きな武器となっている。


 現在の上層部は穏健派が占めており、領土戦争も経済戦争も望んでいない。食糧輸出業でそこそこの国家利益を得られるならば十分、危ない橋は渡りたくないといった答えを示すだろう。 


 しかし、ランディの話を聞く限り、それを良しとしない者達がいるのも事実のようだ。


「君と同じ部隊に所属している者達は、君と同じような事件に巻き込まれているよ」


 ランディは鞄から数枚の写真を取り出して男性に一枚ずつ見せていった。


 写真に写るのはどれも事故現場を映したものばかり。住居の火災現場や魔導車同士の交通事故現場、他にも船が転覆している最中を映したものもあった。


 これら事故現場のような写真の被害者は男性と同じ部隊のメンバーなのだろう。


「そんな……。じゃあ、俺も……」


「そうだ。犯人はマナストーンを見つけたメンバーを次々に殺している。口封じだ」


 その口封じとやらに男性の妹も巻き込まれてしまった。殺したい相手の身内すらも構わず殺す。そんな外道は一体誰なんだと、男性は怒りの表情を浮かべる。


「犯人はガーランド国陸軍将校、アガム・オレイオンだ」


 その名を聞いて男性は怒りよりも驚きが勝る。アガム・オレイオンは自身の上司だったからだ。そして、マナストーン発見のきっかけとなった対テロ組織構成員の拘束作戦を指揮していた司令官でもある。


 男性の表情を見たランディは「フッ」と笑いながら口角を少しだけ吊り上げる。


「常に部下の安否を最優先にする部下想いの上司。そんな風に言われていたんだろう? だが、中身は金欲に塗れた豚だ。ガーランド国軍の給料に満足いかなかったらしい」


 実際、危険と隣り合わせである軍人であってもガーランド国軍の給料は低い。将校になっても給料の悪さは変わらぬようで、他国の軍人とも交流のあるアガムは他国の財布事情と比較してしまったのだろうか。


「随分と前からアガムは悪事を働いているよ。4年前には――」


 ランディの口から飛び出すのは男性も知る事件の詳細だ。その事件の裏側でアガムがどんな悪事を働いていたのかを聞かされ、当時抱いていた疑問の数々が解消されていく。


 語られた悪事の裏側でアガムは多額の金を受け取っていたようだ。


「さて、アガムの本性を聞かせたところで……。一つ提案がある」


 ランディはそう言って、男性の顔を真剣に見つめた。


「妹の復讐をしたくはないかね?」


 申し出に男性はランディの顔を睨みつけるように見つめながら頷いた。


「そうか。良かったよ。君を助けた甲斐があったというものだ」


 答えを聞いたランディは笑顔を浮かべながら椅子から立ち上がる。


「私達が君の復讐に手を貸そう。といっても、それを想定して動いていたのだがね」


 一体、どういう意味だと男性が問うとランディは「それは次の機会に」と答えを濁した。


「今日はゆっくりしたまえ。明日、君を迎えに来よう。その時に話の続きをしようじゃないか」


 社長ともなれば色々予定が詰まっているのかもしれない。ランディは腕時計で時間を確認すると、やや早足で病室のドアへ向かって行った。


 彼はドアノブに手を掛けたところで、再び男性に振り返る。


「ああ、そうだ。君は既に死人になっている。犯人に悟られない為にも君は事故で死亡した事にしておいたんだ。だから、本名はもう名乗らない方が良い」


 それでは、また明日に。そう言ってランディは病室から去っていった。


 こうして妹を失った男性は、己の名すらも失った。男性の名を知る者はランディ以外に誰もいない。ただ、彼も男性の名を今後一切口にする事はないだろう。


 何もかもを失くした男は復讐者として生まれ変わるのだから。

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