黒狼:全てを失った男の復讐
とうもろこし@灰色のアッシュ書籍化
第1話 不幸な男
「おーい、準備終わったかー?」
爽やかな春の陽気と心地良い風を感じられる中、一人の男性が玄関ドアの開いている一軒家に向かって声を掛けた。
「待って、今行くよ!」
家の中から聞こえる声は女性の声。声音から若さが窺え、歳を推測するのであればまだ十代前半の若者らしい声と言えるだろうか。
男性は腕に装着していた腕時計に目を向ける。現在の時刻は昼をちょうど回った頃だ。
「まったく……」
女性の準備が遅れているせいか、男性はため息を零しながら背後にあった魔導車に寄りかかりながら空を見上げた。
ぼーっと見上げる男性の目に映るのは快晴の空。今日は雲も無く、出かけるにはもってこいの日と言えるだろう。
「ごめん! お兄ちゃん!」
「遅いぞ、リナ」
謝りながら家から飛び出して来たのは若くて可愛らしい女性。女性の口から「お兄ちゃん」という単語が出たように、この男女は兄妹である。
「上着選びに手間取って」
妹のリナは遅れた事に悪びれもせず「えへへ」と笑う。彼女は兄が服選び程度で怒らない事を知っているのだろう。
しかし、遅れた甲斐もあったというものか。彼女の身に着ける服のセンスは大変よろしい。
彼等が住むガーランド国で流行している最新ファッションのトレンドを入れつつ、かといってファッション誌に掲載されている例をコピーしているわけでもない。非常に優れた塩梅の服選びをしていた。
「今日は墓参りに行くだけだぞ? そんなにオシャレしなくてもいいんじゃないか?」
「何言ってるのよ。外に出れば人の目があるでしょ!」
人の視線に敏感、時代の流行に敏感なのは彼女が思春期真っただ中な年頃のせいだろう。家から数キロ離れた墓地にある両親の墓へ向かうだけであっても、この年頃の女性は常に戦闘態勢だ。
逆に言えば男性の方が気にしなさすぎ。現に妹は白いシャツに茶の作業ズボンといったラフな格好の兄に向かって「本当にそれで行くの?」と目を細めた。
「さっさと行こう。花屋に寄らなきゃいけないしな」
しかし、兄はそんな妹の視線を躱すようにいそいそと魔導車へ乗り込んだ。
「うん」
妹も助手席に座り、兄はズボンのポケットから魔導車のキーを取り出して差し込んだ。キーを回し、エンジンをスタートさせると閑静な住宅街から首都の中央区に向かって走り出す。
道行く途中に見える景色は何とも平和なものだ。整えられた街並み、近くの公園に向かう親子、手紙の配達をする少年。
彼等が暮らすガーランド国は『平和な国』である。世界にいくつもの国が存在するが、この国は特別平和な国だ。
他国では国民の権利を主張する抗議活動が行われていたり、領土争い等で戦争をおっぱじめている国もあるが、ガーランド国はそういったものとは無縁の国であった。
政治も安定しているし、国の主要産業もしっかりしているので貧困に喘ぐ国民もいない。新聞には国内で起きた殺人事件や交通事故、政治家の小さな不祥事などが掲載される事もあるが世界中にある国と比べれば些細な事。
彼等の家があるレクトラ州も大規模な農産業と食料加工業を基本とした産業が栄えており、都市の中心地には商業店や観光向けの施設などが多く存在している。
レクトラ州の首都であるレクトラシティを一言で表すならば「田舎と大都会の中間」といったところか。大きな事件も起きないし、自家用の魔導車や公共交通機関を使用すれば郊外に住んでいても不便さは感じない。
両親を失った兄妹が暮らすにはぴったりな土地と言えるだろう。特に兄である男性が家を空けがちで妹が一人暮らし状態になる事が多い家族にとっては特に。
「お兄ちゃん、今度はいつまでいられるの?」
「そうだな……。招集が掛からなければ一ヵ月は家にいられるよ」
男性は職業柄、家を長く空ける。その間は学園に通う妹だけが家に残されてしまっていた。まだ未成年の妹が家に一人というのは心配だが、兄も妹の為に金を稼がなければならない。
両親を事故で失った二人にとってはしょうがない事だが、幸いにして近所に住む人達は祖父祖母時代から付き合いのある人達ばかり。リナちゃんの事はちゃんと見ておいてあげる、と言ってくれるような優しい人達に囲まれていた。
「それより、マギーおばさんに聞いたぞ? お前、この前――」
「ちょっと! 違うよ!」
平和な国に住み、優しい人達に囲まれて。休みが取れた兄が帰宅すれば、近所から仕入れた情報を元に多少の小言と言い合いが発生するものの、それでもこの兄妹は仲良く平和な時を過ごしていた。
都市の中央区に向かう車内には笑い声が溢れ、なんとも理想的で平和な時間。中央区にある花屋に到着すると男性は魔導車を路肩に止め、二人は揃って花屋へ向かう。
両親の墓に添えるために予約しておいた花を購入し、二人は再び魔導車へと戻った。
あとは墓地に行って、両親の墓参りをしてから家に戻るだけ。家に戻る前にどこかのレストランで昼食を摂っても良いだろう。なんたって今日は休みの一日目だ。
「それでね、カーラがね」
「うん」
普段から家を空けているお詫びに、妹には美味い物を御馳走して機嫌を取るのもいい。どうしようかな、と妹の話を半分聞きながら頭の片隅で思いながら男性は魔導車のキーを差し込んで捻った。
――人生最悪の瞬間を迎えるとも知らず。
「お兄ちゃん、聞いて――」
男性がキーを捻った瞬間、耳に届いていた妹の声が爆発音によって遮られた。爆発音が鳴ったのは男性の真横、妹が座っていた助手席の真下だった。
しかし、魔導車が爆発という大惨事の当事者である男性にとっては「爆発した」という事実すらも把握できなかっただろう。
魔導車が爆発した事で男性の体は運転席のドアと共に外へ吹き飛んだ。数メートルほど吹き飛び、彼の体は何度も地面をバウンドしながらようやく止まる。
爆発物となった魔導車は轟音を鳴らしながら炎に包まれ、周囲にいた一般人達からは悲鳴が上がた。外に吹き飛んだ男性も無事では済まず、左腕と両足が曲がってはいけない方向に曲がっていて、頭からは大量の血が流れていた。
「リ……ナ……」
何が起こったかすらも理解できない男性は朦朧とする中、黒焦げになりながら燃える魔導車に腕を伸ばした。
自身の体がどうなっているかよりも妹の安否が気になるのだろう。
「リ……」
だが、彼自身の体は限界を迎える。人類に備わる生命維持の本能故か、彼の意識はそこで途切れてしまった。
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