3章 6話 饅頭こわい

 本館の屋上は緑色の高い網に囲まれていて、数か所に簡易的なベンチが設置されている。振り返って階段の方を見ると、塔屋の上には安長がじっと町を見下ろしている。


 安長が顔を動かして俺を見る。微笑みを浮かべて頷くと、奥へ行き姿が見えなくなった。


 安長と入れ違うようにして階段の下から足音が聞こえて来たので、近くのベンチに寝転び目を閉じて、うめき声をあげて見せる。

 足音は屋上に出るとほんの2秒ほど動きを止めた後、忍び足で俺の元へ迫ってくる。


 塔屋の上には安長がいるし、他の2人もどこかで監視している筈だ。安全な筈ではあるけど、誰か知らない人に近づかれるのは正直怖い。


 性別も目的も分からない人が、俺を見て何かを企んでいる恐怖。きっとホラー映画の登場人物は、こんな気持ちの数十倍に苦しみながら殺戮者に怯えていたのだろう。


 完全ホラーな世界観のクラスメイトがいなくて助かった。いや、阿字ヶ峰はグレーだな。


 その足音は俺の近くに何かを置くと階段に駆けていった。階段を下りる足音を聞きながら、薄目を開けて、その置いて行った物を見ると紙ナプキンの上に置かれた饅頭だった。


 どうやら『饅頭こわい』の再現は成功をしたようだ。


 だがまだ終わりでは無いだろう。現に屋上に登って来る足音が再び聞こえて来たので、目を閉じて唸って見せると、先程と同じように俺の横に饅頭が置かれた。

 その後、同じ事が10回ほど続いた。


 そろそろいいだろう。

 

 目を開けて起き上がり、山のように積まれた饅頭を見下ろす。そこには栗饅頭や蕎麦饅頭や水まんじゅう、中には意味を間違えたのか、いちご大福まである。


「ひいいぃぃ。饅頭がこんなに一杯! 怖いよう。怖いものは目の前から無くさないと」


 俺は饅頭を次から次へと食べていく。お腹いっぱいになってきたから、紙ナプキンで饅頭を1つ包んで胸ポケットに入れる。


 すると知らない生徒が塔屋から顔を出して叫んだ。


「饅頭こわいってのは嘘だな。本当に怖いものはなんだ」


「今度はお茶が1杯怖い」


 『饅頭こわい』のサゲを言うと、その知らない生徒は舌打ちをして階段を下りて行った。これにて高座返しになればいいのだけどそうはいかない。


「安長、何かわかったか?」


 塔屋から安長がヒラリと降りてきた。


「はい。残念ですが委員長の予想は正解だと思います。

 委員長はこの町で起こっている騒動に偶然、もしくは意図して巻き込まれた。そう考えるのが妥当でしょう。

 詳しくは……、全員が集まってからの方が良いですね。なんて話している間に、皆さんが来られたようです」


 安長が振り返った先の階段踊り場に足を掛けたフューレ、続く浦島の姿が見えた。浦島の手には銀色のカギがキラリと光る。


「どうやら上手くいったみたいだな。屋上のカギを借りて来たのが無駄にならずによかったよ。これで秘密の話が出来る」


 浦島は屋上に出ると外から鍵を掛ける。


「よく鍵を借りられたな」


「まあね。守衛さんは良い人だからね。俺の頼み事は何かと聞いてくれるんだ」


 知らない間に守衛とも仲良くなっていたのか。俺は守衛の顔すらしらないぞ。誰とも仲良くなれて羨ましい。俺はクラスメイト以外から嫌われているのにな。悲しい……。


「そうか。ベンチに座ってゆっくり話すか。ここには山盛りの饅頭があるしな」


 ベンチは3人掛けが限界なので、他の場所からベンチ一脚を運び、饅頭を挟んで向かい合わせに座る。俺の横にはフューレが、向かい側には浦島と安長が座る。

 

 口火を切ったのは安長だ。


「今この町で起こっている事についてですが、委員長の考えが正しいと思われます。落語の演目が現実になるという厄介な結界が、この町を包んでいるようです。

委員長と皆さんが『饅頭こわい』を始めた時、揺らぎを感じました」


「揺らぎってどういうものだ?」


「ごめんなさい。言葉で説明するのはとても難しいです。揺らいでいるという感覚を得た、というのが正しいのかもしれません。

 嫌な予感がしても、実際に何かが起きているかは分からない。同じだと思ってください」


「聞いてから言うのは悪いんだけど、理論を説明されても俺じゃ分からないから、感覚と言われた方が分かりやすい」


「フフフ、それは良かったです。では続きを話しますね。その揺らぎは『饅頭こわい』が進むにつれて大きくなり、サゲで突然に収束して平面になりました。

 偶然とは考えられないほどに同じタイミングです。

 その揺らぎをこの町を覆う何かに吸い取られたようでした。一度知れば後は簡単です。似たような現象が町で起こっていないかを、注意深く観察するだけです。

 その結果、この町にはある条件下で作用する結界が張られていると分かりました」


「なるほどな。結界か。大掛かりな事だ。それで、その結界を解く方法はあるのか?」


「解くだけならば簡単です。待つだけです。たったそれだけでこの結界は崩壊すると思います」


 なんとも俺にとって都合の良い話だ。

 待てば解決するのなら、周囲で起きるかもしれない異常に、俺が知らない顔をして毎日を過ごせばいい。それでこの話はおしまいだ。


「それは楽観視しても良いのか?」


「ごめんなさい。私では答えを出せません。

 理屈は分かりましたが、目的が不明です。だから可能性として委員長が巻き込まれているのは故意の可能性があります。

 どうしますか? 関係が無いかもしれないこの現象、委員長さんは関わりますか?」


「もし俺が関係無いとしても、クラスメイト案件じゃないとは思えない。本当は避けたいところだけど、するしかないだろ。委員長としてな」


 安長が慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「委員長さんならそう言うだろうと思っていました。見捨てられない。あなたはそういう人ですよね」


 安長の中で俺の人物像はどうなっているのか。俺が委員長をしているのは、校長に脅されているからだ。

 仮に俺が委員長でなかったら、こんな面倒な事件からはすぐに逃げ出している。


 今でも逃げ出したところだけど、安長が分かってしまうのなら手を出さないわけにはいかない。


「どうして安長は、この町の異常を感じられるんだ?」


「私が物語により力を受けているからです。私のように存在から物語が生まれた者、もしくは物語から生まれた者には、その物語を語る人々の意思が集まってくるのです。

 そして私達は物語によって強化される。人々の理想を追うようにして。

 だから誰かが語る物語の発露には敏感なのです。落語も物語という意味では同じなのです」


「そうか。それは頼もしいな。参考までに結界の理屈の方を聞かせてくれないか?」


「私は落語に詳しくないから、どれがと断定は出来ません。

分かるのは落語の舞台上であるべき物が、あるべき場所にある。それがこの町全体規模で揃っているのです。

 それはビルであり、公園であり、道である。偶然か必然か、この町全体が落語の舞台上を再現してしまっている。落語家が何もない空間に人も物も想像させ、まるで存在する現実であると錯覚させるように、本来現実ではない筈の落語の演目が、現実として舞台上で繰り広げられているのです」


 もし人為的ならば何て大掛かりな仕掛けだろうか。時間も予算もかかるこんな方法で、よっぽど成し遂げたい事があるのだろう。ご苦労なことだ。


「そのビルを壊したらこの現象も止まるのか?」


「短くなる程度だと思われます」


「そもそも、どれがその建物か分からないんだったな。それじゃあ通常通りに終わってどれぐらいなんだ?」


「1週間から2週間で収束するでしょう。この町は日々移り変わっていますから、舞台が保てるのはそれが限界でしょう」


 思っていたよりも長いな。夏休み期間に入っているじゃないか。夏休みに入ってしばらくは、引き籠っていればいいか。よし、引き籠る大義名分が出来たぞ。


「それでも夏休みまでには解決したいな」


 俺が内心喜びながら真面目な顔をしていると、饅頭を食べ続けていた浦島が手を止めて話に加わって来る。


「俺としても早期決着が望ましいと思う。この現象を起こしている奴らに時間を与えるのは、それだけ大きな落語を完成させるチャンスを与える事でもある。委員長は何か良い策を持っていないか?」


「無くは無い。だから上手くいくかは分からないけど、俺の作戦を説明する。良いか?」


「勿論だ。委員長の作戦を聞かせてくれ」


 もしこの現象が俺の想像している通りなら、俺は動かざるを得ない。そして俺は勝つ側として解決しなければならない。


 夏休みまであと数日。問題は休みの前に終わらせる。

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