2.5章 9話 VSアッパー敬
フードバトル第3試合の会場であるそば処花香亭に、俺とミリアナさん、そしてアッパー敬の3人が揃っていて、目の前にはわんこそばが入れられているわんこそば碗が積まれている。
もちろん実況の古宮と解説の天坂が肩を並べて俺たちの方を見ながら、解説を始めている。開始時刻まで残り10分を切った。
3試合目直前の高揚と緊張が入り混じる試合会場で、俺は既に満身創痍である。
午前に行われたフードバトル第2試合から今まで、ミリアナさんのランニングに付き合わされていた。
腹を減らす手段として効率的なのは、30分の運動と1時間の休憩を交互に実施することだとミリアナさんは言った。
フードバトル中は横に座っているだけなので、その手段を取る必要は無い筈だ。
だけどリアナの目が届かない場所での活動にはリアナの代理が必要という、無理やりな理屈でまるめ込まれてしまった。
そもそも以前に参加したフードバトルは1人だったそうなので、ミリアナさんの理屈は通じないのだけど、それに気が付いたのは1時間前だった。
だから俺は肉体的にも精神的にも疲れ果てている。
とは言え今回のフードバトルもテレビ撮影をされているので疲れた姿でいられない。
クラスメイトの誰かに見られるかもしれないからだ。いや、クラスメイトよりも親に見られるかもしれない。それは恥ずかしい。
親の件は後で連絡を入れるとして、アッパー敬は相変わらずやる気が見られない。ミリアナさんは観客から声を掛けられると笑顔で会釈をするのだが、アッパー敬はじっと机の一点を見続けている。
本当にフードバトル四天王なのかと訝しく感じる。こんな時は天坂の解説を聞くに限る。丁度良い具合にアッパー敬の解説を始めている。
「四天王も3人目ですが、天坂さんから見てアッパー敬とはどのようなフードファイターなのでしょうか?」
「はい。アッパー敬は今までの2人と同様に、ある目的を満たすためにフードファイトに参加しています」
「目的を満たす、ですか。
ペンギン伯爵は興行を成功させるため、8本ナイフ聡は芸術のためでしたが、アッパー敬の目的とは?」
「アッパー敬の目的は快楽のためです。彼はある物を使いスイッチを入れてフードバトルをする事で、多幸感を得るそうです。古吉さん見てください。変貌が始まりますよ」
瞬きをするだけの置物と化していたアッパー敬が胸元に手を入れると、コルク栓で封をされているガラス瓶を取り出した。その中には真っ白な錠剤が一杯に入っている。
アッパー敬はコルク栓を小気味いい音を鳴らして抜くと、机の上に錠剤を全てばらまいた。
散らばる錠剤の1粒を拾い上げると、柔和な動きで口に放り込み、音を立てて噛み砕く。咀嚼を止めたアッパー敬は天井を見上げると、今までの言動からは考えられないような恍惚の表情を浮かべ、声を出して笑い始めた。
「フヒヒ、フフフヒヒヒ。ハハハハハ」
気持ち悪いんだけど! 何これ、大丈夫なの? テレビに映せない薬じゃないのか?
完全にハイになったアッパー敬に、この場の俺を除いた誰も心配する様子は無い。むしろ喜んでいる。
どうしたらいいのかわからず、思いを共有できそうな相手を見つけられない。それでも誰かいないかと視線を彷徨わせていると、天坂と目が合った。
天坂は戸惑っている俺を見て小さく頷くと、スタンドマイクに口を近づけた。
「これがアッパー敬のバトルスタイルです。
視聴者の皆様ご心配なく。アッパー敬が食べた物はビタミン剤です。彼はフードバトルに快楽を求めていて、そのスイッチとしてビタミン剤を食べます。
これをビタミンチャージと呼びます」
「ではなぜ、机の上にビタミン剤を撒いているのでしょうか?」
「それはビタミン剤再チャージの時間を短縮するためです」
「何度もビタミン剤を食べる必要があるという事ですね」
「そこがフードバトルでなければならない理由です。ビタミン剤を飲みスイッチをオンにしてもすぐにオフになるそうです。
しかし続けてビタミン剤を飲んでも効果がありませんが、1つだけ続けて効果のある方法があります。
それは胃に食べ物を流し込む事です」
「リセットする、ということでしょうか」
「その認識が正しいと思われます。それに加えて観衆の目がありますので、相乗効果でより快楽を増すそうです。
だからこそアッパー敬は、人よりも多く食べるのです。快楽をより長く持続させるために」
天坂の説明を聞いてもヤバイ奴だという認識は剥がれなかったけど、法律を破ってはいなさそうなので安心した。
好きにしてくれ。
「そしてもう1つ、耳に入れておくべきことがあります。アッパー敬がビタミン剤を入れている瓶は、幸運の小瓶と呼ばれているのです」
「幸運ですか?」
「はい。今回のわんこそばの早食いは特殊ルールです。目の前に置かれたわんこそば碗を自分と取らなければならない。さあ、どうなるかはフードバトルで見ましょう」
「そうですね。ではフードバトル開始まで残り30秒を切りました。
沈黙を守ってきた眉目秀麗な正しさの伝道師、清白クイーン奇跡の3戦目!
相手は一口食べれば高濃度パーティーピーポー、アッパー敬! この真逆な2人が交じり合った時、そこに現れるのは何色か! では皆さん、残り10秒からカウントダウンを始めましょう。10! 9!……」
古宮によるカウントダウンが始まった。
ビタミン剤を飲んだアッパー敬はハイテンションになり、観客にポーズはとるし、カウントダウンを聞きながら「声が小さいぞ、もっと出せるよな」と煽るしで大サービス状態だ。
ライブ会場を思わせるタガが外れたような熱気の中、古宮のカウントダウンはゼロを知らせた。
ほぼ同時に手を伸ばしたミリアナさんとアッパー敬は、2人とも一口で1杯目のわんこそばを飲み干して、次のわんこそば碗を掴んだ。
順調にわんこそば碗を重ねていく2人、異変は20杯目で起こった。
ミリアナさんの手が突然止まり、視線をわんこそば椀の中に移す。
「どうしたんだ? 何があった」
「ご心配なく。ルールの提示が徹底されていなかったという話です。話して頂きますね」
アッパー敬はニヤリと笑い手を止めた。
「ミラクルヒット! 俺が単純で楽しくない早食いをするわけないだろ。望まれてないだろ。そうだよな、ウォッチャーのお前たち!」
アッパー敬は伸ばした腕を、右から左へと観客をなめるように動かすと、それを受けた観客は「イエーイ」と盛り上がる。
なんだこれ。
「わんこそばルーレットだ。
この600杯の中にはランダムで激辛わんこそばが含まれているんだぜ。
その辛さは1杯で舌の感覚がマヒするほどだ。これは真のランダムだ。
だから俺たちが300杯ずつ食べたとしても、片方は激辛わんこそばを取らないかもしれない。全てはラッキーが決めてくれる。
つまりはラッキーボーイである俺は、絶対に当たらないぜ。そうだよな!」
アッパー敬に呼応して、観客からは「イエーイ」というレスポンスが帰ってきた。
「さあさあ清白クイーン、次はどれを手に取る」
待っていましたと言わんばかりに天坂が解説を始める。
「やはり仕込んでいました。
アッパー敬は幸運の小瓶に入れていたビタミン剤を食べる事で気分が高揚し、そして絶対的な幸運になります。
まるで因果を操っているかのように、6発分の弾倉があるリボルバーに全弾を入れても、6発とも不発になるほどの幸運です」
天坂の解説で理屈はわかったけど理解は出来ない。もはやそれは超能力じゃないのか。
まあ何でもいいか。考えるのも面倒だ。
「ここから激辛地獄だ。用意した激辛わんこそばは100杯。
辛さとダンスして幸せになれ。その澄ました顔を恍惚に変えて見せろよ。ここはダンス会場だぜ。見ている奴らの巻き込み踊り狂うぜ。
行くぞお前ら!」
アッパー敬が煽り、観客がそれに答える。作り上げられた熱気の中、ミリアナさんは流される様子は無く冷静だ。
「幸運だけで空は飛べない。あなたの幸運が何をしようとも、私はその幸運を飛び越えて見せましょう」
ミリアナさんは臆することなく、次のわんこそば椀を手に取った。
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