2.5章 10話 激辛わんこそば対決 快楽に手を伸ばす

 ミリアナさんとアッパー敬のフードバトルは中盤戦に差し掛かる。


 ミリアナさんが140杯でアッパー敬は151杯と、ミリアナさんはリードを譲っている状態だ。


 決してミリアナさんが劣っていると言う訳ではなく、運がアッパー敬に味方している結果だ。

 ミリアナさんは激辛わんこそばを度々引き当てて、その都度一時停止していた。


一方のアッパー敬は一度も激辛わんこそばを取ってはいないようで絶好調だ。


 アッパー敬はわんこそば1杯を一口で食べきり、わんこそば椀を重ねると机に転がったビタミン剤に手を伸ばす。

 それを水分なしで飲み込んだ。


「ボルテージが上がっていくぜー。手を鳴らせ! リズムを刻め! おい! おい!」


 手を叩きながら観客を囃し立てると、それに答えた観客は同じリズムで手を叩き始める。


「もっとだ。もっと音を鳴らせ。俺の脳を揺さぶれ!」


 アッパー敬は恍惚の表情で両手を天に掲げる。


 俺は少し前に天坂のアイドルライブを見に行ったけど、その時とは違う異様なライブ感がこの店内を支配する。

 平和で静かな蕎麦屋さんという事を忘れてしまいそうになる。


 そんな中、ミリアナさんは涼しい顔をして黙々と箸を進めているように見えるが、横でミリアナさんを見続けている俺には異変がわかる。

 

 前の2人の時は無かった事だ。


 俺は鞄からハンカチを取り出してミリアナさんに差し出す。


「大丈夫か。汗が凄いぞ」


 メイド服と長髪で見えにくいが、ミリアナさんの首回りには汗が大粒となっている。髪が汗で少しだけ張り付いているようだ。


 激辛を表情には出さないミリアナさんでも、体は反応しているようだ。


「ありがとうございます。使わせていただきます」


 ミリアナさんはハンカチを受け取ると、髪をかき上げた首回りと額の汗をぬぐう。


 汗と交じり合ったミリアナの香りが鼻につく。

 それと汗を拭く所作。


 とてもエロイ!


 俺は心配そうな表情を作って、今のミリアナさんを記憶に焼き付けるために凝視する。役得だ。来てよかった。


 ずっと見ていたいけど、目の端に動く物を捉えたので目線だけをそちらに向けると、それは白いビタミン剤だ。


 ビタミン剤は他のビタミン剤と衝突して床に落ちた。その射線のもとを辿ると、ミリアナさんの手元に着いた。そこには既に次弾が置かれていた。


 ミリアナさんは汗を拭きながらビタミン剤を指で弾くと、またもや別のビタミン剤に衝突して、2粒とも床に落ちた。


 理解した。


 ミリアナさんは机上のビタミン剤を減らして、アッパー敬の弾切れを狙っている。ミリアナさんを見ると僅かに口角を上げて頷いた。


 ミリアナさんの目論見を知らないアッパー敬は、ビタミン剤を摂取するペースを短くしていき、それと比例してテンションを上げていく。


 アッパー敬は上着を脱ぎ捨て、上半身裸で椅子に足をかけて奇声を発している。


 アッパー敬が210杯、ミリアナさんが195杯を数えた。その間、ミリアナさんは地道にビタミン剤を床に落としていた。


 更にお互いが20杯ずつ食べた頃、遂にミリアナさんの努力は実を結ぶ。


 アッパー敬が机に手を伸ばすが空ぶってばかりでビタミン剤を掴めない。何故なら机上には既にビタミン剤は1粒も無いからだ。


 あるはずの物が無い。

 それはアッパー敬をとんでもなく焦らせたようで、先程までのうざったいハイテンションは消えて、目が見開かれ首をしきりに動かす気持ちの悪い置物のような何かへと変わっていた。


「無い、無いぞ。数が足りない。あるはずなんだよぉーーー!」


 明らかに狼狽しているアッパー敬は手を止めて、姿勢を低くして机上を舐めるように見ている一方、ミリアナさんは次から次へとわんこそばを消化していく。

 

瞬く間に5杯差に追いついた。


 それを実況の言葉で知ったアッパー敬はビタミン剤探しを諦めて、新たなわんこそば椀を手に取って一気にそばを口に含む。


次の瞬間、わんこそば椀の中に体が食べ物を拒否するかのように勢いよくそばを戻した。


「辛い! どういうことだ。どうして辛いんだ!」


 どうして辛いか。それがわかっていないのはアッパー敬だけだろう。


 ビタミン剤の効果が切れたことで、アッパー敬の幸運が不幸へと反転したのだ。


 アッパー敬は激辛わんこそばを苦労の末に飲み込んで、次のわんこそばを口に含むが同様に吐き出した。


「またかよ! どうしてだよ。俺の幸運は……」


 やっと自分の異変に気が付いたアッパー敬は、ビタミン剤が入っていた瓶を取り出すが、そこには1粒たりとも入っていない。


「どうして無いんだ。数は足りる筈なんだよ」


 再び机上を見るがビタミン剤は無い。机を掘りだしそうなほど指を立てて、狂ったように探しているアッパー敬は遂に床に落ちている無数のビタミン剤に気が付いた。


「あったー! あったぞ」


 アッパー敬は転げ落ちるような勢いで床のビタミン剤に飛び掛かるが、そのビタミン剤は指に弾かれた観客の方へ転がっていく。


 周囲にはビタミン剤が落ちているのに、意識は逃がしたビタミン剤のみに向かっているようで、観客に向けて突進していく。


 避ける観客の中からビタミン剤を拾い上げたアッパー敬は、満面の笑みで噛まずに飲み込むとハイテンションに戻った。


「来た来た来た! 俺の時代が再来する」


 急いで椅子に座りなおしたアッパー敬であったが、目の前には吐き出した激辛わんこそばが鎮座している。


 これを食べなければ次に進めない。たとえ幸運が戻ったとしても、直前の不幸を消化しきれてはいない。


 アッパー敬は自分を言葉で鼓舞しながら、激辛わんこそばを口に含むが動きが止まる。顔からはとんでもない量の汗が吹き出し始める。


 そんなドタバタしているアッパー敬の横で、ミリアナさんはわんこそばの消化スピードを増していき、280杯目を積み重ねた。


 アッパー敬はまだ動けない。


 そしてミリアナさんは重ねていく。

「遂に清白クイーンが300杯目を手に取った! そして1口で……、いったあぁぁぁあーー! フードバトル四天王戦第3試合は、清白クイーンミリアナの完勝だ!」


 最終的にはミリアナさん300杯、アッパー敬231杯で勝負がついた。


 拍手喝采は古宮の声をかき消すほどの大きさで、ミリアナさんに向けられた。だがミリアナさんは動じる様子は無く、手を合わせて「ご馳走様でした」と言う。


 あまりの歓声に俺の声が届きそうにないから、ミリアナさんの耳元に口を近づけて話す。


「お疲れ。辛そうだったけど大丈夫だったか?」


「ご心配をいただきありがとうございます。

ですが問題はありません。私は辛さに関しては強いのです。この程度の辛さなら、汗をかくだけで問題にはなりません」


「そう言うのなら安心だけど、何かあったら知らせてくれよ。俺なら治療費がタダになるかもしれないし」


「フフ、もし何かあればお知らせします。本当に大丈夫なのです。もし私が1度、動きを止めた時の事が頭になるのなら、お教えしましょう。あれは演技です」


「演技だって!」


「はい。ルールを初めから提示しないという卑劣な行為に及んだ彼に、報いを受けさせるために油断を誘ったのです。

 それに彼の戦闘スタイル、私には騒音でしかありません」


 強かで隙のない女性だ。

 ミリアナさんならば1人でも何でもそつなくこなしそうだ。俺の存在意義は限りなく0だし、後はミリアナさんに任せたいのだけど、リアナが俺に任せると言った。投げ出すわけにはいかない。


 俺とミリアナさんは小声で話していると、やっと動き出したアッパー敬が立ち上がると、眉間にしわを寄せてミリアナさんに叫ぶ。


「ひ、卑怯だぞ。お前が俺のビタミン剤を床に捨てたんだろ。妨害工作だ」


 面倒な奴だ。

 仕方がないので俺はセコンドとしての役割を果たすために、2人の間に割って入った。


「妨害工作だというのなら、人の陣地にまでビタミン剤をバラまいたお前じゃないのか。

ミリアナさんはフードバトルに邪魔な物を床に落としただけ。これは公平な戦いだ。そうだろ、みんな! 勝者はミリアナさんだ」


 俺はアッパー敬がフードバトル中に見せた観客への煽りをまねして、観客に言葉を投げかけると、その数倍となって賛同の声が戻ってきた。

 

なるほど。これは中々気持ちがいいな。


歯を噛み締めて俺を睨みつけてくるアッパー敬が、突如として宙に浮いた。


何事だ!


 アッパー敬の背後に筋骨隆々で身長が高く、堀の深い顔をした男がいる。その男がアッパー敬を持ち上げていた。


「見苦しい。無様な姿を晒すな、アッパー敬。敗者は貴様だ」


 太く力強い声の男がそう言うと、アッパー敬は空中で縮こまった。その男が現れた影響は観客にも及んだ。

 観客からは絶叫に似た声に交じって、黄色い声まで聞こえてくる。

 

 そんな中、実況の古宮の声が響く。


「遂に! 遂にこの場所に、清白クイーンの前にこの男が現れた。

誰も傷一つ付けられない鋼鉄の壁にして、フードバトル四天王の絶対王者! 【ブラックホール 粕谷武史】が姿を見せた!」

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