1.5章 5話 眼前! 赤い犬

 デフォルメ化された小動物たちがあくせくと物を運んでいる光景を見ていると、メルヘンな童話の世界に迷い込んだようだ。

 初めは驚愕のあまり俺の腕を離さなかった明美さんも、今では小動物に手を振っている。


 一方の榊さんは目を細めてじっとサマンサを見ている。携帯電話を胸ポケットに入れているが、あれは絶対に隠し撮りをしている。


 わざわざ指摘するのは話が面倒な事になりそうなので、俺は気が付かないふりだ。


 それよりもサマンサである。


 自己紹介の時は自分のことを【魔法使い】と言っていたけど、本当は【魔女】だったようだ。

 と言っても魔法使いと魔女の違いはわからないので、どうという事もないのだけど、夢の魔女というのが気になる。

 

 夢の、と付いているということは他の魔女もいるのだろうか。


 次から次へとダイニングキッチンに物が積まれていく。小動物は可愛い顔をして、どれだけ重い物も笑いながら愉快そうに運んでいる。


 ある意味でその光景は、小動物に笑顔を強要して働かせているようで恐怖を覚えてしまう。でも可愛い事は可愛いのでつい眺めてしまう。


 この小動物による作業はほんの10分程度で終了した。

 小動物たちは作業が終わると、うず高く積み上げられた物を残して、サマンサが出現させた光の輪の中に帰っていった。


 サマンサは大きく息を吐き、フローリングから杖を離すと光が消えた。


「ありがとう。助かったよ」


「魔法を使った方が、楽で、安全。力になれてよかった」


 サマンサが椅子に座ると、明美さんが身を乗り出す。


「ねえねえ、今の何! サマンサさんは魔法使いさんなの? 始めて魔法を見たよ。魔法はあるんだね」


 サマンサは恥ずかしいのか帽子のつばで顔を隠した。


「あの、私は魔女。えっと、ここから遠くの、夢の森から来たの」

 

 夢の森の夢の魔女か。

 俺が住む世界のどこかなのか、それとも別の世界でクラスメイトの誰かと関係のある世界なのか。

 聞きたい事はあるけどサマンサがぼやかしているということは、ここにいる人たちに知られたくないのだろう。

 だからサマンサと2人なる機会があれば、その時に聞くとしよう。


「ねえ、サマンサさんの森にはどんな生物がいるの?」


 明美さんは結構グイグイ聞いている。


「えっと、動物さんとか、お花さんとか」


「人はいないの?」


「私あまり外に出ないから、わからない」


「そうなんだ。いいなあ。魔法少女アニメの世界みたいで。行ってみたいな」


「簡単には行けない。色々、準備が必要。それに、あまり良くない。危険かも」


「そうだよね。私はサマンサさんみたいに魔法使えないもんね。でもそんな世界があると知ったらワクワクするね」


 さっきから明美さんは異常にテンションが高い。目をキラキラと輝かせている。


「明美さんは魔法少女みたいなものを好きなんですか?」


「魔法少女は女の子の憧れなんだよ。殆どの人は子供の頃に夢を捨てちゃうけど、私は今でも朝の魔法少女アニメを欠かさずに見ているんだから。今放送しているのはね」


 明美さんによる魔法少女アニメ解説が始まってしまった。まあ楽しそうだから聞いてあげよう。

 そうして明美さんの話を聞いていると、突然目の端に赤い物体を捉えた。


「え!」


 すぐにその方向を見るがそこに赤い物は何も無い。全身に鳥肌が立ち、喉が詰まったかのように息苦しくなる。

 俺の様子を見た榊さんが心配そうに尋ねる。


「どうしたんだい? 何かあったかな」


 誰も見ていなかったのか? それとも見間違いか。いやそんな筈は無い。安易に済ませるのは危険だ。


「赤い何か、そこを横切りませんでしたか」


「何だって! 誰か見たかな」


 榊さんはマージエリ夫人やサマンサ、そして明美さんと続けて見るが全員が首を横に振った。


「少し待ってくれ」


 榊さんは携帯電話を取り出して机の上に置く。次に通話履歴から電話を掛けると同時に、スピーカー設定にする。


 一度のコールで相手が出た。


『こちら田中。何か異変ですか?』


 声は男のものだ。


「数秒前、部屋の中に何かがいなかったか?」


『いえ、見ていません』


 どうやら榊さんの部下によって、この部屋の中は監視されていたようだ。


「もう1度、確認してくれ」


「了解です」


 電話の向こうからキーボードやマウスの操作音が聞こえる。


『あ! ありました。赤い犬が出現しています!』


 男は興奮して叫んでいるようで、先ほどよりもかなり音量が大きくなり、スピーカーの音が少しだけ割れている。


「どうして見逃した!」


『申し訳ありません。しかし確実に見ていました。それでも何故か認識出来ませんでした。誠に申し訳ありませんでした』


「相手は異能の存在だ。そう言う存在だという事だから仕方が無い。それよりも至急その映像をこちらに送ってくれ」


『はい。承知しました』


 電話が切れて数秒後、榊さんの携帯電話にメールが送られてきた。そこには映像が添付されている。


 榊さんが映像を開くと画面いっぱいに、ベランダの向こうから俺達を映したものが表示された。

 先程の魔法少女アニメ談義を白熱させている明美さんが映されている。明美さんの手前にいるのは俺である。俺の後ろ姿を初めて見た気がする。


 さすがに音は無いようだ。

 

 大きく体を動かして説明している明美さんのその奥、積まれているトイレットペーパーの更に奥に、笑顔の赤い犬が突然その姿を現した。

 まるで今までずっといたかのように、そこに立っている。


 周囲の物と比較すると身長は160センチ前後だろう。


 赤い犬はゆっくりと手を伸ばして、トイレットペーパーの上に置かれている置時計を掴むと、忽然とその置時計と一緒に姿を消した。


 赤い犬は存在する。実際に肉眼で見たわけではないけど、それは確実な事実となった。そう思うと目の前に置かれた赤い犬の置物が一層不気味に感じる。


「これは困ったねえ。これだけ堂々と現れているのに、相山君以外に気が付いた人がいないとは」


 榊さんが頭を掻きながら映像を初めから再生させる。何度見ようがまごうこと無き赤い犬である。

 

「これで盗みの犯人が赤い犬だと明確になりましたね。問題は山積みですけど一歩前進です。次は実際に目に見ることです。まだまだこれだけ物が残っています。時間はまだあります」


 明美さんが震える手で俺の腕を掴む。


「本当に、本当に大丈夫なのぉ? こっち来たりしないのぉ?」


「たぶん大丈夫だと思います。今までのどの件も、家の物が赤い犬の置物とレシートを除いた全てが綺麗に消えています。動機は不明ですか、赤い犬は人間を盗むのを最後にしています」


「そうか。まだ大丈夫なんだね」


「安心してください」


 そう励ましたところで、正直な話はどうなるかはわからない。そもそも赤い犬がターゲットを物から人間に変更するトリガーが不明だ。本当に全ての物を盗んだ後なのかもわからない。


 だからこそ物が全て盗まれるまで待ってはいられない。


「赤い犬の手口がわかりました。

 次も同じ手を使うのであれば、俺たちは注意して見ておけばいい。全員ベランダを背にして部屋の中を見ていましょう。榊さんの部下の方は引き続き監視をお願いします」


「そうだね。それしかないね」


 俺達5人は横一列に肩を並べてフローリングへ直に座った。椅子や机も赤い犬のターゲットになるだろうからだ。


 念のために赤い犬の置物を近くに置いて、レシートは重要な証拠になるのでポケットの中に入れた。左手に教科書を握っているのだけど、勉強は出来そうにないので鞄に入れた方が良いかもしれない。


 俺の右横には明美さんがいて、俺の左横にはサマンサがいる。こうしてサマンサの横にいると、彼女が被る帽子がとても邪魔だ。俺の頭にガシガシ当たる。


 こうして5分程が経過した。代り映えのしない積まれた荷物を見続けるのに飽きが来る。こうして見ていると、多種多様な物がまだのこっていたことがわかる。


 服やタンスや香辛料、そして魔法少女のフィギュアが数体。明美さんはフィギュアを集めるほどに魔法少女が好きなようだ。


 そして順番に見ていく。煎餅、ベストセラーの小説、有名菓子店の紙袋、赤い……。


「いる! いますよ!」


 今まで靄が掛かっていたのか。赤い犬がハッキリと目の前にいる。赤い犬は手を伸ばして懐中電灯に触れようとしていた。

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