第5話
景色の余韻が、
まだチカチカと目の前に残っている。
店内には俺と魔女と、レイン以外に誰もいない。
窓からは、まだ高い位置に昇り切る前の陽光が優しく差し込んでいる。
夢を見ていたような奇妙な感覚があった。
「…どうしたの?」
レインが心配そうな顔で覗き込んでくる。
どちらが現実なのか、わからなくなるような感覚だった。
まだ少しだけ頭がぼんやりしている。
「今…、女の人が、居た…。大きな樹があって…
高い、丘みたいなところに…。」
見えた情景を、ありのまま言葉にしてみる。
夕焼けとも朝焼けともとれる
朱色の光がまだ目の奥に焼き付いている。
丘から見えたあの大樹を、どこかで見たことはなかっただろうか。
「…あれは君の中にある剣の記憶だ。」
コーヒーカップを見つめながら、静かに魔女が言った。
丸メガネに窓辺の光が映り込んでいて、その表情は読み取れない。
俺と同じ光景を一緒に見ていたような口ぶりに、驚いた。
「今の、あなたも見たんですか…?」
「魔女だからな。」
顔を上げると、彼女はそう言って笑ってみせた。
あっという間に、
景色が切り替わったような感覚だった。
幻というにはあまりにも鮮明で、
風の匂いも空気の肌触りも、まるで現実の出来事だったように感じている。
「私、見えなかったわ…。」
レインが俺と魔女を交互に見ながら首を捻った。
若い女の人が、何かを強く祈っていた後ろ姿が
頭をちらついて離れない。
髪は肩くらいの長さで、土に汚れた朱色の上着を纏い、足元は泥だらけの靴を履いていた。
そのひとに。
「ミズキって…呼ばれた。」
手を伸ばせば触れられるような距離にいたそのひとを、守りたいとか救いたいとか、
そういう感情を抱いていたような気がする。
あれは、誰だったんだろう。
そういえば
「剣を届ける相手って、ミズキ、ですよね。」
その名前の響きに、トクンと、体の中で剣が反応したような気がした。
「そうよ。あなたに託したのは、ミズキの剣。」
何か納得したように頷いたレインの答えに、
またトクンと、胸のあたりが波打つように反応するのがわかった。
「その人は今、どこにいるんですか?」
「…ごめんね。私は、それに答えることはできないの。お代をもらったとしても、言えないわ。」
レインが少しだけ申し訳なさそうに、眉尻を下げて小さく微笑んだ。
その鈍色の瞳が、慈しむような優しさでいっぱいにあふれていから
なんとなく、それ以上は踏み込むことができなかった。
「行く先は、剣が教えてくれるわ。あなたが何か見たのなら、きっとそこに意味があるんだと思う。」
「行く先…」
レインに言われてもう一度、
あの光景を反芻してみる。
あの場所に意味があるのなら、
どうやってたどり着けばいいのだろうか。
体の中に納まってしまった刀剣をどうやって取り出せばいいのかも謎だけど、
不思議なことに、思い起こすほど、
あの場所に行きたいという気持ちが湧き上がってくる。
「あそこはこの世界の祈り場だ。」
穏やかな声が、静かに耳に響いた。
振り向くと、魔女が微笑みながら俺を見ていた。
窓辺の光が、丸メガネの中でキラキラしている。
その視線は、俺というより、俺の中に納まっている刀剣に向けられているようだった。
「その剣は、君を助けてくれるよ。」
胸のあたりが、応えるようにじんわりと熱を帯びて、トクントクンと脈打つのを感じた。
そっと胸に手を当てると、
鼓動が少しずつ俺の心音と重なり合って、
まるで生きているように伝わってくる。
この剣の持ち主が、ミズキがどんな人なのか。
無性に知りたくなった。
「これから、君と私は祈り場へ向かう。
君の時間を巻き戻してる“繭”を断ちに行くんだ。」
今度は視線をはっきりと俺に向けて、魔女が言った。
急に告げられた言葉に、驚きが全身を駆け巡る。
「…あの場所へ?」
静かに微笑んだまま、魔女はゆっくりと頷いた。窓辺から差し込む光が角度を変えて、
反射していたメガネの奥から、水のように揺らめく瞳が映し出される。
その瞳が、優しく細められていた。
「私はね、君のお母さんに頼まれているんだよ。」
「母さん、から?」
思いがけない響きに、覆い隠されている記憶が
霞の奥で揺さぶられたような気がした。
「そう。止まってしまった針を回して、先へ進むために。君を守るよう、託されている。」
心臓が、深いところでドクンと大きく高鳴った。
思い出せない面影に、胸が強く締め付けられる。
父さんと母さんが、居てくれた。
その事実が、俺がちゃんとここに存在していることの証に思えて。
「母さん、が。」
嬉しくて、少し泣きそうになった。
魔女とレインの、見守るような優しい視線を受け止めながら、深呼吸をして、俺は魔女を見つめ返した。
「…“まゆ”って?」
「強い願いが結晶化したものだよ。巨大な力の塊、と言ったらいいかな。それが君の命を吸い取っている。」
メガネに映り込む光と混ざり合うように、瞳が不思議に色を変えながら、まっすぐに俺を見つめていた。
「どうして俺の命を…なんのために…?」
「願いを叶えるために。」
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