第3話

「…こんにちは。」

入り口からそっと覗き込むと、

中はちょっとだけほの暗い、

落ち着いた空気が流れていた。

扉の上のステンドグラスから陽光が差し込んでいて、赤や緑の鮮やかな色彩を床に描いている。

隠れ家のような雰囲気に、ちょっとだけ胸が踊った。

「いらっしゃい。」

軽やかな声がした。

手前から奥にかけて、カウンター席が設けられている。その内側に、若い女の人が居た。

「お入りなさいな。」

その人は俺を見て微笑むと、

気さくにちょいちょいと手招きをした。

「失礼します。」

扉を閉めて中に入ると、

正面に蔦の葉が巻きついた柱が二本あって、

その先が、数組の木製テーブルが配置されたフロアになっていた。

ちょっと緊張しながら進むと、

そのままカウンター席へ座るよう促される。

喫茶店のような店内には、俺以外に客の姿はない。

「あの…ここはレイン、さんの店ですよね?」

「ええそうよ。レインは私。ここの店主。」

そう言って、ふわりと微笑む彼女を見て、

思わずドキッとした。

ものすごく、美しい人だった。

くるくると巻かれた黒髪が艶やかで、

肌は透き通るように白く、

鈍色の瞳が儚げに瞬いている。

20代くらいに見えるけど、

10代に見えなくもない。

「あの。俺、“かけづきのまじょ”に会いにきたんです。…会わせて、もらえますか?」

思っていたよりずっと若い店主に、

ボーッと見惚れてしまいそうになる気持ちを

ぐっと引き戻して、

俺は、ここへ来た本来の目的を問いかけた。

彼女の美しさにドキドキするのとはまた別のところで、心臓がトクントクンと高鳴り始める。

レインは俺の問いかけを、表情を変えずに聞いていた。そして、微笑んだまま小さく頷くと、

「会いたいなら、お代が要るわよ。」

と言った。

「…え?」

思いがけない返答に、一瞬耳を疑う。

聞き間違いかもしれない、と思ってみたけど、

ニコニコと可愛らしく微笑んだレインの右手は、

人さし指と親指で輪っかを作り、

しっかりと金銭的なあれをアピールしていた。

「だって、私は情報屋だもの。ベルから聞いてない?」

聞いていない。

と、叫びそうになるのをぐっと堪えた。

ベルというのはベルベットのことで間違いないだろうけど、二人は知り合いで、いったいどこまで、何を知っているんだろうか。

いや、そんなことよりも今は…。

「お代…」

すっかりそういう感覚が抜け落ちていたけど、

今の俺って無一文なのではなかろうか…。

念のためポケットを探ってみると、

やっぱり、お金どころか何も持っていなかった。

「…お金、ないです。」

正直に、そう答えた。

じわじわと、血の気が引いていくのを感じる。

急に突きつけられた現実が

急に重くのしかかってきていた。

そういえばそうだった。

世の中、基本はギブアンドテイクだ。

ここの通貨って、相場ってどうなんだろう。

ぐるぐると、打開策を考えながら凍りついていると、レインが可笑しそうにクスクスと笑い声を上げた。

「じゃあ、代わりに働いてもらうしかないわね。」

ピンッと軽く俺の鼻頭を弾くと、

「ちょっと待ってて。」

と言って、レインはカウンターを離れて、

隣接した別室へと入っていった。

どこか楽しそうに笑う彼女はとびきり可愛くて、

やっぱり見惚れてしまったけど、

一見儚げな鈍色の瞳には、商い人の魂が

しっかりと光っていた。

ハァ、と思わず深く息をついた。

連れてきてもらった場所ですぐ、

“かけづきのまじょ”に会えるものだと、

漠然と思っていた。

現実は甘くないなと、非現実の中で思い知る。

しばらくして、戻ってきたレインは

一振りの刀剣を大事そうに抱えていた。

「これを、約束の場所へ運んでもらうわ。

ミズキという人に届けてほしいの。

それが対価よ。」

レインは俺の目をまっすぐに見据えて、

はっきりと言いきった。

「ミズキって…」

「行けばわかるわ。」

なんだかベルベットとも似たような会話をしたような気がする。

真っ白な鞘に納められたその一振りは、

綺麗で汚れひとつなく、レインの両手の中で、

俺の返事を待っているかのように煌めいていた。

「やる?」

上目遣いに、レインが聞いた。

「…やります。」

レインの目を見つめ返して、俺は答えた。

先は見えなくても、できることをやるしかない。

俺はひとつずつ、目の前のことに向き合っていく

ことしかできない。

そういう性格だと、なんとなく自分で理解していた。

「でも…。こんな大事そうなもの、

俺なんかに託して大丈夫なんですか?」

「私はこれでも目が利くのよ。

あなただから、この依頼が相応しいの。」

そう言って、レインは俺の両手に

そっと刀剣を手渡した。

その瞬間だった。

突然、両手から眩い光が現れたように見えた。

「え…?!」

実際には、刀剣が俺の中へと消えて行った光だったわけだが、状況を理解するまでに時間がかかった。

もちろん、俺は触れただけで、

特別何かをしたわけではない。

そしてどうやら、レインが何かしたわけでもなさそうだった。

レインはというと、

感心したように頷きながら俺を見ている。

急に起こった現象に戸惑ったまま、

俺は行き場をなくした両手を見つめた。

「綺麗に納まったわね。気分はどう?」

「はい…。その…。…はい。」

大丈夫なのかどうなのか、

よくわからないというのが正直な感想だけど、

体に変化はなく、特におかしいところもない。

ただ、自分の中に暖かい光が入り込んだ感覚だけがたしかにあって、今も胸の奥でゆっくりと脈打っているのを感じる。

「大丈夫、みたいです。」

そう言って、

俺は両手を握ったり開いたりしてみせた。

今も驚いているし、

開き直ったわけではないけれど、

不思議なことの連続で、どうやら少し、

耐性がついてきたらしい。

こうなったらどんな不思議も受け入れようと、

俺は密かに、心の中で覚悟を決めた。

すると、またしても可笑しくてたまらないといった様子で、レインが笑いを噛み締めている。

「出た目でなんとかしようとするところ、

お母さんそっくり。ねぇ、ジリ。」

そう言って、レインが語りかけた視線の先に、

いつの間にか老齢の女性が座っていた。

驚いた。店に入った時にはいなかったはずだ。

カウンター席の一番奥に座ってこちらを見ている。

「やぁ。」

柔らかく朗らかな声で、話しかけて来たその人は、

居るのか居ないのかわからない独特な気配で、

水のように穏やかに、そこに居た。

「この人よ。かけづきのまじょ。」

楽しそうにニヤニヤ笑いながら、レインが言った。

それが、“架月の魔女”との出会いだった。

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