仕事と手毬寿司 (春秋)

※「指輪と小籠包」と同じCPです

そちらを先にお読みいただくことをおすすめします



 火を通した小さな海老は、梅の花のように丸まっている。それを、酢を混ぜた白米といっしょにラップにくるみ、小さな玉の形にぎゅっと握って形を整える。

「あ。ひな祭りか」

 スエットに着替えながら、肩ごしに千秋の手元を覗きこんだ青葉が、はたと気づいたように声をあげた。

「せやで」

 手ぇ洗ったらラップ広げてそこ置いて、と台所のあいたスペースを肘でさされ、へいへいと青葉は言われた通りにする。

「あとで茶巾寿司も作るから」卵だしといて、と指示され、消費期限の迫った卵を選りだすと、四個にもなっていた。よし、と手毬寿司がひと段落した千秋は、それらをラップにくるんで冷蔵庫にいれると、薄焼き卵のための四角いフライパンを流しの下からとりだす。

「そいや、今回酢飯にじゃこ混ぜてみたんやけど」

「あ、旨そうだな、それ」

 答えてから、この言葉選びが正しいかわからないが、思い切って青葉は口に出した。

「お前ってこんなに女子力あるんだな」

 はたして千秋は「今知ったん」と気にもしない返しをしてきた。男女差別だとかそもそもジェンダーだとか、そのあたりの地雷を踏まなくてよかった…と胸を撫で下ろす青葉に、千秋はちょっと振り返って眉尻を下げた独特の笑い方をする。

「僕、いろはちゃんより料理うまいんやで」

「あいつは…あー、いやでも最近マシになったぞ」

 青葉の妹の色葉は、かつて味噌汁をつくるときに、鍋の白湯に直接味噌をぶち込んだという伝説を持っており、今もそのことをよく千秋に弄られる。

 青葉が手伝いながら様子を見ていると、千秋は小器用に茶巾寿司をつくり、青菜の茎で口を縛った。

 手毬寿司を花火のような形に並べた大皿の隅にそれを盛り、青葉がそれを運ぼうと持ち上げると、ふわりと酢の香りがした。

 千秋は少し遅れて、台所から食卓へ来ると黒い椀の吸い物を置いた。具はわかめとふわふわにした卵、これも消費期限ギリギリのヤツだな、と思いながら、青葉は味噌汁より控えめな香りを深く吸い込む。普段なら緑の具は三つ葉のところだが、少しだけ胡麻の匂いが混ざっていて、中華風なのかと考えながら、ふたりでいただきますをして、箸を取るまでの時間も楽しい。

 畳んだエプロンを椅子の背にかけながら、千秋は「そうやって食べるの待っとるの見ると、ほんまわんちゃんやな」と失礼なことを言ってくる。

 二人が揃って、いただきます、のあとに箸をとり、成人男性の口には小さめなサーモンの手毬寿司を青葉がひとくちで食べるのを見ながら、千秋は口を開く。

「僕な、職場変えようと思うん」

「え?」

 思わず声をあげた青葉に、落ち着き払って海老の手毬を咀嚼した千秋は返す。

「ポスドクなんてジリ貧やし、僕そんなに真剣にアカデミックな大発見しよ思って研究しとるわけやないし。それより、細々でも雇い続けてもらって、固定給もらって。まあ、それなりにやる方が向いとる気がするんよね」

 うちのことするの好きやし、誰かさんはお仕事忙しいみたいやしなぁ、と千秋は目を細める。つい先日まで事件にかかりきりになって、捜査本部に千秋からの差し入れまであった青葉は、口を一文字にしてうむむという顔をする。

 僕、女子力あるからぁ、とからかうような声に、青葉は突然立ち上がった。

「え、なに」

 驚いて少し椅子を引く千秋に、青葉は食卓越しに腕を伸ばして抱きしめる。なになになにこわっ、と千秋は悲鳴をあげたが、やがて自分も腕を伸ばして、わからないなりにそっと青葉の首に回す。

「ど、したの。なんかイヤなことあった?」

「いや……」

 ハグを続けるには距離が離れすぎていたので、青葉は一度腕をほどいて小さな食卓をぐるりと回ってから、もう一度目の前の千秋をがばっと抱きしめた。

「……幸せにするからな」

 絞り出すような声に、少し訝しむ顔をしていた千秋は、すぐに猫のように目を細めた。

「…言っとくけど、主夫にはなれんよ。そこそこきちんと成果出さんとあかん職種なのに変わりはないし」

「もちろんそれはわかってる。俺も家事はする」

 照れのためか、もにゃもにゃ言っていた千秋は、やっと自分の言っていることの意味に気がついているようだった。家のことをしたいから仕事を変えます、それはつまり、青葉とこれから先、家計と家事を共有して長く暮らしていくつもりだと宣言したもおなじだ。

 青葉がやたら筋肉のついた腕で自分を離さないのにふくれながら、「ちょっと職場は遠なるけど帰りに買い物しやすいとこやねん…」と俯いた。

「そういえば、どこに移るんだ? 他の大学なら今と変わらないだろ?」

「企業勤めの大学時代の同級生から声かけてもらったんよ」×××って知っとる? と挙げられた会社の名前は薄らと聞き覚えがあった。うん、と頷きながら頭を撫でると、千秋は恥ずかしそうに頭を振った。

「まだ本決まりやないから。期待せんで待っといて」

「……ああ」

 千秋がいやいやと肩をゆするので、やっと渋々青葉は抱擁をほどいた。ぷりぷりしながら箸をとって汁物を啜る、その耳が赤い。

 食事をなかなか再開しない青葉の視線に気づいて、千秋が椀の向こうから「…ナニ?」と小さな声で訊く。青葉は指を組み、深く頷いた。

「やっぱり、お前に指輪渡してよかったなって」

「……やかましいわ」

 首まで淡く赤くなった千秋は、指輪をはめた拳で、満ち足りた顔の青葉を軽く小突いた。

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