l'm on the edge of XXX (JA)

「ミスター・ラン、ようこそいらっしゃいました」

 そんな声をぼんやり聞きながら、そういやこいつってランって苗字だったな──と、己のそれとの相似に無闇に腹を立てるなどする。

 ジェイに対して、それと連れであるアレンにも一礼したスタッフに案内され、高速エレベーターに乗せられる。スクエアな印象の内装がアレンを落ち着かなくさせる、やけにモダンなレストランだった。落ち着かないのは服装のせいもあるだろうが──セミフォーマルな濃紺のショートジャケット──このニューヨークの名所、30ハドソンヤードの百一階。──ジェイが、放課後に突然、アレンにジャケットを渡して、「着て、ピアスをはずして、車に乗れ」と言い放ったのだった。

 その独特な三角形のフォルムが、ハドソンヤードのビルディングに翳を落とす展望台「エッジ」に並ぶレストラン「ピーク」──地上三九五メートルの窓際から見晴るかす、マンハッタン南部の曇天の夕暮れ。

「こーいうのって、普通美しい夜景の時間帯に来るもんじゃねえの」

「ふむ。夕食にしては確かに早めだが、夜景か。……普通はそういうものなんだな」

 アレンは黒いやわらかな椅子の曲線に、居心地悪く手をそわせながら「……いや、知らないけど」と煮え切らない返事をした。

「どうした。言動にキレがないが。お前の持ち味だろう」

「お前が俺に一番に求めんのはツッコミのキレなのかよ」

 アレンは苛立たしげに、スイカとトマトのソルベに、やたらと繊細なフォークを突き立てた。しゃくり、と金のクラッカーが添えられたドームが割れ、赤い果汁が小さく散る。

「……」

 それを見てから、ジェイも卵をかたどった桃とヨーグルトのムースに、金のスプーンをいれた。

「口に合うといいんだが」

「金の味がする」

「そうか。伝えておく」

「お前もしかしてバカ?」

 ジョークだよ、と疲れた顔で、アレンはカクテル・グラスに手を伸ばした。シグネチャー・カクテルである、ニューヨーク・ステイト・スピリッツを一息にあおると、アレンは剃刀のような目でジェイを一瞥し、一言ため息に乗せて吐いた。

「やっぱ世の中金よな」

「金がすべてではないが、金が取引材料のひとつとして非常に優れていることは認めよう」

「うるせ。……金さえあればなんだってできるもんなァ」

 ジェイの優雅な仕草をする手元から、見るからに上質な仕立のグレイのジャケットまで、柳の葉の形の目線が憎々しそうに這い上がる。同じ人種であることを示す黄みがかった象牙色の肌と黒い髪(もっとも、アレンは現在メタリック・スカイブルーに染めているのだが)――それらが、育ってきた環境の水と空気で、艶や色合いを少しずつ違わせている。眺めているだけで腹が立ってくるので、アレンは窓の外に目線をくれていたが、それを見ていたジェイは声をかける。

「高いところが好きなら、今度は展望台に行くか。アトラクションもあるようだが」

 命綱ハーネスをつけて、30ハドソンヤードの外壁を歩くアトラクションが人気なのは、学校でも知られている。

「くっだらねえ」

「ああいうのは好みではないのか」

「あ? 当たり前だろ」お前俺の何を見てきてンだよ、とアレンはジェイに向かって中指を立てる。

「落ちたら死ぬから愉しいんだろうがよ」

「他人が落ちてもか?」

 どん、と、鈍く抑えめの、しかし食事では決して鳴ることのない音が響く。叩かれたテーブルは細かく揺れ、硝子が水面のようにさざ波だつ。

「……なあ、ジェイ。腹割って話そうや」

 猫をなでるような、しかし蛇のくねるような粘つきを持った声色で――アレンは低く囁いた。

「遠回しなのは俺の性分に合わねえんだわ。お前、

「アレンに関しての噂はいろいろと聞いた。教師を脅しているとか、チャイニーズマフィアと関わりがあるとか、喧嘩で人を殺したことがあるとか。日頃の行いのせいじゃないか」

「あのな、ジェイ。俺はテメェが大っ嫌いだが、テメェのおつむの出来は認めてんだ。そういう話じゃないことくらいわかるよな?」

 噛んで含めるような、優しさすらにじむ声色でアレンは続ける。「俺がよく他人を殴るから、ドラッグやってるから、ピアスを開けてタトゥーを入れてるから──きっと人ひとりくらい殺してるだろう。そういう馬鹿の妄言を、まさか本気にしてないよな?」

「……」

「なんとか言えや、坊っちゃん。?」

「……正確には聞いたわけではない。調べた」

「ほほう、どうやって?」

「それを説明することが、今お前が求めている行為か?」

「──チッ、どこまでも腹立つヤツ」

 席に深く体を沈め、投げやりにアレンは手を振る。「──場所変えて話そうぜ。こんな店には不釣り合いな話題だろ」皮肉げに唇をゆがめ、ジェイに渡されたジャケットの襟をつまんで見せる。

「構わない。どこへ行くか」

「あそこはどうだよ。あの展望台っつか、蜂の巣みてーなトコ」

「あそこは閉鎖中だぞ。──飛び降りが多発してな」

 アレンの表情が歪む。ジェイは少しだけ目を細め、席を立つ。

「──ホテルを取ってある。ここの上階だ」



 静寂であった。不気味なほどにシンプルなデザインのスイート・ルーム、ウェルネスが流行最先端の関心ごとであるセレブリティたちのためのホテルは、フィットネス・クラブが運営しているものだとジェイは機械的に説明した。

「その説明要らねーよ」

「そうか。気味が悪そうな顔をしていたから、不安を取り除いてやろうと思った」

「イヤ確かに、プロテインとかビタミン剤とか置いてあるホテルとか怖ぇな…とは思ったけどよ」

 薄気味悪がっている表情を隠さず、アレンはオーガニック素材のアメニティ・グッズをつまみあげる。…すぐに興味を失い、どさりと乱暴に、どうやら植物素材かなにかの白いベッドに腰をおろした。

「言っとくが、もしかして人殺しが一大事だとか思ってねえよな、ジェイ坊っちゃん? お前はそういう世界の住民じゃねえもんな──ま、想像だけど」

「……俺は自分で手を下したことはないし、誰かに命じたこともない。サスペンス映画などで描写されるような、経営や資産、政治的権力に関わる血腥い事件にも縁はない──あいにくだが」

「でも、誰かの死が利益や損失として勘定される世界だ、そこは。そうだろ?」

「──さあな」

「……ま、いいや。俺たち貧乏人の住む世界ってのはさ、そこそこ簡単に人が死ぬんだわ。交通事故、強盗、OD、DV、酔っぱらいの喧嘩──知り合いだけでもこんなとこかな。あと出産と堕胎。

 人ってクッソ簡単に死ぬし、誰かをぶっ殺してムショに入ってたヤツだって身近にゴロゴロいる。──でもな、」

「法的には、証拠も記録も一切ない。お前のしたことに」

 遮ったジェイを、アレンはじろり、と猛禽の眼で睨めつける。「──話してる最中だろうがよ。聞けや」

「お前の周囲がどうであろうと、お前自身が何をしたか。そしてそれがどのような結果になったか──それが、それだけが、お前が気にするように、お前の今後の人生や、家族の人生に関わってくる」

 そしてそれを最も恐れているのはお前だろう、アレン。女のような小さな唇から放たれるはずの低い声は、まるで部屋中の壁から語りかけてくるように重圧をもたらす。

 アレンは脱ぎ捨てたジャケットの隠しから、潰れた煙草の箱を取り出した。キャンディの棒のように細く白いそれを指でつまみ、不意に上目遣いでジェイを捉える。

「…………証拠、えんだろ。ミスター・ラン?」

 舌打ちのような音を立てて点火したジッポを、ジェイがぱしりと掴み取る。鳥の羽がひらめくような仕草で取り上げると、「禁煙だ」と、射貫くように睨みつけてくるアレンに真顔で告げてから、ハンカチでジッポをくるんで自分のポケットにしまった。

「証拠は無い。だが」話を続けながら、ジェイは、アレンの煙草にも手を伸ばした。

 面倒くさそうに避けようとしていたアレンの動きが止まる。

「ばっ…かじゃねーの、お前!」叫んだ声はすぐに静寂に吸われる。

「何のためにそんなことするんだよ? あれか──お前のことだから義憤とかそんなわけねえよな、俺を脅す材料ってことかよ? マジでバカじゃねえの。なんでそこまでして俺をどうにかしてえんだよ!」

 優美な曲線を描く指先、その磨かれた爪で、ジェイは煙草を潰す。空恐ろしい無表情、そこに刳り貫かれたようなブラック・ホールの瞳孔がアレンから逸らされることはない。

「なにがなんでもどうにかしたい、というわけではない。お前に無体を働くのは、手段だ。知りたいことを知るための――」

 煙草の臭いがする陶器の指で、頬を撫でられ、鼻先が触れあう距離で、眼を覗き込まれる。

「さあ、アレン。教えてくれ。今、どんな気分だ?」

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