第3話 美形が神秘的なのは青年期までが基本、みたいです

 両親と同じ楽団に所属していながら1人だけ3日も早くに来日した美青年は、大きなサングラスを掛けている。黒の細めのカーゴパンツに、身体にぴったりした真っ白のTシャツが無駄に格好いい。Vネックに入った黒いラインが彼の洒落っ気の成長を思わせる。わたしは危うく舌打ちしかけた。


「セラ!」

 高々と挙げた右手を振りまわしながらスーツケースを引いて近づいてきた彼を、わたしは湿った視線で射抜く。容貌は芸術的なほど美形なのに、子どもじみた動きが残念すぎる。美しい神秘性を自ら破壊とは、まったく酷い。周囲に居合わせた女性たちは動作なんて気にしていないらしく、計算し尽くされて造形された彫像のように整った姿の彼に見惚れているようだが。


「ほんとに来たんだね、リッポ」


 彼はサングラスを持ち上げ、澄み切って無垢な光を浮かべた瞳で見つめてきた。

「なんで? マルガリータとフェゼリーゴも、すぐ来るでしょ」

「いや、同じ演奏会に出演するのに、なんでこんな早入りなのよ」

 ──ああ! と、彼は笑顔になった。


「だって、日本ジャッポーネだよ! ユイカとミツルに会えるじゃない!」


 正直に言おう。


「やだキモイ」


 思いっきり顔をしかめて見せたが、彼は動じない。ただ、顎を上げ、視線を遠くに向けた。


「仕方ないよねー。ぼくって、あの顔貌かおかたちに惹かれてやまない遺伝子を持って生まれてきちゃったんだと思う」

「だからキモイまぢキモイ」

「そう? 君も一緒おんなじでしょ」


 わたしは息を呑む。


 ──なんで?

 どうして。

 まさか知ってるの?


「んん、あの瞳も、反則だよねぇ。水が澄み過ぎてて緑を映した川に透ける岩みたいな。知ってる? 森深い場所の川って、透明が強くて葉の緑を取り込んだ色してるの。水中にある部分の岩は茶色くて、水深の深いところの色味は、晴れた日なら、あの二人の瞳の色とおんなじなんだ」


 ──始まった。


 この夢見がちなところは、昔から、ずっと変わらない。

 美しいものが大好きで。

 清純な雰囲気にめっぽう弱い。


「はいはい。もう、キモさで胸が一杯だから。ほんと、もう入んないから」


 行くわよ、と腕を引っ張る。

 それでも気の優しい彼は、楽しげに笑いながらついてきた。明るい雰囲気は安定していて、昔ほど人見知りしなくなっているが、母は未だに、この青年を実の弟の如く心配している。


 タクシー乗り場に向かって歩きながら、会話を交わす。


「そういえば、セラは何処に泊まってるの?」

「アリアーネとミケーレのとこ」

「ええっ! 狡い!!」


 いい大人が大きな声で叫ぶのを、わたしはひと睨みで黙らせる。でも、彼は声量は落としたものの、

「シューイチってば、ぼくが泊まりたいってお願いしても、絶対に頷いてくれないんだもん。酷いや。セラは長期間、泊まらせるのに」

 恨みがましく、ぐちぐちと言った。


「そりゃ、真珠夫人マダーマ・ギータよこしまな目で見るような人間を同じ屋根の下に招くわけないでしょ、フィリッポ・カルミレッリ。お茶の誘いだけでも有り難いと思いなさいよ」

「うっ、邪な目でなんて見てないよ」

「まだ諦めきれてない癖に」


 わたしが呆れ声で言うと、彼は目を上げて、わたしの後ろに視線を飛ばしたようだった。遠い向こうに。でも、その目にどんな感情が浮かんでいるのかは、濃い色のレンズのせいで、わからない。


「諦めてはいるよ、もうずっと前にね。ただ、一緒に過ごすときを望む気持ちは、きっと生涯、消えやしないと思う。会話したり、演奏を共にしたり、ごくたまには、ぼくとだけ接して欲しいって」

「それ、諦めてるって言えるの?」

「ユイカをシューイチから奪いたいとは思ってないからね」


 穏やかな声音で淀みなく告げた途端。

 ガタンっ!

 音がして、彼が引いていたスーツケースが傾いた。車輪がひとつ、ころころと外れて転がっている。軸が折れたのだ。


「あぁあ~っ! どうしようセラ!」


 慌てふためく様子が子どもっぽくて、わたしは遠慮なく笑った。お腹が苦しくなるほど盛大に。


「ああもぅー……。でも、楽器ケースでなくて良かった」


 今回の演奏会では、彼は愛器ではなく、財団が用意した楽器を使用する。楽弓は自分のものも持ってきたそうだが。それで、普段とは違うスーツケースで来日したのだが、それがわざわいしたのだろう。壊れかけていたことに気づかず、持ってきてしまった。


「持ち上げて運べばいいじゃない」


 軽い口調で言うと、彼は唇を突き出した。


「ユイカから依頼のあった本が入ってて、重いんだよ。あと、楽譜」

「楽弓は?」

「ここ」

 左肩を傾けて背中のリュックサックを見せてくる。

 わたしはわざとらしく大きな溜め息をいて見せた。


「そっちの持ち手、寄越して」


 スーツケースの上部の持ち手に手をかける。車輪を拾ってカーゴパンツのポケットに無造作に突っ込んだリッポが横の持ち手を握って持ち上げるので、その向きに合わせて持ち手を引っ張り上げた。想像したほどに重くないのは、一応、リッポがしっかり持ち上げているのだろう。それでも、腕には多少、重力がかかる。


「うわ、ほんと、重い!」


 そのとき華麗な旋律が響いて、リッポの手が、ぱっと離れた。一気にかかった重みで腕が抜けそうになり、悲鳴を上げてしまう。ゴトンと音を立てて、スーツケースは地面に当たってしまった。


「ちょっとぉ! リッポ、危ないでしょっ」


 スーツケースが倒れないように抱えて見上げると、彼は携帯電話を耳に当てていた。

 仕方なく、わたしは黙って見守る。

 英語で何か話している。英語は、ちょっと苦手。視線を逸らして周囲を行き交う旅行者や帰国者たちを見ていると、やがて通話を終えたリッポが、頭を撫でてきた。


「ごめん、ごめん! でも、解決したよ」


 むっとして、その手をはらける。子ども扱いしないでほしいわ。


「何が?」


 ふふっとリッポが笑った。サングラスの奥の瞳は見えないけれど、唇は嬉しげに弧を描いている。


「シューイチが迎えに来てくれるって。ちょうど、彼も帰ってきたところだから、ついでに空港ここに寄ってくれるってさ」


 幸運だよ〜と喜んでいるリッポの様子を見ると、恋しい相手と結婚した男性に対する敵意は皆無で、寧ろ会えるのを喜んでいるようにも感じられる。先ほど、彼女を彼から奪おうとは思っていないと言っていた言葉が、思ったよりも重いのだと気づいた。


 わたしの心が、少し、浮き上がった。


「車に折り畳みのカートを積んでるんだって。まったく最高にツイてるよね!」


 ロビーで待ってて良いってさ! と、軽やかな足取りで端のベンチへと向かう。短距離なら、一人で運ぶのも苦ではないらしい。調子がいいんだからと呆れてしまう。でも、わたしもツイてると思った。二階の到着ロビーから一階のタクシー乗り場まで。そして、行列に並び、乗り込むまで。結構な距離がある。エレベーターはあるけれど、歩く間はスーツケースを持ち上げていないといけないなんて、なかなか辛い。


 わたしがリッポの迎えに行くこと、誰か、シニョール・裕福な守護者アルドティートに伝えてくれたのかな。

 真珠夫人マダーマ・ギータとミケーレじゃないかと思う。

 本当に、よく似た母子おやこだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る