第2話 双子の幼児はマジ天使、らしいです

 昔の夢をた。


 目を開けたときに見えた華奢な電灯は、優美な曲線を描くはがねのアームに蝋燭型の電球を取り付けただけのシンプルなものだ。装飾は最小限で、全体的にモダンな雰囲気である。ベッドサイドの電灯はそのデザインに揃えたような造りで、壁に固定されている。この家の電灯類は部屋によって統一感を出してあるものが多い。そして、一部屋あたりの電灯の数も、必要数を超えているように思える。何故なのかを家人に訊いてみたら、以前の当主で照明器具の蒐集家だった人物がいるのだという回答が返ってきた。


 朝の陽の光がカーテンの隙間から射し込んで、床や家具、壁を照らす。

 落ち着いた色合いの淡い緑の壁紙には、ごく似た色調の蔦模様が這っている。近づいて目を凝らさないと見えない模様だが、繊細で美しい。


 夢の中で会った男性を思い出すと、セラフィーナは胸苦しさを覚える。何故なのかは、よく解らない。昔、最後に会ったとき、彼が泣いていたからだろうか。


「大人の男性ひとが泣くなんて、そうはないわよね……」


 いや、一人、よく泣き出しそうな表情かおをする人はいるが。


 身を起こして暫く呆けていると、均一な響きの、扉を叩く音がした。

 返事の後、ゆっくりと開かれる。


「おはよ、セラフィーナ」


 毛先がカールしている亜麻色の髪を揺らし、大きな鳶色の瞳に微笑を輝かせた美少女。セラフィーナと両親が、最も色とりどりの音を生むヴァイオリニストの一人だと思っている、天才。

 既に着替えており、制服姿だ。今日が学期末最後の登校日だという。


「アリアーネ! おはよう。早いのね」

美弦みつるよりは遅いよー。大抵の日はね。よく眠れた?」

「ええ、やっぱり、ここのベッドは寝心地がいいわ!」

「良かった。洗面所の場所、覚えてる?」

「あー、どうだったかしら? 連れてってもらったほうが、いいかも」


 セラフィーナがアリアーネと呼ぶ少女は頷いて、小さく笑った。


「いちばん近いところなら、きっとすぐ覚えるわ」

「次に来たときは忘れているでしょうけどね」

「だいたい皆、そうよ」


 手早く着替えたセラフィーナが髪を纏めると、

「あ、洗面所に、セラフィーナ用の身支度セットも用意してあるわ。前回に気に入って置いていった一式全部ね」

 そう言われて髪から手を離す。

「そうだった。忘れてたわ。じゃ、行きましょ」

「うん。こっち」


 洗面所で会話を弾ませながら、顔を洗って、歯を磨いて、髪を結う。涼しげなビーズの飾りが付いたバレッタで、編んだ髪を留めた。


可愛かっわいい! 似合う、セラフィーナ!」

「ありがと。アリアーネの髪も、綺麗なカールで羨ましいわ。私の髪じゃ、コテでしっかり癖をつけても、そんな整った形は夜まで保てないもの」

「でも、このカール、ケイジョウ記憶されてて、出来る髪型の種類がせばまるんだもん。わたしはセラフィーナの髪が憧れよ!」

「嬉しい。そうだ、今度、髪型をお揃いにしましょ」

Vabbèもちろんイイよ‼︎」

「ねえ、支度できた?」


 不意に掛けられた声に、セラフィーナの心臓が跳ねる。


「あ、美弦!」

「あ、じゃないでしょ、綺音あやね。マンマが朝ごはんを冷めないように盛り付けるタイミングを計ろうとして、今か今かと待ってるよ」

「よーっ」

「よぉ〜」

 美弦の両手を握っている双子が、兄の言葉の最後の音を真似して言った。


「あーっ、シオン! カノン! おはよう、今日も可愛いわね!」

 鼻息荒く歩み出て、二人の前、美弦の真正面にしゃがみこむ。幼い双子は両目を零れ落ちそうなほど見開いたが、じっとセラフィーナを見つめて、すぐに笑顔になった。

「フィーナ!」

「おはよ、フィーナ!」

 兄に掴まれていないほうの手を伸ばしてセラフィーナを愛称で呼ぶ姿に、呼ばれた彼女は蕩けてしまう。

「あ〜っ、たまんない可愛いぃ……」


「──っていうか、そういえばなんだけど、どうして詩音しおん歌音かのんは、本名呼びなの?」

 綺音が呟いたが、セラフィーナは双子を愛でるのに夢中だ。交互に頬擦りしてニマニマしている。

 美弦が小さな声で言った。

「日本人の名前の発音が難しすぎて、明らかに間違う感じになるのが嫌なんだって。で、本人に了承を得られた場合は、似た響きだったり意味が近かったり、イメージに合ったりする呼称を使ってるそうだよ。詩音と歌音は、ほら、多国籍な響きの名前だから。発音の違和感もセラフィーナにとっては許容範囲なんじゃないかな」

「ああ、なるほど。でも、かなでちゃんにはリョウショウ得てないよね……?」

「まあ、カナンは、事後承諾ってことみたい」

「そうなんだ……」


 姉弟が日本語の小声で会話していると、幼い弟妹が声を上げた。


「フィーナ、おなか、すいてない?」

「詩音はすいた。フィーナは?」


 蕩けきった笑顔のセラフィーナが、ハッとする。


「そうね! お腹が空いたわ! 行きましょうか、シオン、カノン。わたしと手を繋いでくれる?」

Si, Si Certoええ、もちろんよ!」

Si, Signorinaうん、お嬢さん!」

 日本語よりも余程達者なイタリア語の発言だ。


 嬉々として兄から離した手をセラフィーナと繋いで、首尾よく朝食の席に彼女をいざなう双子の愛想の良さと如才なさに、綺音と美弦は顔を見合わせる。言葉もなく、まあうちの子だしねと言い合って、三人の後に続いた。ここから食堂に行くのなら、双子だけでも迷わない。姉弟は楽しげに言葉を交わしながら進んで行く三人の後ろで、口を挟むことなく歩く。


「ねえ、美弦」

「なに、綺音」

「わたしたちも、手、繋ぎたい」

 美弦は返事をしなかった。

 けれど、すぐさま綺音の右手は、この頃、少しずつがっしりとしてきて青年の手に近づいてきた美弦の左手に握られた。

 家族愛の強い美弦は、14歳になっても、そのままだ。

 満足げな笑みを浮かべる綺音に視線を向けることなく、美弦は優しい力で姉の手を握って歩き続けた。

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