052 面影

「いい加減、機嫌なおせよカティ」



 シャルルと別れて、俺とカティアは部屋に戻ってきていた。

 エクセリーヌさんの厚意で借りたあの部屋だ。

 少し前まではエルメェスとシャルルがいた部屋に、今は俺とカティアだけ。

 しばらくの間、引き続き使ってもいいと許可をもらったので、甘えることにしていた。


 

 相変わらずカティアはご機嫌斜めで、ムスッとした顔のままベットに横になっていた。

 


「おーい、カティ?」


「……ん」


「子どもみたいだな」



 俺もベッドに腰掛けて、カティアのブロンドを撫でる。

 絹のように繊細で、やわらかい髪。

 エルメェスの教育の賜物か、最近はしっかり髪の手入れも怠りがない。



「機嫌なおしてくれないとイタズラしちゃうぞ?」


「……んぅ」



 呻くだけのカティアの頬を突いて、反対の手で肩から脇腹にかけてなぞる。

 部屋着の薄い布の上からカティアを撫でると、彼女は唇を尖らせたまま湿っぽい声を漏らした。



「……くすぐったい」


「スタイル、いいよなやっぱり」



 ウエストに手を移動させ、めくれた腹から手を侵入させた。

 さらさらした肌触り。比較的たかいカティアの体温を手のひら全体で感じながら、上へうえへと忍ばせていく。

 同時に服も捲れ上がっていき、やがて胸部に到達。手のひらを旋回させて、背中側へ。



「んぅ……ちょっと、くすぐったいって……っ」


「かわいいな、カティ。ムスッとした顔もめちゃくちゃかわいい」


「……っ」


「なに縮こまってンだよ。隠れるなって」


「ん~っ!」



 なんだこの小動物。可愛すぎだろ。

 めくれた背中とか横腹とか、艶かしすぎるだろ。



「……アルマは」


「ん?」


「アルマは、わたしのことどう思ってるの?」


「……なんだ、その質問」


「答えて」


「好きだぞ?」


「……そうじゃ、なくって……ばか」


「照れた? 顔、赤くなってるぞ」


「うるさい。きょうはしてあげないから」


「えー」



 それは勘弁願いたいと、俺はカティアの機嫌をとるために肉体カラダを張った。







「―――」



 ふと、目が覚める。

 時刻は夜中の一時過ぎ。

 開けた覚えのない窓から、微風にカーテンが揺らされていた。



「……んんっ……すぅ……」



 すぐ隣には、シーツに包まった裸のカティアが気持ちよさそうに眠っていた。

 


 ―――■■■。



 こえ……のような何かが、聞こえた。

 こっちへ来い――うまく聞き取れなかったが、たぶんそんなニュアンスの言葉。



「すぐに戻ってくるから」


「んにゃぁ……ぅん……」



 カティアが寝返りをうったタイミングで起き上がり、窓を閉める。

 脱ぎ散らかした部屋着を床から拾って着ると、俺は音を殺して真夜中の街へ出た。



「気持ちいいな……それに新鮮だ。肌寒くもないし、暑くもない。静かで、清涼な空気を独り占め……感謝しなくっちゃな」



 視界の隅で蠢いた影に告げる。

 影は、まるでついて来いと言わんばかりに石畳を駆けた。



「どこに連れてってくれるのやら……」



 お望み通り、俺は影が走って行った方向へ着いていく。

 目的なんて……きっと一つしかない。

 こんな真夜中に叩き起こしてまでやることなんて決まってる。



 追うこと二分。

 目貫通りメインストリートから少し外れた場所にある古びた石橋の上で、そいつは立ち止まった。



「……こんな真夜中に誘われるほど、俺ってモテてたンだな。これも噂さまさまってヤツだ。なあ、嬢ちゃん」


「………」



 影の正体は、一人の少女だった。

 長い緑色の髪と糸目の眸子ぼうし

 ローブで体つきはわからないが、容姿と身長から推測するに俺よりもずっと年下。

 シャルルに近いものを感じる。



「ンで、るンだろ?」



 返答は、言葉にしなくとも伝わった。



 月光の下、少女は羽織っていたローブを脱ぎ捨てた。

 風に煽られたローブが、彼女の肢体を隠す。

 刹那――



「へっ、喧嘩慣れしてるじゃンかよッ」


「……ッ」



 ローブに穴が開き、そこから凝縮された火球が三つ飛来する。

 先鋭状に形成することによって威力と速度を上げた火球――。

 さらに火球の影に隠れるように放たれた極小のファイア・ボールが四つ。

 計七つの火球が、流麗たる術式構築によって走る。



「懐かしいな」



 最小限の動作で躱し、過ぎ去っていくそれらに目を向けながら、不意に懐かしさが甦る。



 魔術学園では当然のようにそれらの技術を求められるが、それ以外で魔術を修めた新米魔術師は存在すら知らないことが多い。



 かつて共に勇者パーティとして肩を並べた炎魔術師マリィ・ファンも、俺が教えるまで認知していなかった。



 魔術の形状変化は、一朝一夕の鍛錬で成せる技術ではない。

 比較的素質のあったマリィですら習得するまでに半年もかかった。



「———」



 それをあの少女は、手足を動かすようにいとも容易く展開し、策略まで張り巡らせていやがる。

 相当な鍛錬と経験値の賜物だ。

 


 賞賛と同時に、生じる違和感。




「——おまえ、昔どっかで会ったことあるか?」




 ボロ切れと化したローブを踵で真っ二つに切る。

 左右に開かれたローブの向こう側で、火球を放ちつつ肉薄してくる少女。



 記憶の中の術者と、目の前の少女が被る。

 面影がある。

 初対面だとは思えない、懐かしさがある。



「まあいいや。せっかくだし楽しもうぜ、なあ」



 魔術師のくせに肉薄してきた少女へ、火球を躱しながら蹴りを放つ。



 しかし――魔術師とは思えない、無駄を削ぎ落とした軸足回転で俺の蹴りを躱すと、その勢いで蹴りまで打ち込んできやがった。



「こいつ―――おもしれえ」



 俺と同系種同類か!!

 少女の回し蹴りが頬を浅く切り、続け様に繰り出されるハイキックが俺の髪を揺らした。

 


 継ぎ目に隙のないコンビネーション——思わず笑みが漏れる。

 まだまだ荒い。

 もっと精密に、もっと力強く打てるはずだ。

 脱力もまだ甘い。



 しかし、しかし――攻撃を打つたびに、俺の思考を読んでいるかのごとく動きが調整クリアされていく。



「ホント、おまえ何者だよ」


「……ッッ!!!」



 まるでかつての動きを取り戻していくかのように――少女の相貌に、鬼が宿る。

 その荒々しく猛る剛拳を——。

 俺は知っている。



「まさか、ホントに生まれ変わって会いにきたのか? それにしては早すぎだろ」



 数週間前、相対し死別した英雄ブレイブの姿と少女の動きが類似する。

 ついで、息を吐くように淀みのない魔力操作をもって術を展開し、火炎が横殴りに俺を襲う。



 あまりにも似ている、記憶の中の人物ふたり

 しかし、その二人に接点はない。

 あるとしたら、俺が一時的とはいえ関わったこと。



「どういうことか全くもってわからんが、話してくれるつもりもないンだろう?」



 それに、彼女は今、俺相手に調整中なのだ。

 このまま続けていれば、一時間も経たないうちにカティアと同レベルには昇華するだろう。



 見てみたい。

 こいつの天井が。

 いったいどこまで跳ね上がるのか。

 俺に、どこまでついて来れるのか。

 共に、どこまで飛べるのかを。



「――《天鎧強化フィジカル・ブースト》・壱段階ザ・ワン――」


「……ッ」



 黒紫色に煌めく稲妻を切り裂くがごとく、振り抜かれた蹴りが少女の蹴りとクロスした。

 その衝撃で石橋に亀裂が入り、少女の肢体が吹き飛ぶ。

 しかし――



「おいおいおい……魅せてくれるねえ。なんていうエンターテイメント精神だよ、おまえ」



 石畳を滑走しつつ体勢を立て直した少女が、拳を構える。

 数瞬後、少女の長い緑髪が重力に逆らってうねる。

 少女を中心に威圧感が怒涛の勢いで膨れ上がっていき、この距離からでも聞こえるほど少女の肉体が軋む。



 俺が知る強化魔術ではない。

 違う部類のモノだ。



 本来、味方を強化するために編み出された《身体強化フィジカル・バフ》や《剛体強化フィジカル・ハイ》、その究極たる《天鎧強化フィジカル・ブースト》だが、少女のそれは最初から方向性が己に向いている。



「……しゅぅ……ッッ」



 たとえば、優れた剣士が動体視力を鍛え、落ちる稲妻を切ることに成功したように。

 たとえば、瞑想などにより集中力を極限まで高め、周囲とはまるで違う時を移動するかのように。

 

 

 卓越した技巧の世界。

 魔力に頼らない、純粋な努力の果てに掴む術技。



「――〝血戦花ケッセンカ〟」



 これまで一言も喋らなかった少女が、その術技の名を口にした。



「おもしろい……第二ラウンドと行こうぜ」


「………ッ」



 どちらからともなく石畳を踏み締め、俺たちの距離は一瞬にしてゼロとなる。


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