第35話 剣王


 足の裏に吸着性の魔力を作り出し、その吸着性を調節することで壁を歩いたり、ロープ状の魔力と合わせて壁に紐を張るようにしてターザンのように移動する魔法をエステル先生は使えるようになった。

 まず吸着性の調節が難しく、ロープ状の魔力に伸縮性を持たせるのも難しい。


 おれは歩壁の魔法は使えるようになったが、ロープの先に粘着性を持たせるのは2メートルが限界だった。

 距離の適性がないぶん魔力コントロールの適性が高いおれは魔法を簡単に覚えられる。

 逆にエステル先生は、距離の適性があるだけに魔力のコントロールはそれほどでもない。


 ナイアルの触手を命綱にして、エステル先生は木を登って枝の上からターザンのごとく別の枝に乗り移る練習を続けていた。

 おれはなにもすることが無くて、日陰で寝そべりながら先生の練習を見ている。

 先生は無邪気なところがあって、その表情を見ているだけでも飽きることがない。


 ロレッタをひどく怒らせてしまったが、騎士学院に入るならロレッタは外部指導員ですよとエステル先生に言われてしまった。

 ロレッタに教わるような技術があるとは思えないが、指導を受ける立場になれば過酷な訓練を科されることになる。

 今から考えるだけで気が重い。


 だいたいナイトの称号を持っているのに騎士学院に入るというのも変な話だが、そもそも騎士学院というは兵士の養成学校である。

 どこかの領地のお抱えになるか、ハンターになるか、その前に、とにかく白兵戦について学ぶ場所だ。

 魔法大学は学習院と魔法院があって、学習院は総合的な教養を学ぶところで、商人になりたい人などが通っている。


 アルバートたちの方は、うまく回っているようで特におれが手を貸す必要はなくなった。

 食料と場所代だけ払えれば、あとは他チームとの抗争があるくらいだが、魔法が使える相手と抗争なんて軽々にできるものじゃない。

 それに城壁の外でモンスターが狩れるなら、他のチームの縄張りを荒らすこともない。

 モンスターを狩るのは金になるから、装備なども揃うようになるだろう。


 そんなことを考えながら、おれは部屋の天井を見上げつつため息をついた。

 のどかな時間を過ごすのも悪くはないが、どうも停滞しているような気分になる。

 今は、空いた時間に図書館に通って、神話や伝説のたぐいを調べるのが楽しい。

 そして魔族についても調べるようになったが、あまり詳しいことが書かれたものはなかった。


 たまに記述があっても小金虫に関してだけで、他の種族はほとんど謎である。

 停滞が受け入れられない理由は明確で、あの魔族にはハウルも通用していなかった。

 装備すらつけていなかったのに、魔法抵抗が強すぎる相手にはハウルすらも通用しないのだ。

 しかもあいつの魔法は、魔法壁で防いでも体が凍り付くほどの威力だった。


 氷槍の魔法だと思うが、あんな威力になるなんて聞いたことがない。

 しかも魔力操作と遠距離魔法の適性はトレードオフのはずだというのに、そんな常識すら寄せ付けないような威力だ。

 おれの魔法抵抗は人間の中で最高レベルだというのに、かなり深くまで凍ったのだ。


 魔力操作をあの目玉に預けることで、距離の適性と両立していたのだろうか。

 そうだとしても、あれだけ大量の魔力を魔法に乗せるとなれば、他にも秘密があるに違いない。

 あの召喚した目玉に魔力を貯め込んでいたのだろうか。

 外部に貯めておけるなら、体内の魔力量など大した問題にならない。


 あのような敵と戦うことを想定するなら、やはり必殺技のたぐいが欲しいところである。

 一度きりしか戦わないのであれば、相手の想像の外にあるような戦法の方が通用しやすいだろう。

 そう言った奇策のたぐいを知っていそうなのは、剣闘士だったというシーズが真っ先に思い当たった。


 そこでシーズを呼び出して、模擬戦をしてみることにした。

 シーズは姉たちを学校まで送り届けた後で、暇そうにしているところを簡単に見つけることができた。

 彼女は長旅をしてきたであろうに、その体は引き締まったままだ。

 メイドの話では、なんでも奇妙な体の動かし方をするらしい。

 自らの力で編み出した鍛錬方法なのだろう。


 太極拳のような、狭い空間でも静かな動きだけで全身の筋肉をくまなく鍛えられる運動に違いない。

 この世界の食事は、貧しくなればなるほどタンパク質だけは豊富だから、筋肉だけは落ちにくい。

 そうやって常に努力することで生き抜いてきたのだ。


「短い方の剣を貸してください」


「剣はどこで習ったのかな」


「剣闘士養成所の訓練士からです。8才で興行師に買われ、それから12年剣を習いました」


「奴隷になった理由は? どうしてエレニアのオークションに出されていたんだ」


「8歳で親に奴隷として売られました。剣闘士としてなんとか生き延びて、そして自由市民の地位を勝ち取ったのです。その後で護衛に付いた評議会議員が殺されてしまい、守らずに逃げたと言われました。娘を守るように言われていたので、なんとか彼女だけは連れ出したのですが、その行為が不興を買ったようです。そのことでふたたび奴隷に落とされましたが、ボンの市民には恨まれていたので奴隷商は買いたがりませんでした。それでエレニアの奴隷商に買われたのです」


 本当なら気の毒な話である。

 彼女はいつも余裕のない追い詰められたような表情をしている。

 剣闘士なら相手を殺さなくてはならなかった場面が何度もあったろう。

 しかもその相手は自分と同じ奴隷だったはずだ。


「おれから一本取ったら、金貨を1枚やろう」


 そう提案してみたら、シーズはニヤリと笑った。

 腰を落としたかと思うと、低い体勢からいきなり砂を掴んで投げてくる。

 おれは縮地をシーズの背後に発生させて、砂煙ごと彼女を自分から遠ざけた。

 それでもシーズは地を蹴って距離を詰めてくる。


 走りながら2、3度、体を横に振ったかと思うと、剣を左手に持ち替えていた。

 それを振りかぶる動作で、身体の背後でまた右手に持ち替えて下から振り上げてくる。

 心眼を使っていなければ、目で追うこともできないようなスピードだった。

 その攻撃をかわしたら、今度は舞うようにあらゆる角度から剣が振り下ろされる。


 どこから攻撃が飛び出してくるのかわからないから、攻撃すべきタイミングがまったくつかめない。

 誘うように胴ががら空きになったので、おれはすれ違うようにして攻撃を撃ち込んだ。

 罠かと思ったのに、彼女からの反撃はなかった。

 おれは振り返ってシーズを見ると、彼女は背中をこちらに向けたままで固まっていた。


「今のは魔法でしょうか。いつの間にか攻撃を受けていました」


「いや、普通に打っただけだよ」


 シーズの剣はトリッキーの極致のようなものだが、おれが爺さんから習った剣はスタンダードの極致のような剣だ。

 余計な動きで活路を見出そうとする剣技と、無駄を極限まで省いて効率的に動こうとする剣技だから、まるで正反対である。

 ただタイミングを見極めて打ち込めば、無駄のないおれの剣の方が先に相手まで届く。


「剣王などと呼ばれ、少し思いあがっていたようです」


「両手で剣が扱えるんだな」


「闘技場では片腕を失っても、それで終わりではありません。両手首を失っても腕だけで相手を締め落としたなら勝者です。そう教わりました」


 その後は心眼を解いて戦ったから、慣れない動きに翻弄されて二度ほど剣を受けてしまった。

 剣士というよりモンスターと戦っているような感じだった。

 想像もつかないような所から剣が出てくるし、手も足も目潰しの砂も色んなところから出てくる。


「ほら、金貨二枚だ。姉上たちの護衛以外の時間は外出してもいい。だけど明日からも、おれの訓練に付き合ってくれ」


 風呂で汗を流そうかなと、家に入ろうとしたらシーズに呼び止められた。


「あ、あの、質問があるのですが」


「なんでも聞いてくれ」


 シーズは一瞬だけためらった後、真っ赤な顔で言った。


「お情けはいただけないのでしょうか。一度だけでも経験しておきたいのです。私は、そういった経験がまだありませんので……」


「奴隷だったのなら、そういう経験くらいあるんじゃないのか」


「興行師は性奴隷を持っていましたので、そういうのはありませんでした。ご主人様のようなハンサムな方に相手をしていただくのが夢なのです」


 ハンサムと言われて一瞬誰のことかわからなかった。

 この世界のおれは容姿に恵まれていたのだと思いだすまで、少し時間がかかった。

 見た目は背の高いゴリマッチョなのに心は乙女なんやなあ、と他人事みたいな感想があふれてきた。

 たしかに逞しい体つきをしているから、好みがわかれるところだろう。


「おれが大人になったら喜んで相手をするよ。今はほら、まだ子供だから」


「そ、そうですか。約束ですからね」


 そう言って、笑顔になった彼女は少しだけかわいく思えた。

 背も高く、男に見間違われてもおかしくないほどの体格なのに、雰囲気は乙女だ。

 しかし勢いで変な約束をしてしまった。

 意外性のある話が飛び出してきて、ついうっかりと承諾してしまった。


 こっちの人はダイレクトに気持ちを伝えてくるし、常識やら何やらが元の世界と違うので面食らうことがある。

 奴隷だからといって要求の一つもしないというようなことはない。

 それでは不幸なだけの人生が待っていることになる。

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