第34話 ロレッタの仕事


 アガサの巨大な邸宅は一般区画にあった。

 貴族区画の狭苦しい建物とは違って、庭付きのかなり広いものだ。

 まるで王城のような贅沢な作りである。

 まあ王城と比べたら、その大きさは後宮程度でしかないが。


 アガサは国家に対する功績を認められて、子爵の称号を与えられているはずである。

 それなのに貴族街には居を移さず、この一般区画に住んでいるらしい。

 陸から海まで王国内の流通網のかなりの部分を占めている、一大商家だ。

 その影響力は、周りの国々に対しても大きなものを持っている。


 客人の迎え入れ方も慣れたもので、すんなりと応接間まで通されてお茶が出される。

 バター茶のようなもので、この世界に来てから初めて見るお茶だった。

 アガサは奴隷に対して偏見がないのか、シーズも客人として対応してくれている。

 お茶を運んできたのは、天使のような美少年だった。


 男のおれでも息をのむほどの、金髪に白い肌が調和した完璧な容姿をしている少年で、その表情には少年らしい真面目さを感じさせた。

 アガサはこの少年にも夜の相手をさせているのだろうか。

 文明的に未開というのは、変に後ろめたさを感じずに好き勝手出来るという面で、欲望の人にとっては生きやすいのかもしれない。


「本当に変わっているわね。奴隷を隣に座らせるなんて、普通はしないわよ」


「奴隷にお茶を出すあなたも、相当変わってますよ」


「私は奴隷落ち寸前まで行ったことがあるからね。こう見えて苦労してるのよ。でも苦労というのはお金を払ってでも経験しておくべきだわ。どうしてかわかる?」


「苦労をしていないと、チャンスが舞い込んできたとき必死になれませんからね。いい機会に恵まれたとしても、そこで本気になれないのはもったいない」


 そう言ったら、アガサのおれを見る眼つきが変わった。

 そういえば、この世界のおれは苦労知らずのお坊ちゃんだったなと思いだした。

 どうもおれは自分の設定を忘れてしまう癖がある。


「いいことを言うじゃないの。たしかにそれも一理あるわね。本当に面白い子だわ。ねえ、あんた達から見てレオン様はどう見えるかしら」


 後ろに控えていた護衛の二人にアガサが言った。

 後ろの二人のうち、剣を使うらしい方が真っすぐに前を向いたまま答えた。


「かなり鍛えておられるように見えます」


「そんなの見ればわかるわよ。使えないわね。なんでも王子を狙う魔族を倒したというじゃないの。その歳で王国の騎士団を差し置いて護衛に選ばれるなんて大したものだわ」


 それは占いでそう示されたからにすぎないが、面倒なので説明はしない。


「情報が早いのですね」


「ええ、なんでもメラネシア一派が関わっているとか言う噂だわ」


「そのメラネシア一派というのはなんでしょうか」


 アガサの話によれば、メラネアというのは一地方に現れたカルト団体であるらしい。

 この国では一般的に、人類に回復魔法を授けてくれた女神を信仰する福音教が信じられている。

 メラネア一派というのは、そこから分派したカルト宗派の一つで、いつかガルラ先生が言っていた過激な思想を持つ集団であるらしい。


 しかし分派したとは言っても、行動を別にするのではなく、一般的な福音教徒に紛れて活動し、しかも国家をまたいで繋がりがあるという厄介な存在である。

 世界を統一し、自分たちが国を治めるべきという革命思想が中心にあるそうだ。


「その可能性もあるかもしれませんが、あれはまるきり別の動機でしょう。あの召喚獣は目的と意思がはっきりしていましたから、他人に操れるようなものではありません」


 邪神の中でもかなり知性が高い方だから、おおよそ人間が操れるたぐいのものではない。

 あの魔族がどこからやってきたのかは、エステル先生が調査を依頼されたが、結局はわからなかったそうだ。

 たぶん船の底にでも張り付いて魔大陸からやって来たんだと思われる。


「あらそうなの。そういえば魔導書をあげる約束だったわね。持って来て頂戴な」


 持ってこられた契約書は、大型級か国宝級のものがほとんどだった。

 すでに幻想だか神話だかわからないものと契約している身としては、練度の問題もあるので、手持ちより下位のものとは契約したくない。

 希望としては自立して動いて、なるべく大きくないものが一番欲しい。


 もちろん大きいものも必要になる場面はあるだろうが、それはナイアルでも対処できる。

 おれとしては幻術すら簡単に打ち破ったナイアルに関しては、もはや神話級なのではないかと疑っているくらいだ。


「残念ですが、欲しいものはありませんでした」


「あらそうなの。そう言えば、魔導書がオークションに掛けられるときは、いつもカースティンという貴族の方に競り負けるのよね。あれは凄い資産家かなにかよ」


「カースティンではなくカーティスならば、それは私の父上ですね」


「あら! それじゃ、あの方がバウリスター家のご当主様なのね。どうりでお金があるわけだわ。王都のパーティーでは見かけたことがないのに、私が絶対に勝てないほどお金を持っているのよ」


「あの田舎では他に金の使い道もないですから」


「そういえば、あなたの剣にも見覚えがあるわ。高すぎて落とす気にもならなかったけど、それもあなたのお父様が落札されていたわね」


 他にもいろいろと見せてもらい、結局、マントを一つ貰うことになった。

 ちょうどバウリスター家の色である青と白のマントだった。


「普通の貴族は借りを作りたくないから、贈り物を嫌がるのよね。貴方は気にしないようでよかったわ」


 こっちの世界では家同士の戦争ですら珍しくもない。

 そうなったときに加担してくれだの、かくまってくれだのと、借りを作っておくと面倒では済まないような事になる。

 だから結婚で広げる以上のつながりは望まないのが普通だ。


「そうですね。お返しと言ってはなんですが、うまい儲け話があるのですが乗りませんか」


 やっと前世の知識を活かせる時が来た。

 とりあえず火薬とかあたりの作り方から伝えていけばいいだろうか。

 バウリスターの所有する商会の方でやってもいいのだが、いくらなんでも目立ちすぎるし、新しい人間を雇ったりと、おれの仕事が増えてしまうのが嫌だった。


 当然ながら新しい産業を生み出せば、それによって廃れる産業もあり、恨みを買ったりするのにアガサはちょうどいい隠れ蓑になってくれるだろうというのもある。

 定番の紙を作るというのも考えていたが、こちらの世界では植物の繊維の方が皮よりも手に入りにくく、さらには羊皮紙産業が発達しすぎている。


 戦うことに特化しなければならないこの世界では、火薬の方が需要があるように思えた。

 この世界で価値のあるものは砂糖と魔石、魔導石、あとはモルタルの原料になる石灰石、生食できる肉類である魚などであるが、どれも簡単に量産することはできない。

 タンパク質を発酵させて調味料を作るというのも、熟成肉が発達したこの世界では需要があるかどうか怪しい。



 アガサ邸からの帰り道、奴隷のシーズを連れている時に一番会いたくない相手に出くわした。

 家を一軒一軒回って、回復魔法の押し売りをしていたロレッタである。


「ほう、昼間からこんなところをほっつき歩いているのか」


「ええ、そちらも教会のイメージアップ活動ですね。ご苦労様です」


 まったくいいように使われている。

 美人で凛としていて外面はいいから、そんな彼女がまさに聖騎士といった風情で困ったことはないかと聞いて周れば、さぞかし教会のイメージは上がることだろう。

 ロレッタはおれ以外の人間に対する物腰は柔らかい。


「で、後ろに連れているのは、まさか奴隷ではないだろうな。女神さまは常に見ておられると教えただろう」


「おれも、神が女かどうかなんてわからないでしょう、と教えて差し上げましたよね。観測すらできない神の性別など、人間にわかるわけがないんですよ」


 やばい。決闘が始まりそうなほど空気が緊張していくのがわかる。

 彼女が後ろに連れている少女二人も、本気でおれの言葉に不快感を感じているようだ。


「お前は縛り首だけでは飽き足らず、火あぶりにでもなりたいのか」


「いえ、今日は天気がいいから喜捨でもしようかと思っています」


 おれは大金貨を一枚、彼女に向かって投げた。

 こんなところで決闘なんかする趣味はないので、とりあえず気を逸らす作戦だ。


「気前がいいな。なにが狙いだ」


「この街のスラムには信仰の光が行き届いていないようですので、ぜひロレッタの力で、そちらの方にも目を向けていただけたらなと思っています。食料の配給は結構ですが、脂肪分の少ない肉ばかり与えているから、皆やつれています。もっと脂肪分を与えてください」


 肉のみで生きるなら、脂肪を摂取することが最も重要である。

 栄養学の概念がないこちらの世界では誰も知らないだけかもしれない。

 脂肪以外は摂取しても、あまり役には立たないどころか害になるばかりだ。

 たんぱく質の過剰摂取は中毒になるから、スラムの人間は体が弱っている。


「ふむ、お前がそういうなら、正しいのだろうな。そちらにも気を配っておこう。いやまて、お前はそんなところにも顔を出しているのか。いくらなんでもうかつすぎるぞ」


「顔を出しているというか、親友が一人住んでいます」


「それで後ろの奴隷はなんだ」


「新しい剣の師匠にでもしようかと思いまして、異国の剣士を買ってきたのです」


 俺が連れているのは全身が筋肉に包まれた、褐色の肌を持つ女性である。

 肩幅から見ても、それなりに戦える戦士であるのは一目瞭然だ。

 袖口から見える肌は傷跡だらけで、命にかかわる深手を何度も負ってきたのがわかる。

 相当な修羅場をくぐってきた証だ。


「ふっ、相変わらずお前はつかみどころがないな」


 別にロレッタとおれは仲が悪いわけではない。

 あとから来たのに追い抜かしてしまったことを、彼女が気にしているわけでもない。

 水浴びを覗くまでは非常に良好な関係であったし、ロレッタはおれに一目置いていた。

 不可抗力とはいえ水浴びを覗いてしまったことで、おれが彼女の信仰を危機にさらしたに過ぎないのだ。


 それでロレッタと別れて家に帰り、とりあえずシーズには姉たちの護衛を任せた。

 おれはスティーブンスから報告を受けて、三階にある執務室で書類仕事を済ませる。

 この屋敷の三階部分は家主の一家が住み、二階部分が使用人たちが住んでいる。

 なぜ一番利便性のない最上階に家主が住むのかはわからないが、バウリスターの実家も同じようになっていた。


 三階部分の最奥におれの使っている執務室と寝室があり、それ以外の6部屋のうち三つは姉たちが使っている。

 王都に来て姉たちも自由を感じているのか、学友を呼んで夜遅くまで話をしていたりすることも多い。

 メイドに聞いたら、兄貴は毎晩のように人を呼んで飲んで騒いでいたそうである。


 それから一週間ほど執務室に籠もって、月替わりの書類仕事をこなしていた。

 午後にはエステル先生と魔法の練習があるので、書類仕事は深夜までかかることもあった。

 それでやっと仕事が終わったので、今日はアルバートの様子でも見に行こうかと考えていたら、ロレッタが訪ねて来た。


「お前の言う通り、スラムはひどい状態だった。配給を増やしてくれるように頼んだから、少しはよくなるだろう。それでお前にもう少しお金を出してもらいたい、あの剣を売ってはもらえないだろうか。なんだその顔は。嫌だというなら力ずくで言う事を聞かせるぞ」


 その言葉を聞いたおれは無言でナイアルの触手を呼び出した。

 この下賤の者には貴族様に対する礼儀という奴を教えてやらねばならないようだ。



「触手が体をはいずり回る不快な感触に、ロレッタはおもわず顔をしかめた。その四肢を締め付ける力強さに、気持ちまでは屈するまいと唇を強く噛む。身体を這いまわる触手は敏感なところまで無遠慮に伸び、無数の刺激をロレッタの四肢に植えつけていた。敏感なところに触れられるたびに、体の中を電撃が走る。それでも生来の気の強さから、力に負けることが許せないロレッタは気を強く持とうとした。しかし、その触手が秘所へと伸びようとする、その刹那。快楽への期待がロレッタの脳裏をかすめたのだった」


「……なにをしているのでしょうか」


「あ、エステル先生。今は触手にとらわれた女騎士ごっこをしています」


「……そうですか。さすがに下着丸出しでは、ロレッタがかわいそうですよ。誰かが庭先を覗き込まないとも限りません。そのくらいにしておいてあげたらどうでしょうか」


「放したいのは山々なのですが。さっきから火あぶりにするぞとおどされて、なにか弱味でも握っておかないと、怖くて放すこともできずに困っているのです」


「お前だけは絶対に許さない! あぶり殺してやるからな! 絶ッッ対に許さない!!」


「ロレッタも少し落ち着いてください」


「そうです。落ち着いてください。ただでさえ性格が悪いのに、そんなに取り乱したら正視に堪えませんよ」


「こんなことをしでかしておいて、なにが落ち着けだ! エステルも見てないでさっさと助けろ! そんな奴、魔法で焼き殺してしまえ!」


「無茶を言わないでください」


 とりあえず、これ以上興奮させられないので腕を締め上げたまま、足だけ地面におろす。

 しばらくして落ち着いてきたので、そこで拘束を解いた。

 おれとエステル先生はすでに家の中に入って鍵をかけていたので、しばらくドアを叩きながら騒いだにのちにロレッタは帰って行った。

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