第32話 ある魔族との戦い
王子の寝室の前で眠ることもできずに、ひたすら神経を尖らせているだけの時間が続いた。
普段から王城内にいる人間は、すでに姿を乗っ取られている可能性がある。
ということは、すでに敷地内に入っている可能性があるという事だ。
黒猫を召喚して、屋根の上などを探らせてみたが、屋根に付いた出窓からは兵士が見張っているので、こちらからの侵入も無理そうだった。
それにしても、漆黒の三人もおれもAランクだというから、王家はギルドの情報も管理しているらしい。
傭兵ギルドでAランクなんてのは、どれほどの修羅場をくぐってきたのだろうか。
「賞金首狩りってのは、どうやって相手を見つけるんだ」
「へッ、人間なんてのは人を殺したくらいじゃ生活は変わらねえもんよ。飲んだくれはどこに行っても飲んだくれているし、ギャンブル好きはどこに行ってもギャンブルだ。そんな奴らを探すのが難しいとでも思うか」
「参考になるよ。それで、あんたらは復讐の代行業か」
「俺らには、もともと殺したい相手がいたんだよ。あの赤毛のチータだけはすでに恋人を殺した相手を殺ってるがな。俺とヤンは、まだ望みを果たしてねえ。これだけ探しても見つからねーんだ。もうどこぞでくたばってんのかもな。他人のために殺しをやってんのは、そうしてりゃいつかは自分の的を見つけられるかもしれねえからだ」
「あんたらに見つけられないなら、そりゃ死んでるんじゃないか」
「さあな。名前も知らねえ相手だぞ。ハナから、そんな簡単に見つかるもんでもねーよ」
なにか参考になる話はないかと思って、色々と聞き出してみたが、気が滅入るような話ばかりで望みの情報はなかった。
ターゲットが山賊などに紛れてしまえば、それを狩るために大規模な傭兵団を組織しなければならないらしい。
つまり、大人数に囲まれている相手には、相応の戦力が必要になるという事だ。
「今だから言えるが、復讐に取り付かれたら人間もお終いだぜ。お前はそうならないように気を付けるんだな。黒い衝動に飲み込まれそうになったら、人は必ず死ぬってことを思い出せ。長生きしたって辛い思いするだけだ」
眼つきが悪いだけの男かと思っていたら、ずいぶんと苦労してきたようである。
バウリスター家の図書室で読んだ物語の中でもそんな話はいくらでも出てきた。
戦争になれば自国の村から略奪して調達するなんてこともあるから、命が軽い時代というのはある。
おれは夜になれば黒猫を使って見回りし、昼は寝室の前で立ち番をして過ごした。
猫なら夜目も効くし、昼間もなるべく王子の近くにいるように心掛けた。
執事のセバスチャンが上手く仕切っているらしく、この階にやってくる人間はいない。
なにも起こらないんじゃないかと皆が思い始めたころ、いつものようにセバスチャンが王子に届けるための食事を持って現れた。
セバスチャンが結界を踏んで、監視結界が青から赤に変わる。
それを見てチータが声を荒立てた。
「また踏んだのかい。いいかげんにしてくんなよ! こいつを張りなおすのにいくらの触媒が必要だと思ってんだい」
チータが駈け寄ろうとするのを、おれは手で押し留める。
それでもチータはおれの手を振りほどこうとしたので、ヤンの方に投げ飛ばした。
ヤンはおれの意図をくみ取ってくれて、チータをしっかりと羽交い絞めにしてくれた。
「そこで止まれ!」
おれは赤に染まった監視結界の上を表情も変えずに歩てくるセバスチャンに向かって、そう叫んだ。
彼はその場に立ち止まってこちらを見る。
声に反応したというよりは、おれの放った殺気に反応したような感じだ。
セバスチャン、いやそれ以外のなにかは無表情におれを見るが、とんでもない殺気を放っている。
「なんだよ。どうしたんだ」
「お前らは扉の前を固めておけ。こいつが今回のターゲットだ」
おれの言葉に従ったのはヤンだけだった。
おれは手近にいた眼つきの悪い男の腕を掴むと、無理やりに扉のある方に押しやった。
セバスチャンはただの老人であり、武芸の心得はない。
今やってきたこいつは、明らかに隙が無さすぎた。
「オマエ、ドウシテ」
その一言で、おれ以外の三人にもやっと緊張が生まれたようだった。
おれはなにも考えずにハウルを呼び出して、セバスチャンに向かって連続で放つ。
もはやマシンガンと変わらないようなスピードで5発の弾丸が放たれた。
その瞬間にはもう、真の姿を現した魔族は真っ黒な姿に変わり、逃走を開始している。
たしかに気付いてしまえば、戦力的にもこちらが圧倒的に有利となる。
一瞬で逃げると判断した魔族は、窓を突き破って、そのまま夜の空に飛び出していた。
おれも窓から飛び出して、飛行魔法で夜の空に浮かび上がる。
まだ完全にこの魔法をコントロールできるわけではないが、それでも他に追いかける方法がない。
魔族は背の高い建物に鉤縄の魔法をつけて、弧を描きながら地面への激突を回避しすると、そのまま屋根の上を飛び移りながら、城壁の方へ逃げていく。
暗闇の中に紛れ込みそうになるのを、おれは空を飛んで追いかけた。
途中でナイアルの触手を使って衝撃を緩和しながら、屋根の上に飛び乗って追いかける。
幸運なことに魔族は鉤縄の魔法を使って城壁の外に出てくれた。
暗闇の中で黒い個体を追いかけるという、いつ見失ってもおかしくない状況だったおれにはその方がありがたかった。
ナイアルの触手で城壁の上に出ると、森の中に入って行こうとする黒い影が見えた。
おれはいったん屋敷に置いて来ていたシロに意識を繋いで呼び寄せる。
そして城壁の外に降りると、追跡を再開した。
森の中に入ると、残痕の魔法を発動させる。
緑色の光が魔力の痕跡を黄色く浮かび上がらせ、その魔力の痕跡をたどった。
そもそもそんな魔法を使わなくても足音でだいたいの位置はわかるから、静かな森の中に追跡の場所が移ったのは幸運だった。
しばらくするとシロがやって来て、それに飛び乗ったおれは一瞬で逃走する魔族に追いついた。
前に回り込んで、立ちふさがるようにすると、魔族は逃走をあきらめてその場に立ちどまる。
「こいつは一人だ。倒せ」
魔族の方は人の形をしているが、赤黒い体には人間のような凹凸がない。
細い手足に張り出た腹、背はそれほど大きくない、一種異様な風体をしていた。
魔族の肩にはオレンジ色の大きな目玉のようなものが乗っている。
まるで寄生するように目玉から伸びた触手が根を張るみたいにして肩や胸に癒着し、さらには胸のあたりに口のようなものまで形成して、そこから喋っているではないか。
「ワカッタ」
「どうなってんだ。その目玉が召喚された邪神なのか。お前はどうしてそんな奴の言いなりになってるんだ」
「そいつの言葉は無視しろ。悪魔のささやきだ。お前を堕落の道に誘導しようとしているぞ」
寄生した目玉が言った。
その言い草はどこかで聞いたことのあるものだった。
「……カルト宗教かよ。他人からの説得はみんな悪魔のささやきか。そんなモノに寄生されてんのが天国への道だって教え込まれてんのか。笑わせてくれる。目を覚まさなきゃ破滅するのはお前の方だぞ」
「オオオオ、オマエ、ウルサイ!」
「お前はいったい何者だ」
図星を突かれたのか、目玉姿の化け物の口調には焦りの色が見える。
どんな隠し玉を持っているかわからないので、その様子を観察しながらゆっくりと答えた。
「お前を退治するために雇われた護衛だよ。お前こそなに者なんだ。目玉ってことは、幻術でも使うのかな」
おれは肩に生えた方の目玉とは、極力目を合わせないようにしている。
セバスチャンから魔族の姿に変わった時も、一瞬で変わっていたので変身や変形のたぐいではなかった。
平気な風を装っているが、幻術などが存在しうるなんて話は聞いたこともないし、どうやって防げばいいのかわからない。
「信仰を捨て、我が神殿を踏み荒らす者共の子孫よ。ここで私を見逃しても、お前が命を失うことはないだろう。しかし私と戦えばお前は終わりだ。命を失いたくなければ、ここで手を引け」
「なるほどな。おおかたうち捨てられた階位の低い道祖神ってとこか。王子を殺したところで、お前への信仰が戻りはしない。それとも戦争でも起きるのが望みか。邪悪なわりに考えが浅はかだ。そんなことのために、その魔族は体よく使われてるわけだ」
「これ以上、そいつに喋らせるな。さあ、こいつを殺るんだ!」
急に魔力の動きを感じて、おれはシロを守れるように大きな魔法壁を展開した。
氷の槍が飛んできて、魔法壁に当たって砕け散る。
おれはシロから飛び降りて、急いでシロを木の陰に避難させた。
まるで正統派の魔術師のような戦い方をする魔族だ。それに魔法の威力はエステル先生ですらおよびもつかないほど強力だった。
おれの体全体が霜でも降ったように真っ白になり、魔法壁を展開した右腕に至っては皮膚が割れてピンク色の肉が見えている。防御してこの威力なら尋常なことではない。
たぶん実際に魔法を使っているのは目玉の方だ。
しかし召喚獣は自身の魔力を呼び出された時に持ってこられないはずだから、魔力自体は魔族のものを使っているに違いない。ガス欠も早いだろう。
「お前はもうすでに死んでいる。諦めるんだな。これが見えるか」
その言葉に顔を上げてしまってから後悔した。
つまらない言葉に引っかかってしまったものだ。
目の前にはエンゾ老人の姿があった。
その姿に一瞬だけ気を取られるが、腹に殺気を感じたので体をひねってそれをかわす。
そして、気配のある方を見もせずに、むやみやたらとハウルを連打した。
この幻術は、位置すら捻じ曲げて見せるものだ。
おお方、おれが一番強いと思っている存在の姿を見せたにすぎないが、エンゾ老人だったのは幸運だった。
あの爺さんを前にして、おれが油断をするなんてことはあり得ない。
「グ、グガ、グガガ」
魔族の方は見れないが、どうやらハウルは当たったらしかった。
どんな魔法抵抗力を持っているのか知らないが、ハウルに当たっても生きているらしい。
「体の主導権を私に寄こすのだ。そうしなければこいつには勝てない」
「ワ、ワガッ」
その瞬間にエンゾ老人の姿は消えて、おれの前にあった気配がもの凄い高速で動き、おれは自分の体をナイアルの触手で覆った。
衝撃が走り、吹き飛ばされた感覚が伝わってくる。
そしてさらに追撃を加えようと、走り寄ってくる気配を感じた。
おれが我慢できずに気配のある方を見てしまうと、魔法の爪を生やした魔族の姿が一瞬だけ映って、その刹那に視界が暗黒に覆われる。
また衝撃が襲うが、鉤爪にやられたような衝撃ではなかった。
殺気がおれの体全体に向けられると、どうしても攻撃してくる場所を特定できない。
地面を転がる感触と共に、首に殺気を感じて、とっさに頭を引っ込めてそれをかわす。
頭の上の何かが過ぎ去っていくのを感じた。
ここまでの強敵だとは思わなかったという後悔が脳裏をかすめる。
ナイアルの触手を伸ばすが、空を切るばかりで捕まえられそうにない。
ハウルも打ちまくっているが、距離を取られてしまったのか当たった感触はなかった。
相手が動かなくなった途端、完全に気配が消えて、敵のいた方向すら見失ってしまう。
近接戦でここまでの実力を持った相手と視覚なしで戦うのは不可能だ。
「お前は殺気を向けた位置がわかるようだ。だが、それを知ってしまえばお前は無力だ。私に勝てると思ったのか。見込み違いだったな。次の一撃でお前は終わりだ」
ああ、こりゃ本当に見込みを誤ったなという考えが脳裏をかすめた。
その時、暗闇の中に触手の化け物が現れた。
触手の化け物は、なにか言いたそうにしながらこちらを見ている。
そして周りの音が聞こえなくなるほどの音量を、おれの頭の中に響かせて来た。
台詞はいつものお決まりの、私の世界を取り戻せ、だ。
体が揺さぶられるような、もはや周りの気配などなにも感じ取ることができない。
はっきりと、もはや暴力的と言えるほどの音が体の中で反響している。
次に攻撃を受ければ死ぬしかないという場面で、どうしてこいつはこんな暴走の仕方をするのだ。
「わかった。お前の世界を取り戻してやる。だから今はおれに力を貸せ!」
なかばやけくそで叫んだものの、その瞬間におれは視界を取り戻した。
5メートルほど先にいた魔族の姿を確認した瞬間、おれは縮地を発生させながら全力で突っ込んで、心眼を発動させると、消滅の剣でもって魔族の体を真っ二つに切り裂いた。
二つに割れた魔族の体が宙を舞って、地面にどさりと落ちる。
おれは、いつでもとどめを刺せるように油断なく近寄った。
「見事だ。まさかそれほどの力を一つの身で集めるとはな」
地面に横たわったそいつは、実に淡々とした口調である。
魔族が死んだことに、目玉の化け物はなにも感じていないようだった。
それだけ言って、目玉の化け物は消えてなくなった。
残ったのは魔族の肩から上だけで、当然ながらすでに息はない。
「恨むなら、おれの親父を恨んでくれ」
誰に言うとでもなく、虚空に向かってつぶやいた。
おれにこれほどの力が集まっているのは、親父がオークションを趣味にしていて、競われたらムキになる性格のおかげである。
その場にへたり込んで呼吸を整えていると、アドレナリンが引いたのか、体中が痛み始めた。
服にもあちこちに血が滲んでいる。
気が付かないうちに、かなり怪我をしていたようだ。
水を作り出す魔法で、凍らされた腕を洗い流して解凍する。
幸いなことに、一番ダメージを受けた左腕でも凍っていたのは表面だけだった。
この回復魔法がある世界でも凍傷から壊死に至れば、腐った血液によって敗血症になるだろうから、ショック死の危険性がある。
腕の解凍が終わったら、今度はその場に生えていた消毒用の薬草を噛んで傷口の上に張り付けた。
そして怪我を治してから、残った魔族の体を持って帰路に就いた。
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