第19話 奴隷商


 おれが騎士学院か魔法大学に入るまで、あと6年だ。

 それまで何をしようかと色々考えてみる。

 おれの希望としては、もう少し世界を見て回りたいというくらいだろうか。

 ピエール先生もヒョードル先生も教えてもらうことが無くなってしまったため、もはや領内にいては自分の能力を伸ばすことができない。


 このまま停滞しているわけにはいかないから、外に出て成長の糧を見つけるしかないだろう。

 戦いがあるところなら、きっと何か見つかるはずだ。


「父上、領地には帰らず迷宮都市に行ってみたいのですが」


 この一言には、さすがの親父も渋い顔になった。

 いくらなんでも危険すぎると思ったのだろうか。

 考えてみれば迷宮内で大型級以上の召喚獣が使えるとも思えないから、親父も迷宮には入ったことがないはずだ。


 しかしおれとしては、もう少し強いモンスターとの戦闘経験が欲しいと思っている。

 それに迷宮都市という語感だけでも、アドレナリンが出てくるほどのロマンを感じている。

 親父としては、息子を失いないたくないという思いと、この息子なら迷宮の制覇くらいやりかねないというような葛藤を戦わせているようにも見えた。


 シロがいれば道中の不安はないし、おれとしては自由に動けるのも今だけではないかという気がしているのだ。

 王家はバウリスター家の人間とその行動について、結構過敏なのではないかという気がする。

 たぶん王国内で一番の戦力を持っているのは、エッセンハイムの魔法騎士団などではなく、うちの親父とその一族ではないかと思えた。


 契約書さえ集めれば親子三人だけでも恐ろしい戦力になる。

 バウリスター家には財力もあるので、契約書を集めるのも難しいことではない。

 しかもシバ叔父さんを含めて、バウリスターの血統は領内に少なくないのだ。

 それを考えれば、領外に出るチャンスがあるのも今だけではないかという気がする。


「そうだな、サリエあたりと相談して護衛を――」


「必要ありません。シロについて来られないケルンがいれば危険が増すばかりです」


「そうは言ってもだな。お前はこないだまで山に籠もっていたのだ。まったく世間を知らんではないか。一歩領外に出れば安全な場所などないのだぞ。なにもそこまで全力で生きなくてもよいのだ。お前を見ているとワシまで心配になってくる」


 生まれた時からエンジン全開で生きているようなもんだから、はたから見れば不安になるのもわからなくはない。

 大人しかったのは2歳のころ、図書室に籠もっていた時だけだろう。

 それからあとは、ずっとトップギアに入れたまま走り続けているようなものだ。


 しかし、おれだってやる気やバイタリティが無限にあふれてくるわけではない。

 前の世界ではやる気を言い訳にしていたが、実際はやる気が出るのを待っていたら何もできなかった。

 習慣にしてしまう事が唯一、継続に必要なことなのだと悟ったのだ。

 だからこそ立ちどまることには、恐怖に似た感覚をおぼえる。


「見聞を広めることも重要かと思ったのです。ぜひ一人旅をお許しください」


「しかし、いつまでも家に居つかないのでは困る。二年だけ猶予を与えよう。しかし、もうしばらくは王都に残って社交界に顔を出しなさい。それが条件だ」


「ありがとうございます」


 話がまとまって、しばらくは自由に動くことができることになった。

 そのあとで兄貴のサミーに呼び出され、バウリスター家はお前が継げとの脅迫を受ける。

 兄貴はここのところ様子がおかしくなっていて、情緒不安定気味だ。


「意味が分かりません。兄上」


「俺はこのままだと怪物と結婚させられる!!」


 その言葉で、おれには思い当たるふしがあった。

 しかし、このやり取りを聞いていたアンナが黙っていなかった。


「坊ちゃま、とんでもないことをおっしゃるのはおやめください。聞き分けのないことをせず、いいかげん観念なさいませ!」


「絶対にいやだ! こうなったら俺は、あの怪物もろとも死んでやるぞ!」


「エッセンハイム家のご息女を捕まえて怪物などと!」


「兄上のご結婚相手というのは、お披露目会の時に兄上と一緒にいた方のことでしょうか」


 サミーはおれの質問に答えず、飛んだり跳ねたりしながら頭を掻きむしっている。

 かわりにアンナが答えてくれた。


「そうでございます。一族で随一の魔法の才をお持ちになられた方だそうです」


 その話を聞かされて以来、兄貴は半狂乱になって暴れているらしい。

 兄貴は来年16歳になるので、今年中には結婚という事になるだろう。

 顔は憔悴しきって、時たま悪魔が取り付いたみたいに暴れるので、周りは手が付けられなくなっている。

 両親の間では、しばらく刺激しないようにしましょうという事になったらしい。


「ちょっとかわいそうだな。なんとかならないの」


「なりません。男児がお生まれになったら、愛人でもなんでも作ればよいのです。今のうちに見つけておいて、あとで領地にお呼びすればどうですか」


「そんな簡単に愛人が見つかるか! みんな宗教なんだよ!! お祈りしたって俺の心は落ち着かねえんだ!!!」


 もはやここまで取り乱したらどうにもならない。

 みんなで説得を試みたのが、どう見ても逆効果になっている。

 お祈りでもなさって気をお静めになればいいのに、とかなんとか言っている姉たちの姿が目に浮かぶ。


「また、そんなことをおっしゃって! そんなことを言っていますと、お家を追放になりますよ。追放されたら生きていく当てなどないでしょう。その先でどんな苦難が待ち受けているかわかりますか。これ以上騒ぐようなら、お父上にご報告しますからね」


 脅したりなだめたり、アンナの苦心が伝わってくる。


「母上は美人じゃないか! 父上に俺の気持ちはわからねえんだよ。なんで俺だけが!」


 これを言われたら、親父は何も言い返せないだろう。

 おれはバウリスター家の血統の恩恵を享受しているが、その血統の犠牲者がここに。

 心の中で十字をきって兄貴の魂を弔った。

 わずか16歳にして結婚相手を決められてしまうというのは、思った以上にしんどい話かもしれない。


 これが三日前までバウリスター家は俺が発展させると息巻いていた兄貴とは思えない。

 しかし、あと数年もしたら、この話はおれにとっても他人事ではなくなる。

 兄貴を教会に連れて行ってくれというアンナのお願いを断り、おれは日課の素振りを開始した。

 あんな状態の兄貴を人前に連れ出すべきじゃない。


 しばらくして素振りが終わると、ピエール先生と奴隷を買いに行くことになった。

 今までにもらった小遣いなど、ほとんど使っていなかったので、資金は聖金貨三枚半くらいはある。

 日本円に換算したら七千万以上になるだろう。


 ピエール先生に連れられて、高級街にある落ち着いた感じの建物の前にやってきた。

 そこまで来たら、入るところを知り合いに見られたらどうしようとなって心臓が痛くなった。

 ピエール先生はエントランスに入ると、なれた態度で奥に向かっておいと呼びかけた。

 急いでいるふりをしているだけの小走りで出てきた奴隷商は、おれの首巻を見たとたんにニコニコと破顔して揉み手を始めた。


「これこれは、我が商会にようこそ。バウリスター様」


「うむ、この度は坊ちゃんの奴隷を見に来た。上物だけ並べよ」


「はいはい、すぐにでも用意しましょう。一般的な高級奴隷でよろしいですかな」


「うむ」


 ピエール先生が頷くと、奴隷商は奥に立っていた男に声をかける。


「うちに来たのは正解でしたよ。最近では教会がうるさいですからねえ。いい奴隷はうちにしかおりません。戦争もありませんので、今は借金奴隷しか流通しておりませんのです」


「借金奴隷か……。よかろう、連れてまいれ」


 戦争奴隷と犯罪奴隷は生まれた子供も奴隷になるから売ってもうけられるが、借金奴隷は期間が定められた奴隷で、その期間を勤めあげれば解放される。

 それを考えたら、戦争に負けるという事の恐ろしさがわかるというものだ。

 戦争になってしまえば、すべての国民にそれだけのリスクが降りかかってくる。

 まともな人間としても扱われず、物として売り買いされるようになるのだ。


 おれの前には、すぐにまともな恰好をした美女が並べられた。

 奴隷というのは資産であり、富の象徴でもあるから、鎖につながれているようなこともなく、しっかりとした格好をさせられている。

 たくさんの奴隷を連れている方が尊敬されるし、女性にもモテるという社会である。


 あまりに綺麗で若い女ばかり並べられて、圧倒されたおれがため息を洩らしたら、気が楽になった奴隷商の男がいびつな笑い声を漏らした。

 しかし圧倒されはしたが、今は後ろめたさで内心身震いしているというのが本当の所である。

 若い奴隷は親の借金を返すために売られたのがほとんどで、親に裏切られたという思いを心に秘めてそうなのが顔に出ている。


 なんとも気の毒な話だ。

 なにより彼女たちの美貌がその原因ともいえるのが、気の毒な気持ちになる。

 娘がこれほど美貌に恵まれてなければ、親だってそこまで借金をしたのかという話だ。

 それなりに歳がいった奴隷は、金貸しの罠にはまってしまったという感じだろうか。


 おれは一番不幸そうな親の借金のかたに売られてきた女の子を二人選んだ。

 二人は一番若くてどちらも14歳である。

 もうすぐ成人できたというのに、その寸前で売られてしまったのだろう。

 目的が性奴隷だから、それより若いのはここに居なかった。


 一人は色白で背の高い黒髪の女の子で、もう一人は金髪を肩のところで切りそろえた歳のわりにグラマラスな体つきの女の子だった。

 名前はアニーとエリー。最高級というだけあって、その身体つきと雰囲気は8歳のおれにも感じるものがある。

 どちらも頭にケモノ耳があるので、大森林のある東側出身のようだ。


 金額は、聖金貨二枚払っておつりはほとんど無いという、そりゃ親も売るかなという気になってしまう値段だった。

 聖金貨一枚あれば王都の一般区画に家が建てられるだろう。

 話を聞いてみると、やはりふたりはどちらも東にある大森林地帯の出身だった。

 木で作られた柵で囲われただけの簡素な村からやって来たらしい。


 契約書にサインして、奴隷紋の中におれの所有であると示すための入れ墨を入れる。

 奴隷紋も入れ墨であり、この王国の奴隷である証となっている。

 この奴隷紋に名前が彫られている限り、どこに逃げても必ず捕まってしまうことになる。

 主人の同行なしに、城壁の門をくぐることすらできない。


「こちらも一緒にどうでしょうか。もとは教会のシスターとなっております。南部の教会で孤児院をしておりましたが、その孤児院の借金のために奴隷となりました。そういうところに価値を見出す客も多いのですが」


「いや、坊ちゃんに変な癖がついても困る。この二人が最良であろう」


 他の商品を熱心に進めてくる奴隷商に、ピエール先生がまだ付き合っている。

 奴隷商の方も上客という事で、信じられないほど粘り強く色々な奴隷を進めてきていた。

 二人のやり取りが落ち着くまで待ってから、やっと帰ることになった。


「最初に買う奴隷が、この二人とは実に羨ましいですぞ。いい買い物をしたと誇っていいでしょう」


 誇る気分になれないおれが黙っていると、気後れしているのではないかと思ったのか、ピエール先生は夜の行為についてレクチャーをやり始めたので閉口する。

 そんなことを後ろの二人にも聞かせてしまっているという事に、申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。


「坊ちゃんは体力がありますから二人は運が良かった。主人にかわいがってもらえない奴隷など不幸なものですよ」


 そんな話を、ピエール先生は家に帰るまで続けていた。

 以前、奴隷の相手をしないのはかわいそうであるという講義も受けている。

 主人からの情けを受けて喜ばない女奴隷などいないということを常識のように語っていたし、メイド長のアンナもそうでございますと同意していた。


 そういったことにまで二人から授業は網羅している。

 おれはなにもせずにというのが一番いいのではないかという気がしていた。

 しかし二人が解放されるのは、女を謳歌できる年齢をずっと過ぎてからだ。

 それはいくらなんでも気の毒というものだろう。


 早く解放できないなら、相手をした方がいいのではないかとも思う。

 アンナもそれを思って、ピエール先生に同意したのではないかと思われる。

 早く解放してしまえば、家で働いている農奴たちは、なんであの二人だけとなるのはわかりきっているので、親父の手前もあってそれもできない。


 奴隷のままおれが二人を幸せにしてやればいいのだと思えるだけの男気が、今のおれに欠けているのが一番の問題であるように思えた。

 ひと二人の人生を背負うというのは重い。

 だってまだ8歳だしなあとか、自分で金を稼いだこともないしなあとか、うじうじ考えを巡らせて肩を落としながら別邸に帰ってきた。


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