第15話 教会とガルラ先生


 バウリスター領を目指しながら、ずいぶん家を空けてしまったなと反省した。

 エンゾ老師の弟子になると言ったら、もろ手を挙げて賛成してくれたが、8歳までと言われていたのをすっかり忘れていた。

 8歳の誕生日には王都でのお披露目会があると言われていたのだ。


 そのお披露目会は、おれが貴族としてデビューする大事な日だという事だった。

 それなのに、そんなことなどすっかり失念して修行に明け暮れていた。

 道すがら、まだドラゴンは倒せないよな、などという考えを巡らせる。

 ドラゴンのブレスは岩すら溶かすというから、人間など蒸発してしまうだろう。


 触手で囲えばブレスを防げるかもしれないが、飛んでる相手に距離を詰める方法がない。

 ハウルで翼に穴を空ければ何とかなるだろうか。

 そしてオリハルコンの剣なら、龍の鱗くらいはなんとかなる。

 しかし、おれが爺さんから教わったのは、対人用の剣術であったというのがなによりの誤算だった。


 ふと自分の体を見下ろして、プレゼントにもらったジャケットと首巻がほとんどの部分を失ってしまっていることを思い出した。

 そんなことを心配していたら、懐かしの荘園が見えてきた。

 シロも成体になったことで、とてつもないスピードで駆けてきたから1日もかからなかった。


 懐かしさに足を止めると、シロが麦の穂を食べ始める。

 さっそくおれを見つけた農奴たちが騒いでいたので、手を振って挨拶しておいた。

 まずは傭兵ギルドに行って、白パンなどもろもろの食料を爺さんの所に届けてくれるようシド叔父さんのツケで依頼することにした。


 この世界を移動する危険を考えれば、物を送るにもそれなりの額になるのだが、叔父さんはその程度の金額を気にする人じゃない。

 なにより貴族はメンツ命なので、このくらいなら頼った方が喜んでくれる。

 街には変わった様子もなく、ギルドに行くと誰もいない時間帯だったので、暇そうにしていた受付嬢に依頼内容を伝えた。


 そして家に帰ると、家人総出でおれを出迎えてくれた。

 ガルラ先生だけは二階の窓から顔を出しているだけではあったが。

 ピエール先生もヒョードル先生もまだ王都には帰っていなかったようだ。

 シロから降りると親父に声をかけられた。


「よくぞ無事に帰って来てくれたな」


「あまり無事とも言えません」


 おれはボロボロになってしまった服を見せて言った。


「さぞかしつらい修行だったろう。よくぞ耐えた。あのエンゾ老師に修行をつけてもらうとはワシも鼻が高い。弟子を取らないことで有名な人だから半信半疑だったのだぞ。それで修行の成果はどうなったのだ」


「免許皆伝を名乗ってよいとのことです」


「なんと」


 免許皆伝とは自分の道場を開いてもいいという許可状のようなものだ。

 ロレッタは貰っていなかったから、そんな簡単に貰えるようなものではない。

 皆伝を与えなかったことで、教会と揉めることになるのではないかと爺さんは心配していた。

 とはいえ、ロレッタは剣術を習ったわけではないのだから仕方ない。


 その後で風呂に入り、用意してもらった新しい服に着替える。

 首巻は姉たちが新しく作ってくれると約束してくれた。

 ブラックドラゴンのジャケットに関しては、簡単に手に入るものじゃないからと諦めていたが、新しいのを手に入れてくれると親父が約束してくれた。


 帰還を祝して行なわれた宴会も早々に辞して、久しぶりに柔らかい布団の上で眠りについた。

 その翌日にあいさつ回りを済ませて、王都へと向かう日を待つばかりとなった。

 その間は、社交デビューをするに際して、領地や家名、特産品とその褒め方、酒の飲み方からカードゲームでわざと負ける方法まで、復習としてアンナから詰め込まれた。


 例えば王家は港の交易品を管理している。

 希少な金属や塩、それに新技術など、特定の産品ではない。

 その交易のために海の航路を管理するのが、王家の主な仕事となっている。

 だから立派な海の男だと褒めるのがいいと教わった。


 バウリスター家はパンと酒が主な特産品である。

 パンや酒のうんちくなどないから、それについて覚えることはない。

 モンスター退治や召喚魔法の話でもしていればいいと言われた。

 今までは執事のサポートもあったが、これからはそれに頼ることもできない場面が出てくるだろう。


 この国は内陸を移動しにくい分、海路が主要な交易の手段となっている。

 だから大都市は沿岸部に多く点在し、ここバウリスター領を除けば内陸部に主要な都市は、迷宮都市などの特別な例を除いてほとんどない。

 内陸部は行商にのみ頼っているので、あまり豊かではないところが多い。

 だからおれが特に覚えなければならないのは、沿岸地域を収めている領主たちである。


 授業の合間に息抜きとしてガルラ先生の所に行くと、王都では救済のメシアと呼ばれる女神が降臨したという話を聞かされた。


「その女神は、なんでも真っ白なケルンに乗って遣わされたと噂されているそうだ。その話を教会が広めようとしているんだが、なにか心当たりはないか」


「そのメシアがロレッタという名前なら、兄弟子ですね」


「ほう、やはりお前のケルンだったか。まあそうだろうな。それで、ロレッタの腕前はどのくらいだ。たとえばロレッタが全身をオリハルコンの装備で固めていたとしてだ」


 オリハルコンは魔法に対する防御力が最も高いと言われている。

 それも抵抗値が高いようなものではなく、ある程度の魔法は弾き返すことができるという非常に希少な鉱物だ。

 それが鎧ともなれば、ドラゴンの皮で作られたジャケットなど足元にもおよばない値段になる。


 おれが貰った剣くらいのものですら城が買えるほどだ。

 もし全身をそんなもので覆えるなら、魔法など何も受け付けないだろう。

 ハウルの弾丸ですら魔力から作られている以上、その法則の外にはない。

 ハウルでは、オリハルコンに傷をつけることすらできないのは実験済みだった。


「どうですかね。うちの騎士団が束になって倒せるかどうかくらいですかね」


「――それほどか。で、お前なら勝てるのか」


「そりゃまあ勝てますよ」


「それは頼もしいな。まあ、お前には召喚魔法があるのだからな」


「魔法は必要ありません。そうでなかったら免許皆伝の意味がないですから」


 おれの言葉にガルラ先生の薄ら笑いが引きつった。

 しかし嘘は言っていない。

 魔法なしで互角だったのは一年以上も前の話である。


「魔法ありならエンゾ老師にも勝てるとか言いださないだろうな」


 爺さんとの修行で、おれは自分にしか使えない新しい能力を手に入れている。


「無理でしょうね。見えるだけじゃ手数の少なさは補えません」


 暗闇の中でオークと戦うため、ヘンリエッタの動きに対処するため、そして爺さんの動きをとらえるため、眼に魔力を集めすぎた結果としておれは新しい能力を得た。

 しかし近距離に持ち込まれれば、爺さんにはすべての動きを読みきられてしまう。

 新しい能力のおかげで修行はかなり効率的に進められたが、そんなもの一つで勝てるような相手ではない。


「御曹司のくせに、ずいぶんと物好きだな。一族の後ろ盾があれば、王都でも、なに不自由なく生きていけるだろうに。そんな怪物のもとで修行をする意味があったのか」


「それで教会というのは、どういった組織なのでしょうか」


「表向きは神の呼びかけで集まった宗教組織だ。夢の中に神が現れたと言えば入ることができる。つまり全員ただの嘘つきだな」


「先生も嘘をついて入ったのですか」


 俺は本当に夢に出てきたよと言って、ガルラ先生は自嘲ぎみに笑った。


「活動としては、無償で治療を施し、寄付と信仰を集める。あとは神の意志を代弁する。しかし表があれば、当然ながら裏もある。王政の撤廃を望み、教会が国を運営すべきだと考える過激派も少なくない。民心が乱れるような大戦を望み、魔族と繋がって画策するようなものまでいる。不安を感じた時にこそ、人々は神にすがるのを奴らは知っているからな。手段を択ばないものにとって、それを利用することにためらいなどない」


「王家に潰されたりしないんですか」


「そう簡単に手は出せないだろう。今はまだ民の信頼がある。反乱の証拠でも押さえれば別だがな。信仰が広まればあとはどうでもいいと考えて、なんでも利用しようとする連中だ。奴らの唱える教義なんて信じるなよ。あいつらは善人ばかりじゃない。教会にいる人間は二種類だ。もの凄い善人か、ろくでもない悪人かだ。気をつけなきゃならないのは上の方にいる奴らだ。善人の方は助祭か伝道師どまりが普通だからな」


「気をつけます」


 その言に従えば、ガルラ先生は司祭まで行っているから悪人の分類という事になる。

 しかし、ガルラ先生は根っこは善人なのだが、知に働くしたたかさも持っているというのがおれの見立てである。

 悪いところも見えすぎているから、今では教会を捨てて飲んだくれているといった印象だ。


 そしてガルラ先生の分類でいえばロレッタも悪人ということになるが、彼女は戦う才能が認められて利用されているという感じだから、やはり当てはまらない。

 おれが教会に対しどんなことを言っても、怪我だけは絶対に最後まで治してくれた。

 教会の教えに背くのが怖いから当たりが強いだけで、ロレッタも根は善である。


「それで、剣を極めた次は魔法でも極めるのか。魔法ならエッセンハイムだろ。あそこは全ての人に、魔法学校の門戸を開いているそうだぞ。行ったことはないが、その数も尋常じゃないと聞くし、あそこの魔法騎士団は王国一の戦力だろう」


 唐突にガルラ先生がそんなことを言った。


「ちょっと行ってみたい気もしますが、おれの魔法は特殊ですから」


 それもそうかと言ってガルラ先生が笑った。

 魔法については自分流でなんとかするしかない。そもそも実戦経験が足りなさすぎて、どんな魔法が必要なのかもわからない。

 召喚魔法については、バウリスター家が所有する中にも、これといっておれの欲しいものはなかった。


 それに召喚魔法というのは使うたびに成長するから、もっと使い込む必要がある。

 使い込めば新たな能力が発現することもあるので、あまり多くの召喚獣と契約するのも望ましくない。

 契約しただけで使わないのであれば、契約書の無駄になってしまう。

 そっちの方はモンスターと戦う機会がないのもあって、ずっと放置したままだ。


 むしろそっちの方が問題で、本領を発揮させられないのであれば、下位クラスの召喚獣よりも弱いなんてことになってしまうかもしれない。

 使い込めば燃費も良くなり、自立して行動してくれるようになったりもする。

 そしてなにより、実戦の中で使い方を新たに発見していかなければならないのだ。

 おれは最も才能に恵まれた召喚魔法について、ほとんど手付かずなのだ。

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