第14話 もう一人の弟子


 谷から上がって、やっと爺さんに稽古をつけてもらえると思ったら、兄弟子だというロレッタと打ち合うことになった。

 金属の鎧に金属の盾、それに金属の兜で固め、手に持つメイスだけは竹の束だ。

 おれの手にも細い竹を縛り上げた竹刀が握られている。


「これはちょっと不平等ではないですか、師匠」


「そりゃボンボンは精神から鍛えんとな。それにしても本当にできるようになるとは思わんかった。まさか続くとも思わなんだ」


「怪我なら私が治します。遠慮なく打ち込んできなさい」


 色々おかしい。

 聞けば彼女はオークの谷に突き落とされる修行はやってない。

 しかも爺さん直々に、立ち合い稽古を三年以上も続けている。

 おれは半年以上を経て、まだ一度しか立ち合いをさせてもらっていないのにだ。


 回復要員でいるのかと思ったら、彼女も立派に戦えた。

 打ち合ってみれば、爺さんが直々に鍛えただけあって手ごわい相手だった。

 身体強化のレベルはおれと変わらず、重いメイスの攻撃は竹刀だと受けられない。

 それに、鎧兜でここまで武装されると、こちらには撃ち込む隙が一つもない。


「小僧は身体強化の魔法を禁ずる。魔法は駄目だと言うたろうが」


 おれは縮地どころか、身体強化さえ禁じられた。

 そして朝から晩まで彼女と打ち合う生活が始まった。

 ロレッタは鎧が重たいという理由で身体強化の使用を許されているので、彼女の魔力が尽きる夕方には訓練が終わった。


 おれは空いた時間で、ずっとやっていなかったハウルの射撃練習を再開しようとした。

 しかし、うるさいと爺さんに怒られてしまったので、森の中に入ってやっている。

 ある日、たまたまシロの好きに走らせて森の中に入っていくと、ロレッタの水浴びに出くわしてしまった。


 ひどい悲鳴を浴びせられて、おれは一目散に逃げ出した。

 修道女として教会に帰依している彼女は、男に肌を晒すことを禁じられている。

 禁を破れば神に与えられた力を失うと本気で信じているので、本気で怒られた。

 神聖魔法と言われる、教会が独占する魔法体系が彼女の言う与えられた力である。


 ガルラ先生は、こともあろうか子供に神聖魔法を教えるような生臭だが、彼女の信心は本物だった。

 王都の聖騎士団に所属するための修行として、ここにきている。

 爺さんも教会の要請だけは断れなかったそうだ。


「敵に回すと恐ろしい連中じゃ。お前も気を付けい」


 というのが爺さんの弁である。

 信心から要請を受けたわけではないらしい。

 教会に関してはガルラ先生も、あまりいい印象を持っていない様子だった。

 水浴びの一件があった日の夜から、ロレッタは外で寝るようになった。


 なにを意識しているのかと呆れたが、日が経つにつれ、突っかかってくるのをエスカレートさせている。

 あまりに男慣れしていないから、意識してしまっているのだろうか。

 正直、真面目に修行したいこちらとしては、あまり取り合っていられない。


「とんだエロガキね」


 尻に竹刀が当たったくらいで、このような言い草である。


「誤解ですよ。だいたい水浴びの時も、ロレッタがシロにエサを与えたりしていたのが悪いんですよ。懐いたせいで勝手にそっちに行ってしまったんです」


 餌となる木の実なんかを勝手に与えたりするので、シロもロレッタに懐いている。

 言い訳無用とばかりに、メイスの突きがおれを襲う。

 なんとか受け流すようにして威力を押さえつつ受けるも、5メートルも吹き飛ばされて宙を舞った。

 着地と同時に次の攻撃が襲い掛かってくる。


 それに合わせて放ったおれの連続斬りをロレッタは盾で防ぐ。

 盾が下がったところに三段突きを見舞う。

 必殺の奥の手だが、すでに何度も見せているので頭を振ってかわされてしまった。

 あの恐ろしく伸びる突きはなんだと言われて教えてしまっているので、最初にロレッタが放ってきたのも三段突きだった。


 奥の手だというのに、牽制くらいの気軽さで使ってくれる。

 しかしオークの試練を越えたおれに、ロレッタの攻撃は直線的過ぎた。

 ひらりひらりとかわしながら、その尻を竹刀で叩くとロレッタに睨まれた。

 正直、尻以外は鎧に覆われているので、攻撃できる場所がそこしかないのだ。

 そんなふうに余裕ぶっこいてたら爺さんに言われてしまった。


「ロレッタは魔法を使ってもよろしい」


「はい!」


 いきなり無数の水泡が中空に浮かび上がる。

 その体を通す隙間もないほどの水泡は、どれも帯電していた。


「――はあ?」


「安心せい。教会の魔法は、非致死性じゃ。お前の魔法は物騒じゃから使わせられん」


「お前が外道を極めたような魔法ばかり習得しているからこうなるのだ」


 容赦なくロレッタの攻撃と水泡がおれに襲い掛かる。

 それに恐怖を感じてしまったおれは、軌道が読めず水泡に触れてしまった。

 身体がしびれて動けなくなり、連続でロレッタの攻撃を受けてしまう。

 ダメージがなくとも体は痺れる。

 レジストしきれない魔法攻撃とは、タチの悪い魔法があったものだ。


「足の速いチビ助も、私の魔法が使えれば相手ではないな」


 言ってろ、と思いながらおれはロレッタを睨んだ。

 オークの試練を思い出すのだ。あの時はもっと心の中が穏やかだった。

 ふっ、と周りの音が消えるくらい、自分が集中しているのを感じる。

 ロレッタがなおも何か言っているが、頭の中から言葉が消えているので、まったく気にならない。


 同じ魔法が襲い掛かって来るが、殺気によって軌道は読めている。次の瞬間にはロレッタの盾すら掻いくぐったおれが、みぞおちめがけて突きを放っていた。

 おれの突き上げを食らって、ロレッタがひっくり返った。


「ゴホッ、ゴホッ、魔法は禁止されているだろう!」


 どうだろうか。

 なにも意識していなかったので強化魔法を使ったかどうかさえ覚えていない。

 特に意識しなくても強化魔法くらい使えるようになっていたから、使ってしまったのかもしれない。

 しかし、魔法を使うとうるさく言ってくる爺さんは、何も言わなかった。


 それからも立ち合いは続いたが、集中力を発揮できたのはその一回だけだった。

 それでもロレッタの魔法くらいじゃ脅威にはならなかった。

 その日、ロレッタとの訓練が終わると、とうとう爺さんとの立ち合いを許可される。

 おれはボッコボコにされて、ロレッタの魔力が回復するまで地面に転がされていた。


 スピードは大したことがないはずなのに竹刀がまるで見えないのだ。

 そもそも速さを重視したような太刀筋ではなく、優雅さすら感じるような大振り気味の振りである。

 それなのに体が反応できない。


 なんの予備動作もないから目で追うこともできずに、いきなり竹刀がおれに届いたように感じるのだ。

 人間の反応速度では、予備動作もない攻撃を受けたり避けたりするのは不可能だ。

 予備動作がないだけでも厄介なのに、振り自体もあまりに自然すぎて、それが剣を振っているのだと認識することすら難しい。


 どうしてそんなことができるのかと尋ねたら、素振りをしろと返された。

 もう何年もやってきた素振りだったが、その日初めて、もうちょっと真面目にやっていればよかったと後悔する。

 その日の夜は眠れなかった。


 爺さんの打ち込みを思い出すと、これは越えられない壁だという実感がわいてくる。

 今までに超えてきた壁とは明らかに異質なものだ。

 何十年と長い年月をかけて磨き抜かれた、純粋な技の結晶である。

 殺気もないからオークの試練で得た能力すら無意味だ。


 小手先の器用さや技術などまったく意味をなさない。

 本当に少しずつ無駄を省いていくことでしか完成しない技だった。

 しかし、おれは剣だけを極め抜きたいわけではない。

 このじいさんに勝とうと思ったら、数十年は剣だけに捧げる必要があった。


 そもそも、それまで爺さんは生きていないだろうから一生追いつくことはないだろう。

 そして爺さんに追いついたところで何があるわけでもないのだ。

 おれにとって剣とは、あくまでも戦う手段の一つでしかない。

 どこかで剣の道に見切りをつける必要があるようだ。


 次の日もロレッタとの訓練を終えて、爺さんと立ち合いをする。

 おれの剣でも通用したのは、唯一、殺気だけを飛ばすフェイントだけだった。

 しかし、その殺気すらも全部避けたうえで打ち込んでくるからどうにもならない。


「さすがバウリスターの血統よのう。その歳でそこまでとはな。よほどの才能を持って生まれてきたらしい。お主ほどの者は他に見たことがないわ」


 才能ではなく、スタートラインと環境が良かっただけだ。

 おれが爺さんと立ち合いを始めると、ロレッタはシロを連れて水浴びと食べ物探しに行く。そんな日々が続いた。

 半年ほどが過ぎると、ロレッタの修業期間が明けた。


「シロを借りてもいいか。王都に着いたら放すから勝手に帰ってくるだろう。それとも私に譲ってくれる気になったか」


「譲りません。貸すのも正直嫌です」


「信心が足りないようだ。教会の力で接収してもいいのだぞ」


「そしたら教会を潰します」


 おれの言葉にロレッタが眉をピクリとさせる。

 教会のことに関しては本当に怒るから、これ以上言うのはなしだ。


「いかにバウリスター家と言えども、そんなことは不可能だ。二度と口にするな」


 ロレッタは、おれと爺さんに信仰の証であるネックレスを寄こした。

 おれと爺さんが仏頂面でそれを受け取ると、ロレッタはシロに跨り王都へと帰っていった。

 数日もするとシロはひとりで帰ってきた。

 無事に王都までたどり着けたらしい。


 おれは爺さんとの修行に明け暮れる日々を、それから一年以上も続けた。

 ロレッタがいなくなって回復魔法を使いだしたおれに爺さんは驚いていた。

 食事の用意と素振りの時間以外は、ずっと立ち合い稽古をする日々である。

 そして、まともに打ちあえるようになると、少しずつ技も伝授しても貰えるようになった。


 これはロレッタも教わっていない技だ。

 そもそもロレッタは戦い方を教わっただけで、技の伝授は受けていないと思われる。

 だいたいロレッタが使っていたのはメイスだから、剣の技を教わっても意味が無い。

 教わった技は実戦的で、どれも必殺の一撃となるようなものばかりだった。


 技を体に覚え込ませるために、さらに修行の時間が伸びて、月明かりの中、真夜中まで剣を振るようになった。

 それにしても自分の飲み込みの速さに、自分でも驚いてしまう。

 幼少期の体の動かし方を覚える頃に、強化魔法込みで体の動かし方を覚えたのが功を奏したのだろう。



 そろそろ8歳の誕生日というころ、バウリスター家から使いのものがやって来て手紙を渡される。

 手紙を持ってきたのは、ケルンに乗った傭兵ギルドの一団だった。

 手紙を読んだおれは薄暗い小屋の中に戻った。


「それで何と書いてあった」


「帰って来いとのことです」


「そうか。それでどうするのじゃ。お主は剣の道を極めたいわけではなかろう。そろそろ潮時よ。これ以上剣を続けても深みにはまるだけじゃでな。諦め、手放すことも重要じゃぞ。もっと実のあるものを手に入れるためにはな」


 おれはこの一年余りの修行を頭の中で反芻する。

 まだまだ学びたいという欲求はあるが、新しい能力も得られたし、確かに頃合いだった。


「はい、道を極めることもできず、師匠には無駄な時間を取らせてしまいました」


「ほっほ、そんなことはない。お主は今までの弟子の中で一番の才能があった。面白い時間じゃったな。一心一刀流、ワシの流派じゃ。明日から免許皆伝を名乗るがよい」


 ぼろ小屋の中で、仰々しいやり取りをしているのを、手紙を届けてくれたハンターたちが興味深そうに見ている。

 おれたちはどのように見られているのだろうか。


「ありがとうございます。明日になったら発ちます。帰ったら白いパンを送ります」


「うむ、楽しみにしておる。しばらくは寂しくなるな」


 おれは書類にサインして、ハンターたちを返した。

 次の日の朝、授業料として有り金をすべてテーブルの上に置くと、おれはシロに乗ってバウリスター領を目指した。

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