第13話 剣の道


「こいつはうまいのう」


 爺さんは白パンを頬張りながら涙を流している。

 おれは毎日食べているので、そのありがたみがわからない。


「師匠、さっそく修行をつけてください」


「うむ、よかろう。ついてこい」


 じじいについて行くと、切り立った崖の上に立たされる。


「いいか、どんな剣の達人も、三人の敵から同時に槍を突き出されては生き残ることなどできはせん。まずは、それが戦術の基本じゃ。どれほど大きな剣があろうと、二刀を使いこなそうと、大盾に守られていようと、結果は同じ。ならばいかように窮地をしのぐか。教科書にあるように一人ずつ相手取るか。では、もしそれができなければどうする」


「逃げた方がいいと思います」


「逃げられぬ戦いもある」


「じゃあ、どうすればよいのですか。魔法を使うのですか」


「口では教えられん。まず慣れろ。精神を研ぎ澄まし、経験により予測するのじゃ」


 おれはいきなり崖から突き落とされた。

 斜面を転がって、渓谷のように切り立った地形の一番下まで転がり落ちる。

 上の方から、魔法は使うな、というじじいの声が聞こえてきた。


 崖の下は地獄だった。

 竹槍を持ったオークがひしめいている。

 それが一斉におれに向かって襲い掛かってきた。


 おれの手には練習用の木刀しかない。

 最初の槍をかわしたら、他の奴にわき腹を突き上げられて宙を舞った。

 ドラゴンの革ジャケットのおかげで、腹は破られていない。


 いや、よく見ればオークたちが持っている竹槍は人間を貫けるほど鋭くない。

 しかし木刀だけでは、脂肪と体毛に守られたオークに致命打など与えられない。

 なるほど、そういう修行かと納得する。


 殺さずに戦い続けろという事だろう。

 おれはエステル先生から貰ったマントだけは汚さないように脱いで、下までついてきたシロに引っ掛けると、オークに向かって飛びかかった。

 三日後、おれは精も魂も尽きて、倒れる寸前にナイアルの触手でもって崖から這い上がる。


「音が聞こえなくなったから来てみれば、自分で出られたのか。よう我慢したのう」


「もう……無理……」


 それだけ言っておれは気絶した。



 迫りくるオークの悪夢を見ていたら、何度かふっと温かいものを感じた。

 目を覚ますと、あれだけあった体中のあざが綺麗に消えている。

 体を起こすと、綺麗な少女がおれを見ていた。

 まだ夢の中にいるのかと、寝なおそうと思ったらじじいの声がうるさく鳴り響いた。


「起きたか。そいつはお前の兄弟子にあたる。女だから姉弟子かの。まあいい、飯じゃ」


 おれの足元に焼いたオーク肉と、魔物の膀胱から作られた水筒が投げられた。

 これに入った水は臭くて苦手なんだよなと思いながら、なんとか肉を水で流し込む。


「戦う時はもっと冷静になれ。あんなに気を吐いてはならん。気を吐くということは、なにかを力づくで変えようとする心のあらわれじゃ。自然を力づくで変えようなどとは思うな。自然はありのままが美しい。その流れに身を任せよ」


 またおれは崖下に蹴落とされた。

 こんなことが許されるのかと、本気で頭にくる。

 オークの体重が乗った突きは、いくらなまった竹槍でも打ち所が悪ければ命を落とす。

 すでに何十回と命の危険を感じているし、死んだなと諦めたのも一回や二回じゃなかった。


 修行で死んでしまったら元も子もないではないか。

 今回は三日目に捻挫して、それを治すために魔力まで尽き果て、シロによって崖の上に運び出された。

 シロはおれがオークと戦っている間、離れたところから、ずっと心配そうに見守ってくれている。


 二日ほど気絶して、また目が覚めた時には打ち身や捻挫が綺麗に消えていた。

 近くには鎧で全身を固めた少女、いや少女というほど若くもない女性がいる。

 よく見ればガルラ先生と同じネックレスを首に下げているから、教会で司教以上にまで上り詰めた人だ。


 気をつけよう。

 この人に回復魔法を使うところを見られたら、おれは火あぶりにされる。

 爺さんが飯を持ってきたので、おれは苦情を入れた。


「師匠、もっとちゃんとした教えはないのですか。見えない槍をかわすなど不可能です」


「口ごたえするでない。あれほど荒々しく戦っていては見えるものも見えんわい。気を吐くのではなく、気を整えよ。この自然と一体になれば、気の動きを感じ取れるはずじゃ」


「絵空事にしか聞こえません。本当にボケちまったんじゃないですか」


「やかましいわ。食い終わったら下にもどれ」


 今度は自分から下に降りた。

 さっそく襲い掛かってくるオークたち。

 疲れ知らずのこいつらが心底羨ましくなる。


 そもそも爺さんの言う気とはなんだ。

 魔力以外の存在は今まで感じたことがない。

 周りの魔力に自分の魔力を同調させるという事だろうか。


 しかし自然界に存在する魔力など、小さすぎて感じ取ることもできない。

 霧が出てきて、オークたちの槍先しか見えなくなり、さらにタイミングが読めなくなる。

 もはや攻撃を避けることが不可能になった。


 そして、あまりに突かれすぎるので、それを受け流すようになった。

 踏ん張っているより、自分から地面を蹴ってしまったほうが痛くない。

 一番怖いのが頭にダメージを受けることなので、魔法は禁じられていたがナイアルの触手を鉢巻きのように頭に巻くことにした。


 この渓谷の奥にはオークの巣でもあるのか、たまに死ぬオークがいても新しいのがいくらでも湧いてくる。

 それに爺さんが供給しているらしく、揃いも揃って同じ長さの竹槍を持っていた。

 二日が過ぎると、戦いの最中にも意識が朦朧としてくる。


 どんなに精神研ぎ澄ましても、無防備に突きを受けてしまう。

 なんとなくこっちから来るなと感じられることもあったが、その感覚をものにすることはできなかった。

 魔力の同調、精神統一、あらゆることを試しても効果を感じられない。


 唯一、召喚獣を呼び出せば問題は解決した。

 ナイアルの触手を地面に這わせれば、振動によってオークの位置はわかる。

 猫を召喚して視界をジャックすれば敵の攻撃も見える。


 猫の目であれば月明かり程度でも、かなり遠くまで見ることができた。

 しかし、そこまで魔力を同調させた状態で戦う事などできっこない。

 そこまで召喚獣とのリンクを強めると、自分の体の感覚がなくなってしまうのだ。


 やはり魔法はダメだ。

 じじいの言う通り、気の流れのようなものを感じ取るしかないのだろう。

 あの爺さんにはできて、おれにはできないなんて道理はないはずだ。


 崖を這いあがって気絶したように眠り、満足な飯も食えずに怪我だけ治されてまた崖下の渓谷に降りる。

 マゾヒズムの権化となるべく才能を開花させようとしているのでなければ、こんなバカな修行方法はない。

 そんなことを繰り返していたら、自分が何をしたいのかもわからなくなってくる。


 傍から見れば棒切れを持ってオークに突かれているアホでしかない。

 そう思ったら、なんだか笑えてきた。

 そろそろ正気を失う手前かもしれない。

 次第に自分が何をしているのかさえわからなくなる。


 それを数か月とやっていたら、立ったまま寝られるようになった。

 戦いの短い合間でもだ。時には一時間くらい眠れることもあった。

 疲れ知らずだと思われたオークたちも、おれに叩かれ続ければ怪我を治すために、その燃料である魔力を消費するから、それで魔力を使いすぎれば動けなくなる。


 魔物たちも共食いだけはしない。

 ここのオークたちは持てる魔力を繁殖に使っているので、個体が持っている魔力量はそこまでではないのだ。

 死んだオークを魔法で焼いて食べたりしているうちに、自給自足もできるようになった。

 雨露を飲み、月明かりの下で剣を振るう。


 意識は朦朧とし、起きているのか寝ているのかもわからない。

 今日も進展がないなと思いながらオークを叩きのめしていたら、ふと右肩に熱いものを感じた。

 やけに熱く感じて振り払おうとしたら、その場所を竹槍の穂先がかすめて行った。

 おれを突きすぎて丸くなった、見慣れた穂先である。


 この感覚は何度かあったが、ここまではっきりと感じられたのは初めてのことだ。

 てっきり体調不良か怪我でそう感じているのだと思っていた。

 しかし、この時おれが感じたのは、確かにオークの放った殺気だった。

 もう何日が過ぎたのかもわからないほどだ。


 最初のうちは死に物狂いで戦っていたが、最近では余裕も出てきた。

 ブラックドラゴンのジャケットは、もはや原型すら残っていない。

 三姉妹にもらった首巻も真ん中で切れてしまって、千切れたところを結んである。

 身を守るものが無くなって、なにかが変わったのだろうか。


 また背中に二つ、熱いものを感じる。

 後ろに感じるオークの気配は二つ。

 熱さが点になったところで、体をひねって突き出された槍の間に体を入れる。

 夜になるまでには、その感覚を掴めるようになっていた。


 最近は強化魔法で視力を上げれば、光源の魔法を使わなくとも、真っ暗闇の夜でも戦えるくらいには見える。

 オークたちはそうではないらしく、攻撃の手が緩んできた。

 そうなれば簡単にオークを打ちのめすことができる。

 今日はゆっくりと眠れそうだ。

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