第9話 白い相棒

 ケルンが生まれてから半年、やっと騎乗の許可が鳥番のおじさんから出された。

 それと同時に、騎乗の訓練を始めることになった。

 最初は屋敷の敷地内を乗り回して練習するらしい。

 いつもの練兵場には、屋敷内に住む全員からの視線が集まっていた。


 誰しも、このケルンが本物なのか知りたがっている。

 メイドたちも仕事を放り出して、屋敷の窓という窓から身を乗り出してこちらを見ていた。


「さっさと始めてくれないか。今日は寒くてしょうがない」


 そんな野次を飛ばしてきたのは、二階の窓から見ているガルラ先生である。


「しかしまあ、本当に白いですね。これは期待できるのではないですか」


「あれだけ卵にこだわっていたのだからな。あるかもしれん」


 おれの隣でそう話しているのはピエール先生と親父だ。

 シロには鞍が付けられ、鳥番のおじさんに手綱を握られている。

 大勢に見られていることに緊張は感じるが、初めて乗ることに不安は感じていなかった。

 シロとは心が通じ合っているような気がするし、世話をしに行っても非常に従順なのだ。


 世話をしているとわかるが、人間の言葉を理解しているのではないかというほどこちらの考えをくみ取ってくれるところがある。

 魔力の同調によって精神までリンクしているような感じだ。


「では坊ちゃん、乗ってみてください」


 鳥番に言われて、おれはシロの上によじ登った。

 いつもより高い視線が怖く感じられた。

 そこでおれは走ってみて欲しいと軽く考えただけである。

 ケルルルーーーッ、というケルン独特の鳴き声が聞こえたかと思うと、ドンッと音がして、衝撃と共に練兵場を囲う塀の向こうに見えていた山々が一瞬で目の前に迫った。


 なにが起こったのかもわからないが、塀の裏は切り立った崖になっている。

 いきなり崖から飛び出してしまった事だけは確かだった。

 当然そこは地面よりもはるか上空である。

 シロは華麗な旋回で目の前に迫ってきた山々の頂を流れるようにかわす。


 そして広げた翼でくるくると回りながら高度を下げていき、トン、と軽やかに80メートルはありそうな崖の下へと着地した。

 退化して飛べるようにはなっていない羽でも、滑空くらいはできるらしい。

 おれは命拾いしたような心地だった。


 それにしても屋敷ははるか上になってしまった。

 みんな心配しているに違いない。

 走るというよりは、ひと蹴りで視界から消えてしまった憐れな少年の行方をみんなで探し始めるかもしれない。

 おれは勝手に走っていたシロに、屋敷に戻ってくれるようにイメージを伝える。


 シロは崖を駆けあがろうと試みたが、50メートルほどで諦めて山を迂回するように走り始めた。

 すぐに、いつかエステル先生と散歩に来た石畳の街道に出る。

 そこから屋敷までの道のりを伝えると、見張りの兵士がいる屋敷前の林を一瞬で過ぎ去り、屋敷の塀に飛び乗ると、裏にある練兵場へと戻ってきた。


 塀の上に止まったシロに乗って、練兵場に集まったみんなを見下ろす格好になった。

 みんなまださっきの態勢のまま固まっていた。

 最初に口を開いたのは鳥番のおじさんだった。


「ぶったまげた。このケルンはもう乗り手を気遣ってまさぁ。教える事なんてなにもありゃしません」


 鳥番のおじさんだけは、このケルンの走りに疑念はなかったようである。

 育てて世話をしてくれていたからそれも当然か。

 騎乗訓練は乗り手の訓練もあるが、ケルンに人を乗せるための訓練をすることも必要なのだと言っていた。

 召喚獣のように意思の疎通ができるのだから、それが必要なくなったというのはわかる話だ。


 みながまだ呆気に取られて動き出さないので、おれは屋敷の周りをくるくると走り回る練習を始めた。

 上に乗っていても、とてつもなく強靭なケルンの足の力が伝わってくる。

 ケルンの体自体は軽いから、逆に体が浮いてしまって走りにくそうだ。


「もうちっと坊ちゃんが重くならないと、まともに走れそうにありませんやね。それどころか、坊ちゃんが大人になっても目方が足りやしないでしょう。全力で走れないとこいつも不満でしょうから、それが問題でさあね。まずは走って体力をつけさせてやってください」


 この日から、おれの行動範囲は劇的に広がった。

 初めて自動車免許を取った時のような自由を感じる。

 バイクを手に入れたようなもので、浮かれていたおれはシロの練習もかねて、そこいらじゅうを走り回った。

 なによりシロに乗っていると、びゅんびゅん景色が後ろに流れ、まるで空を飛んでいるかのように感じられて楽しい。


 時には本当に空を飛んでいることさえあった。

 それにシロはどんどん学習して、走るたびに安定性が増し、体力が増えるにつれ走れる距離も伸び、スピードも上がっていく。

 山頂からひとっ飛びで100メートル以上も滑空することさえ可能だった。


 酒蔵や穀物庫など、最初のうちは近場を見て回るだけだったが、それは本当に最初の内だけだった。

 隣り町だろうが、海だろうが、山だろうが、どこにだって行けるのである。

 草むした古代の遺跡や、魔物が住み着いた洞窟など、ファンタジーのロマンをこれでもかと感じられる発見もあった。

 最初にゴブリンのようなモンスターを見た時は驚いたが、シロがひと蹴りで血煙にしてしまった。


 よっぽど強いモンスターでも出ない限り、ケルンに乗っていれば安全だ。

 だからモンスターが少ないバウリスター領にいる限りは、なんの心配もないことになる。

 それもあって、両親がおれの外出についてとやかく言ってくることはなかった。

 母親のマリーは少し心配そうにしていたが、このケルンのスピードに追いつける存在もないのだから、反対する理由は見つけられなかったようだった。

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