第6話 家庭教師


 朝、エステル先生に起こされて練魔をし、なんとか動けるようになったら図書室に向かう。

 午後になったら裏の練兵場で先生に魔法の練習を見てもらう。

 たまには先生から新しい魔法を教えてもらうこともあった。しかし、魔力が固まらないうちに魔法を使いすぎるのはよくないらしいので、気が向いたら教えてもらえる程度だ。


 そして夕方の錬魔が終わったら、眠くなるまで先生と一緒に図書室に籠もる。

 そんな日々が続いた。

 はじめ体の中に感じられた魔力は、薄いモヤのようなものだった。いつしかそれが濃霧になり、液体になり、そして液体金属に感じられるほどにまで密度を増した。

 こればかりはバウリスターの血統に感謝するしかない。


 その頃には図書室にある魔法関係の棚はあらかた読み終わっていた。

 今は歴史や物語の棚を読み始めたところで、この世界の成り立ちについての難解な本に苦戦している。

 エステル先生は召喚魔法や魔法陣について研究した内容の本をひたすら読んだり書き写したりしているようだった。


 その日は先生に天気がいいから街道に出てみましょうかと誘われた。

 舗装された白い街道が、どこまでも続くかのように森を二つに分けている。

 青い空に雲が浮かび、気持ちのいい春のうららかな日だった。

 初めての外出に喜んでいると、大きな鳥が空を横切った。


「あれは美味しい鳥ですよ。例の魔法を使ってみたらどうですか」


 おれの魔弾はショットガンのように複数の弾丸を同時に撃ちだせるようになっていた。

 真っすぐ飛ばない弱点を克服するために、先生が考えてくれたものだ。

 しかし魔法の弾丸を撃ちだす場合、当然ながら物理法則によって反作用の力がおれの腕にかかる。だから弾の数が増えるだけで腕にかかる負担は倍増した。


 まだ弾丸を小さくすることには成功していないので、ピンポン球くらいの弾丸を撃ちだすことになる。

 これを10発も同時に撃ちだせば、身体ができあがっていないおれにとっては肩が外れるほどの衝撃になった。


 体を鍛えられるような年齢でもないし、身体強化の魔法はエステル先生も門外漢のため確かなアドバイスは貰えていない。

 おれは先生に促されて、6発の弾丸を空に向かって撃ちだした。

 子供のおれを狙ってなのか、上で旋回していた鳥――正確には鳥型の魔物――は体に穴を空けて落ちてきた。


 空を飛ぶ魔物はドラゴンやワイバーンでもない限り、体を軽くするために骨格自体は華奢な作りになっているので、簡単に穴が開くようだった。

 落ちてきた鳥は先生によって綺麗に処理されて凍らされた。


「すぐに内臓を抜くと、美味しいお肉になります」


 見た目は美少女なのに意外とたくましいところがある。

 素手で内臓を引き抜いた先生を、よくそんなことができるなと感心しながら見ていたら、血の付いたままの手でおれを抱き上げた。


「レオンの将来の夢は何ですか」


「そうですね。偉大な功績を残すことでしょうか」


「ふふっ、才能があるから、きっとそれもかなうでしょう。でもレオンはバウリスター領で農業をするんじゃなかったのですか」


「まさか。こんな田舎で腐るつもりはありません。いつかは王都に行こうと思います。ドラゴンを一人で討伐したりしてみたいですね」


 ドラゴンは天災の一種ともいえるほど厄介者扱いされている魔物である。

 討伐すれば城を一つ貰えるほどの功績になると言われている。


「ずいぶんな野心家ですね。本の読み過ぎで子供らしい夢とは言えませんけど、それを叶えるだけの才能はあるでしょう。それだけの才能があるのだから、師匠としてはそのくらい上を目指してほしいものです。壁に当たっても、その心を失わないでくださいね」


 今日の先生はやけに説教臭い。

 これはもしやお別れの時が迫っているのでは、という予感がする。

 まだこっちに来て半年も経っていないのに、おれが錬魔を大人しく受けすぎていたせいで魔力の固まりが早いと言っていたのを思い出した。


 家に帰って、お茶の時間というおやつ休憩をしていると、やはり先生から別れを告げられた。


「レオンも先生に懐いていたから、さぞ悲しいでしょうね」


 と言ったのは、おれの母マールである。

 この家の書類仕事は全てマールが担当しているらしく、その多忙さから一緒に過ごした時間はエステル先生の方がはるかに長い。

 それを抜きにしても、先生のあまりの美貌に恋人ができたように浮かれていたおれにとって、お別れを告げられたダメージは大きかった。


 おれとしたことが、とんだ不覚をとったものだである。

 いや、このおれを篭絡する先生の美貌が特殊なのだろうか。

 次の日になって、手荷物を持った先生とお別れの時が来た。


「これはお別れの品です。修行が早く済みましたので、ボーナスをたくさんもらってしまいました。けれど頑張ったのはレオンですからね。仕立てたばかりのものですから、ほとんど新品ですよ。特別にプレゼントしますから大切に使ってくださいね」


 先生が差し出してくれたのはピンク色のケープだ。

 もともと肩掛けくらいの小さいものだし、背の低い先生のものだから、あと数年したら使えるようになる。

 ピンク色というのはいかがなものかと思ったが、少年であれば似合うのかもしれない。

 いつも先生がカーディガンのように羽織っていたものだ。


 おれは神妙に受け取って、別れの握手をした。

 初級魔法と魔力を授けてくれた師匠に感謝の言葉を述べると、青い空の下、エステル先生は馬車に揺られて行ってしまった。

 王都までは数日の旅になるらしいが、街道がかなり整備されているので心配しないように言っていた。


 この世界では、そこいらじゅうを魔物が跋扈し、山賊がどこからともなくやってきては住み着いたりするので、数日の距離でも常に命の危険がある。

 先生ほどの魔術師であれば確かに心配はいらないだろうが、商人などの間では行商していたら老人にはなれない、とまで言われるほど危険な道のりである。


 その行商があまりに儲かってしまい足を洗いにくいことから、この世界において行商という言葉はギャンブラーとかジャンキーに近い響きを持っている。

 その魔物のおかげで食べ物には困らないが、タンパク質以外の食べ物が異様な価値を持つ、その原因になっている。


 もちろん街道沿いは盗賊や物取りも多いが、行商の安全を重視しているバウリスター領なら安心である。

 先生と別れた日の朝食で、上機嫌な親父から家庭教師をつけると告げられた。


「レオンは飲み込みが早いから、もう勉強を始めなさい」


「剣術の先生はつけてもらえるのですか」


「ふむ、まあ剣は少し早いが、頑張っているから特別に習わせてやろう。それにしても、これほどバウリスターの血を色濃く受け継ぐものが現れるとはな」


 あまり優秀だと思われて農業を継げなどと言い出されても困る。

 もう少し能力を隠したほうが利口かもしれない。

 とりあえず強化魔法の才能があることはわかっているのだから、剣は習いたい。

 この日から、おれには作法、教養、算術、歴史、魔法、剣、弓の家庭教師が付けられた。

 普通なら逃げだしたくなるところだが、おれにとってはありがたい以外の感想はなく、やっとかという思いだった。


 最初の授業は、前に一度受けたことのある、アンナによる作法のレッスンだった。

 前に受けた簡易的なものとは違って、今度は本格的な授業となった。

 相手による言葉の使い分けや、優雅なお茶の飲み方に始まって、ダンス、お酒の飲み方、果てはカードゲームのやり方まで、上流社会に馴染むために必要なものすべてである。


 生粋の下っ端労働者だったおれには、なにが上流社会だという反発心がある。

 そんなもの自分を上流だと思い込んでいるだけの間抜けじゃないかとまで思う。

 しかし貴族同士の交流で失敗して、転落人生を歩んだ人の話を聞けば他人事でもない。

 このレッスンは個人的に一番つらかった。


 おれの三人の姉たちは、清楚清廉なふるまいを身につけるために、一日のほとんどの時間をこのレッスンにあてている。

 すべては、いい相手と結婚するという一事のためである。

 16歳で成人する彼女たちは、それまでに相手を見つけるということが人生のすべてを決めると教え込まれていた。


 基本的に公爵家は、その家族まで公爵としてあつかわれるが、いったん結婚してしまうと男尊女卑な概念のもとに、彼女たちは結婚相手と同じ身分になる。

 そのため結婚相手を選ぶことは、残りの人生の立場をも左右することになる。

 男子は25までは生まれた家の格だが、後継ぎ以外は分家となり、男爵程度にまで身分を落とされる。


 家の中でも、おれは次期当主である兄貴の次の身分として扱われていた。

 食事の席でも親父の隣はおれと兄貴であり、その次に母、そして妹たちと並ぶ。

 レッスンを受け始めてから姉たちはおれに敬語を使い、おれも父と兄には敬語で話さなくてはならない。

 これは兄貴に何かあった時、おれが後を継ぐことになるからだ。


 あとアンナからは子供の作り方なども、かなり具体的に教わることになった。

 バウリスター家の血統は全て王家に報告しなくてはいけないらしく、それだけは気を付けるようにとの教示を受ける。

 女が欲しくなったら私にご相談くださいとまで言われた。

 そして避妊魔法まで教わった。


 教養の授業では、ピエール先生から奴隷の飼い方という話を、いたって真面目な顔で教授された。

 これについても、もとが庶民であるおれにとっては面白くない。

 最初は下の身分のものに対する蔑みを隠さない薄っぺらな男だと思った。


 しかし教師に選ばれるだけあって、それなりに蘊蓄のある話を聞かせてくれる。

 奴隷とは資産であり、罰として痛めつけるのは何の効果もない。

 むしろ、あつかいが酷ければ奴隷に殺されるのは普通のことで、反乱を起こさせないことこそが何よりも利益となる。

 痛めつけるよりは、結婚させて家族を人質にとるのが最良であるとのことだった。

 そして褒美を与えることも推奨される。


 想像とは違い、奴隷と言っても石臼に繋がれているわけではなく、家族も持てるし、給金も出れば、たまのボーナスに休暇だってある。

 まさに元いた世界のおれだった。

 そのことに気が付いたおれは、なんとも苦い心境でその話を聞いていた。


 算術と歴史の授業は数日で受けなくともよくなった。

 算術のレベルは予想よりも高く、それなりではあったものの、もとの世界の教育カリキュラムにおよぶようなレベルではない。

 歴史も本で読んで知っていたので、今さら聞く必要もない。

 それらはエステル先生に教わったことにしておいた。


 バウリスター家の中で、おれはかなりの才児という事になっているので、今さら驚かれることもなかった。

 それらの授業の代わりに、バリウスター家の典医から薬学の授業を受けることになった。

 そのガルラ先生はひどい飲んだくれだが、回復魔法まで使える名医だ。


「回復魔法を教えてやろう。本当は教会に仕えないものには教えられない魔法だ。間違っても教会関係者の前で使うんじゃないぞ。いいな。それを破ればお前だけじゃなく、俺まで火炙りになっちまう」


 最初の授業は、ガルラ先生のネックレスに掘られた女神の肖像に対して祈りをささげることだった。

 神に仕える者の目印である、どでかいネックレスだった。

 教会関係者は立場によって大きさの違うネックレスを首から下げているそうである。


「回復魔法があるのに、薬は必要なのでしょうか」


「あたりまえだ。魔法は傷口を塞ぐだけでしかない。消毒してやらなきゃ、あとから腫れあがるし、痛みを止めずに傷口をほじくりまわせばショックで死んじまうこともある。ポーションならその心配もないんだがな。それに一番厄介なのは毒だ。洗い流して傷口を塞いでも薬が無けりゃ助からない。糞尿を刃先に塗っておくだけでもかなりの致死率だ。なにより調合薬ってのは怪我に使う以外にも用途は多い」


 煙幕や目潰しから惚れ薬まで、先生の知識には際限がない。

 思いがけない掘り出し物の授業である。

 薬のレシピだけでなく、その制作過程の科学的な理由までガルラ先生は知っていた。


 最後はバウリスター家の抱える騎士の中から、一番の美人であり、二番目の使い手である猫人族のサリエという女性から剣と弓を教わる。

 セクシーな体つきをした、ふわふわの尻尾付きネコミミ美人だが、その表情はまるで凍てついた氷のようだ。

 美人だからといって訓練でなにか楽しいことがありそうな予感はまったくない。


 最初の訓練では弓の手入れとマラソンを命じられて、暗くなるまで走らされうんざりだ。

 しかし、おれは強化魔法の才能があるのだから、まずは剣を本気で学んでみるのがいいのかもしれない。

 一番才能があるという召喚魔法の方は、召喚さえしてしまえばおれ自身が訓練しようがどうしようが関係なさそうだというのもある。


 魔法の授業は別日である。

 一日で気絶しそうになるほど疲れたが、学べることは多いに越したことはない。

 できれば個人的な魔法の訓練もやりたいので、なんとか時間を見つける必要があった。

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