第5話 氷結の魔法

 昼食が終わると、先生はお散歩に行きましょうと誘ってくれた。

 おれはまだ外に出たことがなかったので、この誘いは断れない。

 なんだか先生が来てから行動できる範囲が広がってくれて本当にうれしい。

 今まではメイドの監視がきつくて、4階フロア以外では食堂と風呂のある一階にしか行ったことがなかった。


 しかも、どこに行っても監視の目があるので、なに一つ自由にできない。

 わりと自由に動けた4階フロアには、各自の寝室くらいしかないのだ。

 庭に出られるというのは、それはもう外国に行くような感動がある。


「気をつけて行ってくるのよ」


 母のマールにそう声をかけられながら、子供用のサンダルを履いて外に出る。

 先生に手を引かれながら向かったのは、屋敷の裏にある訓練場だった。弓矢の的や木と藁でできた人形などがある本格的な訓練場だ。


「それでは特別に、魔法を一つだけ教えてあげましょう。師匠からの最初の教えですからね。いいですか、的に意識を向けて契約の言葉を詠唱してください。契約の言葉というのは、神様が私たちに魔法の使い方を教えてくださる手ほどきのようなものです」


 そう言って、先生は契約の言葉を教えてくれた。

 教わった通り、手のひらを的に向けて精神統一する。


「不遜なる反逆の徒を、非道にて凍えさせよ」


 手の先に体の中の魔力が集まる感じがして、ひとかけらの氷が勢いよく飛んで行った。それが弓矢用の的に当たって突き刺さった。


「最初から的に当てるなんてさすがですよ。影響力が弱いぶん、魔力を操作する素養が高いのです。今のが氷結の魔法ですね。次からは今の現象を再現すれば、言葉を口にしなくても使うことが出来ます」


 距離の適性がないわりには、形にはなっているように思える。

 それとも本来は、もっと威力のある魔法なのだろうか。


「先生の魔法も見せてください」


 先生はいいですよと言って、木でできた人形に向かって氷結を放った。

 氷の塊は藁に刺さって人形を揺らす。

 確かに先生の方が威力があるようにも見えるかなと思っていたら、人形が中心部分から白く凍り始めた。


 刺さったところから凍らせる魔法のようである。

 確かに魔法のイメージも、氷の欠片に使った魔力を揮発させるような感じだった。

 当たったところで、氷片の一部が気化して熱を奪うのだろう。

 おれの場合は気化させるところで、魔力への干渉が弱すぎて凍らなかったのだ。


 さて、そうなると、やはりおれの魔法は先生に比べて劣っていると言える。

 魔法よりも身体強化でも極めた方がいいのだろうか。べつに攻撃魔法に特別な思い入れがあるわけでもない。

 しかし、悔しくないと言えば嘘になる。


「もしかして落ち込んでしまいましたか。それなら面白いものを見せましょう。ちょっと待っていてくださいね」


 先生は訓練場のすみに走って行って、塀のそばに積まれていたがらくたを棒でつつき始めた。

 なにをしているのだろうと思っていたら、積まれた木材の陰から半透明な緑色をした物体が現れる。

 説明されるまでもなく、それはスライムだった。


「さ、モンスターが現れましたよ。さっきの魔法で倒してください」


 そんな子供だましで慰められてもなと思いつつも、ゼリー状の体の中心に浮かんだ卵のようなものに狙いをつける。

 たぶんあれが核だろう。

 さっき魔法を使った感覚は、初めてのことだったから強烈でしっかりと記憶に焼き付いている。


 その魔力の流れを再現して、おれは氷結を放った。

 氷の欠片は見事命中して、スライムのど真ん中に刺さる。しかし、刺さったのは一センチにも満たないくらいだった。

 刺さったところの周りが、ほんの少しだけ白く凍った。


 それを見ただけで、おれの魔法はスライムにさえ効かなかったことがわかる。

 使った魔法の効果が、スライムの魔法抵抗力に負けてしまったということだ。

 先生の魔法であれば、中にある卵の部分まで凍り付いてスライムを殺せたに違いない。


「次は図書室で覚えた魔法を使ってみましょう」


 おれは言われた通り魔弾を放った。

 驚いたことに、今度は核まで届き、それどころか貫通までしてスライムは動かなくなった。

 最も低級な魔法だと書いてあったのに、あきらかに氷結よりも威力が上なのはどういう事なのだろうか。


「どういう事でしょうか」


「魔弾は、発射のみに魔力を使います。感覚でわかっていると思いますが、体の近くで魔法を構成する全ての魔力操作を行うわけですから、距離の適性がなくとも威力が出せるのです。むしろ貴方の才能があれば誰よりも威力が出せます。それに魔力操作の才能があるから、一度で魔法を覚えてしまっていますよね。普通では才能があってもあり得ないことですけど、バウリスターの血がそれを可能にしているのでしょう」


 なるほど。手のひらの前で魔力の弾丸を形成し、それを撃ちだしたのだから、遠くにある魔力を操作する必要がない。

 エステル先生はこちらを見て笑っていた。

 先生は落ち込んでいるように見えたおれのためにスライムを見つけてくれたのだ。


 日の光が当たった先生(約100歳)の顔は、天使のように輝いて見えた。

 おれが本当に子どもだったら、この瞬間に間違いなく恋に落ちていただろう。


「では魔弾を極めるのがいいのでしょうか」


「最初はそれがいいかもしれません。ですが、魔弾を極めようとしても、いつかは壁に当たってしまいます。威力を上げようとすると、どうしても的に当たらなくなってしまうのです。だから魔法は満遍なく覚えましょうね」


 いや、それは違う。

 たしかに弾丸が球状のままでは空気抵抗が大きく、たいして飛びはしない。

 この魔法の威力を上げようと思えば、弾丸はライフル弾のような形状にする必要がある。

 すると今度は、どんなに精度を上げても重心のバランスが崩れて直進性が損なわれる。

 たぶん先生は、そのことを言っているのだ。


 しかし異世界からきたおれにとって、その問題はすでに解決している。

 弾丸を回転させてジャイロ効果を発生させれば、弾丸がバランスを失うことはない。

 なんだか光明が見えた気がした。

 いっそのこと開き直って、この魔弾だけを極めてしまえばいいのではないだろうか。


 魔弾は最も低級と言われるだけあって発動までが早い。

 氷結に比べても発動までの時間は半分くらいだ。

 他の魔法のことなど何も知らないが、発動までの速さ、目標到達までのスピード、使用魔力量、そして音速に近づいた時の威力、すべてにおいて他の魔法より優れているように思える。


 なにより燃費のよさから繰り返しの練習に向いている。

 先生には悪いが、これを極めない手はないように思えた。


「いいですか、立派な魔術師を目指すなら魔法の選り好みなんてしちゃいけませんからね」


 と、先生がおれの顔を覗き込んで言った。

 まあ、現時点でわざわざ他の魔法を捨てるのも早計というものだ。


「たしかに、初歩の魔法しか使えないのでは格好がつきませんよね。ちゃんと他の魔法も使えるようになろうと思っていますよ」


「……私の言ったことに納得しているとは思えない答えですね。それに返事は、はいだけでいいと言ったでしょ」


 魔力の使い過ぎでくらくらするまで魔法の練習に精を出したら夕食時になったので、先生と一緒に屋敷の中に戻った。

 今日は文字を覚え、魔法を習得し、スライムを倒した。じつに充実した一日だった。


 夕食を終えたら先生と魔力錬成の時間である。

 身体を満たす苦しさに一刻ほど悶えていたら終わった。

 自分の流した汗の中に虫の息で横たわっていたら、先生からお風呂に入れてあげましょうと言われた。


 しかし、それはいくらなんでも恥ずかしいので、抱え上げられそうになる手から必死で逃げ出して一人で入った。

 メイドに風呂に入れてもらうのには慣れていたが、さすがに年頃の(そう見える)女の人はいろいろと困る。

 もちろん後になって後悔したが、いきなりすぎて断るしかなかった。

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