第3話 魔力と才能
一歳になってやっと屋敷の中を歩き回れるようになった。
おれは子供の体に戻ったわけだが、もとの世界にいたころよりできないことは増えているはずなのに、何倍も自由になったような感じがする。
昔はおれもこんなに自由だったのだ。
なによりも未来に対して、なんにでもなれるような気がしているのが、今感じている自由の正体だろう。
その自由を無駄にはできない。
そこで最初に考えたのは、やはり書庫を探すという事だ。
知識こそ力である。
これだけ大きな屋敷なのだから本くらいありそうなものだが、まだ絵本すら一度も見たことがなかった。だから、どこかに書庫があるのだろうと考えたのである。
書庫の場所はすぐに見つかった。
しかし屋敷内にあった書庫は、番をしている爺さんが常にいて、中に入れてもらうことが出来ない。
非常に厳重な管理がなされた書庫で、夜中にも鍵がかかっていて、おれがちょっと近寄っただけでも、どこからともなく爺さんが現れる。
なにか魔法的な防犯装置でも付いているらしい。
おれは一日中寝ているから、夜中に目が覚めて歩き回っていても不審がられることはなかったものの、それ以来、自室の外にも見張りをつけられるようになってしまった。
それから数か月しても、手に入れられたのは母親の部屋にあった裁縫の本だけだ。
それすら何度も取り上げられそうになった。
情報を得るためには本が一番だろうという考えに間違いはない。しかし本の扱いが元の世界より何倍も厳重で、ほとんど目にすることもできないというのはどうしたものか。
仕方なしに、その裁縫の本で文字の読み方をメイドから教わったりしている。
一文字一文字指さして、なんと発音するのか教わるのだ。
多少言葉を発しても不自然ではない年齢になっているから、意思の疎通も図れるようになってきた。だが、あまり突飛な行動をして注目を集めるのも良くないだろうから、今はそれだけで我慢している。
今のおれに許されることは、ただひたすら兄弟たちと家の中で遊ぶくらいなのだ。
その兄弟たちも習い事が多くて、まあ大変そうである。
「兄さんは書庫に入れるんだよね。中には何があるの」
「そんなことより、ピノキオの話しようぜ」
子供とは素直で可愛いものだと、7歳年上の兄を見ながら思う。おれの方が精神年齢が上なので、すでに手下のように手懐けることに成功してしまっている。
しかし兄は精神が本当に子供なので、おれの情報収集の役には立たない。
目先のことに夢中になってしまって、興味のないことには全く関心を示さない。暇つぶしにピノキオの話をしてみたら、それ以来その話しかしなくなった。
兄であるサミーはすでに簡単な習い事まで始めているが、なかなか興味を示さないので雇われた家庭教師が何度も変えられている。
このバウリスター家は召喚魔術師のエリート家系で、やたら金があるなと思っていたが、国で唯一の広大な荘園を管理する大貴族だった。
エレニア王国バウリスター領を統治するバウリスター公爵家である。
サミーの授業を盗み聞きしただけだから、魔法で荘園を管理することが何故そこまで凄いことなのかはわからない。
ただ王家に次いで絶大な力を持つ大貴族であると、兄の家庭教師ピエールは断言していた。
うちの家が管理する荘園の中には、エレニア王家の所有する区域もあるらしい。
バウリスター家の所有する兵士の数は、王国の中でも4位の数であり、戦争などが起きても、よほどのことがない限りは兵士の管理が王家に移管することはない。
そこまでの特権が認められている家柄なのだ。
ただの豪農というわけでもないような優遇ぶりである。
まさか、この地方でしか農業をしていないのだろうか。疑問は増えるばかりだが、メイドなどに聞いても、坊ちゃんには難しい話ですなどとはぐらかされてしまう。
それにしても、この家の金満家ぶりはただ事ではなかった。
洗面所に行けば、専用のメイドが手を洗ってくれるレベルの介護を受けている。
おれはいまだに、自分で手を洗った事すらないのだ。
人に洗ってもらう方がよほどまだるっこしいので、この家のしきたりには辟易している部分もある。
「そろそろレオンにも魔法の師匠が必要だな。来週までに適性のある人物をあたらせる」
おれが一歳半になった頃、夕食の席で父のカーティスが言った。
手に入れた編み物の本を、メイドに一語一語たずねながらなんとか読み終わったところである。
両親は美人の先生がいいでしょう、などと話している。
あれだけ勉強に身の入らなかった兄サミーも、美人の教師をつけたら途端に習い事に興味を向けるようになった。
その教訓から、おれには最初から美人の先生を付けてくれるらしい。
やっとかと、心待ちにしていたおれは二人の話を嬉しく思いながら聞いていた。
「父上、なるべく優秀な先生をつけてください」
そう注文を付けると、生意気なことを言いおって、みたいな態度で軽く流された。
これが幼児のつらいところである。大人の真似をして、わけもわからず言っているのだと思われてしまって、相手にすらしてもらえない。
メイド長にも、坊ちゃんは勉強好きだから優秀な先生をつけてもらえるよう頼むといいですよなんて言われていた。
そんなことも報告されているだろうから、父もわかっておるぞ的な態度なのだろう。
かといって、いきなり理路整然と説得するわけにもいかないから歯がゆい状況である。
変に目立って悪魔付きだなんだと騒がれても困るから、おれはできるだけ子供のふりを通すことに決めている。
それから半月ほどして、家におれの先生になる人が訪ねて来た。
それに先駆けて、アンナというメイド長から一通りの礼儀作法を教わっている。
作法だけでなく、家柄とその責任についてもうるさく言われたのでうんざりだ。
まず、おれの父カーティスは、公爵という王族にも並ぶような爵位持ちということだ。なので、その家族に当たるおれも同じ爵位としてあつかわれることになる。
しかし偉い貴族だとしても師匠筋に当たる人物には、身分に関係なくすべて自分より上として敬わなければならないしきたりがある。
つまりメイド長であるアンナでさえ作法の先生となった今では、逆らってはいけない自分よりも上の存在というわけだ。
手が少し汚れているだけでヒステリックになるから嫌いだったのにである。
ただ先生とは呼ばなくてもいいと、アンナから直々に言われていた。
このアンナからバウリスター家の人間としての心得を、本当に嫌になるほど叩き込まれた。
「それでは、バウリスター家の男子として恥ずかしくない態度でご挨拶ください」
「はい、わかっています」
「わかっています、では反抗的過ぎます。このような時は、わかりました、と答えるのがふさわしいのですよ」
おれはそんなことわかってるわと思いながら、はいと返事した。
反抗心を育てたくてわざとやってるのかと思うほどいちいち細かい。
アンナを連れてリビングに入ると、金髪の少女が慌てた様子で椅子から立ち上がった。
「あっ、魔法学院よりやってまいりました。き、今日付けで練魔師を仰せつかりましたエステルです」
エステル先生は、やたらと緊張している様子だった。
よく見れば耳が少し尖っている。
もしかしてエルフのような種族なのだろうか。
このように相手が緊張しているときは、ユーモアでもって相手の緊張をほぐすのがバウリスター家のような上の立場に立つものの務めであるというアンナの言葉を思い出した。
「この度はお初にお目にかかります。私がレオン・バウリスターです。御覧の通りしみったれた田舎貴族ですから、そんなに緊張なさらないでください。田舎者の集まりでお恥ずかしい限りです」
これでよかったろうかとアンナを見ると、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。
おっと。そういや、つい最近喋れるようになったのだと思いだした。これは明らかにやり過ぎである。
「あ、あの……、なんと言っていいのか。えっと、本当に貴方がレオンなのですか。それだとちょっと遅すぎたのではないかと……」
エステル先生もおれを見てなにやら動揺している。
それに対して、アンナが口を開いた。
「いいえ。こう見えて、レオン坊ちゃんはまだ二歳前です」
「それにしては受け答えが様になりすぎていると言いますか……」
「バウリスター家の男子ですから。なにもおかしなことはございません」
素知らぬ顔でアンナは言った。
自分も驚いていたくせに。こういうアドリブだけは卓越したものがある。
「さ、さすが、噂に名高いバウリスター家ですね。本当にその歳であるなら問題ありません。それでは短い間ですが、よろしくお願いいたします」
どうやら魔法の師匠をつけるのは2歳までとかなんとか、そんな異世界のセオリーがあるらしかった。
アンナはおれに目配せすると、部屋から出て行った。
あくまでも客人を迎えるのは、この一歳半になったばかりのおれである。
おれはエステル先生に座るよう促すと、その対面のソファーに座った。
あらためて見ると、エステル先生は金髪が眩い美少女である。
この世界のエルフ的なものが美男美女ぞろいなのか、それとも先生だけが特別なのかはわからない。
「さっき短い間と言ってましたが、先生にはどのくらい魔法を教えて頂けるのでしょうか」
「そうですね。まず貴方の父上は魔法を教えるために私を雇ったわけではないのですよ。一般的に貴族の子弟は、小さいうちに魔法の才能を伸ばすのが慣習となっています。魔法の才能である魔力量は、だいたい2歳前後までに決まると言われているからですね。その魔力量を伸ばすには、外から魔力を送り込むしかないのです。ですから魔力が固まるまで、貴方の魔力量を伸ばすのが私の仕事になります。才能にもよりますけど、数か月程度でしょうか。もちろん、その間でしたら魔法の基本的なことについての質問は歓迎します」
「では最初の質問をさせてください。私には魔法の才能があるのでしょうか」
「もちろん才能は有ります。なにしろバウリスター家の生まれですからね。特に召喚魔法に関しては、国内で随一の才能であることは間違いありません。さっそく計ってみましょうか」
言われるがまま、先生の用意した四角い箱の上に手を置くと、そこに書かれた五芒星が色とりどりに輝き始めた。
それを見た先生が言うには、共鳴力が最も高く、それが召喚魔法を覚えるのに必要な素質とのことだ。ついで高いのが身体能力の強化に関わる干渉力で、その次が変容力という魔力を物質化させる力と、自然魔法を発現させる発現力が人並みくらいだそうだ。
しかし影響力という、遠くの魔力に干渉する力がとても低いそうである。
まとめると、召喚10以上、身体強化10、物質化5、自然魔法5、距離2ということだろうか。
「つまり遠距離から攻撃できるような魔法は使えないという事ですか」
「そんなに落ち込んだ顔をしないでください。召喚魔法は万能の力とも呼ばれているのですよ。ですが基本的な魔法に関しては、かなり苦手な部分があるのも事実です。もし将来、魔法学院などに進学されるのでしたら、苦労することがあるかもしれません」
がっかりしていたおれにエステル先生は、魔力操作の力と、その魔力操作で影響が与えられる距離は、トレードオフの関係にあるという話をしてくれた。
そして抵抗力が高ければ、並の魔法などでダメージは受けないそうだ。
抵抗力というのは、これから先生に伸ばしてもらう魔力量のことで、バウリスターの血を引くおれには間違いなく莫大な許容量があるとのことだった。
それにしても一般的な魔法が並レベルではがっかりだ。
どうにか、それを埋め合わせる方法を考えねばならない。
召喚魔法が万能の力だというのなら、それによって代替する必要があるだろう。
そして、この日の夜からエステル先生に魔力を注いでもらう日課が始まった。
朝と夜に小一時間ほど、エステル先生がおれの背中に手を当てて魔力を流し込むのだが、それがとても苦しくて冷や汗が流れるほどだった。
しかし、これをやるだけで魔力が増えるのだから、我慢するのもつらくはない。
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