第2話


「おいおい、さっきまでの威勢はどうした。そんなしけた顔されたんじゃあ買った甲斐がねえじゃねえか」


「……」


「なんだ、口まできけなくなっちまったのか。しょうがねえ、しっかりついて来いよ?」


 俺は歩き出した。後ろの気配は、逃げるわけでもなく俺の後に続くようだ。そのまま路地裏から大通りへと移動する。すっかり日の暮れた街の通りには酔客がうろつき、それを捕まえようとする飲み屋の呼び子や娼婦の姦しい声も混じり始めた。宿屋や食堂、露店から料理の匂いが流れ出て、鼻孔をくすぐる。ここらで晩飯でも、と思ったところで背後から腹のなく音がした。

 俺が振り向くと、イゼルナは真っ赤になった顔をそむけた。


「なんだ、腹が減ったのか」


「……減ってないっ」


そう、精一杯強がりを言ったところでもう一度腹のなく音。


「おもしれえな、お前。どれどこか適当に……」


 手近な店を探そうと周囲を見渡すと、料理の匂いに混じって不快な刺激臭がする。顔をしかめながらその臭いの元をたどれば、目の前の女に行き着いた。ぼろい貫頭衣、汚れた顔、くすんだ髪。薄暗い天幕の中ではそれなりに見えたが、月明りと、加えて街の明かりの下ではその汚さは際立つわけだ。そして、それだけ汚ければ、その臭いたるや相当。

 俺の視線に気づいたのか、イゼルナは自らの肩を抱きしめ顔をゆがませた。


「おまえ、随分臭ぇな」


「……っ!う、うるさいっ」


 そう叫ぶと地面に蹲ってしまった。子供かよ。面倒だが、仕方ない。俺もしゃがみこんで、イゼルナと視線の高さを合わせる。


「いい大人が、こんな往来でみっともないことすんな。それはともかく、だ。風呂を済ませてからだと店が閉まりかねん。とはいえ、こんな臭いじゃどこも入れてくれねえ。仕方ねえからなんか食いもん買ってくるからしばらく……そうだな、ここに蹲ってても邪魔でしょうがねえ。そっちの壁沿いに移動して待ってろ。いいな」


 そう言って俺は立ち上がり。


「おい、苦手な食いもんなんかあるか?」


「……」


「返事がねえってことは何でもいけか?虫でもいいのか、おい?」


「……虫はやめてお願い。あと……魚は、少し苦手」


「言えるじゃねえか。ならとっととあっち行ってろ。馬車に撥ねられても知らねえぞ」


 俺はイゼルナが立ち上がるのも見届けず、足早に露店へと向かった。


 俺は、オーク肉の串焼き2本とリンゴを買った。猪より高価ではあるものの、常に討伐対象となるオークは流通しやすい。二足歩行で人型、と言えなくもないがそれを忌避するようなご立派な道徳観は存在しない。人族やそれに友好的な亜人種以外、たとえ二本足で歩こうが、武器を持とうが会話が出来ようが、美味ければ喰う。生きるというのはそういうことだ。友好的な亜人種というのも古の協定により定められているに過ぎず、協定以前には食したという記録もあるらしいし、いまだに食している国も存在していると聞いたことがあるが、俺としては出来れば遠慮願いたい。

 肉だけでは偏るので、出来ればパンと野菜もとは考えたが、野菜はスープ以外での入手が難しく、パンはスープに浸さねば噛み千切るのも困難な黒パン。仕方なく、野菜よりは入手しやすい果物を選んだ。奴隷商の元でどれほどの食事が与えられていたかは知らないが、まあわがままも言わないだろう。

 イゼルナは、言われた通り大通りの脇に立っていた。さすがに子供のように蹲るのはやめたようだ。しかし、足元になにか転がっている。ああ、あれは——。


「おい、なんだそれは」


「……襲ってきたから」


 俺が足元に転がっているものを指さすと、さも当たり前のようにイゼルナは答えた。


「へえ。酔っ払い相手とはいえ、片腕でか。やるじゃねえか」


「片足で、よ」


「足かよ」


「そう、足」


「まあいいや、憲兵呼ばれても面倒だ。ほれ、食いながら行くぞ」


 オーク肉の串焼き1本とリンゴを手渡すと、背を向けて歩き出した。


「……ありがと」


「気持ち悪ぃな。いいから食っとけ」


 そう言いつつ、俺は手に残ったオーク肉にかぶりついた。



 やがて人通りが多く明るい大通りから道を逸れ、人気のない薄暗い道へと入っていく。


「なあ、傷は……痛むか」


 背後の咀嚼音が聞こえなくなった頃合いを見て声を掛けた。嫌な思い出が多いだろうが、あえて無視する。


「なくなった腕はたまに。それ以外はもう、大丈夫」


「そうか、災難だったな」


「あんたに買われた以上の災難はないわ」


「はっ、そりゃ違いねえ」


 ふんっ、と鼻を鳴らした音が背後からした。下種とか畜生とか貴様とかからあんたには格上げされたのか。虚勢を張る気も失せたのか。どちらにしても良い傾向だ。


「ご主人様とは呼んでくれねえのか」


「いやよ、絶対に」


「そうか。命令でも、か」


「……ええ。命令でも」


 奴隷の命令不履行。その結果は他の奴隷を見て知ったのか、自ら奴隷となって経験したのか。どちらにしても相当な覚悟だ。そうでなくちゃいけない。


「まあいい。いずれ自分から言わせてやるさ。それはそうと言っておくことがある」


「な、なによ」


背後の気配が身構えた。


「奴隷三禁則は分かるな」


「当たり前でしょ。自死、逃亡、あんたへの危害、でしょ」


「おうおう、よく知ってるじゃねえか。お前との契約では、そのうちの一つを外してある」


「へ?」


「持ち主への危害の禁止。つまりは俺への危害を禁じてはいない。」


「はぁ?何バカなこと言ってるのよっ!?」


「ついでに、いかなる理由があろうと、俺が死んだ場合奴隷契約は無効となる。つまりイゼルナ、お前は自由だ」


「嘘じゃないでしょうね」


「嘘ついてどうするよ」


 空気が一瞬で冷える。

 刹那、背後から猛烈な殺気とともに下段から俺の後頭部に向かって振りぬかれた、おそらくは脚。俺はそれを見もせずかわしながら、右手でそれを掴んだ。イゼルナの貫頭衣が大きく捲り上がり、彼女の下半身が露になる。


「おいおい、随分とはしたないねえ。丸見えじゃねえか」


「なっ」


 一瞬怯んだものの、イゼルナは足首を掴まれたまま、残ったもう1本の脚を蹴り上げた。躊躇のなさは見事だが、いささかバランスが悪く、威力不足は否めない。要訓練といったところか。俺は左手で2本目の足首を受け止め、そのまま両手を引き上げた。貫頭衣の逆さづり、どうなるかは言うまでもない。胸までめくれ上がったぼろい貫頭衣はイゼルナの顔をすっぽりと覆う。彼女が俺の方を向いていたのなら、腕や頭で反撃する機会もあったろうが、残念ながら背を向けている状態ではどうにもなるまい。傷だらけのほぼ全裸を夜道にさらして、その顔は羞恥と怒りに染まっているだろうが、見えないのが全く残念だ。


「はっ、離せっ殺してやるっ」


「目の前に尻があるってのも悪かねえが。臭えなやっぱり」


「見るな下ろせ殺すぞ嗅ぐなっ」


「いろいろ注文つけられる立場じゃねえぞ、ほれ」


 そう言うと俺は鼻先を尻の双丘の間に突っ込んだ。


「うわ、くっせえ。鼻が曲がりそうだわ、これは」


「やっやめろやめろやめろぉぉぉぉっぉっおっあっうぅっ」


 暴れだしやがったが両足首掴まれて逆さのままではどうにもなるまい。しばらくばたばたと暴れるほぼ全裸を目で楽しんでいると、やがて大人しくなった。罵りが懇願になり、鼻をすする音が混じり、涙声になってきやがった。諦めるの早くねえか。そういえばこいつ処女だったわ。俺は大きなため息を吐いた。


「おいこら、下ろすぞ暴れるなよ頭打つぞ」


 俺は片手で両足首を掴み直し、空いた手で彼女の腰を支え、ゆっくりと地面へと下した。仰向けに寝転んだイゼルナは晒された身体を隠すでもなく、顔を貫頭衣で隠したまま泣き始めた。とりあえずしまえよ、路地裏とはいえ誰かに見られたら言い訳もできねえ。


「うぅ……ひっく……もう…じにたい…ごろじ…て」


「殺さねえよ。てかこんなことで死ぬなよ」


「だってぇ……いやぁ、こんなのいやだからぁ……ぐすっうぇええええええ」


 顔だけ隠して、胸から下を全てさらけ出し、地面をごろごろうねうねしつつ泣き言を言い連ねるという奇怪なショー。これで身体が傷だらけでなければなかなかの見ものではあると思うのだが、そうもいかないのは残念だ。ここで声を掛けるのもなんとなく憚られて、俺は路地脇に置かれた木箱へと腰を掛けた。

 やがて、泣き言を言いつくしたのか涙が枯れたのか静かになったイゼルナは、急に身体を強張らせた。ようやく、自分の姿がどうなっているのか気付いたようだ。跳ねるように身を起こすと、頭に掛かっていた貫頭衣を慌てて下ろし、その身体を隠した。


「いやあいいもん見せてもらった。駄賃は弾まないとなあ」


「ぶっ……ぶっ殺す!!」


 俺がニヤニヤと笑いかけると、顔を赤黒くさせて飛びかかってきた。俺の喉めがけて真っすぐに突き出された手刀は素人相手であれば即殺上等。しかし利き腕ではなく、ましてや相手が俺ではその効果は微塵もなく、その軌道は簡単に逸らされ、その勢いのまま地面に引き倒されてしまう。腕をねじり上げ、、膝を背中に乗せ制圧する。


「筋は悪くないが直情的すぎる。それに利き腕なしのバランスでの戦闘にまだ慣れてねえ。とてもじゃないが合格点はあげられねえよ。あと、貫頭衣での足技は悪いことは言わない、やめとけ」


「うっうるさい黙れ離せ死ねっ」


「いやいや自分が殺せないからって死ねはねえだろ」


「うるさいうるさいうるさいっ」


 流石に面倒になってきたな。


「あー……もうちょっと大人しくしてくれねえと手が離せないんだが」


「………………離してよ」


「騒ぐなよ逃げるなよ逃げてもいいがそんときゃ死ぬぞ。いいな?」


「……わかったわよ」


 俺はゆっくりと手を離し、膝をイゼルナの背中からどけた。彼女はゆっくりと立ち上がり、身体に付いた土埃を払い落した。顔はなにかいろいろな液体でぐしゃぐしゃになっている。


「あーあー、綺麗な顔が台無しだぞ嬢ちゃん」


 俺は腰に下げた袋から手拭いを取り出し、イゼルナの顔をごしごしと拭いた。逃げるかと思ったが、されるがままなのはなにか思うところがあるのか。


「こんな傷だらけな顔」


 イゼルナは呟いた。悲しそうに、寂しそうに。


「そんなことは、ねえよ」


  慰めにはならないと理解はしていても、俺はそう応えずにはいられなかった。



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