extra.7  親子に戻る時




「か、彼方···なのよね···?」




消え入りそうに震える声でそう問いかけてくるのは、紛れもなく絶縁した実母、花咲舞桜その人であった。

ただしあれから随分と時間が経っていたので、容姿が大きく変わっている。

白髪が増え、何故かやつれている。

けど、確かに昔の面影は残していた。




「っ···」




なんて返したらいいか分からない。

あまりに突然過ぎて、思考が停止している。

この場合、どうした良いんだ?

逃げるように去るか?それとも無視するか?




「おとーさん、このひとだぁれ?」




しかし、その両方の考えは何も知らない我が娘によって消え失せてしまった。

この子が居る以上、知らぬ存ぜぬを貫けることは出来そうにないな。




「はぁ···お久しぶりです、舞桜さん」




溜め息混じりにそう話すと、母親の舞桜さんは目に涙を浮かべてその場に膝をついてしまった。




「あぁっ···か、彼方ぁ···ご、ごめんなさい···っ、ごめんなさい···っ!」




こんな場所で泣き崩れても困る。

周りの人たちが訝しげにこちらを見てくるし、どうにも居たたまれない。




「おばさん、だいじょーぶ?よしよし」




俺と舞桜さんの関係が分からない灰鳥は、泣いている彼女の頭を優しく撫でている。

こうなっては、もはやこれでさよならという訳にもいかない。

仕方ない、腹を括るか。




「舞桜さん、場所を移動しましょう。ここでは目立ちすぎます」




俺たち家族は泣いている舞桜さんを引き連れ、この場を後にした。












「落ち着きましたか?」


「え、ええ···取り乱して、ごめんなさい···」




場所を移動し、来たのはファミレス。

ここでなら、多少は落ち着いて話が出来る。

それに二人をファミレスに連れていく約束もしていたし、丁度良い。

注文を終え、俺は舞桜さんと相対する。

改めて見るが、やはり明らかに痩せた。

妹の桜とは連絡を取り合ったり会ってはいるが、彼女から元両親の話を聞いたことはなかった。

妹が気を遣ったのか、それとも話せない理由があるのかは分からない。

だけど、この変わりようには心底驚く。




「改めて、久しぶり」


「本当に、久しぶりね。元気にしてた?···って、聞くまでもないみたいね」




苦笑いをしながら、俺たちを見る舞桜さん。




「あなた、結婚して子供も出来たのね···」


「まあな。お陰様で···って言うのもおかしいか」


「ええ···そうね」




他の客が和気藹々とする中、この席だけは暗い空気が漂っている。

主に発しているのは俺と舞桜さんだが。




「そっちの子は···前に一度、うちに来た子かしら?」




舞桜さんは、黒羽に目を向ける。

そうか、そういえば過去に一度だけこの二人は会っていたな。

俺が家族と話すため、黒羽や紡、美白さんを家に連れてきたことがあった。

なんだか、その時が酷く懐かしく思える。

舞桜さんに話しかけられた黒羽は、軽く頭を下げて口を開いた。




「ええ、ご無沙汰しています。あの時自己紹介はしましたが、改めてご挨拶を。私、彼方の妻の黒羽です。こちらは、娘の灰鳥。灰鳥、この人はお父さんのお母さん、つまりはおばあちゃん。ご挨拶をして」




本来なら俺が言うべき紹介を黒羽が代わりに言い、灰鳥に挨拶を促した。

灰鳥は俺たちの過去を知らないため、舞桜さんをおばあちゃんと認識して笑顔を向ける。




「あすかです!はじめまして!」




ペコッと可愛らしくお辞儀をする灰鳥に、舞桜さんは慈しみにも似た目で見ていた。




「ええ、はじめまして。···とても良い子ね」


「ああ、自慢の娘だ」


「そう···」




しかし、明るくなった空気は一瞬にして先程の重苦しい空気に逆戻りする。

どうしたものかと悩んでいると、舞桜さんが俺に頭を深々と下げた。




「本当にごめんなさい、彼方。私は、あなたに許されないことをしました。今更謝っても遅いですが、謝罪だけは受け取ってください」




泣きそうな声でそう言う舞桜さんは、ずっと頭を下げたままだ。

灰鳥は何がなんだか分からないといった顔で俺たちを見て、黒羽は目を閉じて何かを考えている様子だった。

本当に今更だ。あれから何年経っていると思っているんだ。

謝ったところで、何か変わるのか?

許したところで、関係は変わるのか?

そんな言葉が頭の中に浮かぶが、声には出さなかった。

代わりに、場違いな質問が浮かんだので、空気を変えるためにも訊くことにする。




「···なんで、神社に一人で居たんだ?進さんは一緒じゃないのか?」




花咲進。俺の元父親。

この人も俺を信じなかった毒親の一人で、こんな人にはなりたくないと反面教師になって父親をやってこれたから少しは感謝している。

そんな人が母親と居ないのはおかしいと思ったので訊いたのだが、舞桜さんは唇をきゅっと締めて静かに答えた。




「あの人は···もう、居ません。三年ほど前に、癌で亡くなりました」




亡くなった。そう聞かされても、俺の心は微塵も動かなかった。

感情は取り戻しているはずなのだが、父親へ対しては何も感じなかった。

テレビで他人が死んだと放送されても、なんとも思わないのと同じような気持ちになっている。

あの人は、仮にも父親だったはずなのに。

もしかして俺、結構冷たい人間なのかな?




「そうか···亡くなったのか···」


「···はい」




彼女にとって、息子も夫も失った。

そんな彼女に、幸せそうな俺たちの姿を見せるのは酷かもしれない。

だけど、なんでか放っておけなかった。

絶縁して他人とはいえ、確かな気持ちがそこにはあった。




「あなた···」




俺が何を考えているのか分かったのか、黒羽は心配そうな顔で俺を見た。

やれやれ、本当に俺はお人好しかもしれない。

悪意を振り撒いた月ヶ瀬杏珠は赦した。

桐島彩花と岸萌未も、言ってはいないが俺の中ではとっくに赦している。

桜とも和解した。

なのに、この人だけ赦さないのはおかしい。

確かに思うところはある。

あんな毒親に情けなんて必要ないと感じる。

だけど、この人も一人の人間だ。

間違いがあればこうやって反省し、俺に頭を下げて謝罪している。

それを許さないと突っぱねるのは、子供が意地を張っているのと同じことだ。




「はぁ···心配するな、黒羽。俺の答えは、もう決めている」


「そう···あなたがどんな答えを出しても、私はあなたの味方だから」


「わたしも、おとーさんのみかただよ!」


「···ありがとう」




二人の家族から心強い応援を貰った。

ならば俺は、自分が出した答えを正しいと信じて今の気持ちを打ち明けても大丈夫だ。

俺は未だ頭を下げ続けている舞桜さんに、その答えをぶつける。




「舞桜さん···いや、


「か、彼方···?」




いつ振りだろうか、母と呼んだのは。

そんなことすら忘れるくらい、俺とこの人との距離はだいぶ空いてしまっていた。

だけど、いくら時間が経とうとも決して手遅れではないはず。




「俺は、あなたを赦します。だから、絶縁は取り下げる。あなたをもう一度信じてみようと思う」


「か、彼方···また、私を母と呼んで···くれるの····?」


「ああ。うちの灰鳥にとって、父と母は俺と黒羽しかいないように、俺にとっても母はあなたしかいないからな。だから、またそう呼ばせてくれ」


「か、彼方···っ」




顔を上げた舞桜さんの目には、大量の涙が流れ出している。

色々と塞き止めていた想いが崩壊したのだろう。




「うぅっ···ほ、本当にごめ···っ、ごめんなさい!彼方、ごめんなさい···っ!」


「もういいって、母さん」


「そういう時はごめんなさいではなく、ありがとうですよ。お義母さん」


「おばあちゃん、だいじょーぶ?どこかいたいの?いたいのいたいの、とんでけー!」




泣き続ける母親に、俺たち家族は優しく暖かい声で励ました。

やれやれ、俺って本当にお人好しだな。

だけど、そのおかげで僅かに残っていた胸のしこりが取れたような気がする。




「あっ、おりょーりきたよ!たべよー!」




重い空気をぶち壊すかのような灰鳥の声に、俺たち三人は微笑み合った。

これで、親との確執が消えたように感じた。

いつか、父の墓前にもそう報告しよう。

そう思いながら、俺たちは久しぶりの家族で食卓を囲んだのだった。




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